暖かな日が差し込む。…と表現するには、いささか眩く、そして熱い夏の日差し。何時になっても、ヒトの肉体になっても、熱さには慣れないもの。
「…ぶはあ」
暑く火照った身体に涼を取り入れる為に、自販機から冷たいジュースを買い、喉に通していく。
しゅわしゅわとした喉越しのある人工的なフルーツの味が、身体に冷たさをもたらす。
この炭酸ももう何回味わっただろうか。もはやこれが無ければいけない身体となってしまった。
「ふぅ…今日も良い味をしているな。くく」
これを飲む度に、黒いカラスのフレンズが頭をよぎる。あの知識溢るる恩人の顔が。
彼女と出会って居なければ、この飲み物も知り得なかったかもしれない。
(今度はあいつの分も買うか)
くぴくぴと音を立て、極上の液体を飲み干していく。
「ちょっと、退いてくれる?」
その至福のひと時に、下から声が水を差して来た。
飲むのをやめ、声がした方を見れば…小さな子供が両手を腰に当てて、いかにも偉そうな姿勢でこちらを見上げている。
「…なんだ、お前は?」
「お前…って。アンタ、私にお前って良い度胸してるわね」
「名前も分からぬのだからな。まず名を名乗れ」
見るからに生意気そうな小さな小娘の名を王は訪ねると、娘は明るい声で答えた。
「私は斎条財閥の次期当主、ユートリアム・斎条よ!」
どこか違和感を感じる名前と、それはそれは大きな身分を彼女は宣言してみせた。
曇りひとつない純粋な翡翠の様な目を見て、王は言葉を続ける。
「…つまりは未来の王か。また難儀な宿命を背負っているのだな」
「なんて事はないわ。この私に不可能なんて無いもの!」
「それで、アンタは誰?フレンズっぽいけど…」
ユートリアムと名乗った娘は、今度はこちらの名を聞いて来た。
名前を名乗ったお嬢様に対して天邪鬼に接するわけには行くまい。その部分は弁え、口を開く。
「俺はロボと呼ばれている。…当主ならばシートン動物記は知っているか?」
「シートン動物記…あっ、狼王でしょ?狼王のロボ。当然知ってるわよ!」
どうよ。といった顔付きで息を鳴らし、身体を張って自慢げに佇み始める。
この娘はお調子者だが、それなりに知識はあるようだ。
彼女の態度は少し目につく物があったが、それ以前に王は自身を知っていることにほのかな喜びを隠せずに居た。
「ふっ。今時殊勝な娘だ……まさか、俺を知っていようとはな」
「当たり前じゃない!この私に知らないものは無いわ!」
「知らないものはない、か」
そう言われると少し試したくなってくるが、相手は初対面の子供。しかもヘソを曲げさせたらこの上なく面倒になりそうな性格なのは、王には予想がついていた。
「当たり前よ、んっ…」
そして、小銭を自販機に入れると背伸びを始めた。つま先で身体を支え、腕を上に伸ばし、ぷるぷると震えだした。
「…」
次は彼女の番か。王がそれを察すると、いそいそとその場から離れようと歩き出す。
家には愛する存在も待っている。今、関わってるヒマは無いと考えて居たのもあった。
「え、ちょっと!!どこにいくのよ!」
それに気づいたのか、娘は甲高い声で呼び止めてきた。
「…なんだ」
「ちょっと…!!上のっ…買うの、手伝いなさいよー!!」
見やれば娘は、全力で手を伸ばして上の飲み物を買おうとして居るではないか。どうやら大きな水を求めているようだ。
「…」
「ふわっ…!」
やれやれ仕方ないと思い、両手を彼女の脇に添えそのまま身体を持ち上げる。王の手には軽く感じたが、子供なら当然だろうと気に留めなかった。
身体が宙に浮いてる事に気づいた娘は、驚いた様な顔で手足をぷらぷらと揺らし下を見下ろした後に目の前を注視する。
望んでいた品のボタンを押し、ごとんと鉄の箱から物の落ちる音が響く。
「……ほっ、ほら!もう降ろしていいわよっ」
「そうか」
抱っこされてるのが気恥ずかしいのか、下ろす事を要求してくる。どうやら背負ったまま飲んでいて貰う必要はなさそうだ。
そのまま、娘をそっと地に降ろしてやる。
地に足をつけた小さい令嬢は自販機から水を取り出して、くぴくぴと飲み始めた。
「ぷはっ…♪ 暑い時期にはお水ね!」
「普段は気に留めるものじゃないけど、熱中症は危ないって御父様が…水分を取ると良いみたいね?」
「さあな。…そもそもそんな服で暑いのは当たり前じゃあないのか?」
「アンタが言えた事かしら?見るからに暑そうなコートしてるじゃない」
誰しもが突きつけてきた指摘を、この娘もまた突きつけて来る。
やはりこのコートは目立つのだろう。彼女は王に、長い袖に守られた華奢な腕を伸ばし、指を指して強調する。
「良く言われる。元は身を隠す為に纏っていたが、着て居るうちに気に入ってしまってな」
「ふうん。年中暑そうだけど…大丈夫なの?」
「俺にはコレがあるからな。問題はない、大丈夫だ」
先ほど買った飲み物を見せると、娘は瞼を半開きにして、どこか疑問が混じった目つきで王を見る。口も角が丸まったへの字に成るように口角が下がっていて、不服に思って居ることが伺える。
「…アンタが大丈夫ならそれで良いんだけど」
「そうか」
話が終わった。
沈黙が周りを支配したところで再び娘に背を向けると、呼び止める様な声が後ろを突いて来るのだった。
「ちょっと、もう帰るの?」
「もう少し私と話していったらどうなのっ!」
そう上から目線で命令して来るが、いかんせん王と娘とでは慎重の差が広く、娘は王を見上げ、服の裾を掴んで呼び止める形となった。
「私が退屈してるのにもう帰るなんて失礼にも程があるわ!」
「…俺にもつがいが居るんだ、早く帰らなくては」
「つが…え"っ、あ…そ、そっちね、そっちよね!ふう…」
明らかに動揺していたがすぐに何かを思い出し、胸を撫で下ろしている。恐らくは倫理規定の事が頭によぎっていたのだろう。一人合点が行った娘は一息ついた後にぶんぶんと首を振り、直ぐにこちらに声をぶつけてくる。
「じゃなくて!このユートリアム・斎条を置いて帰ろうだなんて!」
「ならお前も帰るんだな。お前にも、家族が居るだろう…」
「居るわよ!居るけど!折角ジャパリパークまで来たのだからフレンズと関わりたいの!」
「こみゅに…こみにゅ…ん"ん"!!コミュニケーションってやつよ!!」
かみっかみだったのを誤魔化す様に正しい単語を、これまた大声で強調し始めた。最初に感じた、少し大人びた印象もどこへやら。長くは持たなかったのか今では年相応の子供らしい一面が目立ち始める。
「…お前、そのまま俺に付きまといかねんな」
「ええ、そうさせてもらうわ。この私に色んな話を聞かせなさい!」
やれやれどうしたものか。王が頭を掻いて思案を始める。
このまま連れてもいいが…妻に変な誤解を与えたらそれこそ修羅場に成らざるを得ない。
そんな事を考えて居ると、老年の男の声が耳に入って来た。
「お嬢様。こんな所に居られましたか」
「うぇっ…石田?!ちょ、何でこんな所に居るのよ!?」
娘の後ろには、石田と呼ばれた男がいつの間にか立っていた。優しげな笑みを浮かべ、黒いスーツ姿のまま腰を曲げずに直立して居るこの男からはなにやら只者とは思えない雰囲気を醸し出して居た。
「お嬢様がお目見えにならなくなってからGPSによる追跡を行なっておりました」
「ううう…余計な事しなくていいのにぃ…!!」
(GPS…それを使う程とは。それなりに地位はあるのだな)
二人の少し微笑ましいやりとりを眺めて居ると、執事の方がこちらに目を向けた後に、申し訳なさそうな顔をして声を出す。
「申し訳ありません。お嬢様は次期当主を志しておられる素晴らしいお方ですが、今回の様に自由奔放な面も多く…」
「!それ以上話すと怒るわよ!!」
「…この娘がお転婆なのは見ていて分かった。お前が気にする事ではない」
「ん"な…ろ、ロボまでぇ…!」
わなわなと震える令嬢の、昂る怒りを他所に石田はこちらをじっと見つめて居る。怪しい人物と懸念しているのか。
この服装では無理も無い、そう考えた時に落ち着きのある声が思考と杞憂を遮る。
見やると、ニコニコと笑みを崩さないままの執事が立っていた。
「…お暇がある時で構いませんので、お嬢様と会われた際は、少々お嬢様のお話にお付き合い頂けますでしょうか」
「何分お嬢様はあまり気の合うご友人が、フレンズ以外に居られませんので…」
「石田!!言葉が過ぎるわよッ!!」
「…俺も、こいつの友人となれと」
「左様でございます」
参った、また一つ面倒なことが増えた。と、頭を悩ませる原因が増えそうな事に溜め息を吐いた。今は仕事も妻も居るというのに。暇のある時間と、今やるべき事に費やせる時間はどれくらいかと考えが募り、頭を抱えた。
(…だが、ここで断れる雰囲気でも無いのだろうな…)
「…まあ、暇があったらだぞ」
何より、自身の生涯が描かれた伝記を知って居る点は見逃せるものではなかった。
その都度都合を合わせれば良いと楽観視し、娘に聞こえない様に小さな声で同意の意思を伝える。
「ご迷惑をおかけします」
向こうも同じように、小声で感謝と謝罪の意を込めた一言を述べた。
(…さて、また用事が増えたな)
ひとまずはこれで帰れるだろう。
そう確信し、仲の良さそうな掛け合いをする二人に背を向けて、帰路へと向かった。
「ぁっ…ちょっと!ロボ!」
(なんだ、まだ何か用があるのか?)
二度も帰巣を遮られ、うんざりした様にゆったりと娘の方へ目を向けた。
「今度会ったら、たっくさんお話ししてもらうわよ!良いわね!?」
こちらに指をさし、大きな声でユートリアムは叫んだ。また次も会いたい、その純粋な気持ちが伝わってくる。それが先ほど水を買うのを手伝ったおかげなのかは分からないが、少なくとも最初見た時と変わらない真っ直ぐな瞳を見て、不思議と悪い気はしなかった。
彼女の気持ちに答える様に、首が自然と縦に揺れていた。
それがユートリアムの目に見えたのか。きっと、見えていただろうと信じる。
只、伝えるべきことは伝えたという満たされた気持ちが、心を、頭の中を包んでいった。
この出来事の後、ブランカに小さな子供との関わり方を教わるロボの姿が見られる様になったのは、また別のお話。
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