ジョアン1世

ページ名:ジョアン1世


ジョアン1世はポルトガル王国アヴィス王朝の創始者でポルトガル王(在位期間:1385年 - 1433年)。フェルナンド1世の異母弟。政治・軍事の多くに成功を収め、ポルトガルの全盛期の基礎を築き上げたことから「大王」と呼ばれている。


1357年 4月11日にポルトガル王国のリスボンで生まれる。父はペドロ1世、母はテレサ・ロレンソ。武勇に優れ、青年期はアヴィス騎士団の総長を務めていた。


1383年[26歳] 異母兄フェルナンド1世が死去すると、その娘のベアトリスが女王に即位し、その母のレオノール・テレスが摂政となり、レオノールと貴族による専制政治が始まる。それに対してジョアン1世は反王妃派に支持され、ポルトガル王国内における勢力基盤を築き上げた。戦争に疲弊し、経済的に困窮する都市の下層民や職人層の反乱がベアトリスの即位前から各地で勃発し、都市下層民と一部の貴族はカスティーリャとの戦争で利益を得たレオノールとその寵臣であるオーレム伯アンデイロを悪政の元凶として敵視していた。大法官アルヴァロ・パイスはジョアンを説得し、一部のリスボン市民と協力してオーレム伯アンデイロを殺害した。
1384年[27歳] このようなポルトガルの乱れを見たカスティーリャ国王フアン1世が、ベアトリスの婿であることを理由にポルトガルへ侵攻。レオノールはサンタレンまで進軍したフアン1世にポルトガルの統治権を委譲し、国内はカスティーリャ王国派とジョアンを掲げるアヴィス派に分裂した。 カスティーリャ軍はリスボンを包囲したが、ジョアンらは耐え抜いて撃退し、国民から救国の英雄として讃えられた。
1385年[28歳] 5月、コインブラで開催されたコルテス(身分制議会)において、カスティーリャ軍を撃退した功績を評価されてジョアン1世はポルトガル王に選出された。同年8月、フアン1世が再度侵攻してきたがアルジュバロータの戦いで勝利する。ベアトリス女王は退位し、2年余り続いたカスティーリャとの戦い及びポルトガル内戦は終結した。


1386年[29歳] スティーリャ王国の背後に同盟国フランスがいるのに対抗して、イングランドとウィンザー条約を締結。
1387年[30歳] カスティーリャ王国と最初の休戦協定が結ばれる。2月2日に、この同盟の証としてジョン・オブ・ゴーントの娘フィリッパとポルトで結婚した。2人の間に生まれた王子たちはいずれも優秀であったとされる。


1396年[39歳] カスティーリャ王国で小競り合いが発生。数度休戦協定が結ばれた。
1411年[54歳] カスティーリャ王国と「和睦」を結んで側背の脅威を排除すると、積極的な勢力拡大に乗り出し始める。
1415年[58歳] エンリケ航海王子と共にモロッコに進出し、同地に勢力を拡大した。当初はナスル朝が支配するグラナダに進出する計画を持ったが、イベリア半島内で勢力拡大を行うとカスティーリャを刺激するという懸念から、アフリカ大陸方面にその伸長先を設定した。 長男のドゥアルテを共同統治者として、その後も積極的な勢力拡大に努めた。
1433年[77歳] リスボンで死去した。


子女一覧 
     =フィリッパとの子供=
     ・ブランカ(1388年 - 1389年)→幼児期に亡くなる。
     ・アルフォンソ(1390年 - 1400年)→10歳で亡くなる。ブラガ大聖堂に埋葬。
     ・ドゥアルテ(1391年 - 1438年)
     ・ペドロ(1392年 - 1449年)
     ・エンリケ(1394年 - 1460年)
     ・イザベル(1397年 - 1471年)
     ・ブランカ(1398年 - 1398年)→幼児期に亡くなる*1
     ・ジョアン(1400年 - 1442年)
     ・フェルナンド(1402年 - 1443年)
     =イネス・ペレスとの子供=
     ・ブラガンサ公(1377年 - 1461年)
     ・ブランカ(1378年 - 1379年)→幼児期に亡くなる。
     ・ベアトリス(1382年 - 1439年)  
       ※ブランカ・アルフォンソ・ベアトリスは家系図から省略


*1 4月11日ー7月27日

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