私は、ただ単純に興味があった。
崩れ去った街の中にできた、その大きな穴に。
覗き込むだけで吸い込まれそうな深淵の中には何があるのか、ただ単純に興味があったのだ。
だから私は、目の前にあるドアノブを、同じように。
わくわくする心に少しの緊張を残したまま、手に取った。
「結構深いなあ…………。」
ジャージを纏ったその探検家…………猫のフレンズは、それに着いた砂や塵を手で払う。
穴を降り始めて数分と経たずに、そう思い知るのだ。
身軽な私がひょいひょいと下っていけばすぐに底に着くだろうと思っていたが、上で見た穴の全周を今思い出す。
「この大きさの穴じゃ、やっぱりまだまだかなあ……。」
瓦礫の足場を頼りに軽い足取りで伝っていくのはいいのだが、
何かの拍子に崖が崩れたり、足を踏み外したりしたら一巻の終わりだ。
びゅううううっ。
「わ、わあああっ!?」
「もう、なに……。危なかったじゃん……。」
こういった微風にも怯えてしまうのは仕方ないのだ。
……。
…………。
とっ、ぱらぱら、すたっ。
がら、たったっ、すとんっ。
下げた重みの中に入っている、柔らかい入れ物がちゃぷちゃぷと音を立てる。
飲めそうな水が何故か入っている透明な筒と、それが入りそうな入れ物を、上でいくつか拾っておいてきたのだ。
「ん…………。」
それを取り出し、開ける。
なんてことはない。最初は苦戦したことだが。
上についているものを回せば、それは簡単に開けられる。
「んくっ、んくっ………………んくっ。」
それにしても、すごいなあ。
それを閉めておけば水をいつでも持ち運べるし、砂も草も入らない。
さらに、飲み干してしまっても入れ物は残るから、どこかで水を汲んでまた持ち運べる。
こんなに便利なものが、色とりどりの硬い箱を叩けばいくらでも出てくるっていうんだから、
これを作った人は本当にすごい。
かしこい。
ひとつ作るだけでも何日もかかっちゃいそうなのに。
……て、これ何でできてるんだろ?
…………。
……。
「ふう。」
ふと見上げると、入口の光があんなにも遠くにある。
何メートル、いや。何百メートル下ったのだろうか。
「あ、あれ……。これ戻れないんじゃ……。」
そう思い、慌てて帰ろうと。
がらがらがらっ。
「ひぇっ!!?」
岩に足を掛けたところで、そこが大きく崩れた。
「わ、わっ……あ、あぶなあっ!!!」
片足でなんとかバランスを取る……。
「ちょおおおおおっ、待って、これっ!!!!」
ことができずに。
びゅうううううっ。
「わああああああああぁぁぁぁああああああああああ……!!!!」
………………。
…………。
……。
声は遠くなっていく。
「つーーーー…………てて。」
目を開けると、目の前が真っ暗で何も見えない。
「…………っく、う''っ…………。」
顔を打って失明でもしたのかと思ったら、そうではないらしい。
すぐに辺りのものがぼやけて見え始める。
「はあ…………。」
ただ暗かっただけなようで、安堵の息を吐くが。
「……………………。」
「えっ。」
ただ暗かっただけ。
それは……ただそれだけの話ではなく、
「わわ、うっそでしょ!?」
穴から降る光は月明かりのみになっている。
どうやら、夜になるまで気絶してしまっていたようだ。
「もう…………いや、夜行性だから良いっちゃ良いんだけど……。」
もっとも、見えるその穴もかなり小さくなり、
地上で見る月と大きさが殆ど変わらないまでになってしまっているのだが。
穴が深く、天からの光が上手く届かないここで辺りのものが見えるのは、猫の夜目のおかげだった。
…………。
「えー……どうしよ。」
改めて周囲を見渡すと。
「うわっ!?」
目の前に。
大きな、大きな壁が。
「お、脅かさないでよ……!!」
一度離れて全てを見渡すと、それには透明な板が貼ってあった。
そこから中の様子が見えるが、荒れ果てた残骸が先を塞いでいる。
「……。」
その大きな大きな建物が、偶然、瓦礫の上に積み重なって聳え立っているようだった。
「穴の底かと思ったけど、違うのか……。」
「…………。」
………………。
「はっ!!??」
入れ物が、ない。
水が、ない。
「あれ!?うっそ!?……なんで!!??」
転がり落ちた拍子に、どこかに落としてきてしまったのか。
そうなのだとしたら、それら水と入れ物の行き先は穴の底であろうということは、容易に想像できた。
「……っっ。」
「はあああぁぁ……………………あーーー。」
……。
…………。
「のど、かわいた……。」
ひとまず、あれと同じ透明な筒がないか、目の前の塊に入ってみることにした。
板が幾重にも連なる……。
上に登るため?のような足場に、
「ほっ。」
足をかけると。
「……。」
視線が、あるひとつの入り口に留まる。
「……………………。」
誘い込まれるようにして、手足は動き、
気付けばドアノブを握っていた。
……。
「……ドアノブ?」
「あれ、これ。」
「どこかで。」
それを引けばドアが開くということを、私は知っていた。
それが「ドア」であるということも。
「……なんだっけな、誰かに教わったっけか……。」
引く。
きいぃい、がぎっ。
「うあ。」
半開きになったところで、何かに突っかかり扉が固まる。
「このっ…………。えい!!」
ばぎっ、ばごんっ。
無理やり扉を引き剥がし、
「…………わあ……。」
中を見る。
ふっ、と。
暖かい空気が身体を包み込む。
「…………。」
「ただいま。」
言葉の意味はわからないまま、頭に浮かんだそれを口にする。
そう。
これらは、私にとって。
「見たこと、ある。」
見覚えが、ある。
「………………っ!!!!」
心臓が強く高鳴り、気持ちが逸る。
駆け出してしまいたい衝動のままに、
「キッチン」へと向かう。
「ごみ袋」を乗り越えて「スイッチ」を入れ「電気」をつけ、
「スリッパ」を除けて「ポット」の台を曲がり、
「コンロ」の後ろの「棚」を開け、
そこに手を伸ばせば。
「……っ。」
それはあるはずだった。
「……………………。」
「ごみ袋」もなければ「スイッチ」もなく、
「ポット」などというものはどこにも見当たらない。
「コンロ」は面影を残していたが、
その後ろの「棚」は。
「棚」があると思しき空間は、まるで削り取られたように。
ばかんっ、と大きく床が抜けていた。
「……………!!!」
込み上げる熱いものは。
途方もない喪失感。
何か大切なものが、無慈悲に失われた、悲しみ。
「わあああああああああ…………!!」
どうして涙が出てくるのだろうか。
「誰のもの」とも知らない、
こんな古錆びた「アパート」で。
それが見つからなかったくらいで。
「ああああああああ………………。」
しゃがみこみ、両手で顔を覆う。
こつん。
「……?」
足元に、小さくぶつかる何かがある。
「…………。」
目を開き、手に取る。
「……!!!!」
見つけた。
「ーーーーーーーーーーーっっっ!!!!」
思い切り抱きしめる。
それ自体の大きさは抱きしめられるほどに大きくはないが、
手に取り感じた愛情はそれの質量とは比べ物にならないほどに大きかった。
「……った、あった!!!!」
見つけたものは、探していたはずの「ペットボトル」ではない。
形状は似ても似つかない。
「お湯を入れて3分」などと、訳の分からないことまで書いている、謎の入れ物。
「………………はぁぁぁぁぁあああ…………!!!!!」
生き別れて再会した我が子を愛でるように、
「中身が崩れて」しまうのではないかというほどに、強く強く抱きしめる。
ただただ、強い激情が、しばらく私を覆っていた。
「……よし。」
ばふっ。
「だいたいこんなもんかな。」
結局、目的であった「ペットボトル」も見つかり、おまけに「カップラーメン」までを「バッグ」に詰めて。
「キッチン」を後にしようとする。
「…………。」
…………。
……。
もっと、知りたい。
もっとこの部屋に、触れてみたい。
その思いに駆られ、今度は「リビング」に足を運ぶ。
「ーーーー…………。」
「棚」の時よりも、酷かった。
それが「部屋」であることすら判別するのは難しく、
おそらく外部からも積み重なったであろう残骸が山になっていた。
「……………………私のほうが、まだ整頓上手だよ。 」
…………。
……。
瓦礫を掻き分けて、何か興味をそそるものがないか探していると。
「ん?」
何やら黒い箱が出てくる。
「……んー、なんだこれ。」
持ち上げてみると、手触りに覚えがある。
「……。」
「カップラーメン」の時のように、猛烈な感情が湧き上がることはなかったが。
「…………ふふ。」
暖かい、楽しい記憶が脳裏に浮かび上がる。
「コントローラー」を握り、徹夜で「ゲーム」をした記憶。
「みんなでここに集まって、これでわいわい遊んだっけ……。」
遊び方まではわからないが、遊んだ思い出はある。
いや、思い出というのは少し違うだろう。
私には、この箱で遊んだ覚えも、あの「カップラーメン」を「食べた」覚えもない。
ただ自分とは違う誰かの、けれど自分とよく似た誰かの記憶。
それが、異様なまでに、また当たり前に、この手足に馴染むのだ。
「持って帰ったら、また、みんなで遊べるかな。」
みんなとは、誰のことだろうか。
「……。」
「玄関」から、もう一度「部屋」を見渡す。
あれから、「お風呂場」や「ベランダ」まで、いろんな場所をくまなく見て回った。
その度に、どこか悲しく、あったかい気持ちになった。
「…………なんだか、懐かしかったな。」
そっと扉を閉じ……。
閉じるはずの扉は彼方後ろに吹き飛ばされていて。
「あっはは……ごめんね、ちゃんと直しておくから、許してね……。」
拾い上げたそれを玄関に立て掛け、
遠くから改めて「アパート」を見やる。
カップラーメンとビールが入ったビニール袋を持った「私」が、私とすれ違ってぱたぱたと部屋に入っていく気がした。
「またね、サバンナちゃん。」
あれは疑いようもなく、「私の部屋」だということを、身体が、記憶が、感触が、全てが感じていた。
「いやーほんと、大変だった。帰る時に何回も落ちてさー。」
「それは大変だったわね。怪我とかしなかった?」
「あっちこっちすりむいた。」
「………………また''アレ''貼ってあげるから、見せてみなさい。」
「ああ、ありがとう。」
「…………。」
サバンナの傷に私が絆創膏を貼る。
もう今では、これ持っている人も、持っている数も、少なくなってきている。
……またどこかで補充しておかなければ。
「それでさ、アイちゃん。」
「なに?」
「こんなのも見つけた。」
サバンナはポーチから、それを取り出す。
「…………えっ。」
「それは…………っ。」
「なんだかよくわかんないけどさ、食べ物だってことはわかるんだ。カップラーメン……っていうの?これ。」
「………………サバンナ……。」
「ん?なに。」
「好きだったもんね、あんたも。」
「……うん。」
「え?」
「え?」
「……サバンナ?…………知ってるの?」
「これを見つけて……ちょっとだけ、思い出した。ような。」
「………………そう。」
「食べ方は分かるの?」
「それは、わかんない。文字はアイちゃんに教えてもらったから分かるけど、それでもね。」
「……わかった。着いてきなさい、食べさせてあげるわ。」
「え、ほんと?ありがとう。やっぱり頭が良いアイちゃんは頼りになるね。」
「この頭も、あなたと一緒に良くなったのよ。」
「………………。」
「えっ…………!!?そ、それって……!!!」
「また今度、夜のお話の時にでも教えてあげるわ。」
「……うん。約束だよ。」
「ええ。約束よ。」
登場人物
筆者: idola
お読みいただきありがとうございます。
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