本作の舞台と背景

ページ名:本作の舞台と背景

小学生時代の趣味は、もっぱら妄想を起こすことだった。

プラレールはジオラマチックな環状線を許さず、必ず往復運転するように線路を組んで、結果動かさなかった。

(母は電池を入れたくて仕方なかったのも懐かしい。)

低学年の頃はグループ会社の社長を気取って、図画工作の時間に「系列の」ラーメン屋やらを紛れ込ませた。

(なおこのラーメン屋には担任の名前を冠し、苦笑された。)

アニメの舞台設定を書き溜めたりすることもあった。

(ちなみに当時の自分はポケモンもワンピースも見ない人間である。)

母親のガラケーを借りて文章を書いてはまとまらずに次の作品にうつっていた。

相鉄のサイトで出会った配線図という概念はすべてを一変させた。

最初はプラレールの駅を長方形を書いた紙で代替するようなシンプル化だったが、結局配線図を書いていれば満足するやん!という悟りで、プラレールは埃をかぶることになった。

そうして高学年になると勉強か、ネットか、架空鉄道という具合になった。

ネットもこれもまたほとんどは他人の架空鉄道を覗きに行くヤツで、あとは小田急バーチャル博物館や森博嗣先生の庭園鉄道などそういうのを読んでいた。

架空鉄道というと、リアルの世界に線路を敷くのと、架空都市に線路を敷くのと2つあると思う。

前者は京都市に路面電車を敷くところからはじまる。父親にどこに線路欲しい?と聞いたのもはっきり覚えている。そうして今出川線と東大路線の路線図を書いた。他、淡路島や愛媛、東京など、家にあるありとあらゆる駅には地図には存在しない駅が次々に書き込まれた。

平行して川島令三や廃線跡を歩くのような本を読み、鉄道史の深みへハマっていった。

ただこの難点、地図帳が必要である。行ったこともない地名などうろ覚えになるのだから。

一方で、後者は地図帳がいらない。

親に隠れて(といっても罪悪感があるからすぐばれるようにはしてあるのだが)和室の机の天板と足の間のスペースには書き溜めた地図が貯まっていた。

こうした生活も、ある日の悟りをもって終えてしまった。

この趣味は肉体の、体験の要らない趣味で何年たっても何も成長のないものではないか、と無性に空しくなって、現実の鉄道会社の社員を目指すことの方がいい気がしたのである。

鉄道は食い扶持であり、趣味にはしない。そういう決意が鉄道研究部ではなく、オーケストラ部の戸を叩いた一つのきっかけである。

高校を出るころには、将来の夢は鉄道とは関係のないものになっていた。

大学生になり、東京に出た。

いくら離れていると言えど鉄道ファンの末席を汚していたつもりだったが、鉄道体験そのものも都会のど真ん中に生まれた自分にとって机上がメインであって、郊外の景色、田舎ごとのニュアンスの違いも、分かっていなかった、ということを自覚した。よくよく考えれば、唯一外に出て廃線跡を見学したのが天王寺線だったというのも、若干不運だったのかもしれない。(当然父親に探索ルートの規制、すなわち「飛田外し」を受けたのだった。)

もっと知ろうと思って、鉄道おたくたちとの交友が増えた。帰省の寄り道を錦の御旗にした旅行を通してみなかった景色を見るにつれ、それだけでなく苦手であった自然地理の面白さが若干わかるようになった。山さ行かねがにハマったことも大きい。
小学生時代の架空鉄道で架空都市を題材にしたものは全て人工島ということにして地形を無視していたことが急に悔やまれるようになった。

てなわけで、本作は歴史地理学的なエッセンスを詰め込めるように書こうとしているのだった。

本作の意図

演説原稿

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