フェルディナント重駆逐戦車

ページ名:フェルディナント重駆逐戦車

登録日:2020/5/3 (日曜日) 21:15:00
更新日:2024/05/17 Fri 13:06:24NEW!
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軍事 戦車 ドイツ 第二次世界大戦 兵器



フェルディナントとは、第二次世界大戦中のドイツで開発、運用された重駆逐戦車である。
コンペに落っこちた戦車のパーツを再利用して生まれたという少々奇抜な生い立ちの戦車である。



開発経緯

突然だが、かの伝説的な重戦車であるティーガー。彼には兄弟とも言える車両がいたのをご存知だろうか。
試作戦車VK4501(P)である。ポルシェティーガーと言えばピンと来る人も多いだろう。


1941年に後のティーガーを生み出すことになる新型重戦車の開発計画が始動すると、ヒトラーはヘンシェル社とポルシェ社に開発を依頼し、ポルシェ社がコンペに持ち込んだ戦車がポルシェティーガーという訳。


ポルシェ博士は88mm砲を装備し、総重量45トンとなるこの重戦車にギアを組み合わせた変速機を使用すると故障率が跳ね上がるのではないかと危惧していた。
そのため、エンジンで発電機を回し、その電気でモーターを回して起動輪を回すというガス・エレクトリック方式を採用した。


この方式であれば、変速や操向の際のギアの入れ替え、複雑なステアリング装置が全て省略でき、かわりに電力の流量を調節するだけで無段階変速や操向が可能になる。さすが変態博士


そしてポルシェ博士はヒトラーと仲が良かったので



ポルシェ博士「きっとウチの戦車を採用してくれるだろうなー」



と思っていた。
そしていよいよ採用試験当日。その結果は…



ポルシェ博士「総統閣下、今なんと!?」



総統閣下「いやぁ…キミのとこの戦車、兵器として見ると不安な点がかなり多いんだよね…だから今回は堅実な設計のヘンシェル社のを採用するよ」



うん、みんなも知っての通り、ティーガーの名はヘンシェル社が勝ち取ることになった。


兵器はただ強ければいいという訳ではなく、生産性や故障率の低さも重要な要素として見られる。
作りにくいとまとまった数を前線に送れないし、壊れてばかりだと戦うことすら出来ないからだ。


実際、ポルシェティーガーはモーター周りに貴重な銅を大量に消費する、モーターから発せられる電磁波で無線の雑音がヒドイ、信地旋回ができず地面に沈み込む、挙句にはオーバーヒートして配線から火を吹いたり…という状態をさらけ出してしまい、ポルシェ博士大好きなヒトラーもヘンシェル社のを採用せざるを得なかったのだ。



ポルシェ博士「ちくしょうめえええ!」



しかし…



ポルシェ博士「んー、もう100両分のパーツができあがったのに不採用になってしまった…どうしたものか…」



実はこの時点でポルシェティーガーの生産は始まっていた。
前線からは新型重戦車の要求がひっきりなしに届いており、採用が決まるとすぐに前線に送れるようにヒトラーが量産許可を出していたためである。
あ、ヘンシェル社にも量産許可を出していたから別にポルシェ贔屓って訳じゃないぞ。
とりあえず10両はポルシェティーガーとして組み立て、のこり90両分のうち砲塔はヘンシェル社の車体に搭載することにした。が、砲塔を分捕られた90両分の車体は当然余る。


そしてあらゆる資材を使い倒すことで知られるドイツ軍。このパーツを再利用してとある重駆逐戦車を開発した。


それがフェルディナント重駆逐戦車である。


どんな戦車?


足回りはポルシェティーガーのそれを引き継いでいるが、不採用の原因となったポルシェ博士設計のエンジンからマイバッハ製のHL120エンジン二基に換装している。
コイツはⅢ号Ⅳ号戦車にも搭載された安心、信頼の逸品である。


できるだけ強力な砲と分厚い装甲を!という総統閣下の指示で前面装甲は車体、砲塔ともに200mmと実にティーガーの2倍である。
主砲はクルップ社で開発された長砲身88mm砲を装備している。
この88mm砲は対戦車砲の71口径8.8 cm Pak 43/2 L/71で、登場から終戦まで世界最強クラスの威力を誇った対戦車砲である。


その対戦車砲の車輪をとっぱらって載せたもの。因みにティーガーIIの主砲はこいつを車載向けに改良したのを載せている。
まあつまり、火力はティーガーIIと同じということ。


因みに、フェルディナントは総統閣下の「ポルシェ博士の功績を称える」という意味を込めてポルシェ博士のファーストネームから取った訳であるが…武装といい装甲といいぶっちゃけ総統閣下の趣味じゃないの?



実戦


こうして出来上がったフェルディナントは1943年7月に第653、654重戦車駆逐大隊に配備された。
彼らはソ連侵攻からの激戦を戦い抜いてきた精鋭部隊であり、両大隊はⅣ号突撃戦車ブルムベア装備の第216突撃戦車大隊と合わさって「第656重戦車駆逐連隊」を構成。そのままソ連軍と雌雄を決するため、東に送られた。


そこでフェルディナントはドイツ軍、ソ連軍合わせて6000両を超える空前の戦車戦が行われるツィタデレ作戦、通称クルスクの戦いに投入され、初の実戦を経験することになる。


ソ連軍の陣地は地平線を埋め尽くさんばかりに地雷原、野砲、対戦車砲、戦車の群で濃密に防御されていた。



ドイツ兵「Scheisse!ソ連軍の攻撃が激しくて並の戦車じゃ突破できん!」



…そう、並の戦車なら。


200mmの前面装甲を持つフェルディナントは戦車や対戦車砲等の遠距離砲撃ではビクともせず、時速20キロでジリジリと敵陣へ迫った。
装備したPak43の威力も凄まじく、最初の2週間で120両もの敵戦車を撃破してみせた。


最終的に1943年8月7日にクルスクの戦いが終了するまでにフェルディナントが上げた戦果は連隊の合計として戦車500両以上、対戦車砲20門以上、野砲100門以上の破壊が記録されている。
これ、わずか1ヶ月の間の戦果であり、クルスクの戦いがいかに激戦だったかを物語っている。


おかげでこれ以降、ソ連軍はドイツ軍の駆逐戦車を何でもかんでも「フェアジナント」(フェルディナントのロシア語読み)と呼ぶほどにトラウマとなってしまった。


勿論、その戦果の裏では損失もある。
7月上旬のフェルディナントの損失は19両で、そのほとんどが機関部放熱グリルへの直撃弾を原因とするである。
さらに65トンと言う重量故に地雷で履帯が切れても回収が困難で自爆処理せざるを得ない車両が相次ぎ、撤退時にはさらに20両のフェルディナントが失われた。


…え?砲弾の雨の中を進んでたのに?直接的な原因がグリルへの直撃弾?


そう、フェルディナントは裏を返せばソ連軍の濃密な砲撃に晒されても大半が生き残って、ソ連軍の陣地に穴を穿つ為に進撃を続けたということ。
しかし、その濃密な砲撃によって歩兵の進撃が阻まれてしまい、フェルディナントが苦労して突破口を開いてもなだれ込む歩兵がいなかった為に意味を成さず、結局重戦車駆逐連隊の奮戦が戦局を変えるには至らなかったという笑えないオチも付いてきた。


敵戦車による撃破例もあるが、それがなんと7両のT-34と4門のZIS-3野砲に囲まれて至近距離にフルボッコにされた1両のみである。このフェルディナントの乗員地獄だったろうなぁ…
生還例の中には「弾切れになって後退するまで55発もの直撃弾を跳ね返した」猛者も居る。


ドイツ軍のフェルディナントに対する評価は高く、「最高かつ最強の兵器」「多大の損失を出しつつも、常に目標を達成する」等々の賞賛が寄せられたが、元々が廃物のリサイクル品の為に増産されることもなく、その後も消耗に任せることになってしまう。


その後


クルスクの戦いを生き残った48両のフェルディナントは1度後方に下がり徹底した整備を実施し、車体前面の機銃と車長用キューポラを装備、履帯の変更、機関室上面のグリルの強化などの改良を受けて「エレファント」に改称した。


その後は、部隊の併合や配属先の変更などで各戦線を転々とし、イタリアで連合軍を迎撃、そしてソ連の大反攻への火消し役、と数を減らしながら戦い続ける。
最終的に生き残った4両が1945年4月のベルリン近郊での防衛戦に投入された記録が残っている。


そして終戦を迎えると、90両いたフェルディナントはわずか2両が生き残るのみだった。
数奇な出生と激闘の生涯を耐え抜いた2両は米・アバディーンのアメリカ陸軍兵器博物館とロシア・クビンカ戦車博物館にて平和な余生を送っている。


その他


しかし、彼らの苦難はまだ終わらなかった。
ドイツ軍、ソ連軍含めたこの車両に対する評価が記された資料が世に出回る前。
原型となったポルシェティーガーの当時としては革新的な構造、ポルシェ博士大好きなヒトラー、初期には搭載していなかった対歩兵用の機関銃等、叩きやすいネタを数多く抱えていたがためにクルスクの戦いの結果を「戦車にはそこそこ強かった(!?)ようだが、機関銃がないから歩兵に撃破される車両が多かった」「足回りの信頼性が低く、稼働率も低かった」と結論を出すマスg…マスコミが多かった。


しかし、1991年にソ連が崩壊し、ありとあらゆる資料が世に出ると状況は一変する。


ソ連軍側も上記の近距離で複数のT-34と野砲で集中砲火を行い、車体側面下部を撃ち抜くことでやっと撃破したとする資料が残っており、クルスクの戦いでの本車の戦闘力の高さに大きなショックを受けたとされる。


問題とされたガス・エレクトリック方式も適切な整備を行えばトラブルも少なく(重量による路外行動力の低さや出力不足による登坂力不足は事実だったけど…)、実用に値する兵器だったということ。
そして歩兵に肉薄されて撃破されたというフェルディナントも夜間の闇に乗じて撃破されたたった1両のみということも明らかになった。
終戦から半世紀、ようやく彼らの戦いが報われたのである。


多大な戦果を残しソ連軍に恐れられながら戦後も誹謗中傷との戦いを強いられたフェルディナント。
戦闘車両の中でも指折りの奇抜な生涯を歩んだ車両ではなかろうか。






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  • こういうマニアックな話を楽しい口調で語る項目好きだわー。戦車といえばガルパンくらいしか馴染みない人間だけど。 -- 名無しさん (2020-05-03 23:15:09)
  • エンジンで発電してモーターで動かすって今の日産やホンダのハイブリッド車と同じ方法なんだよな -- 名無しさん (2020-05-03 23:27:49)
  • MM2のマンムートのモデル車か 2じゃ鉄屑同然だったけど2Rじゃ強かったなぁ -- 名無しさん (2020-05-04 01:10:50)
  • 信頼性が低いのは本当だし、エンジントラブルが最後まで耐えなかったせいで稼働率が落ちてたのは事実では?過小評価されがちだけどこの記事だと逆に過大評価されすぎかな -- 名無しさん (2020-05-04 10:14:02)
  • 「車体、砲塔共に200mm」砲塔というか戦闘室とかの呼び方の方が良くない? -- 名無しさん (2020-05-04 18:36:14)
  • 大原部長が両津のお仕置きのために使用したことがある。 -- 名無しさん (2020-05-04 18:50:18)
  • ↑3 過大評価といい記事の組み立てといいなーんかニコ百の記事に似てんだよな… 剽窃と呼べるほど似てるわけでもないけど -- 名無しさん (2020-05-04 22:38:12)
  • マスゴミがって言いたいだけでしょ、気持ちいいからね -- 名無しさん (2020-09-08 02:26:28)

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