フェルナンド・デ・カストロ

ページ名:フェルナンド デ カストロ


フェルナンド・デ・カストロはポルトガルの貴族、外交官、軍人。パウル・デ・ボキロボの初代領主。ジョアン1世の王室評議会のメンバーであり、エンリケ航海王子の王室の総督を務めた。同じ時期にフェルナンド聖王子の王室の総督となった年下の従兄弟*1と区別するためFernando de Castro o Velhoという呼称もある。生涯で二度結婚し、8人の子供をもつ。


1380年 ペドロ・デ・カストロ(カダバルの領主)とレオノール・テロ・デ・メネセス(初代オウレム伯爵D.ジョアン・アフォンソ・テロの娘)の間に次男として生まれる。強力なカストロ家の一員で、ルイ・デ・ピナの年代記には「高貴な血・用心深い・賢い助言・多くの財産を持つ人」として記述されている。
1415年[35歳] 兄D・ジョアン・デ・カストロ(カダバルの次代領主)と共にセウタ攻略戦に参加。兄弟はイスラム教徒を町から駆逐する役割を担った。
1416年[36歳] ジョアン1世により、ポルトガル大使としてコンスタンツ評議会へ派遣された。
1423年[43歳] 4月、1411年のポルトガルとカスティーリャ間の和平条約を批准するために、カスティーリャのヨハネ2世のアビラ王宮に向かうポルトガル大使を指揮した。


1424年[44歳] カスティーリャ王国がカナリア諸島への関心を失っていると感じたエンリケ航海王子は、その群島の支配されていない島々を得るために武装探検を始めた。大規模な遠征部隊ー約2,500人の歩兵と120人の騎士がフェルナンド・デ・カストロの指揮下に置かれた。しかし、グランカナリア島に上陸した遠征軍は先住民グアンシュに激しく抵抗され、浜辺から逃げられなかった。大勢の軍隊のために十分な物資を持って来ていなかったことに気づいた*2カストロは遠征の中止を決め、ポルトガルに戻った。カスティーリャ王国は直ちに厳酷な抗議を申し出て、再び遠征が行われることはなかった。
1432年[52歳] 遠征が失敗したのにもかかわらず、1431年の平和条約の批准するために再びカスティーリャに派遣された。2月、ヨハネ1世はカストロにパウロ・デ・トラヴァ*3の領地(sesmaria)を与えた。
1434年[54歳] パウル・デ・ボキロボ(ゴレガンの近く)の領主と入れ替わる。この頃、リスボンのカサ・ド・シヴェル(控訴の下級裁判所)に務めた(regedor)。


1437年[57歳] エンリケ航海王子率いるタンジール戦に参加。エンリケの王室の総督として、カストロは自分の息子アルバロ・デ・カストロとエンリケ・デ・カストロを連れて、王室の従者や騎士を率いた。また、包囲戦では遠征軍の右翼を指揮した。しかし包囲は失敗し、モロッコの軍隊は遠征軍を野営地に閉じ込めて降伏させた。エンリケはセウタをモロッコに戻す条約を交渉し、任期が満たされるまで自分の弟フェルナンド聖王子を人質としてモロッコに引き渡した。カストロは敗北した軍隊をポルトガルに連れて行く責任を負い、エンリケはセウタに向かった。
1440年[60歳] 結局、ポルトガルのコルテス(身分制議会)は条約の批准を拒否し、フェルナンド王子をモロッコの捕虜に残した。しかしコインブラ公ペドロはコルテスを無視して条約を履行し、セウタの引き渡しを決めた。ペドロは最も経験豊富な外交官だとしてカストロを作戦担当者にした。カストロは、セウタに小型船隊を導き、知事フェルナンド・デ・ノロンハから都市を要求して、ポルトガルの守備隊の退避とモロッコへの引き渡しの準備をする予定だった。一方、ゴメス・エアネスとマルティム・デ・タヴォラら大使は、フェズのマリーン宮殿の長官アブ・ザカリヤ・ヤヒヤ・アル=ワッタシから解放されたフェルナンド王子を受け取るためにアシラに進む予定だった。


1441年[61歳]*4カストロは、解放されたフェルナンド聖王子が自分の娘と結婚するかもしれないと公然と空想する。船には宴会用の豪華な装飾品や衣類が積まれ、約1200人の兵隊が乗っていた。4月にカストロの小型船隊はリスボンから出港した。しかし、彼が乗った前衛船はセントビンセント岬を回航した際に、ジェノヴァの海賊に襲撃された。カストロは海賊との争いで殺され、海賊は他の船がカストロを救出する前に逃げ出した。なお、ノロンハ(セウタ交換に強く反対していた)が海賊を指揮したのではないかという疑いがある。船隊はタヴィラに入り、地元のフランシスコ会の修道院にカストロを埋葬した。カストロの死を聞いて、コインブラ公ペドロはカストロの息子アルバロ・デ・カストロに父親の信任状を引き継ぎセウタでの任務を果たすように指示した。結局のところ、アブ・ザカリヤとの交渉は失敗しセウタは引き渡されなかった。


*1 Fernando de Castro [o Moço/Cegonho]と呼ばれる
*2 水は内陸部でしか得ることができなかった
*3 Paul de Trava,サンタレン近郊
*4 1440年説もある

シェアボタン: このページをSNSに投稿するのに便利です。


最近更新されたページ

タンジール戦

タンジール戦(タンジール包囲戦とも)は1437年(9月13日ー10月19日)にポルトガル遠征軍がモロッコのタンジールを占領するためにマリーン・スルタン軍と争った一連の戦い。ポルトガルは15世紀にタンジ...

ジョアン・ゴンサルヴェス・ザルコ

ジョアン・ゴンサルヴェス・ザルコはポルトガルの航海者・探検家。アルバロ・フェルナンデスの叔父かつエンリケ航海王子に仕える貴族であり、船団を率いて探検行を行った。マデイラ諸島を「発見」した人物の一人であ...

キャラック船

キャラック船(Carrack,カラック船とも)は15世紀に地中海で開発された帆船。大航海時代を代表する船種のひとつ。 この型の船を、スペインではナオ(Nao)あるいはカラーカ(Carraca)、ポルト...

キャラベル船

キャラベル船(Caravel,カラベル船とも)は、およそ3本のマストを持つ小型の帆船。高い操舵性を有したことなどから探検活動が盛んとなった15世紀に主にポルトガル人とスペイン人の探検家たちに愛用された...

アルバロ・ヴァズ・デ・アルマダ

アルバロ・ヴァズ・デ・アルマダは外国イングランドでの職歴があるポルトガルの騎士。ヘンリー6世によってアブランシュの初代伯爵(Conde de Abranches)に任命され、ガーターの騎士を創設した。...

セウタ攻略戦

セウタ攻略戦は、ポルトガル王国が後のアフリカ進出に関わる重要な戦い。1415年8月にセウタで起き、結果的にセウタがポルトガル王国領になる。もともとセウタはマリーン朝とグラナダ王国の利害下で、過去数十年...

バルバリア海賊

バルバリア海賊(バルバリア・コルセア[Barbary corsairs]またはオスマン海賊[Ottoman corsairs])は北アフリカのおもにアルジェ、チュニス、トリポリを基地として活動した海賊...

バルバリア海賊の歴史

※概要等は「バルバリア海賊」の頁を参照。イスラム教徒による海賊行為は、地中海では少なくとも9世紀の短命に終わったクレタ島のムスリム政権(824年 - 961年)の時代から知られていた。イタリア、フラン...

プレスター・ジョン

プレスター・ジョン(プレステ・ジョアン)は、アジアあるいはアフリカに存在すると考えられていた伝説上のキリスト教国の国王。プレスター・ジョン伝説では、ネストリウス派キリスト教の司祭が東方に王国を建国し、...

ジル・エアネス

ジル・エアネスはポルトガルの航海士・探検家。ボハドル岬を初めて越えた人物。私生活についてはほとんど知られておらず、エンリケ航海王子の使用人(盾持ち)であったのではないかと考えられている。1395年 ポ...

アントン・ゴンサウヴェス

アントン・ゴンサウヴェスはポルトガルの探検家、奴隷商人。黒人奴隷商人から奴隷としてアフリカ人を購入した最初のヨーロッパ人である。なお、16世紀の初めにマダガスカル島の沿岸を航行したアントン・ゴンサウヴ...

ディニス・ディアス

ディニス・ディアスはポルトガルの探検家。エンリケ航海王子に仕えており、父ジョアン・ディアスや息子バルトロメウ・ディアスも同様に探検家である。1445年 ディアスは既に老齢だったが「井戸の中で平穏に生き...

ヌーノ・トリスタン

ヌーノ・トリスタンはポルトガルの探検家、奴隷商人。1440年代初頭に活動し、ギニア周辺地域に到達した最初のヨーロッパ人であると考えられている(ガンビア川を越えてギニアビサウまで行った説もあるが、有力で...

フェルナンド聖王子

フェルナンド聖王子はポルトガル王国アヴィス王朝の王族。カトリック教会の福者で、祖国のために犠牲となったことから聖王子の名で親しまれている。 1402年 ポルトガル王国のサンタレンでジョアン1世とフィリ...

フェルナンド1世 (ブラガンサ公)

フェルナンド1世はポルトガルの貴族。第2代ブラガンサ公爵・第3代アライオロス伯。アヴィス王朝の開祖ジョアン1世の庶系の孫である。 1403年 初代ブラガンサ公アフォンソ1世と、ベアトリス・ペレイラ・ア...

フェルナンド・デ・カストロ

フェルナンド・デ・カストロはポルトガルの貴族、外交官、軍人。パウル・デ・ボキロボの初代領主。ジョアン1世の王室評議会のメンバーであり、エンリケ航海王子の王室の総督を務めた。同じ時期にフェルナンド聖王子...

ゴメス・エアネス・デ・ズララ

ゴメス・エアネス・デ・ズララはフェルナン・ロペスの後を継ぐポルトガルの編年史家。1410年 ポルトガルで生まれる。1433~1438年[22~27歳] 著述家を生涯の半ばで始める。ドゥアルテ1世の治世...

ルイ・デ・ピナ

ルイ・デ・ピナはポルトガルの編年史家。1440年 グアルダで生まれる。1482年[42歳] 春にポルトガルのジョン2世からカスティーリャに派遣され、大使館の秘書を務める。9月に唯一の使節としてそこに戻...

フレイ・ジョアン・アルバレス

フレイ・ジョアン・アルバレスはポルトガルの騎士修道士・編年史家・作家。王室に仕え、フェルナンド聖王子の秘書を務めた。1400年 トレス・ノヴァスで生まれる。1437年[37歳] フェルナンド聖王子と共...