株式会社五塩百貨店(ごのしおひゃっかてん、英: GONOSHIO Department Store Co.)は、久羽電鉄株式会社傘下の百貨店。
概要
五塩百貨店は塩通駅ビルに入居する本店と、中梅寺・三ヶ嶋・久羽口・比女川に支店を展開する。
塩通平野の南東に位置する五日市は丹頂寺の門前町として栄えていたが、北山本線が塩通川沿いに開業したことで急激にさびれていた。一高に進学するも、父親の急逝に伴って五日市に帰ってきた明朝堂の中川喜平は、近代的な百貨店を建設し、五日市商人の危機を救おうと画策。丘陵地帯たる麻丘を挟んだ向かい側に位置する塩通よりも、北国街道で結ばれている中梅寺の方が五日市商人には馴染みあるとの判断のもと、五日市堂百貨店が開業する。
闘争後久羽電は民間の手に戻ったものの、塩通駅では国鉄時代の名残りで構内の一線を間借りする形で営業していた。塩通駅南側の貨物取扱機能の塩通川沿いの工業団地に拡張移転することが決定し、旅客駅が南へ押し出されるように移転した結果、久羽電が独立したターミナルを構えることが可能となった。久羽電の安定輸送の次は近代的な私鉄経営を目指し、デパートを開業することとしたが、すでに塩通市内にも一定の外商顧客を獲得していた五日市堂百貨店と提携する形で新店舗を立ち上げたものが五日市堂塩通百貨店であった。本来の地盤である久羽市内ではなく塩通が百貨店の第一号店開業の地となったのは、もとより個人株主に久羽市内の小売業者が多く、競合を嫌っていたからである。
五日市堂の経営陣にとっても、より大きな集積地である塩通に拠点ができることは好ましく、開業10周年を機に増床の上本店機能を本格的に塩通に移し、中梅寺店のサイズダウンを行うことで生き残りをかけた。この際に「ご縁」と掛けて五塩百貨店と改名している。高度経済成長期のモータリゼーションが、中梅寺程度の中規模都市の百貨店の収益を急激に悪化させたことを考えると合理性のある施策であった。
店舗一覧
五塩百貨店
本店…五塩ビル B2F~5F
GOENストア
スーパーマーケットと外商の拠点を兼ねる
五日市店
余威町店
西三ヶ嶋店
西久羽店
西ひめ川店
西勝田店
廃止した店舗一覧
五日市堂比女川百貨店
収益の悪化により閉店 跡地はシビルカメラに売却
※民間へ返還されると、最初の大事業として起こったのは塩通市街区間の地下化であった。南東の丘陵地帯の開発計画の都合上、駅に直角になるように地下駅が設けられることになった。←もう少し遅くします。
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