「全く、さっきから何なのよ…」
秋めく森の中で、ある女性が一枚の紙を手にしながら、目に涙を浮かべていた。
彼女の名前はルナ・ロペス。少し前までは、Athenaと呼ばれていた人間だ。
Athena…もといルナは、「これが夢なら早く覚めてくれ」と言わんばかりに自分の頬を抓るが、何も起きなかった。
「はぁ…」
大きなため息をつき、オクバネ公園のベンチに座った。
不意に、彼女は数刻前の出来事を思い出す___
「こら!また仕事さぼったでしょ!」
LASの二階にある管理室の前の廊下で、Athenaはイザベラに怒鳴られていた。
「なんのことよ!私はしっかりやることはやったわよ!」
と、Athenaが反撃する。それもそのはず、彼女は珍しく仕事していたからだ。
その仕事とは、観測所のデータを纏めたファイルを時間順に棚に並べるだけ__という簡単な仕事だった。
事実、彼女もこれくらいの仕事なら__と、棚にファイルを並べていた。イザベラも、さぼり癖があるAthenaでもこれくらいならやってくれるだろうと思って彼女に任せた仕事だった。
__並べたはずのファイルがぐちゃぐちゃに戻っている。
今回の騒動のきっかけはこれだが、イザベラはそれを知る由もないし、並べた当の本人が一番混乱している。
「…はぁ、もうあなたには呆れたわ…こんな簡単な仕事もやってくれないのね…」
「だーかーらー!さっきから何の話よ!私はしっかりと並べたわよ!?」
「並んでません。そんなに言うなら自分で確認したら?」
イザベラは大きくため息をつきながら管理室の扉の前から離れる。Athenaは、言われるがままにその扉を『ファイルが整頓されて入ってる棚』が見えてくることを想定しながら開けた。
しかし__
「えっ!?嘘!?」
「嘘じゃないわよ。」
そこにはだらしなく散らかった無数のファイルがあった。この散らかり様は、Athenaが入ってくる前よりも酷いものだった。
「何…どういうこと…?」
Athenaはひどく混乱していた。それもそのはず、イザベラに仕事を任された後Athenaは珍しく真面目に取り掛かっていた…というのもあるが、問題はその後だ。並べ終わった後、Athenaが管理室から出ると、廊下でタイミングよくイザベラに出会ったのだ。そして、Athenaは仕事が終わったことをそのまま報告し、イザベラが入れ替わるように部屋に入って、今に至る。
おわかりいただけただろうか。つまるところ、Athenaが部屋を出てから、一、二分しか経ってないのだ。
誰かが部屋の中に入って再び荒らしたとしても、物音一つ聞こえなかった上に、Athenaと入れ替わりで直ぐにイザベラが入室しているはず。荒らされたのなら、私やイザベラが気付かないはずがない。
「…もういいわ……あなたに期待した私が馬鹿だったみたいね…」
この発言にAthenaは相当怒りを感じたのか、それは何でも言い過ぎだ、と怒鳴ろうとした。
しかし、イザベラに渡された“一枚の紙”によって、それは妨げられた。
「…」
Athenaは無言で受け取る。そして、その紙に書かれているものを見て目を丸くする。
「ちょっ!これって…!」
「そう、あなたは今日限りでクビよ。」
最近、良いことが何もないなと彼女は思った。
モノトーンイデアがパークに来た時、Athenaは腕を折られてしまった。多分、そこからだ。
彼女の腕は治ると見込まれていたが、症状は悪化し彼女の片腕はもう動くことはなくなった。
利き腕じゃない方だったから生活にあまり支障はでなかったが、それでも辛いものは辛かった。
それに、彼女の唯一の心の支えである鋼夜が、二年前に行方不明となってしまった。
彼はLAS支部職員として、パークに来ていたが勤務僅か一年で消息不明。パーク側もLAS側も、全力で捜索したが二年も音沙汰がない。となると、最悪の事態を想定せざるを得なくなってしまう。
「鋼夜…わたしは…あなたがいないんじゃ…」
Athenaは、気が付くとオクバネ山脈の崖沿いの山道に来ていた。無意識のうちにここまで歩いてしまったのだろうか。
振り返ると、綺麗な夕日が山に沈みかけていた。
Athenaは悲しくなって、再び涙を流した。鋼夜と最後に会話したのも、確かこんな感じの綺麗な夕日を見れる日だった。
思えば、“あの日”も、今日ほどまでとはいかないが、わけのわからない日だった。
“今日”と“あの日”に似ている何かを感じ取ったAthenaは、再び今日起こった出来事を思い出そうとした。
もしかしたら、鋼夜がいなくなった理由のヒントを得られるかもしれない。と。
「ク…クビ……?」
「そうよ。このことは支部長からも承諾されているから。荷物、まとめておきなさいね。」
Athenaはこのことが信じられなかった。私が無罪だということを証明しようとも思ったが、イザベラが怖いくらいに冷たかったので、その気は起きなかった。彼女がAthenaを見る目も、冷たかった。まるで早く居なくなってくれと言うかのように。
(ふん…!それなら…!)
彼女は早々にここを出ていくことを決めた。Athenaはもう大人だから、一人で生きていくことに問題はないだろう。仕事もパークの中でまた探せばいい。そう思った。第一、人間なんてそうそう信じるべき生き物じゃないのだ。
それは、彼女が幼かったころ、親を殺されたあの事件からずっと思っていたことだった。あの事件の後、Athenaは追手から逃げるために、森の中で二年という長い時間を動物たちと過ごした。その時、動物の心がわかるようになって、そのスキルを買われてLASの職員になったわけだが、やはりLASの人間は私を道具としか見てなかったようだ。
鋼夜みたいに私を信じてくれた人もいたが、どちらかというと私は嫌われているようだ。
それなら、さっさとここから出た方がお互いのためだろう。と思った。
荷物をもって、LASの玄関に出た時、アニマルガールと呼ばれる、動物が人間化したような生き物__通称フレンズと出会った。そのフレンズは知り合いで、ヤマドリという名前だった。Athenaは、最後に別れを言っていこうと思い、彼女を呼び止めた。
「あぁ、ヤマドリ…」
「?」
「実は…私クビになっちゃってさ…もうここにいられないんだ。」
「え、えぇと…?」
「あぁ、急に呼び止めてごめん…えと、ルナ達にもよろしくね。」
「あなたは…誰?」
「へ?」
その一瞬、時間が止まったかのように思えた。顔を見る限り、ヤマドリがふざけて言っているようには見えない。
「あ…あぁ!ごめん!人違いだったか!悪かったよ!気にしないで!」
「う…うん?」
そういって誤魔化したが、ヤマドリは変なものでも見るかのようにLASに入っていった。
正直、LASをクビにされたことよりもショックだった。
なんだ?みんなして私のこと、バカにしてるのか?と思ったが、それはさすがに無いと思いなおした。
Athenaには、虚言癖がある。だからとはいわないが彼女は人が嘘をついてるか否かを顔を見ただけで判断できるようになっていた。それに気が付いたのは去年の春ごろだった。
ヤマドリのあの顔は、本気で初見だったようだ。少なくとも、嘘を言っている顔ではなかった。
「なんだかなぁ…」
そもそも、これは本当に現実なのだろうか?
夢であるなら、相当タチが悪いな。目が覚めたら__少しくらい真面目に仕事するか。と、何度思ったことか。
彼女は、疲れが相当溜まっていたようで、オクバネふるうつという店に向かって歩き出した。
鋼夜も、月兎のルナも好きだったあの場所で休憩を取るつもりだ。
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