登録日:2014/01/22(水)01:47:10
更新日:2023/12/08 Fri 13:53:07NEW!
所要時間:約 10分で読めます
▽タグ一覧
生ける伝説 ジャンプ スキー カミカゼ 天才 北海道 オリンピック7大会連続出場 本場でリスペクトされる本物 世界一美しい飛行姿勢←船木はもっとヤバイ スキー界のシーラカンス 葛西紀明
葛西紀明とは、スキージャンプ競技の選手。
長きにわたって現役を続ける生ける伝説。アダ名は「カミカゼ・カサイ」、「NORI」など。
略歴
アルベールビル五輪まで
札幌オリンピックスキージャンプ70m級(現在のノーマルヒル競技)で日の丸飛行隊が表彰台独占という伝説を築き上げた1972年、
道北のジャンプ競技のメッカ上川郡下川町に生まれる。
同郷の先輩岡部孝信らに触発され、ジャンプ少年団に入団。するとメキメキと頭角を現し様々な大会で優勝を重ねる。
中学三年の時には宮様スキー大会成年の部にテストジャンパーとして参加し、同じ助走距離で優勝者以上の距離を飛び話題を集める。
東海大四(現東海大札幌)高に進学した1988/89シーズンには、札幌大倉山シャンツェで開かれたワールドカップ札幌大会に16歳6ヶ月という当時史上最年少記録となる若さで参戦。
その後、STV杯で国際大会初優勝。その結果を受けて世界選手権代表に抜擢された。
翌年からはワールドカップに本格参戦。7位入賞するなどそこそこの活躍をする。
1991年、高校卒業後は当時ノルディックスキーの強豪チームを抱えていた地崎工業に就職。
翌年に迫ったアルベールビル五輪を目指すが、当時はV字ジャンプが流行りだしており、スタイルチェンジを余儀なくされなかなか調子が上がらず、
五輪初出場こそ果たすがノーマルヒル・ラージヒルともに惨敗。団体では4位に入ったが悔いの残る初出場となった。
しかし、五輪後にコツを掴みだしたのかワールドカップで初の表彰台となる3位入賞を果たし、
フライングヒル(すっごい高いジャンプ台から時速100kmで飛び出して200m飛ぶ命知らず競技)世界選手権で優勝。
当時のワールドカップ最年少優勝記録を打ち立てる。
リレハンメル~長野
92/93シーズンは完全にV字ジャンプを習得。
体を投げ出すかのように激しく前傾する過激な飛行姿勢、ワールドカップ3勝を挙げ年間総合3位になるなど大暴れしたことから本場欧州でもファンを増やし、
カミカゼ・カサイの異名を取るようになった。
その翌シーズンも国内では無敵状態で大倉山のバッケンレコード(そのジャンプ台の最長飛行記録)を更新するなど大暴れ。
ワールドカップでも勝利した後、夏季五輪と周期をずらす為に二年刻みで開かれたリレハンメル五輪では5位入賞。
団体戦(ラージヒル)では岡部孝信・西方仁也・原田雅彦と共に挑み、
四人目の原田が105m飛べば勝ち、ラージヒルはK点が120m辺りなので、途中で落ちるような酷い失敗をしなければ金メダルという圧倒的に有利な状況を作ったのだが…
原田がやっちまったため銀メダルに終わる。とは言え初めての五輪のメダルである。
この後は地元開催の長野五輪に向けてリレハンメルのリベンジを期し臨むも、ビンディング取り付け位置ルールの改定や怪我にも見舞われなかなか調子が上がらず、
彼の怪我を埋めるように船木和喜ら新世代も台頭。
五輪出場も危ぶまれ始めたが97年には調子を上げ代表入り。
その長野五輪では五輪直前で捻挫をしてしまいノーマルヒルこそ出場し7位入賞したがラージヒルは欠場、
団体もラージヒルで代わりに出場し調子のいいところを見せた斎藤浩哉を優先され出場できず。原田と岡部がリベンジを果たすのを見ているだけになってしまった。
しかし五輪後にグンと調子を上げ、ワールドカップで4シーズンぶりの優勝を含む3度の表彰台を記録し完全復活。
五輪後の1998年3月に地崎工業がスキー部を廃止にしたため、マイカルに移籍する。
ソルトレイクシティ~ソチ
マイカル移籍後はウインタースポーツに吹き荒れた廃部ラッシュや予算の縮小傾向にもぶち当たるが、
98/99シーズンはワールドカップ6勝で総合3位、00/01シーズンは年末年始欧州伝統の4連戦ジャンプ週間で優勝し1勝に終わるが、全体的に安定した戦いを見せ総合4位に入るなど気を吐く。
しかし、ソルトレイクシティ五輪を控えた2001年10月にマイカルが廃部。土屋ホームに移籍するが五輪では個人種目で惨敗。団体戦メンバーから外れ悔しい五輪となった。
02/03シーズンには世界選手権で個人種目で2つの銅、団体で銀メダルを獲得。03/04シーズンには当時の最年長記録となる31歳7ヶ月で優勝するが、
その後はたしかに不利な要素が多かったとはいえ、ルール改定ガールール改定ガーばかり言ってルールへの対応出来ずに強化資金もない日本チームの低調に引きずられ思ったように活躍できないシーズンが続く。
世界選手権での団体戦でこそ気を吐くが、トリノ・バンクーバー両五輪では芳しい結果は残せなかった。
リレハンメルで逃し、長野でリベンジさせてもらえなかった金メダルへの挑戦のため、
アスリートとしては斜陽の年齢になりながら、ジャンプ界では非常に珍しいプレイングマネージャーとして土屋ホームスキー部の後輩を育てつつ、
40を超えても現役を続けた。
そして、2013/14シーズン。再び輝きを取り戻した葛西は2013年12月にワールドカップ史上最年長表彰台記録を塗り替える3位入賞を果たし、
カミカゼ健在をアピール。
2014年1月11日にはフライングヒルで行われたワールドカップで優勝。41歳7ヶ月という今後破られる気がしない史上最年長優勝記録を打ち立てた。
翌日の大会でも3位入賞し表彰台記録を一ヶ月更新。一躍ソチ五輪のメダル候補に挙げられつつある。
そしてその期待に応え、ソチオリンピックラージヒルに於いて銀メダルを獲得した。オリンピックでのメダルはリレハンメル以来20年ぶりである。
おまけに、2本の飛行とも、HS(ヒルサイズ-ジャンプ台飛行限界点)近いジャンプを揃えてきた。
さすがにこのシーズン最高の実力者ストッホのパーフェクト過ぎてため息の出るジャンプにはわずかに劣ったが、
距離だけなら見劣りはしない飛びっぷりに日本はもとより本場欧州のファンも感嘆した。
そして迎えた団体戦。エース級が軒並み復調したオーストリア、相変わらず団体が強いドイツには負けてしまったが、
膝を痛め満身創痍の伊東大貴、難病と戦う竹内択、自身も腰が本調子にないなどズタボロの日本チームを鼓舞するかのように134mを二本揃える完璧な飛行を見せ、銅メダルに導いた。
大仕事を果たし、人目も憚らず泣く姿には、かつてメンタルの弱さを指摘されたガラスのエースの姿はなかった。
平昌~北京、そして
東京五輪にも意欲を燃やすなど衰えを知らない彼は2014/15シーズンも最前線に立つ。
ワールドカップ開幕戦では団体で2位に入ると、第3戦ではシモン・アマンと1位タイとなり、自身の最年長記録を再び更新する42歳5ヶ月での優勝を飾った。パネェ…
その後もW杯でも実績を積み最終的にW杯総合6位、世界選手権では女子の興隆で導入された混合団体で銅メダルを獲得し大いに活躍した。
2015/16シーズンも奮闘し、W杯総合8位。3シーズン続けて一桁順位を記録。さらに2016年2月には日本人史上3人目となるノルディックスキーの最も名誉ある賞・ホルメンコーレンメダルを受賞、3月にはW杯史上初の500試合出場を果たし、500番のスペシャルゼッケンで出場した(結果は6位)。
2016/17シーズンはW杯総合15位と一桁順位は逃したが、日本人最高位は譲らなかった。いい加減誰か奪おう。ちなみに今のW杯最高齢表彰台記録はこのシーズンに更新している(44歳293日!)。ジャンプ週間100試合出場を達成して記念ゼッケンをもらったりした。
迎えた五輪シーズン、2017/18シーズンは後輩の小林潤志郎・陵侑兄弟の台頭もあったが全日本選手権で優勝するなどまだまだ健在であった。しかし日本代表の旗手も務めた五輪ではノーマルヒル21位、ラージヒルでは二回目に進めず。男子団体も6位でメダルには届かず、W杯総合順位も26位と奮わなかった。
その後は寄る年波には勝てないのか、W杯でもずっと不振であり北京五輪出場は逃したが、自ら土屋ホームにスカウトした後輩の小林陵侑がW杯総合優勝、五輪での金メダルを獲得したことに触発され、まだまだ気勢盛んである。
余談
- 北海道日本ハムファイターズの稲葉篤紀とは同世代ということや、ゴルフ仲間であること、北海道を拠点に戦うアスリートということもあり非常に仲が良い。
稲葉の引退に合わせてセレモニーに登場したりした。なお、葛西は2014/15シーズンも現役バリバリである。 - 難病を抱えた妹がいた。現在は病気を克服し元気だとか。
五輪で金メダルを狙っていたのは長野のリベンジということもあるが、当初は彼女を元気づける為に目指したという。
残念ながら2016年に亡くなった。 - 前述の通り、欧州ではカミカゼの異名を取り人気があり、バンクーバー五輪ではメダル争いに絡むことができなかったにもかかわらず海外記者が輪を作った。
- オーストリアやドイツなどノルディックスキーの本場では地元選手程ではないにしろ、彼の人気と長いキャリア故に歓声が大きくなる。
現役の選手や、今はコーチとなっている往年の選手からも尊敬を集める偉大なおじさんである。 - 長谷部誠曰く、ドイツで一番有名な日本人アスリートは葛西だとか。
- 実際、最年長優勝記録を打ち立てた時は選手からももちろん、日本のコーチが各国コーチに祝福されていた。
- ソチ五輪には、兼任監督している土屋ホームスキー部所属の女子ジャンパー伊東有希と共に出場が決定している。自身もメダル候補であるが教え子もメダル候補である。
その後自らスカウトした小林陵侑をW杯総合優勝達成&五輪金メダリストに育て上げた。 - ブログがすごく若々しい。
追記・修正は時速100㎞で飛び出して200m飛んでテレマーク姿勢を入れて着地してからお願いします。
[#include(name=テンプレ2)]
この項目が面白かったなら……\ポチッと/
#vote3(time=600,8)
[#include(name=テンプレ3)]
▷ コメント欄
- 対応云々とあるが度重なるルール改定は完全に体格的に小柄な日本人ジャンパー狙い撃ちだったから仕方ない(体格的に大柄な欧米有利なルールにしたとして、日本以外からも非難は出ている。名前が出ているモルゲンシュテルンも184cmと大柄なジャンパー) -- 名無しさん (2014-01-22 13:33:14)
- 「そんなにおじさんなの?」という人の為に補足
ジャンプ選手は30越えたらオッサン扱いで引退考えるぐらい寿命が短い
30代前半どころか20代で引退する1流選手もいる
今回優勝争いした外国人選手の中には葛西選手が初めてW杯に出場した時には産まれてすらいない人すらいる(プレフツ・22才、シュリーレンツァウアー・24才) -- 名無しさん (2014-01-22 19:05:23) - アマン達が優勝している時点でルール改定の事はもはや言い訳にしかならない -- 名無し (2014-02-10 01:49:57)
- 銀メダルおめ!まさにレジェンドだな -- 名無しさん (2014-02-16 11:10:02)
- 銀メダルと聞いて。どう表現していいのか分からんけど、人間の持つ無限の可能性を体現してくれたように思う。 -- 名無しさん (2014-02-16 11:21:08)
- 銀凄い……長年の努力の賜物だな -- 名無しさん (2014-02-16 11:28:17)
- テレビ番組で、「葛西は今が身体的にも技術的にもピークですよ」と言われてるのを聞いて、この人化け物だ…と思った -- 名無しさん (2014-02-16 11:38:11)
- おめでとう。そしてとりあえずお疲れ様です。更なる活躍を願います。 -- 名無しさん (2014-02-16 11:48:52)
- 銀メダルおめでとう!笑顔が映えるな -- 名無しさん (2014-02-16 11:53:43)
- 「四年後を目指すか」という質問に、「もちろんです」と答えた。普通の人ならリップサービスだけど、この人ならやりかねん…今度は金取るんじゃねえのか…? -- 名無しさん (2014-02-16 13:03:15)
- この人の死んだ母親の最後の手紙が泣けるんだわ。 -- 名無しさん (2014-02-16 13:30:53)
- この前の番組でゴルフ勝負やってたけどめちゃ上手くてワロタ -- 名無しさん (2014-11-30 15:36:07)
- 野球でいう山本昌、サッカーでいうカズ的な存在だな。まだまだトップクラスってのがすごい -- 名無しさん (2014-11-30 15:47:38)
- この人がソチで活躍してからレジェンドって表現が定着した感 -- 名無しさん (2016-05-26 13:56:07)
#comment
コメント
最新を表示する
NG表示方式
NGID一覧