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曖昧さ回避 | 「津波」のその他の用法については「ツナミ」をご覧ください。 |
津波のダイヤグラム(上げ潮と引き潮の順番が異なる場合がある)
津波(つなみ)は、海域での地震(プレートによる)や海岸地域で起こる地滑り、海底火山の活動、海底の地滑り、海洋への隕石の落下など気象以外の要因によって引き起こされ、海岸線に到達して被害を及ぼす可能性のある高波である。もともと日本語だが、20世紀後半以降は広く国際的に「Tsunami」と呼ばれている(後述)。
「津波」の語は、通常の波とは異なり、沖合を航行する船舶の被害は少ないにもかかわらず、港(津)では大きな被害をもたらすことに由来する。日本は、近海の地震の他、遠隔地の地震からも被害を受ける場合がある。「津波(浪)」の語が文献に現れる最古の例は『駿府記』(作者不詳、慶長16年 - 元和元年)で、慶長16年10月28日(1611年12月2日)に発生した慶長三陸地震についての記述「政宗領所海涯人屋、波濤大漲来、悉流失す。溺死者五千人。世曰津浪云々」である。なお、表記は「津波(浪)」の他に「海立」、「震汐」、「海嘯」と書く場合があり、これらすべて「つなみ」と読む。
英語で、Tsunamiという語が初めて使われたのは、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が1897年(明治30年)に出版した著作集「仏の畠の落ち穂」 (Gleaming in Budda-Fields) の中に収録された『生神様』 (A Living God) の中とされる。濱口梧陵をモデルにした[1]『生神様』では、地震後に沿岸の村を飲み込んだ巨大な波を「Tsunami」と現地語(日本語)で表現した。これが、出版された文献で確認できるところの初出とされる。その後の事例は、1904年の地震学の学会報告にはじまり、地震、気象の学術論文等に限られていたようである。元々英語圏では"tidal wave" という語が使われてきたが、この語は本来潮汐 (tide) による波を指し、地震による波にこの語を使うのは学問的にふさわしくないとされ、現在では tsunami が用いられる。研究者の間では"seismic sea wave"(「地震性海洋波」)という語が使われることもあったが、あまり一般的ではなかった。1946年、アリューシャン地震でハワイに津波の大被害があった際、日系移民が "tsunami" という語を用いたことから、ハワイでこの語が使われるようになり、被害を受けて設置された太平洋津波警報センターの名称も1949年には Pacific Tsunami Warning Center とされたことから、アメリカ合衆国ではこの語が広く用いられるようになり、その後、1968年にアメリカの海洋学者ヴァン・ドーン (Van Dorn) が学術用語として使うことを提案し[2]、国際語化した。
日本国外も含め「津波は引き波から来る」という伝承が広く広まっているが、必ず引き波から来るわけではなく誤解である。しかし、引き波に対して津波を警戒することは有効であり、スマトラ沖地震ではその教訓により死者を出さなかった地域がある。
「ツナミ」は学術用語として広く国際語になっていたが、スマトラ沖地震による津波が激甚な被害をもたらしたことが世界中に報道されたことを契機に、一気に各国の言語で一般語になった。
NHK テレビ・ラジオの非常放送(英語)では始めに「tsunami, tidal wave」と呼称される。
2004年12月、プーケット島を襲った津波。波頭が押し寄せた後も海水が流れ込み続け、海面が高まったままの状態が続いている
津波の物理的性質は風浪や、天文潮すなわち干潮・満潮等の規則的な潮汐とは異なっている。以下に、津波の諸特性について言及する。
津波の発生原因として最も一般的なものは海底で起こる地震で、記録に残る津波の大部分はこれによるものである。断層が活動して地震が発生した時に、海底にまで断層のずれが達して海底面が上下に変化すると、海水までもが上下に移動させられてその地形変化がそのまま海面に現われ、水位の変動がうねりとなって周囲に拡大していき、津波となる。正断層による海底の沈降によっても、逆断層による隆起によっても津波は起こる。マグニチュード8級の地震では断層の長さが100キロメートル以上になる事もあり、それに伴う地形変化も広い面積になるので、広範囲の海水が動いて大規模な津波を起こす。もともと津波の発生には海底の地形が大きく変わる事が重要で、大地震による海底の断層とそれによる隆起や沈降は最も津波を起こしやすい現象といえる(逆に海底の断層運動があっても横ずれが卓越し隆起や沈降がなければ大きな津波は発生しない)。原理は、入浴中に浴槽の下から上へ、突き上げるように湯を手で押し上げて見るのが理解し易い。押し上げられた湯は塊りとなって水面まで持ち上がってから周囲に広がるはずであり、これが巨大になったのが津波である。
地震津波は大規模で、遠方まで伝わるため、地震を感じなかった地域でも津波に襲われる場合がある。これを遠隔地津波と言う。津波の到達まで時間があるので避難しやすく、人的被害防止は容易であるが、情報の伝達体制が整っていないと不意討ちを受ける形になり、被害が大きくなる。1960年のチリ地震津波の際のハワイ[3]や日本、2004年のスマトラ沖地震の時のインド洋沿岸諸国などの例がある。また、「ゆっくり地震」或いは「津波地震」と呼ばれる、海底の変動の速さが遅い地震がある。人が感じる短周期の成分では比較的小さな揺れ(地震動)しか発生しないため、一見すると小規模の地震のようだが、実は総エネルギーは大きく海底面の変動も大規模で範囲が広いので、予期せぬ大津波が発生し、大きな被害をもたらす事がある。1896年(明治29年)の明治三陸沖地震津波がその例で、原因となった地震については短周期の地震動の観測に基づいて長らくマグニチュード7.6とされてきたが、その後津波の大きさを考慮してマグニチュード8.25に改められた(2006年版理科年表)。
海岸線に近い場所で起きた火山の山体崩壊等で、大量の土砂や岩石が海になだれ込んだ際にも津波が発生する。大部分は地震津波に比べてはるかに規模は小さいが、状況によっては地震が原因の津波と遜色がないほどの大津波が発生することもあると言われ[4]、また発生地点に接して人口密集地帯があると大被害を引き起こす。雲仙岳の火山活動に起因する山体崩壊の際の「島原大変肥後迷惑」と呼ばれる、15,000人が犠牲になった 1792年(寛政4年)の有明海の津波や、1979年にインドネシアで700人から1,000人の犠牲者を出した津波などがその例である。1883年のインドネシアのクラカタウ火山の爆発では、大量の火砕流が海に流れ込んで津波が起こり、36,000人が死亡したとされる。また、山間部でも、同様に山体崩壊が起因でダム湖などの湖沼でも発生する。実際にイタリアのバイオントダムでは、地すべりにより100mの津波が発生して2,000人以上が死亡している。
海底火山に起因する津波もあるが、海底の地形に大きな変動がなければ、爆発活動だけでは大きな津波にはならない。また、仮に海底地形の変動があっても、その範囲が小さければ津波の波源も小さくなり、発生した津波はすぐに分散してしまう。1952年(昭和27年)の明神礁の活動に際しても、八丈島で小規模な津波が観測された程度である。海底に生じた地滑りが津波を起こすかどうかについては、専門家の中に賛否両論あるが、実際に海底地すべりで起こったことが確認された津波の例はほとんどない[5]。
巨大隕石が海に落下すれば津波が起こると考えられる(衝突津波)。歴史時代には明確に証明された衝突津波はないが、メキシコ湾・カリブ海沿岸各地には、約6550万年前の天体衝突時に発生した津波の津波堆積物が残っており、津波高は約300mと推測されている。
アラスカにある津波警戒標識。4度目の波が一番高く描かれている
津波は、水深の変化の無い大洋で発生した場合には発生源を中心に同心円状に広がって行くはずであるが、地震津波の場合、地震は多くが陸地近くの海域で起こり、その場合は波のおよそ4分の3は海岸に向かい4分の1が外洋に向かう。すなわち、1960年のチリ地震津波においては、チリ沖で生じた津波は最初は同心円を描いて広がったが、大陸斜面を進む波は水深の大きい沖合いで速度が速く、沿岸寄りでは遅くなるため、チリの海岸線に対し垂直方向に進む波以外は次第に進路がチリの海岸向きに屈折し、結局4分の3がチリ海岸に戻り、4分の1は太平洋を直進してハワイや日本に達したと考えられる。そのため、同じ環太平洋地域でありながら北アメリカ西岸やオセアニアなどでは目立った津波被害は起こっていない。物理的にはいわゆる孤立波であり、津波は海のソリトンと呼ばれる。
一般に水面に見られる波は、風によりできた風浪で、大きなものでも周期は10秒程度、波長は150メートルくらいである。これに対し津波の間隔は、短いもので2分程度、長いものでは1時間以上にもなり、100キロメートルを越す長波長の例もある。津波の波源域は広く、それによって波長が決まるためである。このため、津波が内陸に押し寄せる際には、その水位の高まりはあたかも海面自体が上昇するような状態になって、大きな水圧による破壊力が加わる。また津波が引く際にも、高くなった海面がそのまま引いていく形になり、やはり大きな破壊力を発揮する。チリ津波では、函館の例では押し波の水位差が2メートル、引き波が3メートルで、引きが強く、このような場合は押し波で破壊された物やもともと陸にあった物などが海に持ち去られる被害が大きくなる。
通常、津波は複数回押し寄せる。10回以上に及ぶ事もある。第2波、第3波が最も大きくなる傾向があり、その後次第に小さくなっていく。また、過去の津波における体験者の証言や昔話等の伝承に、津波の来襲前にまず引き潮が起こった、というものがあり、津波の前にはまず海水が引いていくと一般にも広く信じられているきらいがある。スマトラ沖地震では津波前に引き潮があり、魚を獲りに行った人々が犠牲になった事実があるが、日本海中部地震では引き潮が無く最初から津波が押し寄せた。津波が引き波から始まるか押し波からかは、諸条件によって決まり、予測は難しい。地震により海底の沈降が起これば引き波が先に来て、隆起があれば初めから押し波が来るが、震央をはさんで沈降と隆起が同時に発生する事も考えられる。
津波の伝播する速度は水深と波高により決まる。大陸棚斜面から外洋に出ると水深は 4,000 メートル前後でほとんど一定になり、また水深に比べて波高は問題にならないくらい小さいので、外洋での津波の速度は、重力加速度(9.8 m / sec²。便宜的に10m/sec² として差し支えない)に水深を乗じた値の平方根にほぼ等しい。式で表わすと次のようになる。dは水深(単位はm)、速度は秒速 (m/sec) で示される。
g d {\displaystyle {\sqrt {gd}}}これを時速 (km / hour) に直すには 3.6倍すればよい。これにより、水深1,000メートルで時速360キロメートル、水深4,000メートルで時速720キロメートルとなる。沿岸では水深が浅くなり、そのため津波の波高が増すので、上の式をそのまま適用すると不正確な値となるため、次の式を用いるのがよい。H は水面上の波高である(単位はm)。
g ( d + H ) {\displaystyle {\sqrt {g(d+H)}}} {\displaystyle {\sqrt {g(d+H)}}}ここから、水深10メートル、波高6メートルの場合の津波の速さはおよそ時速46キロメートルとなる。
外洋では津波の波高は数十センチメートルから2メートルか3メートル程度であり、波長は100キロメートルを越えるので、海面の変化はきわめて小さく、沖合いにいる船などは津波に気付かず、沿岸や港に来て初めて被害の大きいのを知る場合が昔はよくあった。「津波」の名もここに由来するものである。津波が陸地に接近して水深が浅くなると速度が落ちて波長が短くなるため、波高は大きくなるが、通常は、単に水深が小さくなっただけでは極端に大きな波にはならない。リアス式海岸のような複雑に入り組んだ地形の所では、局地的に非常に高い波が起きる事がある。津波の波高は水深の4乗根と水路幅の2乗根に反比例するので、仮に水深160メートル、幅900メートルの湾口に高さ1メートルの津波が押し寄せ、湾内の水深10メートル、幅100メートルの所に達した場合、波高は水深の減少で2倍、水路幅の減少で3倍になるため、総合すると波高は6メートルになる。それで、V字型に開いた湾の奥では大きな波高になりやすい。
しかし、一般には検潮儀で津波を記録するようになっているものの、巨大津波そのものの波高を正確に測定する事は困難であり、これまでの大津波の波高とされる記録は、実際には波の到達高度(遡上高)で示されている。これは、陸に押し寄せた津波が海抜高度何メートルの高さまで達したかという数字で、現場の調査によって正確に決定できる利点がある。V字型の湾など、地形によっては波自体が高くなると共に非常に高い所に駆け上がる事がしばしばあり、津波の到達高度(遡上高)は実波高(海岸での平均海水面からの高さ)より高くなる場合が多い。日本において確実とされる津波の最大波高は1896年の明治三陸沖地震津波の際の38.2メートルであるが、これはV字型の湾の奥にあった海抜38.2メートルの峠を津波が乗り越えたという事実に基づく到達高度の値である(海岸での津波高ではない)。
1958年7月9日(現地時間)、アラスカの南端の太平洋岸にあるリツヤ湾 (Lituya bay) で岩石の崩落による津波が起き、最大到達高度は海抜520メートル[6]に達し、津波の波高の世界記録とされている。リツヤ湾は氷河の侵食によるフィヨルドで、幅3キロメートル、奥行き11キロメートル程の長方形に近い形で内陸に入り込んでいる。湾奥に左右に分かれた小さな入江があり、問題の津波はそのうちの北側の入江に発生したものである。波の発生を直接目撃した者はいないが、後の現地調査と模型実験により詳細が明らかにされている。地震により入江の片側のおよそ 40 度の傾斜の斜面が崩壊、9,000万トンと推定される岩石が一塊になって海面に落ちたため、実高度150メートル以上の水しぶきが上がり、対岸の斜面を水膜状になって駆け上がって520メートルの高度に達したものである。その後、波は高さ15メートルから30メートルで湾奥から湾口に進み、太平洋に出ると共に急速に消滅した。以上のように、この波は津波と言うより水跳ねに近いもので、英文の報告書でも "giant wave" または "biggest splash" と表現されている。
なお、リツヤ湾では1853年か1854年に120メートル、1936年に147メートルの大波(いずれも到達高度)が起こったことも明らかになっている。これは湾周囲の山林に植生する古い樹木複数を伐採して年輪を調べたところ、該当年の年輪の海側に、大きな外傷を受けた痕跡が残っていたことで判明したものであった。
津波を防ぐための水門「びゅうお」(静岡県・沼津港)
気象庁は、津波の原因となる地震活動を24時間体制で監視しており、地震が発生すると最速2分以内に津波に関する予報・警報(津波予報・津波注意報・津波警報・大津波警報)を発表する。震源が遠くても規模の大きな地震など、震度が小さい地震の場合でも津波警報等が発表される場合もある。津波警報等の発表までの時間を短縮するために、地震計をより高性能のものに置き換える作業やケーブル式海底地震計の整備等が行われている。
なお、従来は津波警報等の発表までにかかる時間は約3分であったが、2006年10月より日本近海の地震に対しては緊急地震速報システムを活用することにより、津波警報等の発表にかかる時間を短縮し、地震発生から最速2分以内に津波警報等を発表できるようになっている(2007年3月の能登半島地震など)。
なお、津波警報が発表された場合、放送局より緊急警報放送が送出される。
震源の位置・マグニチュード・断層パラメータ等から、津波の発生の有無・規模は計算可能である。地震が起きてから計算していたのでは間に合わないため、気象庁では、あらかじめ、様々な地震のケースを想定した計算を行ったデータベースを整備している。
気象庁においては、予想される津波の高さにあわせて、津波警報等は以下の2区分3種類が発表される。なお、報道では「大津波の津波警報」というのはかえって分かりづらいため、“大津波警報”を俗称として使用している。
津波警報 | 大津波 | 高いところで3m以上の津波(発表される津波の高さは3m、4m、6m、8m、10m以上の5種類) |
津波 | 高いところで1m〜2m程度の津波(発表される津波の高さは1m、2mの2種類) | |
津波注意報 | 津波注意 | 高いところで0.5m程度の津波(発表される津波の高さは0.5mの1種類)[7] |
津波は最初の第1波が最大とは限らず、数十分~1時間前後の間隔をおいて第2波、第3波とやってくることがあり、それらの津波が湾内で互いに共鳴して大きな津波となって陸上に浸水する恐れがある。このため、津波警報・注意報が解除されるまで(場合によっては約12時間)は警戒・注意が必要である。
また、津波警報・注意報は、日本の沿岸を細かく区切った津波予報区にしたがって、地域を指定して発表される。
津波警報や津波注意報が発表された場合は、到達時刻や予想される津波の高さ、各地の満潮時刻、津波が到達した場合の観測波高などの「津波情報」が発表される。
アメリカ西海岸・アラスカ津波警報センター (WCATWC) は、海岸の地形などを考慮してアメリカと周辺地域に11の区分を設けている。それぞれに2段階(地域によっては1段階または区分なし)のTIS(Tsunami Information Statement, 津波情報発表)、3段階(地域によっては1段階)のWarning(警報)の津波情報があり、合わせて1段階〜5段階の警報レベルがある。
日本を含む太平洋地域では、1960年のチリ地震による津波で、日本を含む各国に被害が出たことをきっかけに、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)が中心となって、太平洋津波警報組織国際調整グループが設立された。現在、日本やアメリカ、中国、オーストラリア、チリ、ロシア、韓国など26の国と地域が加盟しており、沿岸各国で地震や津波が発生した場合、データがハワイにあるアメリカ国立海洋大気局の太平洋津波警報センター (Pacific Tsunami Warning Center, PTWC) に集められ、各国に津波の規模、到達推定時刻などの警報を発する仕組みがある。太平洋津波警報センターが発表する津波警報には、地域ごとに以下のものがある[8]。
Pacific Ocean-wide Tsunami Warning (太平洋広域津波警報) |
Expanding Regional Tsunami Warning (地域拡大津波警報) |
Fixed Regional Tsunami Warning (地域固定津波警報) |
Tsunami Information Bulletin (津波情報速報) |
近地 | Statewide Urgent Local Tsunami Warning (全州緊急近地津波警報) |
Urgent Local Tsunami Warning (緊急近地津波警報) | |
Local Tsunami Information (近地津波情報) | |
遠地 | Tsunami Warning (津波警報) |
Tsunami Watch (津波監視) | |
Tsunami Advisory (津波注意報) | |
Tsunami Information (津波情報) |
Indian Ocean-wide Tsunami Watch Bulletin (インド洋広域津波監視速報) |
Regional Tsunami Watch Bulletin (地域的津波監視速報) |
Local Tsunami Watch Bulletin (近地津波監視速報) |
Tsunami Information Bulletin (津波情報速報) |
Caribbean Sea-wide Tsunami Watch Message (カリブ海広域津波監視連絡) |
Regional Tsunami Watch Message (地域的津波監視連絡) |
Local Tsunami Watch Message (近地津波監視連絡) |
Tsunami Information Statement (津波情報発表) |
インド洋大津波の発生により、巨大津波に関連する人工衛星を含む様々な観測データが集められたことから、コンピュータモデルによる予測モデルの検証が可能となった。米国海洋大気局のMOST (Methid of splitting tsunami) モデルや東北大学のTSUNAMI-N2などの計算手法が開発されている。津波シミュレーション技術は、津波予報やハザードマップ作りに活用されている。また日本には世界最大の2.5mの人工津波を引き起こす事ができる、港湾空港技術研究所の大規模波動地盤総合水路があり、建造物への被害予測のデータ収集などが行われている。
潮位の観測は、沿岸の潮位計に加え、海底水圧計を用いた津波計も整備が進んでいる。従来は海底ケーブル用いて信号が送られていたが、衛星へ信号を送れる海面ブイによって信号を送るタイプの津波監視計も開発されており、より設置が容易となってきている。
原則として地震の規模が大きく、海底の上下変動が大きければ津波が発生するが、しばしば津波に関する誤った情報が伝承されているとみられることがある。
「晴れた日には、よだ(津波)はこない」と伝えられていたが、昭和三陸地震の際にはこの伝承によって却って大勢の犠牲者を出したと言われている。天気の晴雨によらず津波は襲来する。
昭和三陸地震では強い揺れを伴ったが、「強い揺れがあったときは津波はこない」という理由から避難が遅れた者もいる。これは、明治三陸地震で弱くゆっくりとした揺れの後に津波が来たという経験に基づいている。
昭和三陸地震では「冬の晴れた日には津波はこない」という言い伝えのためにも犠牲者がでた他、明治三陸津波が発生した6月15日が旧暦の端午の節句、昭和三陸津波が発生した3月3日が新暦の桃の節句に当たることから、「津波は節句の日に来る」という伝承も生まれた。
また「津波は引き波から来る」という誤った知見に基づいた教育がかつて行われていたこともあり、途上国を含めて誤った知識が流布されている。かつての日本でも、「地震が起きたら海へ逃げろ」[9]という誤った教訓、或いは誤った「生活の知恵」により、多数の津波による犠牲者を出した例がある。
北海道日高地方のアイヌ民族には、「津波の神は酒粕を嫌うので、家の周りに酒粕を撒けば津波避けになる」との伝承がある。
津波は、同じ高さの気象性の波浪に比べて波長が非常に長いため、一波が押し寄せるだけで大量の海水が海岸を襲う。
緊急警報放送や緊急地震速報などの施行で現在は津波情報が充実しているが、津波警報が出ても避難をしない住民が多いことはかねてから問題になっている。特に地震が頻繁に起こる北海道の釧路・根室地域は非常に多いという。原因としては、
があると言われている。
例として2mの普通の波と津波との違いについて述べよう。海上では普段から偏西風や低気圧(気流)、月の引力などの影響を受け少なからずデコボコが生じる。2mの普通の波とは、このデコボコの差が2mあるだけの事で、波長や波を形成する水量は比較的少なめで、2mの普通の波が海岸に達した所で海岸付近の地域に被害をもたらす事はそう多くない。一方で2mの津波とは地震などによる海底の隆起または沈下により海水面自体が普段より2m盛り上がり、それが海岸に向かって伝わっていく、言い換えれば2mの水の壁が海岸めがけて海上を走り、岸壁にぶつかると同時に水の壁は崩壊し一気にとてつもない水量が海岸地域を襲うということである。
つまり2mの普通の波は海岸に少量の海水を吹きかける程度であるのに対して、2mの津波は何kl(キロリットル)もの海水が一気に海岸地域を襲い、自動車や多くの人を簡単に飲み込み沖へ引きずり込んでしまう程の威力があるのである。例えば、2mの「波」の水量は2(m)×波長数(m)×0.5×約0.5×海岸の距離(m)で、海岸1mに押し寄せる波の水量は波長3mとして1.5m3(=1500リットル)、ドラム缶数本分である。一方、2mの「津波」の水量は2(m)×波長数十km(m)×0.5×0.5×海岸の距離(m)で、海岸1mに押し寄せる津波の水量は波長10kmとして5,000m3(=5,000キロリットル)、競泳用プール2つ分となる(体積の比較参照)。2003年に発生した十勝沖地震では、実際に2mの津波に飲まれ命を落とした人が確認されている。
ところが、最近は強力な防潮堤の設置などにより津波がブロックされやすくなったこともあり、津波警報が出るほどの地震が発生しても、津波による多くの犠牲者が出た地震の例は、日本国内に限定すれば1993年の北海道南西沖地震以降、現在に至るまでない(但し、数人程度の犠牲者が出た例はある。また日本国外では2004年のインド洋大津波で日本人の犠牲が出ている)。そのような事情から、『津波警報が発表されたけれども、そんなに大きな被害にはならないだろう。』という考えが出てしまうこともありえる。特に地震慣れをしている北海道の釧路・根室地域では、そのような考えを持つ住民は多いという。
以上のことから、依然として津波に対する認識が甘くなりがちな傾向にある。
1にも2にも、とにかく安全な高台へ逃げる(避難する)のが津波から命を守る基本かつ最良の手段である。繰り返し津波の被害に遭っている三陸地方では、家族がばらばらになってもよいから各々が全力で逃げよという教えすらある。特に海岸や川の河口付近においては、大きな揺れや長くゆっくりとした揺れを感じたら、津波情報が届くのを待つ事無く(場合によっては揺れが収まる前であっても)すぐに高台へ避難する事が大切である。これは震源が海底でかつ海岸にほど近い場所であった場合は、地震発生後すぐに津波が到達するために津波警報発表が間に合わないためである。北海道南西沖地震(奥尻島大津波)の惨事はそれを象徴している[10]。
また、津波は高さよりも押し寄せる水量が被害の大きさを左右する。たとえ数十cm程度の津波といえども、水量によっては漁船を転覆させたり人一人を海へ引きずり込ませたりする程の威力が十分ある場合もある。ゆえに、津波警報、大津波警報ではなく津波注意報が出ている場合でも、油断して海岸に近づく事は大変危険である。津波に飲まれると水中で複雑な乱流が生じ、水面に顔を上げて呼吸することが困難になるほか、多くの土砂、浮流物に巻き込まれ肉を引き裂かれたり、それが元で死亡したりする。
2010年2月の「チリ地震津波」でも見られた事例には、第1波の波高が予想津波高より低く、たいした事がなかったとして、第1波到達後すぐに帰宅する住民が日本全国で多数いた。先述の通り第2波以降の津波が高くなる場合があるため、津波警報が解除されるまでは避難先へ留まっているべきである。
岩手県田老町(現・宮古市)、北海道浜中町などでは人命及び家屋の流出を防ぐため、1950年(昭和25年)頃より海岸沿いの陸上に防潮堤が建設され、後の津波災害を軽減した代表例とされる。田老町では世界に類を見ない総延長2.5km、高さ10mに及ぶ巨大防潮堤を建設し、後の1960年チリ地震津波による人的被害は皆無であった。
浜中町ではこの1960年チリ地震津波の後、壊滅した街に驚異的復興と共に総延長17km、高さ3mに及ぶ防潮堤で街を全て囲い、三方向海に囲まれた街を津波から防御した。その後人的被害は確認されていない。この後、北海道南西沖地震等度重なる津波被害が各地で発生し、防潮堤の建設が各地でされるようになる。
また、熊野灘の沿岸部など各地に、鉄筋コンクリート造の避難塔(津波タワー)が整備され、津波の危険があるときに周辺住民が逃げ込むことができるようになっている。
八重山地震の津波(明和の大津波)で陸に打ち上げられたとされる下地島の帯岩
スマトラ沖地震での津波(タイ)
2004_Indian_Ocean_earthquake_Maldives_tsunami_wave.jpgスマトラ沖地震での津波(モルディブ)
河口から河川に侵入した津波が数km上流まで遡上することがある(地理的な要因次第に因るが、1mの津波でも5kmは遡上すると言われる)。河川を遡上する津波は、伝搬速度が速くなり、遡上距離が長くなる傾向にある。先端部の形態は砕波段波と波状段波の2種類がある。
1960年5月24日のチリ津波では、沖縄県石川市の石川川を遡上した津波が家屋の浸水などの被害をもたらした。2003年9月26日の十勝沖地震では、津波が波状段波を形成しながら十勝川を遡上する様子が自衛隊により撮影された。この時の津波は、河口から少なくとも11km上流まで遡上したことが確認されている。河川を遡上する津波と似たような物理現象として、潮津波がある。代表的なのは、アマゾン川のポロロッカ、銭塘江(長江)の海嘯である。津波が河川に侵入するのを防ぐために、防潮水門などが設けられている(上写真)。
鎌倉大仏が露座になっているのは室町時代に発生した津波によって大仏殿が流失したことが原因とされている。大仏がある高徳院は海岸線から直線距離で約1kmの所にあり、津波はすぐ近くを流れる川を遡上して大仏殿を押し流したといわれている。
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