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平高望(高視王)像
平 高望・高望王・高視王・高見王(たいら の たかもち/たかもちおう/たかよしおう/たかのりおう/たかはるおう、806年(延暦25年/大同元年)[1] - 911年(延喜11年)[2])は、平安時代前期~中期の皇族。臣籍降下以前の名は高望王、または高視王(たかよしおう/たかのりおう)[3]。平姓(桓武平氏=武家平氏)を賜り、「平高望」と改名した。または「高茂」、あるいは「高繁」とも呼ばれる[4]。そのために武家貴族(軍事貴族)となった。官位は従四位下・上総介・大宰府権帥。
父は葛原親王(かずはるしんのう、桓武天皇の第5皇子)、生母は橘春成(または仲野親王・藤原是雄)の娘で、その末子である。異母兄は高棟王(公家平氏の祖)・善棟王(同じく公家平氏の祖)。同母妹は丹姓・平直良室。娘は平良将室・平良文室・藤原維幾室ら。
861年(貞観3年)に清和天皇の勅命、あるいは889年(寛平元年)5月13日、宇多天皇の勅命により平朝臣を賜与され、臣籍降下し平姓を賜った。常陸国を支配した仁明源氏あるいは、嵯峨源氏の常陸大掾・源護と親交があった。
898年(昌泰元年)に上総介に任じられたが、自らは坂東地方の上総国に赴任せず、長男の国香王(平良望)を、目代として赴任させた。
鎮守府将軍を歴任し、後に常陸大掾となった良望(国香王)は、父と親交があった源護の娘と下野大掾の藤原村雄(藤原北家の秀郷の父)の娘を娶り、貞盛、繁盛、良正(良盛/兼任)らを儲けて、彼の息子たちは坂東地方(関東地方)の在地勢力との関係を深めて、常陸国・下総国・上総国の未墾地を開発させ、自らが街の開発者となり、地主となることによって勢力を拡大を奨励し、その権利を守るべく武士団を形成し、武家貴族としてその棟梁となった。
良望の長男・貞盛とその長男の維叙は相模国高座郡鎌倉郷[5]を本拠地として相模平氏と称したが、後に4男の維衡の系統が伊勢国に基盤を固めて、伊勢平氏(平家(六波羅氏))・伊勢氏・伊勢関氏(貞盛流)・小松氏・池氏などの祖となった。
坂東地方(関東地方)においては、良望の次男・繁盛が大掾氏(常陸平氏)の祖となり、常陸国の中部・南部を中心として、越後国の越後奥山氏・越後城氏、常陸国を発祥とする肥前国の肥前伊佐氏・伊勢国の関氏(繁盛流)・伊豆国の伊豆山木氏(繁盛流伊勢関氏の分家)の庶家を派出して、勢力を拡大した。
高望は菅原道真と親交があったために、時の関白の藤原時平に睨まれて、902年(延喜2年)に九州が筑前国の西海道の国司として左遷され、大宰府に居住し、911年(延喜11年)に同地で老衰のために没した。享年は106。
外孫の将門は、外祖父の高望を大いに尊敬していたと言い、孫の貞盛は弟の繁盛・良正と義理の従父・良兼(直良の長男)らとともに祖父の高望の木像を造り、合戦を繰り返した仲が悪い族兄弟の将門の前に晒し出し、将門の軍勢が尊敬する外祖父の高望の木像に矢を射掛けることはできないと判断して、その攻撃を鈍らせた逸話がある。
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