長雨に濡れる獣

ページ名:長雨に濡れる獣

 ナカベの森も夜は明けます。私は、その朝日をヒガシシラカワが迎える頃に目を覚まします。私の狼の耳がぴくっと立ち、粗雑な尾は尻に潰されていながらも揺れています。やはり本能というものでしょうか。朝になると、私はいつも動物館の戸口を開けて外を見に行きます。朝焼けの森と空は、赤にも青にも似た不思議な色をしているのです。
 でも、今日は雨でした。雨の湿気で、髪がはね上がってくるのがわかりました。私がそっとその部分を手で押さえつけてみると、腕は狼の耳にも触れ、そこの毛が荒れているのもわかりました。
 私は人間ではありません。私は''フレンズ''という変な種族らしいです。''フレンズ''は人が区別した動物たちをもとに、獣の耳や尾をつけた人間の少女の姿で生まれてくるそうです。私もそのようでした。''フレンズ''である私は、このヒガシシラカワの未確認動物館に居候をしながら手伝いをしています。
 さほど忙しくない、ヒガシシラカワの一日が始まります。


 この動物館は、未確認動物をテーマにした博物館です。未確認動物とは、目撃情報は存在しているものの発見されていない動物のことで、日本独自の略語でUMAとも呼ばれます。有名なのは、''ツチノコ''あたりでしょうか。
 ただ、ジャパリパークという生きた動物が見られる動物園の中で、姿のない動物をわざわざ見に来る人はあまりいません。UMAがニッチなジャンルということもあってかひと気はほどほどで、盛況しているとはいえません。今日は雨だからか、いつにもましてお客さんが来ません。
 私は受付カウンターに顎をのせ、お客さんが訪ねてくるまで待ちます。私は長い時間人と一緒にいると、なんだかやきもきした気持ちになってしまいます。ですから、ひと気のない動物館は過ごしやすいところです。
 受付カウンターで雨音をずっと聞いているのもいいのですが、それではからだが固まってしまうので、ときどき、動物館の中を歩いて回ってみたりします。動物館はあまり広くありません。説明板を見なければあっという間に回れてしまいます。
 私にはこの散歩で必ず足を止めるところがあります。ビッグフットやモスマンの人形や、モケーレンベンベのパネルでもありません。彼らは大きいのて何回かは驚かされましたが、もうすっかり慣れてしまいました。
 私はヨーロッパのUMAが集められた展示室に向かいました。そこでは、毛が荒れた一頭の獣が私を強く見てきます。''ジェヴォーダンの獣''のパネルです。私はその前にある金属でできた説明板に、右手の指をすべてのせました。低い気温に冷やされた金属が、私の指の温度を下げていきます。

 

 ジェヴォーダンの獣は怪物でした。何十人もの人間を食べてしまった、四足の獣らしいです。獣は全身が真っ赤で、後にも先にもない大きさをしていたと聞きます。パネルに描かれている獣は、二つの目をむき出させ、舌をへびみたくべろんと垂らしています。私はそのまるい目と視線が合いました。
 ジェヴォーダンの獣はまだ見つかっていません。子孫も、骨の一片もまだです。お客さんに、「本当にいたのか?」と尋ねられると、私は目をそらすことしかできません。未確認動物に詳しい人でも、首を縦には振りません。ただ、「亡くなった人はいた」と言うばかりです。
 そんなふうにまがまがしく、正体のわからない生き物のジェヴォーダンの獣は、私でもありました。私は''ジェヴォーダンの獣のフレンズ''と判定を受けていました。

 私が彼であるといわれているのもあくまで判定によるものですから、違うと突き放すこともできます。ですが、私は判定に納得していました。
 自分は人を傷つけてしまう。生まれたてのときからこんにちまで、はっきりとはかたちにならない、沼のような不安が私を離していませんでした。なぜこのようなものが私にあるのかすらも、わかないままです。
 だから私は、ジェヴォーダンの獣の判定に納得しているのです。その怪物であるという判定だけが、私の底なしの不安を理由付けるものでした。

 怪物であるなら、私は人をいつか傷つけてしまうのではないか。怪物を元とした私を''フレンズ''だと、友だちだといってくれる人たちを傷つけてしまうのではないか。それから、過去に『私』が殺めた人たちにはどう向き合えばいいのか。生まれ変わりのような存在でも、あの怪物と私とが同じなら、私は何かするべきなのか。
 抱えていた不安を解体した今の私のこころには、そういった先のことへの不安があふれています。

 

 突然、狼の耳がぴくっと立ち上がりました。受付のあるホールが、少しだけ騒がしい。お客さんだろうか。私は急いで展示室を出ました。金属板に触れていた右手の指先は、結露の水気でちょっとふやけているようでした。

「ヒガシシラカワ未確認動物館へようこそお越しくださいました。スタッフのシュシュと申します。」

『シュシュ』、それが私の今の名前です。私が動物館に居候になるとき、館長さんが「ジェヴォーダンの獣では呼びづらいから」とつけてくれました。フランスという国の言葉だそうですが、意味はそのときは教えてくれませんでした。
 それから、館長さんは私に動物館の案内役の仕事をさせています。人と対面する仕事なので、最初のうちは不安を打ち消すことで手いっぱいでしたが、今では仕事をこなすくらいはできるようになりました。むかし、館長さんは一日の仕事が終わると、「何も起きなかっただろう?」と声をかけて私を励ましてくれました。ですが、最近そんなことはありません。館長さんから見ても、もう大丈夫だと思われているのかもしれません。実際、受け身でなら人とも会話ができるようになりました。

 館長さんはこんなことも言っていました。
 多くの人の不安は簡単に解体されそうにもないし、悩んでいることの答えがすぐに見つかることもない。だが、不安や悩みを受け止めて、時間をかけながら考えるだけの猶予が多くの人にはある。あとは、ゆっくりと溶かしていくだけでいいのかもしれない。実はたいていがなんでもなかったりするのだから。
 私も、そうであると思いたいです。

 私は数人のお客さんを連れて、また展示室を回り始めました。お客さんたちは展示室の仕掛けに驚いたり、それでも楽しそうにしていたりしていました。私も、それに釣られることがよくありました。


 ナカベの森にも午後が来ます。雨はざあざあと降り続けています。しばらくは長引く雨になりそうです。


ページ作成者:相須楽斗

Tale ヒガシシラカワ未確認動物館

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