ジョアン・デ・ポルトゥガル

ページ名:ジョアン デ ポルトゥガル


ジョアン・デ・ポルトゥガルはポルトガルの王族、レゲンゴシュ・デ・モンサラージュの領主。ポルトガル軍総司令官およびサンティアゴ・ダ・エスパーダ騎士団総長。総司令官王子(Infante Condestável)の異名で呼ばれる。


1400年 ポルトガル王国のサンタレンでジョアン1世フィリパの間に生まれる。
1415年[15歳] 兄たちと一緒にセウタ攻略戦に参加し、その後まもなく父により騎士に叙任され、レゲンゴシュ・デ・モンサラージュ、コラレス、ベラシュの領主に取り立てられた。
1418年[18歳] 父は教皇マルティヌス5世の承認を得たうえで、ジョアンを伝統あるポルトガル王家の騎士団、サンティアゴ・ダ・エスパーダ騎士団の総長に任命した。同じ年、兄のエンリケ航海王子とともに、セウタに救援軍を率いて向かい、同市を包囲していたモロッコ・グラナダ王国の連合軍を退散させるのに貢献した。


1424年[24歳] 異母兄バルセロス伯アフォンソ(後のブラガンサ公)の娘で、姪にあたるイザベル・デ・バルセロスと結婚。
1431年[31歳] ヌノ・アルヴァレス・ペレイラ将軍が亡くなった後、ジョアンはその後任としてポルトガル軍総司令官に任命された。


1437年[37歳] 兄のコインブラ公ペドロと一緒に、末弟フェルナンド聖王子と三兄のエンリケ航海王子が推進していたタンジール包囲計画に反対した。案の定、エンリケを総大将として実行された包囲戦は悲惨な失敗に終わり、マリーン朝モロッコのスルタンは国王兄弟の末弟フェルナンド聖王子を捕虜にした。
1438年[38歳] ドゥアルテ1世が急死して、その幼い息子アフォンソ5世が即位すると、その母親のレオノール・デ・アラゴンが摂政になった。この摂政体制は、1380年代の空位期に一時実権を握っていた大貴族層が、レオノール王太后を傀儡として再び実権を握るのではないかという不安の声を国内に呼び起こした。内戦が起きる気配が高まると、ジョアンは機先を制して首都リスボンの支配権を掌握し、市民層からなる議会を開催して次兄のコインブラ公ペドロをアフォンソ5世の単独摂政に指名させた。一方、大貴族層の筆頭でいち早くレオノール王太后を抱き込んでいたバルセロス伯アフォンソは、ペドロと前摂政レオノールが共同摂政の地位に就くべきだと主張した。ジョアンとの同盟関係のおかげで権力を得た摂政ペドロは、ジョアンを厚遇した。
1442年[42歳] ポルトガル王国のアルカセル・ド・サルで亡くなった。後ろ盾を失ったペドロはブラガンサ公との政治的駆け引きに敗れ、死に追いやられた。


子女一覧
 ・ディオゴ(1423年 - 1443年)
 ・イザベル(1428年 - 1496年)
 ・ベアトリス(1430年 - 1506年)
 ・フィリパ(1432年 - 1444年)→アルマダの女領主

シェアボタン: このページをSNSに投稿するのに便利です。


最近更新されたページ

タンジール戦

タンジール戦(タンジール包囲戦とも)は1437年(9月13日ー10月19日)にポルトガル遠征軍がモロッコのタンジールを占領するためにマリーン・スルタン軍と争った一連の戦い。ポルトガルは15世紀にタンジ...

ジョアン・ゴンサルヴェス・ザルコ

ジョアン・ゴンサルヴェス・ザルコはポルトガルの航海者・探検家。アルバロ・フェルナンデスの叔父かつエンリケ航海王子に仕える貴族であり、船団を率いて探検行を行った。マデイラ諸島を「発見」した人物の一人であ...

キャラック船

キャラック船(Carrack,カラック船とも)は15世紀に地中海で開発された帆船。大航海時代を代表する船種のひとつ。 この型の船を、スペインではナオ(Nao)あるいはカラーカ(Carraca)、ポルト...

キャラベル船

キャラベル船(Caravel,カラベル船とも)は、およそ3本のマストを持つ小型の帆船。高い操舵性を有したことなどから探検活動が盛んとなった15世紀に主にポルトガル人とスペイン人の探検家たちに愛用された...

アルバロ・ヴァズ・デ・アルマダ

アルバロ・ヴァズ・デ・アルマダは外国イングランドでの職歴があるポルトガルの騎士。ヘンリー6世によってアブランシュの初代伯爵(Conde de Abranches)に任命され、ガーターの騎士を創設した。...

セウタ攻略戦

セウタ攻略戦は、ポルトガル王国が後のアフリカ進出に関わる重要な戦い。1415年8月にセウタで起き、結果的にセウタがポルトガル王国領になる。もともとセウタはマリーン朝とグラナダ王国の利害下で、過去数十年...

バルバリア海賊

バルバリア海賊(バルバリア・コルセア[Barbary corsairs]またはオスマン海賊[Ottoman corsairs])は北アフリカのおもにアルジェ、チュニス、トリポリを基地として活動した海賊...

バルバリア海賊の歴史

※概要等は「バルバリア海賊」の頁を参照。イスラム教徒による海賊行為は、地中海では少なくとも9世紀の短命に終わったクレタ島のムスリム政権(824年 - 961年)の時代から知られていた。イタリア、フラン...

プレスター・ジョン

プレスター・ジョン(プレステ・ジョアン)は、アジアあるいはアフリカに存在すると考えられていた伝説上のキリスト教国の国王。プレスター・ジョン伝説では、ネストリウス派キリスト教の司祭が東方に王国を建国し、...

ジル・エアネス

ジル・エアネスはポルトガルの航海士・探検家。ボハドル岬を初めて越えた人物。私生活についてはほとんど知られておらず、エンリケ航海王子の使用人(盾持ち)であったのではないかと考えられている。1395年 ポ...

アントン・ゴンサウヴェス

アントン・ゴンサウヴェスはポルトガルの探検家、奴隷商人。黒人奴隷商人から奴隷としてアフリカ人を購入した最初のヨーロッパ人である。なお、16世紀の初めにマダガスカル島の沿岸を航行したアントン・ゴンサウヴ...

ディニス・ディアス

ディニス・ディアスはポルトガルの探検家。エンリケ航海王子に仕えており、父ジョアン・ディアスや息子バルトロメウ・ディアスも同様に探検家である。1445年 ディアスは既に老齢だったが「井戸の中で平穏に生き...

ヌーノ・トリスタン

ヌーノ・トリスタンはポルトガルの探検家、奴隷商人。1440年代初頭に活動し、ギニア周辺地域に到達した最初のヨーロッパ人であると考えられている(ガンビア川を越えてギニアビサウまで行った説もあるが、有力で...

フェルナンド聖王子

フェルナンド聖王子はポルトガル王国アヴィス王朝の王族。カトリック教会の福者で、祖国のために犠牲となったことから聖王子の名で親しまれている。 1402年 ポルトガル王国のサンタレンでジョアン1世とフィリ...

フェルナンド1世 (ブラガンサ公)

フェルナンド1世はポルトガルの貴族。第2代ブラガンサ公爵・第3代アライオロス伯。アヴィス王朝の開祖ジョアン1世の庶系の孫である。 1403年 初代ブラガンサ公アフォンソ1世と、ベアトリス・ペレイラ・ア...

フェルナンド・デ・カストロ

フェルナンド・デ・カストロはポルトガルの貴族、外交官、軍人。パウル・デ・ボキロボの初代領主。ジョアン1世の王室評議会のメンバーであり、エンリケ航海王子の王室の総督を務めた。同じ時期にフェルナンド聖王子...

ゴメス・エアネス・デ・ズララ

ゴメス・エアネス・デ・ズララはフェルナン・ロペスの後を継ぐポルトガルの編年史家。1410年 ポルトガルで生まれる。1433~1438年[22~27歳] 著述家を生涯の半ばで始める。ドゥアルテ1世の治世...

ルイ・デ・ピナ

ルイ・デ・ピナはポルトガルの編年史家。1440年 グアルダで生まれる。1482年[42歳] 春にポルトガルのジョン2世からカスティーリャに派遣され、大使館の秘書を務める。9月に唯一の使節としてそこに戻...

フレイ・ジョアン・アルバレス

フレイ・ジョアン・アルバレスはポルトガルの騎士修道士・編年史家・作家。王室に仕え、フェルナンド聖王子の秘書を務めた。1400年 トレス・ノヴァスで生まれる。1437年[37歳] フェルナンド聖王子と共...