中村和裕
中村 和裕 本名 中村 和裕 通称 カズ 吉田道場 大将 戦極の若大将 吉田道場の柔くん 吉田道場の一番星 性別 男性 国籍 日本 誕生日 1979年2月21日(44歳) 出身地 広島県福山市 身長...
アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ | |
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本名 | アントニオ・ホドリゴ・コヘイア・ノゲイラ (Antônio Rodrigo Correia Nogueira) |
通称 | ミノタウロ(Minotauro) 柔術マジシャン リオの沈まぬ太陽 千の技を持つ男 |
性別 | 男性 |
国籍 | ブラジル |
誕生日 | 1976年6月2日(46歳) |
出身地 | バイーア州ヴィトリア・ダ・コンキスタ |
身長 | 191cm |
体重 | 107kg |
リーチ | 196cm |
階級 | ヘビー級 |
スタイル | ブラジリアン柔術 ボクシング |
所属 | ブラジリアン・トップチーム →チーム・ノゲイラ / チーム・ミノタウロ ブラック・ハウス |
テーマ曲 | COME WITH ME(CRヴァスコ・ダ・ガマ) →NO WAY OUT(ZZ) →Gimme Shelter(ローリング・ストーンズ) |
アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ(Antônio Rodrigo Nogueira、1976年6月2日 - )は、ブラジルの総合格闘家、ブラジリアン柔術家。バイーア州ヴィトリア・ダ・コンキスタ出身。チーム・ノゲイラ所属。また、母国ブラジルにてチームブラックハウス、チーム・ミノタウロを主宰。ブラジリアン柔術黒帯。
ニックネームは牛頭人身の怪物「ミノタウロ(Minotauro)」。さらに、PRIDEでは総合格闘技における柔術の技術の高さや極めの強さから「柔術マジシャン」と称された。なお、打撃においてもピーター・アーツやペドロ・ヒーゾ、ボクシングのキューバオリンピック代表らと練習を積んだ経験がある。
アントニオ・ホジェリオ・ノゲイラは一卵性双生児の弟。
1976年、ヴィトリア・ダ・コンキスタの農家で生まれる。4歳から柔道を始め、10代半ば頃にはブラジルのボクシングオリンピックコーチのルイス・カルロス・ドリアからボクシングを学んでいた。11歳の頃[2]、トラックの下敷きになるという事故で両肺が潰れ、肋骨1本と肝臓の一部を失う大怪我を負い、丸4日間生死の境を彷徨う。当時の医者には2度と歩けなくなるとまで宣告されたが、懸命のリハビリによって回復した。背中の右肩甲骨下に大きく凹んだ傷跡がその事故の名残りである。
1993年、アメリカで開催されたUFCでのホイス・グレイシーの活躍に憧れ、17歳の時ヒカルド・デラヒーバの弟子ギリェルメ・アサッドのもとでブラジリアン柔術を始める。その後はデラヒーバに直接師事して実力を伸ばした。
1999年1月、パンナムに出場し、茶帯ペサディシモ(+97kg)級で優勝、またアブソルート(無差別)級では決勝でジヴァニウド・サンターナを下し2冠を達成し、22歳でデラヒーバからブラジリアン柔術黒帯を授与された。その後アメリカに移住し、パンナムの活躍によりWEF(ワールド・エクストリーム・ファイティング)のプロモーターにスカウトされる[2]。6月12日にデビッド・ドッド戦でプロ総合格闘技デビュー。また7月にはムンジアルに出場し、黒帯無差別級でベスト4に進出するも、準決勝でホベルト・"ホレッタ"・マガリャエスに敗れている。また、この年に柔道の黒帯も取得している[3]。
1999年10月28日、リングス参戦のために初来日。『KING OF KINGS 1999トーナメント』ではヴァレンタイン・オーフレイム、コーチキン・ユーリ、アンドレイ・コピィロフを破るも、準決勝のダン・ヘンダーソンとの対戦では、延長ラウンドで数度のテイクダウンを奪い、かつマウントポジションを何度も取る等、終始優勢に試合を運んだにもかかわらず、審議委員判定によって敗れる[2]。試合後、ノゲイラの部屋にヘンダーソンからビールが1ダース届けられた[2]。
2000年1月15日、ジョージア州のロームフォーラム・シビックセンターで行なわれた「WEF 8」のWEFスーパーヘビー級王者決定戦(8分3R)で、ジェレミー・ホーンを判定で破り、WEFスーパーヘビー級王者となった。試合自体は、両者の猪木アリ状態が見られるなど膠着状態が続き、格闘技雑誌では「見所なき凡戦」と書かれてしまっている[4]。同年3月には第3回アブダビコンバット99kg以上級に出場。1回戦でショーン・アルバレスにポイント勝ちするものの、2回戦でリコ・ロドリゲスに膝十字固めで敗退した。『RINGS KING OF KINGS 2000トーナメント』ではラバザノフ・アフメッド、田村潔司、ヴォルク・ハン、金原弘光、ヴァレンタイン・オーフレイムを立て続けに破り優勝を果たした。同年、カーウソン・グレイシー柔術アカデミーの分裂に際してマリオ・スペーヒー、ムリーロ・ブスタマンチらと共にブラジリアン・トップチームとして独立する[5]。
2001年より総合格闘技イベントPRIDEに参戦。緒戦の相手ゲーリー・グッドリッジを三角絞めで破ると、2戦目には前年のPRIDEグランプリの覇者、マーク・コールマンと対戦。三角絞めでコールマンが立ち上がったのに合わせ腕ひしぎ三角固めに移行し、タップアウト勝利を収めた。「PRIDE.17」では新設されたヘビー級王座を賭けヒース・ヒーリングと対戦し、立ち技・寝技の両方で主導権を握り判定で勝利し、初代PRIDEヘビー級王者となった。
2002年2月24日、「PRIDE.19」でエンセン井上の引退試合の相手を務める。試合はガードからアームロックを極めたが、エンセンがタップしないため三角絞めに切り替え、最後は絞め落とした[6]。8月8日にはUFO LEGENDに出場し菊田早苗と対決、寝技の攻防で一本は奪えなかったものの、スタンドの打撃で攻勢に立ち、最後は右ストレートで失神させた。8月28日、「Dynamite!」でボブ・サップと対戦。実に50kg以上にも及ぶ体重差とサップのパワーに苦しめられるが、腕ひしぎ十字固めにより逆転一本勝ちを収めた。11月24日、「PRIDE.23」のセーム・シュルト戦ではタックルを切られるなどてこずる場面もあったが、最後はマウントからの三角絞めで勝利した。1か月後のPRIDE.24にも出場、リングス時代に敗北を喫したダン・ヘンダーソンと再戦し、オモプラッタで主導権を握り、腕ひしぎ十字固めで一本勝ちを収めた。
2003年3月16日、「PRIDE.25」でエメリヤーエンコ・ヒョードルとの初防衛戦に挑んだが、ノゲイラの寝技を研究し尽くしたヒョードルの戦略と強烈なパウンドの前になす術がなく、判定で敗れ王座陥落。8月10日、PRIDE GRANDPRIX 2003 開幕戦のワンマッチで元UFC世界ヘビー級王者リコ・ロドリゲスと対戦。判定により勝利を収めたが、PRIDEとUFCの判定基準の相違により物議を醸す結果となった。後に英語版公式サイトにて判定に関する説明が行なわれた[7]。11月9日、ヒョードルの怪我によるミルコ・クロコップとのヘビー級暫定王座をかけた一戦では、テイクダウンを奪えずスタンドで劣勢に立ち、1R終了間際には左ハイキックでダウン、かろうじてゴングに救われた。2Rは開始早々テイクダウンからマウントを奪い、ミルコのブリッジに合わせて腕ひしぎ十字固めを極め、逆転勝利を飾った。
2004年に開催されたPRIDEヘビー級GP(グランプリ)では、1回戦で横井宏考、2回戦でヒース・ヒーリングにいずれも新技スピニングチョークで一本勝ちを収め、ベスト4に進出する。なお、この技を最初に考案したのはホアン・"ジュカオン"・カルネイロであり、ジュカオンがホジェリオに教えた後にホジェリオからホドリゴへ伝わったとされる[8]。8月15日、グランプリ準決勝でセルゲイ・ハリトーノフを判定で下し、決勝では因縁のヒョードルと再戦するも、偶然のバッティングによりヒョードルが出血したため、無効試合に終わる。
2004年大晦日の「PRIDE 男祭り 2004」のメインイベントでPRIDEヘビー級王座と同ヘビー級GP王座の両タイトルを賭けて再々戦するが、またも判定で敗れリベンジに失敗している。なお、この日は会場入りが大幅に遅れてしまい、オープニングセレモニーに間に合わなかった。そのため、双子の弟のホジェリオに代打でセレモニーに参加してもらっていた[9]。
2005年は6月26日の「PRIDE GRANDPRIX 2005 2nd ROUND」でパウエル・ナツラにマウントパンチでTKO(テクニカルノックアウト)勝利を収めた。この年は1試合の出場にとどまった。
2006年はPRIDE無差別級GPに出場、順当に勝ち上がる。9月10日、準決勝のジョシュ・バーネット戦ではPRIDE史上に残る寝技対決の末、僅差の判定1-2で敗れるも、12月31日の「PRIDE 男祭り 2006」で行なわれた再戦では3-0の判定勝ちを収め、リベンジを果たした。
2007年4月5日の「UFC Fight Night 9」をUFCのダナ・ホワイト社長とともに観戦し、続く4月8日の「UFC 69」でオクタゴンに登場。ダナ・ホワイト社長からUFCに参戦することが正式に発表された[10]。また、これに前後して長年在籍したブラジリアン・トップチームを脱退。アメリカン・トップチームやブラック・ハウスでトレーニングを積みながら、アメリカに自身の新しいチーム「チーム・ノゲイラ」を発足[11]。7月7日、UFCデビューとなった「UFC 73」のヒース・ヒーリングとの3度目の対戦では、1R終盤にヒーリングのハイキックでダウンを奪われるも、それ以外では終始試合を支配して3-0の判定勝ちを収めた。
2008年2月2日、「UFC 81」のUFC世界ヘビー級暫定王者決定戦でティム・シルビアと対戦。1Rにはダウンを奪われるなど劣勢であったが、3Rにスイープからのギロチンチョークで一本勝ちを収め、UFC世界ヘビー級暫定王者となった。また、ファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した[12]。
2008年12月27日、初の暫定王座防衛戦となる「UFC 92」でフランク・ミアと対戦。左フックで倒されたところにパウンドを連打されTKO負け。UFC世界ヘビー級暫定王座から陥落した[13]。試合前にブドウ状球菌感染症に罹っていた。また、この試合を終えてすぐに膝の手術を行なった。
2009年8月29日、復帰戦となる「UFC 102」では、2度のダウンを奪ってランディ・クートゥアに3-0の判定勝ちを収め、レスナーへの王座挑戦、ミアとの再戦をアピールした。また、ファイト・オブ・ザ・ナイトを受賞した[14]。
2010年1月2日、「UFC 108」でケイン・ヴェラスケスと対戦予定であったが、ブドウ状球菌感染症を再発し欠場。2月20日、UFC初進出となるオーストラリア・シドニーで開催された「UFC 110」のメインイベントでヴェラスケスと改めて対戦。1R2分20秒、右ストレートからのパウンドでKO負けを喫した[15]。
2011年8月27日、母国・ブラジルでの開催となった「UFC 134」でブレンダン・ショーブと対戦し、左ストレートによるKO勝ちを収めノックアウト・オブ・ザ・ナイトを受賞した[16]。
2011年12月10日、「UFC 140」のセミファイナルでフランク・ミアと3年ぶりに対戦し、キムラロックで右腕を骨折させられ自身初のタップアウト負けを喫した[17][18]。12月17日に手術を行なった。
総合格闘技 戦績 | ||||||
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42 試合 | (T)KO | 一本 | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 |
33 勝 | 3 | 20 | 10 | 0 | 1 | 1 |
7 敗 | 2 | 1 | 4 | 0 |
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
× | フランク・ミア | 1R 3:38 キムラロック | UFC 140: Jones vs. Machida | 2011年12月10日 |
○ | ブレンダン・ショーブ | 1R 3:09 KO(左ストレート) | UFC 134: Silva vs. Okami | 2011年8月27日 |
× | ケイン・ヴェラスケス | 1分 2:20 KO(右ストレート→パウンド) | UFC 110: Nogueira vs. Velasquez | 2010年2月20日 |
○ | ランディ・クートゥア | 5分3R終了 判定3-0 | UFC 102: Couture vs. Nogueira | 2009年8月29日 |
× | フランク・ミア | 2R 1:54 TKO(左フック→パウンド) | UFC 92: The Ultimate 2008 【UFC世界ヘビー級暫定タイトルマッチ】 | 2008年12月27日 |
○ | ティム・シルビア | 3R 1:28 ギロチンチョーク | UFC 81: Breaking Point 【UFC世界ヘビー級暫定王者決定戦】 | 2008年2月2日 |
○ | ヒース・ヒーリング | 5分3R終了 判定3-0 | UFC 73: Stacked | 2007年7月7日 |
○ | ジョシュ・バーネット | 3R(10分/5分/5分)終了 判定3-0 | PRIDE 男祭り 2006 -FUMETSU- | 2006年12月31日 |
× | ジョシュ・バーネット | 2R(10分/5分)終了 判定1-2 | PRIDE 無差別級グランプリ 2006 決勝戦 【無差別級GP 準決勝】 | 2006年9月10日 |
○ | ファブリシオ・ヴェウドゥム | 3R(10分/5分/5分)終了 判定3-0 | PRIDE 無差別級グランプリ 2006 2nd ROUND 【無差別級GP 準々決勝】 | 2006年7月1日 |
○ | ズール | 1R 2:17 腕ひしぎ十字固め | PRIDE 無差別級グランプリ 2006 開幕戦 【無差別級GP 1回戦】 | 2006年5月5日 |
○ | 田村潔司 | 1R 2:24 腕ひしぎ十字固め | PRIDE.31 Dreamers | 2006年2月26日 |
○ | パウエル・ナツラ | 1R 8:38 TKO(マウントパンチ) | PRIDE GRANDPRIX 2005 2nd ROUND | 2005年6月26日 |
× | エメリヤーエンコ・ヒョードル | 3R(10分/5分/5分)終了 判定0-3 | PRIDE 男祭り 2004 -SADAME- 【ヘビー級GP決勝・PRIDEヘビー級統一王座決定戦】 | 2004年12月31日 |
- | エメリヤーエンコ・ヒョードル | 1R 3:52 無効試合 | PRIDE GRANDPRIX 2004 決勝戦 【ヘビー級GP 決勝】 | 2004年8月15日 |
○ | セルゲイ・ハリトーノフ | 2R(10分/5分)終了 判定3-0 | PRIDE GRANDPRIX 2004 決勝戦 【ヘビー級GP 準決勝】 | 2004年8月15日 |
○ | ヒース・ヒーリング | 2R 0:30 スピニングチョーク | PRIDE GRANDPRIX 2004 2nd ROUND 【ヘビー級GP 準々決勝】 | 2004年6月20日 |
○ | 横井宏考 | 2R 1:25 スピニングチョーク | PRIDE GRANDPRIX 2004 開幕戦 【ヘビー級GP 1回戦】 | 2004年4月25日 |
○ | ミルコ・クロコップ | 2R 1:45 腕ひしぎ十字固め | PRIDE GRANDPRIX 2003 決勝戦 【ヘビー級暫定王者決定戦】 | 2003年11月9日 |
○ | リコ・ロドリゲス | 3R(10分/5分/5分)終了 判定3-0 | PRIDE GRANDPRIX 2003 開幕戦 | 2003年8月10日 |
× | エメリヤーエンコ・ヒョードル | 3R(10分/5分/5分)終了 判定0-3 | PRIDE.25 【PRIDEヘビー級タイトルマッチ】 | 2003年3月16日 |
○ | ダン・ヘンダーソン | 3R 1:49 腕ひしぎ十字固め | PRIDE.24 | 2002年12月23日 |
○ | セーム・シュルト | 1R 6:36 三角絞め | PRIDE.23 | 2002年11月24日 |
○ | ボブ・サップ | 2R 4:03 腕ひしぎ十字固め | Dynamite! SUMMER NIGHT FEVER in 国立 | 2002年8月28日 |
○ | 菊田早苗 | 2R 0:29 KO(右ストレート) | UFO LEGEND | 2002年8月8日 |
○ | エンセン井上 | 1R 6:17 三角絞め | PRIDE.19 | 2002年2月24日 |
○ | ヒース・ヒーリング | 3R(10分/5分/5分)終了 判定3-0 | PRIDE.17 【PRIDEヘビー級タイトルマッチ】 | 2001年11月3日 |
○ | マーク・コールマン | 1R 6:10 腕ひしぎ三角固め | PRIDE.16 | 2001年9月24日 |
○ | ゲーリー・グッドリッジ | 1R 2:37 三角絞め | PRIDE.15 | 2001年7月29日 |
○ | ヴァレンタイン・オーフレイム | 1R 1:20 肩固め | RINGS KING OF KINGS 2000 GRAND FINAL 【決勝】 | 2001年2月24日 |
○ | 金原弘光 | 2R 0:21 チョークスリーパー | RINGS KING OF KINGS 2000 GRAND FINAL 【準決勝】 | 2001年2月24日 |
○ | ヴォルク・ハン | 5分2R終了 判定3-0 | RINGS KING OF KINGS 2000 GRAND FINAL 【準々決勝】 | 2001年2月24日 |
○ | 田村潔司 | 2R 2:29 腕ひしぎ十字固め | RINGS KING OF KINGS 2000 Aブロック 【2回戦】 | 2000年10月9日 |
○ | ラバザノフ・アフメッド | 1R 1:38 腕ひしぎ十字固め | RINGS KING OF KINGS 2000 Aブロック 【1回戦】 | 2000年10月9日 |
△ | 高阪剛 | 5分2R終了 判定1-0 | RINGS MILLENNIUM COMBINE III | 2000年8月23日 |
× | ダン・ヘンダーソン | 5分2R+延長R終了 判定1-2 | RINGS KING OF KINGS 1999 GRAND FINAL 【準決勝】 | 2000年2月26日 |
○ | アンドレイ・コピィロフ | 5分2R終了 判定1-0 | RINGS KING OF KINGS 1999 GRAND FINAL 【準々決勝】 | 2000年2月26日 |
○ | ジェレミー・ホーン | 8分3R終了 判定3-0 | World Extreme Fighting 8 - Goin' Platinum 【WEFスーパーヘビー級王座決定戦】 | 2000年1月15日 |
○ | コーチキン・ユーリ | 1R 0:40 腕ひしぎ十字固め | RINGS KING OF KINGS 1999 Aブロック 【2回戦】 | 1999年10月28日 |
○ | ヴァレンタイン・オーフレイム | 1R 1:51 V1アームロック | RINGS KING OF KINGS 1999 Aブロック 【1回戦】 | 1999年10月28日 |
○ | ネイト・シュローダー | 1R 1:52 腕ひしぎ十字固め | World Extreme Fighting 7 - Stomp in the Swamp | 1999年10月9日 |
○ | デビッド・ドッド | 1R 腕ひしぎ十字固め | World Extreme Fighting 6 | 1999年6月12日 |
初代 | 初代PRIDEヘビー級王者 2001年11月3日 - 2003年3月16日 | 次王者 エメリヤーエンコ・ヒョードル |
前王者 | PRIDEヘビー級暫定王者 2003年11月9日 - 2004年12月31日 | 次王者 エメリヤーエンコ・ヒョードル |
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