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更新日:2024/01/25 Thu 13:53:39NEW!
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子連れ狼 時代劇 剣士 田村正和 高橋英樹 北大路欣也 小池一夫 主人公 冥府魔道 日本刀 手榴弾 ワンマンアーミー 漢の中の漢 ストイック クエンティン・タランティーノ 真の漢 三船敏郎 無双 漢の義務教育 劇画 アイズナー賞 フランク・ミラー 日本男児 人類最強候補 若山富三郎 萬屋錦之助 乳母車 公儀介錯人 小島剛夕 拝郷家嘉 shogun assassin lone wolf and cub 胴太貫 ロード・トゥ・パーディション
拝一刀とは、小池和夫作の劇画漫画を原作とし、数度に渡ってドラマや映画にもなった名作『子連れ狼』の主人公である。
■人物
かつて江戸幕府の公儀介錯人を務めていたが、公儀介錯人の職を狙っていた裏柳生*1の総帥・柳生烈堂の策略によって濡れ衣を着せられ、当時はまだ数え年で一歳の我が子・大五郎と共に江戸を脱出。
それ以降は刺客を請け負いながら、過酷な放浪の旅を続けている。
その貫録を表現するために実写化の際は皆高齢の役者ばかりが選ばれるため、一刀と大五郎は祖父と孫にすら見える。
しかし、この拝一刀、大五郎が産まれ、刺客業に手を染めた時点でまだ20代。
つまり、最も長生きした場合で見積もっても享年32歳。生き急いだ人生である。
一端の剣客なら知らぬ者は居ないほどで、真の剣聖と称賛された人物であったが、作中では歳月を経て更なる高みへと至った。
また、元々幕府の重臣として城勤めをしていただけあり、農耕や商業、治安維持体制など政に関わる知識も豊富。
対柳生に備えてか、多種多様な軍略、剣術流派にも精通している。
毒や人質を始め数多の策略や攪乱を潜り抜けた彼に最早そうした業は通じず、催眠等の精神誘導も含む全てを看破する無心の境地をも会得。
心技体の極致に到達した彼はありとあらゆる苦境を打開していく。
同じく1970年代に連載が始まった名だたる名作にして若干先輩の『ゴルゴ13』の影響も指摘されているが、イメージとしては、その力量や振る舞いはいわば時代劇版デューク東郷。
彼に息子への愛情を加えて、銃技を剣技に置き換えた存在だと思えば良いだろう。
恐らく、無数の達人がひしめき合う時代劇というジャンルにおいて最強の剣士である。
一子・大五郎を箱車に乗せ、親子で「冥府魔道を往く者」と自称し、刺客業の遂行以外は可能な限り俗世との交わりを断っている。
彼への依頼方法は、牛頭馬頭の描かれた六道護符*2を貼った依頼人に対して、一刀が石で作った道中陣で自身の居場所へ誘導して依頼を聞く、という手順。
六道護符を目立つ場所に貼り出しながら子連れ狼に出くわすまで街道を練り歩く手もあるが、いずれにせよ余程切羽詰まっている依頼人以外からは話を聞かない。
刺客の依頼料は、標的一人につき500両*3。
諸藩の家老クラスですら容易には調達出来ない莫大な金が依頼には必要となる。
最終的に貯めた合計額は5万両を優に超えている。一刀は刺客をおおよそ5年ほど続けているため、柳生や賞金稼ぎ達の奇襲を退けつつ、最低でも2週間に一度は仕事をこなしている計算になる。
宿敵たる裏柳生は、普段は多勢で一つの的に群がる卑劣な戦法にも及ぶものの、腐っても柳生。
たとえ下級の忍草であっても、2人も居れば小藩の剣術指南役とも渡り合える、剣術に秀でた精鋭軍団である。
一刀はそれらが頭数2桁の集団で襲いかかって来ようとも、さして苦もなく蹴散らす。
小藩のへっぽこ侍が相手であれば、長巻など刀以外の武器も駆使し、時には火縄銃による狙撃すら体捌きで掻い潜り盾を使って一斉斉射を凌いで、冗談抜きで数百人だろうが相手してしまう。
その気になれば小藩程度ならば単独で真正面から叩き潰せるその様は、最早「人間兵器」と呼ぶにふさわしい。
■公儀介錯人
公儀介錯人についてだが、これは現実には存在しない架空の役職。
作中の江戸幕府には、諸大名が死神のように恐れる強大な役職が存在する。
幕府や諸藩の不正を取り締まり、藩取り潰しの口実を探る公儀探索人(と裏柳生忍草)を取り仕切る「総目付」と、幕府から切腹を命じられた大名の介錯を行う「公儀介錯人」である。
この公儀介錯人は、幕府が取り仕切る介錯の代理人として、将軍と御三家のみに許された三葉葵の紋を着用して公務にあたる例外的存在。
つまり、限定的ながらも将軍家の代理人として、腐っても高貴な存在である大名を手にかけるだけの重責にふさわしい人材が務めなければ将軍家の沽券にかかわる……という基準で選定される。
そのため、公儀介錯人という役職は、江戸幕府が「剣術・知識・精神、全てにおいて武士として日本一」と公認した証として機能するのだ。
そんな事情ゆえ、将軍家にとって「元・公儀介錯人」が「刺客・子連れ狼」として活動を続けるという事実が存在することは
「ねぇねぇ、公儀介錯人が刺客に堕ちた今、どんな気持ち?」
「『刺客に堕ちる外道こそ当代幕府にふさわしい日本最高の剣士である(キリッ』とか太鼓判押しちゃったも同然な将軍様、今どんな気持ち?」
と全身全霊で煽られ挑発され続けているに等しく、幕府の威信を揺るがす恥辱として捉えられている。
そして、一刀に自分の行ってきた謀略を暴露されないためにも、烈堂は他の人間を介入させず柳生家のみの手で一刀を始末する必要がある。
にも関わらず、一刀の始末を一任しておいていつまでもそれを達成出来ない。
そんな状況は烈堂を追い込み、柳生家を困窮させる助けにもなる。
■冥府魔道
作中の人物が語る「冥府魔道」とは、作者の造語であり、その人生観についての詳細な解説はない。
ありていに言えば「自ら人としての幸福を捨て、外道に堕ちた者」とでもいった意味合い。
原作において、高潔な人物だった一刀が冥府魔道に自ら堕ちた理由については明言されていない。
しかし、一族郎党は無論、身籠っていた妻も柳生の手の者に問答無用で斬殺。
ただ一人、大五郎だけが妻の亡骸から自ら這い出て、臍の緒が繋がった状態で泣いていた*4――そんな惨状に加えて、逆賊の濡れ衣を着せられ、大切に継承してきた家督は潰され、裏柳生が相手では弁明の余地も機会もない。
何もかも奪われた一刀の柳生への怨念は相当なものであり、その柳生に対抗して復讐を果たせる唯一の手段は、最早刺客業しかなかったことは容易に想像できる。
一刀が刺客となって金の亡者に堕ちたか、と言われればそれは違う。
柳生との決戦に備えて莫大な資金が要るという事情もあるが、一刀自身、人の命の重さ、刺客業が最低の生業であること、自分に刺客を依頼するのは地獄の牛頭馬頭にすらすがるしかない者の最後の手段ということを強く意識している描写は数多く見られる。
元来、極めて高潔な人間だっただけに、自分自身が地獄の牛頭馬頭そのものになるまでに堕ちたと諦観する趣もあるが、命や誇りを賭して自分に依頼を持ち込んだ人間には、たとえ依頼料を捻出出来なくとも誠意をもって応じる。
さる老中がぼんくら揃いの藩の存続を想って一刀に依頼し、その成就のために頼み人である忠臣達が命を落とした案件では、依頼料だった千両もの価値のある名刀を、「忠臣達への弔いと藩の老中達への戒めのために、藩の家宝にしろ」と告げて突き返している。
武士としての忠義を果たし藩を守るために死んだ者であれば、自分や息子の命を狙った相手でも称賛する――そんな、武士としての矜持は今も一刀の中に残っているのだ。
■一子、大五郎に対して
一刀は大五郎と共に冥府魔道を往く運命にあると覚悟を決めている。
柳生への復讐のみに人生を捧げ、「冥府魔道を往く我ら親子は士道に非ず。人の世とは縁を切った」といった主旨を他人に語る。
その復讐の旅の過程で、たとえ大五郎が人質に取られようとも、それで死ぬべき運命であれば止むなしという姿勢を貫き、時に見捨てるような行動にも平然と及び、「父が帰らなければ共に死ぬしかない」と大五郎に言い聞かせることもある。
しかし、これは一刀が自分自身に言い聞かせるための宣言に等しく、同時に大五郎に自分達親子の歩む先の厳しさを諭すためでもある。
見捨てるような行動に出るのも、そうしなければ二人揃って死ぬ公算が高い時のみであり、本心では大吾郎の安否とその行く末が気になって仕方がない。
大五郎の行く末に関しては一刀自身相当な負い目があり、他者からそれを指摘されれば、珍しく声を荒げることすらある。
上記の台詞に反して、一刀が刺客業の最中に仕損じて道半ばで死んでも、大五郎が独りでも生き延びられるようにとサバイバル技術を叩き込んでいる。
大五郎が高熱で倒れた時には、
「大五郎を救ってくれれば、柳生への復讐を果たす悲願を叶えぬままこの場で自分の命を奪っても構わない」
と大願を擲って地獄の牛頭馬頭や羅刹に祈りを捧げるまでに、厳格に徹しきれない深い愛情を抱いている。
実は手に入れた膨大な依頼料を全て投擲雷などの対柳生に注ぎ込んではおらず*5、まだまだ残る莫大な遺産を大五郎に遺し、その場所の手掛かりを胴太貫に隠していた。
恐らく自分一人命を落とし、幼い子を雨の中骨にしかねない一刀の心情が窺える*6。
■主な技と武器
水鴎流
様々な流派の中でも名高い「水鴎流」を一刀は極めている。
古流らしく槍や弓、体術とあらゆる武術に精通しているが、その卓越した所作ゆえか特に足場が悪い川や池でも全く動きに衰えがないという特徴がこの流派にはある。
川などの水場に敵を誘い込み、下段に構えて水面下に刀身を隠して、敵に間合いを錯角させつつ、水によって敵の足運びが鈍っている隙を突いて切り上げ仕留めるという奥義「波切りの太刀」はその特徴が顕著に現れた一太刀である。
強敵に対して一方的優位に立てる反面、使い手も水をものともしない錬度でなければ水がそのまま枷になる。
自身と刀の長さを完璧に把握し、踏み込む川の深さを切り合いの中で瞬時に看破するのが前提条件になる。
水鴎流は「水鴎流居合剣法」という名で実在するが、この作品を執筆していた際には作者がその存在を知らずに筆を進めていたため、漫画原作においては架空の流派である。
波切りの太刀以外の奥義として、敵が乗馬しつつ川を渡ろうとしている際に水中に潜んで昇龍拳の如く馬上の敵を馬ごと切り上げる大技「水鴎流斬馬刀」などもあるが、どっからどう見ても人外の技である。こんな所業を現実で成せる訳が無い。
ただし、実写作品も含めむ今では、全く無関係というわけでもない。
その存在を知った作者は後にこの流派を実際に学び修得した他、一刀を演じた萬屋錦之介氏も実際にこの流派を学んで烈堂との決戦の殺陣に反映させているからである。
ある程度アレンジは加わっているが、この流派の所作を作品から窺い知ることも出来る。
胴太貫
戦国時代に鍛えられた実戦刀。
甲冑だろうが石灯篭だろうが問答無用で真っ二つにし、並の刀であれば一合目で容易く断ち割ってしまうため、文字通り太刀打ちはほぼ不可能。
刃渡りが長く分厚い拵えの所為でまともに振るうことも難しく、江戸の世においてこれを帯刀しているのは常軌を逸するほどの達人か、必死で虚勢を張る無知な阿呆のみ。
「斬馬刀」という技については上述したが、その切れ味故に映画やドラマにおいては、この胴太貫もまた斬馬刀と称されることがある。
歴代山田朝右衛門のうち、胴太貫を所有していた三代目吉継*7とも一刀は勝負したが、まず二人は準備運動代わりに石仏3体を真っ二つにしている*8。
色々突っ込み所が多過ぎて戸惑う話だが、この胴太貫の威力が見て取れる。
現実に存在する刀「同田貫」と同一視して謳い文句にする資料も度々見かけるが、これらは元々は全く別の刀だった。
まず、この胴太貫は清水甚之進という尾張の刀鍛冶の作品という設定。
もう一つの柳生にして新陰流の正統にあたる*9尾張柳生が愛好する刀鍛冶の作を振るう拝一刀と、江戸柳生の烈堂の戦いという、昭和期における時代劇の解釈を込めた意図*10があると推察出来る。
対して、現実の同田貫は九州の方の肥後菊池一族の中の一派が生み出した刀であり、縁も由も無い。
しかし、流石に独り歩きし過ぎて巨大化した
「胴太貫=同田貫」
という宣伝文句を歴史から抹消することも出来ないためか、続編『新・子連れ狼』では同一の刀という設定に変更されている。
読みの方も、同田貫は「ドウ“ダ”ヌキ」と読むのだが、この作品の存在によって「ドウ“タ”ヌキ」と言う呼称がメジャーになったという経緯がある。
このあたりは、商業的大人の事情も見え隠れする。
箱車
時代劇を知らない人でも『子連れ狼』と聞けば誰もが連想するだろうアイテム。
『子連れ狼』のパロディ作品において、一刀や特に大五郎が戦闘サイボーグ化する原因である。
江戸時代にこういう乳母車の類は存在しないが、全て一刀オリジナルなので気にしてはいけない。
一刀の工夫が様々な所で施されており、仕込み武器だけでなく、防水加工によって緊急時に船代わりに使ったり、車輪を車体の下に取り付けソリにして雪上を滑ったり出来る。
以下は仕込みの兵装。
長巻
手摺の部分には仕込み刃があり、連結しても使える。長さ違いが合計3本。
手裏剣のように気軽に投げることも出来るため、いろんな場面で重宝する。
鉄板
箱車の底に分厚い鉄板を仕込んでおり、咄嗟の時に盾にする。
一刀と大五郎を銃弾の雨から救ってきたナイスガイ。
だが、どう考えてもコイツのおかげで乗り心地は最悪である。
大五郎にとっての冥府魔道とは、痔との戦いだったのかもしれない。
斉発銃
箱車最大のアピールポイント。『子連れ狼』の箱車と言えばコレ。
20丁の火縄銃を一斉に撃つだけだったが、後に連射式に改造するための設計図を入手。鍛冶場を貸し切り、単独で改造した。
あまりにも強烈な存在感を放つため、こいつをとにかく乱射して有象無象をなぎ倒すイメージが根付いている視聴者も多く、実際映画版でもそうして一刀無双を開幕している。
しかし原作では、この秘密兵器は対柳生戦では一切出番がない。
柳生に渋々従う公儀探索人「黒鍬衆」の軍勢相手に一度使ったのが、集団戦での最初で最後の使用例。
後は威嚇射撃くらいで、柳生との最終決戦に至っては奇襲によって使用前に箱車ごと破壊された。
荒唐無稽が過ぎる代物だからか、北大路版では存在が抹消された。
投擲雷
トンデモ武器その2。
対柳生に備えて廻船問屋から大量に仕入れた南蛮渡来の手榴弾で、一刀は刺客業で得た軍資金の多くをこれに費やした。
これの存在によって、一刀がボンバーマンと化して敵を薙ぎ払うイメージがこれまた持たれたりするが、烈堂の政敵であり一刀を狙う阿部頼母がトチ狂って、新川水門を開いて一刀と烈堂を江戸ごと水没させようという暴挙に出た際、2発を残して濁流を堰き止めるために使用。
残り2発は最終決戦時に使用。
柳生への牽制に1発使った後、大五郎が一刀の窮地に柳生の馬を混乱させるためにもう1発投げ、本来目論んだ用途にはほとんど使われなかった。
■関連の深い人物
登場人物や名場面が凄まじく多いので、極めて関係の深い人物2名のみ記載する。
柳生烈堂
言わずもがな、一刀の宿敵。
柳生宗矩の末っ子で、数が多過ぎたために出家させられ、その後職務怠慢で寺を追放させられたのかいないのか、とにかく研究が進んでいない「列堂義仙」がモデル。
出家し損ねて柳生家に戻り、裏柳生を担った、とでもいったところなのだろうが、詳細は謎。
柳生烈堂は、公儀介錯人の職を得る以前から、前述の総目付と幕府にとって不都合な人間を始末する公儀刺客人を擁する総帥という、表と裏から幕府を実質的に支配する立場にあった。
警察・検察・裁判官を全部一人で担っているようなものだから、やりたい放題である。
「忍草(単に『草』とも)」と呼ばれる、全国諸藩に様々な身分で根付かせた覆面構成員に、お家騒動に繋がる情報を探らせている。
江戸の幕閣とて例外ではなく、それを元に脅迫や裏工作も実行して江戸幕府の実権を欲しいままにしている。
ダメ押しに公儀介錯人の地位まで加わり、最早烈堂に意見しうる者など、将軍か大老くらいのもの。
その将軍も、その有能さに加え柳生家が剣術指南役を担っている事情もあるからか、烈堂のことを「爺」と親し気に呼ぶ間柄。
そんな惨状にあっては、一刀には訴え出る場も頼るべき人間も、何一つ存在しない。
一介の親子が立ち向かうにはあまりにも強大な敵である。
勿論、伊達で柳生家総帥を担っているわけではなく、縦横無尽に動き回って前線の様々な人間を惑わせる一刀の思惑を、草からの伝聞を聞いただけですぐさま看破する彗眼の持ち主。
そして当然武術にも優れる。
烈堂の子らも武術の技量だけ見れば一刀に迫るとされており、烈堂も然り。
寄る年波には勝てず、万全な一刀相手に真っ向勝負を申し込んでも勝ち目はほぼないが、烈堂もまた並の鎖程度なら軽々斬り飛ばす、達人の中の達人である。
ちなみに、裏柳生の忍草による調査機構は「烈堂やその先代の裏柳生が勝手に組織した、将軍家に弓引く組織」と勘違いされることもあるが、これは烈堂の祖父・石舟斎が初代将軍家康の命で編成した組織である。
本来は隠密裏に諸藩を監視して幕府の体制を盤石にするための存在であり、総目付及び目付直下の治安維持体制が幕閣の承認の下確立した時点で、とうに不要になっている。
しかし、二代目将軍秀忠にすら存在を秘匿するほどに機密性を高くし過ぎたために存続し続けて暴走し、烈堂の代には、幕府を私物化する獅子身中の虫と化してしまった。
烈堂を語る上で何より重要なのが、拝親子との関係だろう。
無論作品によって幾らか差異はあるが、拝親子に対して彼が抱いている感情は、単なる仇敵、憎悪の対象というだけではない。
息子達を殺されたという恨みに加え、権威権力を堅持するための障害と看做してはいるが、その力量や生き抜く覚悟には一目置き、度重なる攻防を通してある種畏敬の念を抱いている。
謀略を張り巡らせて家を存続することに執心し続けるあまり規模は膨張の一途を辿り、周りを見れば力と情報で捻じ伏せた敵ばかり*11。
そして、柳生家を預かる立場だからこその、裏柳生を守りうる後継者の不在が悩みの種になっている節が烈堂にはあった。
そのためか、特に大五郎に対しては、類稀な素養を見込んで羨んでいた。
最後は一族の力を結集して、傷つき疲弊し切った一刀と死闘を繰り広げ、これに勝利する。
そして、斃れた父の仇を討つべく戦いの中から拾い上げた槍を持って自分に突っ込んでくる大五郎を受け入れ、敢えて自ら討たれた*12。
この直後、烈堂は大五郎を抱き上げて「我が孫よ……」と呟き、物語は終了する*13。
一刀との長年に渡る死闘によって、表はまだしも裏柳生はもはや維持も出来ないほど人員が減った中で大五郎に告げたこの言葉の意味は、今でも読み手によって色々解釈の分かれるものである。
しかし、この言葉による物語の締め括りや烈堂というキャラクターの在り様が、やるせなさや壮大さ、親子の絆という作品のテーマを象徴していると言えるだろう。
拝大五郎
父一刀と共に、修羅が司る修羅道ならぬ牛頭馬頭の棲む冥府魔道を歩む息子。
芥子頭(坊主頭)で箱車に納まり、「ちゃ~ん」を連呼し続けるイメージが染み付いた幼児。
原作では寡黙ではあるが喋りもする異常なまでに利発な子なのだが、ドラマでこの印象がついてしまい、時としてアホの子と誤解される模様。
世代によっては、番組の合間合間にひたすら3分待ってはボンカレー食い続ける我慢の子としての印象が強い。
まだ大五郎が1歳に満たない時、柳生家によって全てを奪われた一刀は、最後の手段として刺客業を営みながら生きる道を選んだ。
その際、一刀は刀と毬を大五郎の前に差し出し、どちらを手に取るかで共に冥府魔道に堕ちても生きていける修羅の子か、ごく普通の幼子かを見定めようとした。
結果、大五郎は刀を選んでそれで遊びだしたため、一刀は子と共に冥府魔道に生きる道を選び、共に刺客の子として生きている。
一刀と過酷な刺客の道を歩むうちに、大五郎は多くのものを身に着けた。
まず特徴的なのは、「死生眼」だろう。
戦国の凄惨な戦場を生き抜き、地獄のような光景が目に焼き付いた歴戦の武将くらいにしか備わらないと言われる目つきで、武術に精通した人間はその本質を理解し、たった3歳の幼児がこうなってしまったことに怖れ慄く。
さらに、天性の女殺しとも言われる。
これは『子連れ狼』の中に母性を扱ったエピソードが多く、幼児ながら見せつける漢気*14によって出会う女性を片っ端から引き寄せてその女性の愛情を一身に受けることも多かったため、近年ドラマ版を見た視聴者の中には「天然ジゴロ」「幼児の皮を被る子狼」などと呼ぶ者もいた。
大五郎は父の心情は理解しているため、父と子は深い絆で結ばれており、時として冥府魔道から大五郎だけでも救おうとする人物をも拒否して父に付き添い、数多くの修羅場を潜り抜けていた。
齢3つにして「生きることとは、じっと我慢して耐え抜き、戦って勝ち取るしかない。歩みを止めれば死あるのみ」と悟りきってしまった子である。
そして、柳生一族総員を相手に父一刀はそれまでの刺客業で得た軍資金で揃えた武器でもって親子で立ち向かった。
その壮絶な死闘の末に父は死に、天涯孤独の身となった。
『新・子連れ狼』『そして… ~子連れ狼 刺客の子~』では彼を主役とし、その後の姿が描かれている。
父と烈堂、二人の亡骸を守るために一人その場に留まり続け、大五郎も衰弱死寸前でついに倒れた。
が、武者修行の旅に出ていた示現流の開祖・東郷重位に救われ、重位に諭されて共に旅に出る決意をする。
大五郎は、「日本第一の剣士だった父上に恥じない立派な男になるべし」という重信の教育方針の下、徹底的に示現流を叩き込まれつつ、彼を慕うようになる。
父の残した遺産を狙う賊の襲撃を退けつつ旅をしていた二人だったが、薩摩藩取り潰しを企む幕府老中・松平伊豆守の陰謀に巻き込まれ、その過程で死んだ人々の無念を引き継いだ重信と大五郎は、共に江戸城に特攻。
重信は伊豆守と相討ちになり、大五郎もまた幕府に捕えられて『新・子連れ狼』は終了する。
幕府も裏柳生や伊豆守との抗争の経緯*15から、大五郎に同情する者と即打ち首にすべきとする者で二分されており、将軍も判断に迷っていた。
そして、大五郎に興味を持った剣術指南役・小野忠常が、「せめて武士の子として死なせてやりたい」と進言。
果し合いで大五郎を死なせてやろうとしたのだが、大五郎は逆に忠常を倒してしまった。
死生眼を含め、こうまで異常なものを目の当たりにしては、将軍は大五郎を人間とは到底思えず、幕府に憑りついた呪詛の類が幼児の姿をしているようにしか見えない。
大五郎を怖れた将軍は、大五郎を幕府の手で処刑して後に禍が降りかかることすら忌避して、天海僧正が江戸城建造の際に「元々穢れた土(穢土)を封じて、浄化された江戸にする」という目的で、江戸城で蓋をするようにして形成し、迷宮とした空間「ダンジョン弾掌」に追放。手を汚さずに浄化処刑するという采配をとった。
真っ暗闇の弾掌には、諸々の経緯から処刑も出来ず放逐された得体のしれない人間も幾らか存在し、そいつらと問答や戦闘を繰り返しつつ大五郎は脱出を図る――というのが、『そして…』のあらすじ。
5歳児と人生の哲学を語らう怪人らはかなりシュール。
時に力尽きかけながらも、あの世から届く二人の父の言葉に助けられ、大五郎はついに弾掌を突破するのだった。
ここまで読めば分かるだろうが、見た目はいまだ幼児であるが、世紀末リーダー伝・大五郎たけし状態。満7歳になったら胸毛と髭が凄いことになるかもしれない。
一刀と旅をしていた3歳の時点で水鴎流の技を再現したこともあったが、そこからさらに成長してしまった。
わずか5歳にして、軽く1mは跳躍して刺客の不意打ちを回避し、脇差を自在に振るって一流の剣士が相手だろうが示現流の極意「壱の太刀」で斬り伏せる。
もはや、かなりの達人でもない限り相手にさえならない。
大五郎と戦った者は、「このまま成長すればいずれ父と同じ剣聖に至れるであろう」と称賛している。
礼節を弁え、敬語も使いこなし、相手に対して敬意を持って話しかけるその立派な佇まいは、逞しいとかいう次元ではない。
というか、このペースで成長しないと追いつけない一刀とは一体何なのか。
弾掌を出た後、東北の藤原氏の隠し財産や自身のルーツを巡り、大五郎は自身の旅を始めるべく歩み出した。
雑誌の廃刊と共に連載は中断してしまったきりだが、大五郎はその後も立派な剣士としての人生を歩み続けることだろう。
■名台詞(多過ぎるので最終決戦時のみ)
一刀「大五郎、川は何処に流れつくぞ」
大五郎「海」
一刀「うむ、川は海に注ぎて波となる。大きなうねりの波、小さなうねりの波、
寄せては返し、くりかえし、くりかえして絶ゆることのない」
「人の生命もこの波と同じく、生まれては生きて、死んではまた生まれる」
「ほどなく、父の五体はもの言わぬ屍となろう。だが生命は波に同じく絶ゆることはない」
「来世と言う岩頭に向いて、また生まれ変わるべくうねっていく。五体は死んでも父の生命は不滅なのだ」
「お前の生命も然り。我らの生命は絶ゆることなく不滅なのだ」
「皮破るるとも、血が噴くともうろたえるな。父の五体倒るるとも怯むな」
「父の眼閉じらるるとも、その口開かるるとも恐るるな」
「生まれ変わりたる次の世でも父は父、次の次の世でも我が子はお前ぞ」
「我らは永遠に不滅の父と子なり」
冥府魔道アニヲタ道を往く人にのみ、追記修正をお願いします。
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▷ コメント欄
- 冥府魔道って子連れ狼が初出だったのね。前世紀のラノベかなんかだと思ってた。 -- 名無しさん (2016-07-18 18:36:13)
- 大五郎は別項目でよかないか -- 名無しさん (2016-07-18 19:55:29)
- ↑ 最初は烈堂共々項目3つ作成しようかとも思ったものの、出自や立場の解説の内容が被りまくり、いっそのこと一つの項目にまとめた方が収まりが良いかなと思った次第 -- 名無しさん (2016-07-18 20:23:18)
- ごっつええのコントしか思い出せない -- 名無しさん (2016-07-18 21:12:26)
- ↑×2 それなら子連れ狼作れよ… やはり過多すぎるよ -- 名無しさん (2016-07-19 12:32:49)
- ↑ 最近は文字数制限なくなった影響で20~30分もザラだから、そうでも無い -- 名無しさん (2016-07-19 13:03:15)
- 大五郎は亡骸守ってる間に成長したとかじゃなくそのままなのか。シュールだ。 -- 名無しさん (2016-07-28 01:35:55)
- >柳生宗家にあたる尾張柳生が愛好する~ 少なくとも江戸時代の柳生宗家は江戸だぞ 明治以降になってから尾張の主張が通るようになったけど -- 名無しさん (2017-02-25 23:52:21)
- 尾上亮っていう子連れ仮面ライダーが登場したけど名前の由来はやはりコレなんだろうか -- 名無しさん (2020-10-08 12:25:49)
- 北大路欣也さん版ドラマの歌「子らよ」と劇中曲が素晴らしかった。因みに拝一刀の由来は狼一頭らしい -- 名無しさん (2023-01-27 19:03:18)
#comment
*2 地獄の住人・牛頭と馬頭を描いた札は、殺意を託した願掛け。要は藁人形&五寸釘と同種
*3 江戸時代はその時期次第で物価や貨幣価値の変動が激しいが、子連れ狼の舞台である江戸時代初期では、1両=12万円前後で換算出来るとされる。一般江戸庶民代表である大工の年収が、大体25両=300万円。つまり、500両とはこの時代だと6000万円前後であり、依頼料としては破格。
*4 比較的近年の作品では、すでに産まれてよちよち歩きの乳幼児の時に大五郎と名付けられていた、と描写される
*5 柳生戦に注ぎ込んだのは4万2千両余。まだ何万両もの金が残っていた
*6 大五郎は後に、父が刺客として積み上げた遺産には手を付けぬまま闇に葬った
*7 この作品は大体1700年頃が舞台だが、吉継は1705年誕生。時代考証においては矛盾している
*8 この時、柳生の裏工作によって石仏の首には鍛え抜いた鋼の輪が仕込まれていた。実力自体は僅差だったものの、仕込み石仏を斬った朝右衛門の刀は若干脆くなっていたため先に折れ、一刀が勝利を収める
*9 ただし、これについては諸説ある。遡って石舟斎が編み出した柳生流は新陰流の正統と呼べるのか? 上泉信綱に正統という考えがあったのか?という点がまずある。
*10 かつての時代劇や時代小説においては、江戸柳生のことを「政治にかまけて武技を研鑽する武士の本懐を忘れた者達」と看做し、「武技の研鑽に注力する尾張柳生こそが武士のあるべき姿」と賛美する傾向が見られた。しかし、後に時代においては、「猪武者さながらに武技に傾倒した尾張柳生より、太平の世にあって政や禅の解釈を通して柳生家ひいては武士達の生きる寄る辺の確立と庇護に心血を注いだ柳生家こそ、本家としての責務を全うした正統である」と肯定する向きも強まっており、これも時代によって解釈が分かれるところである
*11 作中でも、幕府重臣との内ゲバパートは結構長い
*12 さすがに幼児が爺さんを刺殺するのは色々とアレだからか、近年の作品では一刀と相討ちに近い形で共倒れしたりしている
*13 『新・子連れ狼』では、この直後自ら槍を引き抜いて絶命する姿が描かれる
*14 「自分に盗んだ品を押し付けた女スリを庇い、幼児の身ながら一切口を割らず、逆上した岡っ引きの叩き刑を甘んじて受ける」など
*15 大五郎は伊豆守との決戦で葵の御門を斬った罪が特に重いとされていたが、その葵の御門を羽織っていたのは、伊豆守の隠密が擬態した偽の将軍だったため。大五郎は不忠者を成敗したとも言える
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