カジカとシカのうた ③

ページ名:カジカとシカのうた ③

 二人は地面に仰向けで寝そべっていた。森が静まり返ってもう十分程度は経っていただろう。名前も知らない青々とした雑草の細やかな棘が、ヒビキの頭の裏と耳、その他露出している部分の肌を刺している。痛くはないけど、うっとおしいし、こそばゆい。それらから逃れるには腰を起こすのが一番なはずだが、目の前に鎮座している問題と向かうのも十分に気だるかった。首だけで頭を持ち上げて正面を見てみる。クチジロも同じくノックアウトの状態で、事は動きそうになかった。

 結論から言うと、歌づくりは行き詰った。これまでの制作状況の確認から始まったそれは、クチジロが提案したアイデアを基にしてヒビキが詞を付ける分担作業によって、トントン拍子に進んでいた。しかし楽曲の要所、サビに到達したところで勢いは尽き果てた。クチジロのアイデアが底をついたのだった。発想の供給元が止まってしまうと最早ヒビキにはどうすることもできない。なんとか言葉をひねり出そうとした二人は寡黙になり、停滞ムードは完成されてしまったわけである。何か思いつきたいけど、何も思いつかない。焦燥だけが胸に蓄積する気持ちの悪い場の空気に耐えられなくなり、二人は息を合わせたかのように休憩を取ることにした。これが、彼女たちが草のマットに沈んでいる理由だ。

 ヒビキはクチジロを一目見た後、また後頭部を地面に付けた。視界は日光を受けようとして茂っている葉に再び占拠される。チラチラとした、葉が溢した光が目に入ってくる。暑くはないけど、目がおかしくなりそうだし、とにかく眩しい。それらを防ぐには目を何かで覆うしかない。これ以上暗い気持ちになりたくはないヒビキは、まぶたを半分程度閉じるだけだった。視界を完全に真っ暗にしてしまうのだけは防ぎたかった。

「ヒビキちゃーん……。戻れそう?」
 クチジロの声だ。河から引っ張り上げた直後と比べると格段に弱々しいため、遠くから発話しているような感覚を覚える。
「……なんとかね」
「じゃあ……再開しよっか……」
「ホントに……?」
「うん……」
 間の多いやり取りの終えると、クチジロは腹筋だけで一気に上体を起こした。しゃあっ、という景気の良い一声が周辺に広がった。それに合わせてヒビキもゆっくりと腰を曲げ、伸びていた足も曲げ、三角座りの姿勢を取った。

「よーしやったるよヒビキちゃん! 今度は重っ苦しい雰囲気には絶対しないからね!」
 クチジロはこの短時間でエンジンをかけ直したようだ。気合が末端にも行き渡り、組んだ足の膝を落ち着きなく揺らしていた。
「あー、待ってクチジロちゃん。見切り発車はたぶんさっきみたいなことになるよ……」
「でもテンション高いうちに進めるとこまで進んどかないと私はダメだってのも、さっきのでわかったことだよ!」
「それ、行き詰る前提の話だから私は乗っかりたくないぁー……。それよりもさ、私、休憩の間にね、なんでこんなに詰まっちゃうのか、考えを思いついててね」
 じれったいのが苦手らしいクチジロを、ヒビキは軽くたしなめてから話を続けた。
「自分で言うのもなんだけど、私は歌をつくるの、どっちかっていうと得意な方でね。一曲つくるのにこんなに時間がかかるのは、これが初めてなの。だから、なんでこんなに詰まっちゃうのか考えてたんだ」
 腕組みをしながら頷くクチジロは、すっと疑問を口にした。
「それで、なんで詰まっちゃってるの?」

 ヒビキは唾を飲み込んでから答える。真剣に取り組んでくれたクチジロにこんなことを言ったら呆れられてしまうのではないかという不安はあったが、彼女がお願いを聞いてくれているからこそ言う必要があった。
「もしかすると今回のは、私が歌のテーマと相性が悪いのかもしれない」
「そ、そこから!?」
 クチジロは目を丸くした。ごめんとだけ呟いて、言い訳っぽく続ける。
「……そもそも、歌は盛り上がるサビからつくると上手くいくって教わってたし、私は最初から逃げてたかも」
「確か、ヒビキちゃんの歌のテーマって……」
 回答は、クチジロが記憶を辿り切るよりも早くに、ヒビキから出された。
「うん、『お日さま』」
「お日さま――太陽とヒビキちゃん、そんなに相性悪いかな?」
 顎に手を置き、クチジロは頭を傾ける。納得できていないらしく、黙ったまま、口先を尖らせていた。
「いろいろ細かいところに原因がないなら、やっぱり一番の根っこに原因があるんだと思う」
「うーん、そっかー……。問題がテーマだってわかったなら、テーマを変えちゃったらいいんじゃない?」
 不服さが織り交ぜられた、当然の反応が返ってくる。いつもならすぐに折れて、そうしていたはずだ。しかし、今回はそういうわけにもいかなかった。ヒビキは、無意識のうちに首を横に何度か振った。
「悪いけど、それはできないかな」
「えっ、どうして?」
 わざわざ深呼吸した息を思い切り吐き出すように、腹の底から一つ一つの言葉を繰り出した。
「このテーマね、私とすっごく仲の良い飼育員さんからのリクエストなの。こんなに完成させようと急いでるのも、そのせいなのかもしれない。早くこの歌で合唱会をやって、そのヒトを思いっきり笑わせてみたいから」
 そこまで言い切って、ヒビキは顔を膝に埋めた。身の上を語る恥ずかしさと、付き合わせてしまっていることへの申し訳なさが心に同居していた。
「……さっきから、わがまましか言ってないね、私」
「それでいいよ。恩人への恩返しはそうでなきゃ。こういうときの召使いにはどんな難題を押し付けてもいいの!」
 私に限って、ね。それだけ言葉を付け足すと、クチジロはくしゃっとした笑みをつくった。
「それよりもさ、飼育員さんからのリクエストのこの歌、絶対完成させなきゃだね。まぁちょっとばかり、時間はかかるかもしれないけど」
 クチジロはあぐらを解いた。足を大きく開いて、つま先を天へと向ける。同時に腰の後ろに手をついて、彼女は空を仰いだ。目を細めて緑の屋根を見るクチジロからは、これまで振り撒いていた負けん気の強さのようなものまるで感じ取れない。むしろ、どことなくおしとやかな少女にも見えた。
 せっかくクチジロちゃんが盛り返してくれたのに、また停滞ムードが流れそうだ。たぶん、私のせいで。ヒビキは彼女に声をかけようとしたが、結局はクチジロを見つめるのみに終わっていた。風が吹き、ヒビキを煽るように木々が揺れた。

 しかし、完全に場の流れが止まってしまうことはなかった。自然の音が周辺を支配していた時間、ヒビキは目の前をぼぅっと眺めていた。クチジロの顔つきが、徐々に変わっていくのだ。ただ薄目に上を向いていただけのクチジロは最初、眉を八の字にした。それから、まぶたの開き具合を変え、その様子はまるで何かを観察しているようだった。
 数分経ってヒビキへと向いた彼女は、前説もなしに問いを投げつけた。
「ねぇ、ヒビキちゃんはこの森で暮らしてるんだよね?」
「まぁ、そういう感じだけど」
「森を出たことは?」
「あんまりないかも……」
「じゃあ、あの太陽――お日さまをここより空が広いところで見たこともないの?」
「う、うん? そうかな、たぶん」
 ヒビキがぼそっと問いに言葉を返すと、クチジロは仰々しく目をつぶって、ふっふーんと鼻高々な声を出した。
「この名探偵クチジロ、ヒビキちゃんのスランプの原因がわかりました!」
 顎に合うように指の立てて手を添え、彼女は言い切った。その一言で、ヒビキの身体は三角座りの姿勢のまま、前へ傾いた。反応する声こそ出してはいなかったが、興味深いのは挙動で一目瞭然だ。それを確信したクチジロは、調子よく喋り出した。

「ヒビキちゃん、木が空を隠してないところからお日さま見たことないでしょ? つまり、本当のお日さまの姿を見たことがないんだよ!」
 ヒビキはぱちくりと瞬きをするだけだった。
「ほら、この森にいると木が光を遮っちゃうわけ。河なんかだとその幅だけ葉っぱはないけど、空ってホントはもっともっと広々してるもんなの。実際、滝の上から来た私は、それを知ってるもん。……もうちょっと早くに気づけばよかったけど」
 両腕を大きく動かして自慢気に言ってから、小声でぼそり呟いた。それからクチジロはもう一度あのくしゃっとした笑みをつくる。
「知らないもののことは、歌にできなくっても仕方がなかったってわけ」
 その表情が、ただ呆然とするだけだったヒビキの口許に微かな曲線を生じさせた。ただ、それが由来する感情は楽しさのようなものではなかった。
「じゃあ、私にお日さまの歌はつくれなかったんだね。最初から」
 胸にかかった重りはどこかへ行った。けれど、重りの分だけ寂しさが積もる。目だけで緑が覆う空を見て、ヒビキは観念したように瞳を閉じた。何層もの葉にフィルタリングされた優しい太陽光は、まぶた越しでは僅かばかりしか感じ取れない。今は、風と虫、弾ける飛沫の音を聞くばかりだ。今日の外は十分暖かいはずで、服もほどほどに乾いたはずなのに、なんだか肌寒かった。

「そこで」
 快活な一声がヒビキの寂しさに差し込んだ。
「このクチジロちゃんから、ウルトラスーパーな提案がありまーす!」
 ヒビキは薄目から段階的に目を開き、クチジロを見た。今度のクチジロの表情は、柔らかそうな頬が上がりに上がった、にんまりした笑みだ。何かを企んでいるのが顔に出ている。
「ねぇヒビキちゃん、本当のお日さまの姿、見たくない?」
 ヒビキは最初、うんともすんとも言わなかった。質問を完全につかむことができなかったのだ。しかし、氷が溶けて容器内の水と混ざるのと同様に、意味はだんだんとヒビキに染みこんでいった。深い部分では理解しないまま、ヒビキはこくりと頷いた。弱い弱い地震の弾みで行ったような、弱い弱い頷きだった。
 しかし、それでもクチジロは問題ないようだ。
「オッケー! じゃ、いまから私の言う通りにして! ビビっちゃうのはナシね!」
 クチジロは、音を轟かせる滝に少しも引けを取らない勇ましさで、再び滝へと向かっていった。

 ヒビキは心の中で、悪い予感がしていた。これまでのクチジロの言動から予測できる、彼女が無茶苦茶なことに自分を巻き込もうとしているのではないか、という予感だ。しかし、ヒビキは怖気づくつもりはなかった。歌の完成と、そして自分が知らない太陽の姿。それらはヒビキに、一寸先の恐怖心を退かせるような、自身をワクワクさせる強い冒険心を抱かせていた。


ページ作成者 相須楽斗

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