タンジール戦
タンジール戦(タンジール包囲戦とも)は1437年(9月13日ー10月19日)にポルトガル遠征軍がモロッコのタンジールを占領するためにマリーン・スルタン軍と争った一連の戦い。ポルトガルは15世紀にタンジ...
1357年 4月11日にポルトガル王国のリスボンで生まれる。父はペドロ1世、母はテレサ・ロレンソ。武勇に優れ、青年期はアヴィス騎士団の総長を務めていた。
1383年[26歳] 異母兄フェルナンド1世が死去すると、その娘のベアトリスが女王に即位し、その母のレオノール・テレスが摂政となり、レオノールと貴族による専制政治が始まる。それに対してジョアン1世は反王妃派に支持され、ポルトガル王国内における勢力基盤を築き上げた。戦争に疲弊し、経済的に困窮する都市の下層民や職人層の反乱がベアトリスの即位前から各地で勃発し、都市下層民と一部の貴族はカスティーリャとの戦争で利益を得たレオノールとその寵臣であるオーレム伯アンデイロを悪政の元凶として敵視していた。大法官アルヴァロ・パイスはジョアンを説得し、一部のリスボン市民と協力してオーレム伯アンデイロを殺害した。
1384年[27歳] このようなポルトガルの乱れを見たカスティーリャ国王フアン1世が、ベアトリスの婿であることを理由にポルトガルへ侵攻。レオノールはサンタレンまで進軍したフアン1世にポルトガルの統治権を委譲し、国内はカスティーリャ王国派とジョアンを掲げるアヴィス派に分裂した。 カスティーリャ軍はリスボンを包囲したが、ジョアンらは耐え抜いて撃退し、国民から救国の英雄として讃えられた。
1385年[28歳] 5月、コインブラで開催されたコルテス(身分制議会)において、カスティーリャ軍を撃退した功績を評価されてジョアン1世はポルトガル王に選出された。同年8月、フアン1世が再度侵攻してきたがアルジュバロータの戦いで勝利する。ベアトリス女王は退位し、2年余り続いたカスティーリャとの戦い及びポルトガル内戦は終結した。
1386年[29歳] スティーリャ王国の背後に同盟国フランスがいるのに対抗して、イングランドとウィンザー条約を締結。
1387年[30歳] カスティーリャ王国と最初の休戦協定が結ばれる。2月2日に、この同盟の証としてジョン・オブ・ゴーントの娘フィリッパとポルトで結婚した。2人の間に生まれた王子たちはいずれも優秀であったとされる。
1396年[39歳] カスティーリャ王国で小競り合いが発生。数度休戦協定が結ばれた。
1411年[54歳] カスティーリャ王国と「和睦」を結んで側背の脅威を排除すると、積極的な勢力拡大に乗り出し始める。
1415年[58歳] エンリケ航海王子と共にモロッコに進出し、同地に勢力を拡大した。当初はナスル朝が支配するグラナダに進出する計画を持ったが、イベリア半島内で勢力拡大を行うとカスティーリャを刺激するという懸念から、アフリカ大陸方面にその伸長先を設定した。 長男のドゥアルテを共同統治者として、その後も積極的な勢力拡大に努めた。
1433年[77歳] リスボンで死去した。
シェアボタン: このページをSNSに投稿するのに便利です。
タンジール戦(タンジール包囲戦とも)は1437年(9月13日ー10月19日)にポルトガル遠征軍がモロッコのタンジールを占領するためにマリーン・スルタン軍と争った一連の戦い。ポルトガルは15世紀にタンジ...
ジョアン・ゴンサルヴェス・ザルコはポルトガルの航海者・探検家。アルバロ・フェルナンデスの叔父かつエンリケ航海王子に仕える貴族であり、船団を率いて探検行を行った。マデイラ諸島を「発見」した人物の一人であ...
キャラック船(Carrack,カラック船とも)は15世紀に地中海で開発された帆船。大航海時代を代表する船種のひとつ。 この型の船を、スペインではナオ(Nao)あるいはカラーカ(Carraca)、ポルト...
キャラベル船(Caravel,カラベル船とも)は、およそ3本のマストを持つ小型の帆船。高い操舵性を有したことなどから探検活動が盛んとなった15世紀に主にポルトガル人とスペイン人の探検家たちに愛用された...
アルバロ・ヴァズ・デ・アルマダは外国イングランドでの職歴があるポルトガルの騎士。ヘンリー6世によってアブランシュの初代伯爵(Conde de Abranches)に任命され、ガーターの騎士を創設した。...
セウタ攻略戦は、ポルトガル王国が後のアフリカ進出に関わる重要な戦い。1415年8月にセウタで起き、結果的にセウタがポルトガル王国領になる。もともとセウタはマリーン朝とグラナダ王国の利害下で、過去数十年...
バルバリア海賊(バルバリア・コルセア[Barbary corsairs]またはオスマン海賊[Ottoman corsairs])は北アフリカのおもにアルジェ、チュニス、トリポリを基地として活動した海賊...
※概要等は「バルバリア海賊」の頁を参照。イスラム教徒による海賊行為は、地中海では少なくとも9世紀の短命に終わったクレタ島のムスリム政権(824年 - 961年)の時代から知られていた。イタリア、フラン...
プレスター・ジョン(プレステ・ジョアン)は、アジアあるいはアフリカに存在すると考えられていた伝説上のキリスト教国の国王。プレスター・ジョン伝説では、ネストリウス派キリスト教の司祭が東方に王国を建国し、...
ジル・エアネスはポルトガルの航海士・探検家。ボハドル岬を初めて越えた人物。私生活についてはほとんど知られておらず、エンリケ航海王子の使用人(盾持ち)であったのではないかと考えられている。1395年 ポ...
アントン・ゴンサウヴェスはポルトガルの探検家、奴隷商人。黒人奴隷商人から奴隷としてアフリカ人を購入した最初のヨーロッパ人である。なお、16世紀の初めにマダガスカル島の沿岸を航行したアントン・ゴンサウヴ...
ディニス・ディアスはポルトガルの探検家。エンリケ航海王子に仕えており、父ジョアン・ディアスや息子バルトロメウ・ディアスも同様に探検家である。1445年 ディアスは既に老齢だったが「井戸の中で平穏に生き...
ヌーノ・トリスタンはポルトガルの探検家、奴隷商人。1440年代初頭に活動し、ギニア周辺地域に到達した最初のヨーロッパ人であると考えられている(ガンビア川を越えてギニアビサウまで行った説もあるが、有力で...
フェルナンド聖王子はポルトガル王国アヴィス王朝の王族。カトリック教会の福者で、祖国のために犠牲となったことから聖王子の名で親しまれている。 1402年 ポルトガル王国のサンタレンでジョアン1世とフィリ...
フェルナンド1世はポルトガルの貴族。第2代ブラガンサ公爵・第3代アライオロス伯。アヴィス王朝の開祖ジョアン1世の庶系の孫である。 1403年 初代ブラガンサ公アフォンソ1世と、ベアトリス・ペレイラ・ア...
フェルナンド・デ・カストロはポルトガルの貴族、外交官、軍人。パウル・デ・ボキロボの初代領主。ジョアン1世の王室評議会のメンバーであり、エンリケ航海王子の王室の総督を務めた。同じ時期にフェルナンド聖王子...
ゴメス・エアネス・デ・ズララはフェルナン・ロペスの後を継ぐポルトガルの編年史家。1410年 ポルトガルで生まれる。1433~1438年[22~27歳] 著述家を生涯の半ばで始める。ドゥアルテ1世の治世...
ルイ・デ・ピナはポルトガルの編年史家。1440年 グアルダで生まれる。1482年[42歳] 春にポルトガルのジョン2世からカスティーリャに派遣され、大使館の秘書を務める。9月に唯一の使節としてそこに戻...
フレイ・ジョアン・アルバレスはポルトガルの騎士修道士・編年史家・作家。王室に仕え、フェルナンド聖王子の秘書を務めた。1400年 トレス・ノヴァスで生まれる。1437年[37歳] フェルナンド聖王子と共...
アブ・ザカリヤ・ヤヒヤ・アル=ワッタシはフェズのマリーン皇帝の高官。1420年から1448年まで摂政を務め、モロッコを独裁的に支配した。ワッタシド王朝の創設者であり、しばしばヤヒヤ1世とも呼ばれる。ポ...