新潟地震

ページ名:新潟地震
曖昧さ回避この項目では、1964年に新潟市で起こった地震について説明しています。
新潟地震
本震
発生日1964年(昭和39年)6月16日
発生時刻13時1分41秒(JST)
震央日本の旗 日本 新潟県 粟島
南方沖40km
北緯38度22.2分
東経139度12.7分(地図)
震源の深さ34km
規模   マグニチュード(M) 7.5
最大震度   震度5:新潟県 新潟市、長岡市、宮城県 仙台市など
津波4m程度1
被害
死傷者数死者:26人
被害地域主に新潟県、山形県、秋田県
注1:場所により6mまで到達

新潟地震(にいがたじしん)は、1964年(昭和39年)6月16日13時1分41秒、(JST)、新潟県粟島南方沖40km(北緯38度22.2分、東経139度12.7分、深さ34km)を震源として発生した地震。地震の規模はM7.5。サハリンから新潟沖へとつながる日本海東縁変動帯で発生した地震の一つ。

目次

震度[]

震度の基準、及び観測した市町村名は当時。

震度観測地点
震度5宮城県:仙台市、鳴子町

山形県:新庄市、酒田市、鶴岡市

福島県:只見町

新潟県:相川町、新潟市、長岡市

震度4岩手県:水沢市、盛岡市、石巻市、築館町

秋田県:秋田市

山形県:米沢市、尾花沢市、山形市

福島県:会津若松市、いわき市、白河市、郡山通報所、福島市

茨城県:石岡市

栃木県:大田原市

群馬県:前橋市、水上町

新潟県:直江津市

石川県:輪島市

長野県:長野市

津波[]

押し波から始まって、佐渡島両津港では3m、塩谷間で4m、直江津で1~2m、岩船港付近4m。砂浜への駆け上がり現象で 6mを観測した地点も報告されている。第一波の波高が最も高かった地点もあるが、第三波が最も高かったとの目撃情報もある。また地震から数時間経過した後に最大波高を観測している。震幅の周期は20分程度のものと、50分程度の物が重複していた[1]

被害[]

  • 死者:26名
  • 家屋全壊:1,960棟
  • 家屋半壊:6,640棟
  • 家屋浸水:15,298棟

被害は新潟県、山形県、秋田県等日本海側を中心として9県に及んだ。粟島は島全体が約1m隆起[2]。日本海海岸では5 - 20cm沈下した。家屋の全壊は新潟市、村上市、鶴岡市、酒田市など各地において発生した。地震発生から約15分後には津波が来襲、新潟市では高さ4mに達し、その他にも佐渡島や粟島、島根県隠岐島でも冠水被害が出るなどした。地震発生が平日昼過ぎということもあり、学校施設にも多大な影響を及ぼした。

とりわけ、新潟大火から復興を遂げてきたばかりだった新潟市内は大きな被害を受けた。信濃川左岸では、液状化現象により河畔の県営川岸町アパートが大きく傾き、ほぼ横倒しになった棟もあった。震源に近い信濃川右岸では、新潟空港の滑走路が津波と液状化により冠水し、新潟港内では火災が発生した。特に空港と港の間にある昭和石油新潟製油所(現昭和シェル石油新潟石油製品輸入基地)の石油タンクは12日間に亘って炎上し続け、周辺にも延焼して民家60戸(170戸の説も)が全焼するなどした。この火災は国内で起きたコンビナート火災としては史上最大・最悪のものであると言われている。この石油タンクの火災は当時、液状化現象が原因と言われていたが、後に(他の大地震などの研究によって)長周期地震動によるものであることが解明された。

当時新潟市には、油脂火災に対応出来る化学消防車が未配備で、原油タンクの消火活動が出来なかったため、自治省消防庁経由で東京消防庁に応援要請があり、蒲田消防署を主力とする応援隊が派遣され消火に当たった。一時はガソリン用添加物のタンクや水素タンクにも類焼危険が発生したが、東京から駆けつけた化学消防車5台と隊員の20時間に及ぶ消火活動で類焼を免れた。もしこのタンクに類焼していた場合、新潟市全域に爆発被害が及ぶ危険があった。消火作業のため県内の民間企業にある自衛消防隊が所有する化学消防車に出動要請をかける事にしたが、連絡手段が壊滅していたため、ラジオで「○○会社の関係者の方に対策本部からの出動要請です、化学消防車を新潟市に派遣してください」との放送を行い、その放送を聞いた関係者によって駆け付ける一幕もあった。

また東京から新潟へ護送中の囚人が地震で行方不明、新潟県見附警察署で確保したものの新潟からの警察無線を東京で受けられず、難儀していたところ、山根一眞がこれを傍受し出発地の中野刑務所へ連絡し通信確保に協力したという事もあったという(週刊文春『スーパー書斎の遊戯術』第31回より。当時の周波数は短波)。

山形県庄内地方は新潟県に次いで被害が大きく、庄内地方を襲った地震としては、1894年(明治27年)の庄内地震に次ぐ激震であった。鶴岡市の大山・水沢・西郷地区では家屋の倒壊が相次いだ。児童生徒が犠牲になる事態も多く、同市にある京田幼児園では園舎が倒壊し園児3名が圧死、園児14名と保育士1名が生き埋めとなった。この事故は園舎の老朽化も原因とされた。この事態を6月18日付の地元紙荘内日報では「まさに生きながらの地獄絵図であった」と報じている。酒田市の市立第三中学校では、グラウンドに生じた亀裂に生徒が転落し圧死する事故も起きた。

津波による浸水被害は、右岸の山ノ下地区など信濃川流域を中心に広範囲に亘り、特に栗ノ木川周辺など一部の冠水は1ヶ月にも及んだ。信濃川に架かる橋梁は、コンクリート橋の萬代橋(当時の一般的表記は「万代橋」)が、取付部の破損・沈下のみで、車両の通行が唯一可能であったものの、八千代橋は橋脚が倒れるなど深刻な被害を受けた。開通直後だったにも拘らず橋桁が倒れ、単スパンごとに傾いた昭和大橋の写真は被害の象徴として有名。その他交通、ライフラインも長期に亘って麻痺するなど、被害を受けた箇所は広範囲に及んだ。

その一方で上記のような激しい被害で、海外のメディアも「日本の北西部で大地震が起きる」と伝えるほどの地震ではあったが、死者が僅か26名だったことから「奇跡」と評されたこともある。

新潟地震の発生時期はちょうど、カラーテレビが普及しはじめた時期でもあり、豊富な記録映像が残った初めての地震としても知られる。これらの被害を収めた衝撃的な映像は、全国ニュースなどで日本各地に伝えられた。ただし、地震発生時は新潟県内の局はマイクロウェーブ回線がどの方面(3方向4回線)も切れてしまっており、NHKでは夕刻に自力で放送を再開した新潟放送局の映像を富山放送局がかろうじてとらえ、ようやく全国に映像が流れるという混乱ぶりであった。新潟放送では14時15分からテレビ放送再開、被災した局舎屋上からの実況放送中に局舎の真横を流れる信濃川を遡上する津波を放送し2インチVTRにも録画された。また、空撮の為に新潟空港に居た同局のカメラマンは滑走路上で発生した液状化現象を8mmフィルムカメラで撮影し、使用不能寸前の新潟空港から羽田空港へ向かい待機していた東京放送(現:TBSテレビ)のスタッフにフィルムが渡され全国放送された。映像は研究資料などとしても活用され、その後の地震対策などに大きな貢献を果たしている。

また、この年は新潟国体が4日前まで開催されていたが、夏季大会(水泳競技会中心)はこの地震の影響で復旧作業を優先することになったことから、開催取りやめとなった。よって国体の天皇杯、皇后杯争いは春季大会(通常の秋季大会の開催時期が東京オリンピックの開催と重複するため、6月に繰り上げて開催した)までの成績で決定した。

新潟地震の痕跡[]

連続するアーチが特徴の萬代橋は、信濃川の新潟市中心部に架かる道路橋梁で唯一、この地震を耐え抜いたが、地震の痕跡が周辺に残っている。橋梁部の両端部、信濃川の堤防沿いに並行している市道(信濃川右岸通り、信濃川左岸通り)がある。両市道は上流側から下流側に向かって、いずれも一直線に橋の下をくぐるが、橋の箇所だけ1m程度、西側にズレて緩やかなカーブとなっており、上流側と下流側とは1m弱の高低差がある。

関連項目[]

脚注[]

  1. 昭和39年6月16日新潟地震調査概報 (新潟地震による津波)東京大学地震研究所 地震研究所研究速報. 第8号, 1964-09, pp. 58-62
  2. 新潟地震による粟島の地変 東京大学地震研究所 研究速報. 第8号, 1964-09, pp. 73-90

外部リンク[]

  • 新潟地震水道施設被害報告書写真集 水道施設を中心とした被害状況を写した写真を掲載。
  • 新潟地震の記録
  • 新潟地震写真集
  • 新潟地震による津波

テンプレート:日本近代地震

執筆の途中ですこの「新潟地震」は、災害防災に関連した書きかけ項目です。この項目を加筆、訂正して下さる協力者を求めています(参考:P:災害/PJ災害)。


特に記載のない限り、コミュニティのコンテンツはCC BY-SAライセンスの下で利用可能です。

シェアボタン: このページをSNSに投稿するのに便利です。


最近更新されたページ

左メニュー

左メニューサンプル左メニューはヘッダーメニューの【編集】>【左メニューを編集する】をクリックすると編集できます。ご自由に編集してください。掲示板雑談・質問・相談掲示板更新履歴最近のコメントカウン...

龍神温泉

♨龍神温泉ファイル:Ryujin Spa1.jpg.JPG日高川沿いに並ぶ旅館温泉情報所在地和歌山県田辺市龍神村交通アクセスバス - 龍神バス:バス停「龍神温泉」・「季楽里龍神」車 - 高野龍神スカイ...

鼓川温泉

♨鼓川温泉温泉情報所在地山梨県山梨市牧丘町交通アクセス車:中央自動車道 勝沼ICより、国道140号を経由して乙女高原方面へ鉄道:中央本線塩山駅より牧丘町塩平方面行きバス、鼓川温泉下車泉質単純温泉泉温3...

黒薙温泉

♨黒薙温泉ファイル:Kuronagi-onsen01.JPG混浴露天風呂(2007年)温泉情報所在地富山県黒部市宇奈月温泉交通アクセスアクセスの項を参照泉質単純温泉泉温97.2 セルシウス度|テンプレ...

黒羽温泉

♨黒羽温泉温泉情報所在地栃木県大田原市黒羽交通アクセス鉄道 : 宇都宮線西那須野駅よりタクシー・車で約35分車 : 東北自動車道西那須野塩原インターチェンジより40分、那須インターチェンジより約30分...

黒石温泉郷

黒石温泉郷(くろいしおんせんきょう)は、青森県黒石市(旧国陸奥国)の奥座敷に位置する温泉の総称(温泉郷)である。浅瀬石川沿いに長寿温泉、温湯温泉、落合温泉、板留温泉の4つが存在。前述の4温泉から山間部...

黒湯

曖昧さ回避この項目では、黒色の温泉について記述しています。秋田県仙北市にある温泉については「黒湯温泉」をご覧ください。黒湯(くろゆ)とは、主に湯船における湯の色が黒色、黒褐色をした源泉のことを指す。東...

黒沢温泉

♨黒沢温泉温泉情報所在地山形県山形市交通アクセス鉄道:奥羽本線(山形線) 蔵王駅より徒歩約10分泉質硫酸塩泉宿泊施設数7 表・話・編・歴 黒沢温泉(くろさわおんせん、Kurosawa Hot Spri...

黒松内温泉

♨黒松内温泉温泉情報所在地北海道寿都郡黒松内町交通アクセスJR北海道函館本線黒松内駅より車で約5分泉質塩化物泉泉温39.9 セルシウス度|テンプレート:℃湧出量400リットル(毎分)宿泊施設数1 表・...

黒川温泉_(兵庫県)

♨黒川温泉ファイル:黒川温泉1.JPG温泉情報所在地兵庫県朝来市生野町黒川交通アクセス車 : 播但連絡道路生野ランプより車で約30分鉄道 : 播但線生野駅から神姫グリーンバス生野駅裏より「黒川」行き終...

黒島_(鹿児島県)

日本 > 鹿児島県 > 鹿児島郡 > 三島村 > 黒島黒島 (鹿児島県)ファイル:Kuroshima of Kagoshima.jpg東方上空より撮影座標北緯30度50分5.6秒東経129度57分20...

黒岳_(大分県)

黒岳標高1,587m所在地大分県由布市位置北緯33度06分20秒東経131度17分34秒山系九重山系ウィキプロジェクト 山ウィキプロジェクト 山黒岳(くろだけ)は、大分県由布市庄内町及び竹田市久住町に...

黒姫山_(長野県)

曖昧さ回避この項目では、長野県信濃町の黒姫山について記述しています。新潟県糸魚川市の黒姫山については「黒姫山 (糸魚川市)」を、その他の黒姫山については「黒姫山」をご覧ください。黒姫山ファイル:Mt-...

黄金崎不老不死温泉

♨黄金崎不老不死温泉ファイル:Furofushi-spa.jpg混浴露天風呂温泉情報所在地青森県西津軽郡深浦町大字舮作字下清滝15交通アクセス鉄道:五能線艫作駅より徒歩約15分。リゾートしらかみ利用の...

黄砂

この記事は秀逸な記事に選ばれました。詳細はリンク先を参照してください。曖昧さ回避オユンナの楽曲およびアルバムについては「オユンナII黄砂」をご覧ください。ファイル:Asian Dust in Aizu...

鹿部温泉

♨鹿部温泉ファイル:Sikabe kanketusen 2005.jpgしかべ間歇泉公園内の間欠泉温泉情報所在地北海道茅部郡鹿部町交通アクセス鹿部駅よりバスで20分。函館市内より車で約1時間。泉質食塩...

鹿塩温泉

♨鹿塩温泉温泉情報所在地長野県下伊那郡大鹿村交通アクセス鉄道 : 飯田線伊那大島駅より伊那バス大鹿線で約50分で最寄バス停鹿塩へ。バス停より徒歩約15分泉質塩化物泉泉温14 セルシウス度|テンプレート...

鷹巣温泉

♨鷹巣温泉温泉情報所在地福井県福井市蓑町22字17番1交通アクセス鉄道 : 福井駅から路線バスで50分車:北陸自動車道福井北ICより45分泉質アルカリ性単純温泉アルカリ性低張性高温泉泉温49 セルシウ...

鷹の子温泉

♨鷹の子温泉温泉情報所在地愛媛県松山市交通アクセス伊予鉄道横河原線久米駅下車徒歩7分泉質単純硫黄温泉泉温38.4 セルシウス度|テンプレート:℃湧出量毎分800リットルpH9.3液性の分類アルカリ性 ...