エメリヤーエンコ・ヒョードル

ページ名:エメリヤーエンコ・ヒョードル
エメリヤーエンコ・ヒョードル
本名フョードル・ウラジーミロヴィチ・エメリヤーニェンコ
(Fedor Vladimirovich Emelianenko)
通称ロシアン・ラストエンペラー
The Last Emperor
60億分の1の男
人類最強の男
性別男性
国籍ロシア(ウクライナ)
誕生日1976年9月28日(46歳)
出身地ウクライナ
ルハンシク州ルビージュネ
身長183cm
体重104kg
リーチ188cm
階級ヘビー級
スタイル柔道、サンボ
所属リングス・ロシア
→ロシアン・トップチーム
→レッドデビル・スポーツクラブ
テーマ曲「ロシア連邦国歌」
→「Enae Volare Mezzo」(Era)
→「Oy , To Ne Vecher (露:Ой то не вечер)」[† 1]

エメリヤーエンコ・ヒョードル[† 2](Fedor Emelianenko、1976年9月28日 - )は、ロシア[† 3]の総合格闘家。レッドデビル・スポーツクラブ所属。

目次

概要[]

柔道の国際大会で活躍したのち総合格闘技に転向、2000年にリングスの大会で日本に渡り、ヘビー級と無差別級の王座を獲得。2002年のリングス休止以降はPRIDEに出場し、2003年にアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラを下しヘビー級王座を獲得した。2004年にはヘビー級グランプリに優勝、2005年にはミルコ・クロコップを下し王座を防衛した。2007年のPRIDE消滅後も日本国外の大会を渡り歩き、2008年にはAfflictionで元UFCヘビー級王者ティム・シルビアを破りWAMMA世界ヘビー級王者となっている。その後も、2009年にはアンドレイ・アルロフスキーに勝ち、WAMMA王座の防衛に成功。その後はStrikeforceに出場。またプロ格闘家として活動する傍らコンバットサンボの大会にも出場し、世界選手権で4度の優勝を果たしている。2009年、政府認定のファン投票によりテニスのスベトラーナ・クズネツォワと共にロシアのベスト・アスリートに選ばれた。

2009年までは日本だけでなくアメリカなどのメディアからも「総合格闘技界全体で最強」と評価されており、多くのランキングにおいてヘビー級(93kg-120kg)世界1位にランクインしていた[1]。また長年活躍したロシアのトップアスリートだけに送られるスポーツマスターの称号も持つ。

獲得タイトル[]

プロ総合格闘技[]

  • 初代リングス世界ヘビー級王座(2001年)[2]
  • 初代リングス無差別級王座(2002年)[3]
  • 第2代PRIDEヘビー級王座(2003年)[4]
  • PRIDE GP 2004ヘビー級トーナメント優勝(2004年)[5]
  • 初代WAMMA世界ヘビー級王座(2008年)[6]

柔道[]

  • 全ロシア柔道選手権 優勝(1996年)[7][8]
  • ロシア国際トーナメント 優勝(1997年)[9]
  • 全ロシア柔道選手権 優勝(1998年)[9]
  • ロシア国際柔道選手権 100kg級 3位(1999年1月24日、ロシア・モスクワ)[† 4][10]
  • ブルガリア国際柔道選手権 100kg級 3位(1999年2月7日、ブルガリア・ソフィア)

スポーツサンボ[]

  • Aクラス国際トーナメント 優勝(1998年、ロシア・モスクワ)[9]
  • ロシア軍スポーツサンボ選手権 重量級 優勝・無差別級 準優勝(1998年)[9]
  • モスクワ国際トーナメント 優勝(1999年、ロシア・モスクワ)[9]
  • Aクラス国際トーナメント 3位(1999年、ロシア・モスクワ・ソフィア)[9]
  • 全ロシアスポーツサンボ選手権 3位(2000年)[9]

コンバットサンボ[]

  • コンバットサンボ世界選手権 無差別級 優勝(2002年、ギリシャ・テッサロニキ)[9]
  • コンバットサンボ世界選手権 無差別級 優勝(2002年、パナマ)[9]
  • コンバットサンボ世界選手権 無差別級 優勝(2005年10月20日-24日、チェコ・プラハ)[11]
  • コンバットサンボ世界選手権 100kg超級 優勝(2007年11月7日-10日、チェコ・プラハ)[12]
  • コンバットサンボ世界選手権 100kg超級 3位(2008年11月13日-17日、ロシア・サンクトペテルブルク)[13]
  • 全ロシアコンバットサンボ選手権 優勝(2002年、ロシア・モスクワ)[9]
  • 全ロシアコンバットサンボ選手権 100kg超級 優勝(2005年、ロシア・クストヴォ)[9][14]
  • 全ロシアコンバットサンボ選手権 100kg超級 優勝(2008年2月8日)[15]
  • 全ロシアコンバットサンボ選手権 100kg超級 優勝(2009年2月21日、ロシア・クストヴォ)[16]
  • ロシア大統領杯 100kg超級 優勝(2008年2月14日-16日、ロシア・モスクワ)[17]

来歴[]

プロデビュー以前[]

1976年、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国ルハンシク州ルビージュネにてウクライナ人の両親の元に生まれた。姉1人、弟2人の4人兄弟であった。2歳の時に家族とともにロシア・ソビエト連邦社会主義共和国ベルゴロド州スタールイ・オスコルに移住し[9]、11歳になってサンボ・柔道を始めた。1991年に高校を卒業、1994年には専門学校を卒業する[9]。1995年から1997年[9]まではロシア陸軍の消防隊と戦車軍に入隊し、曹長で兵役を終える[18]。その後は柔道・サンボ両方の大会で活躍した(詳細は#獲得タイトルを参照)。当時は後に世界柔道選手権を制するアレクサンドル・ミハイリンとはライバル関係にあるなどヨーロッパではトップクラスの実力を有していたものの、国からの補助金が出なくなったため柔道を続けるには経済的な問題が生じていた。ヒョードルは「国の支援が続いていれば柔道を辞めずにオリンピックを目指していたかもしれない」と語っている[10]

RINGS[]

2000年初頭にニコライ・ピチコフの誘いでヴォルク・ハン率いるリングス・ロシア(現ロシアン・トップチーム)を見学し総合格闘技に興味を持ち、ヒョードルはこのジムで練習を始めた(このときよりボクシングの練習を開始している)[19]。また来日のための新人オーディションに参加し、前田日明からバラチンスキー・スレン[† 5]に次ぐ評価を受け日本大会への出場が決まった[20]。同年5月にはリングスで総合格闘技デビュー。9月5日には初来日を果たし高田浩也と対戦し、開始12秒、左右のフックによるKO勝利を収めている[21]。同年12月22日、「KING OF KINGS 2000トーナメント」のBブロック1回戦でヒカルド・アローナに延長の末、3-0の判定勝ち[22]。同日に行なわれた2回戦では高阪剛と対戦するも、出会い頭に目尻をカットし、ドクターストップによるTKO負けとなった。なお、このカットはフックをかわした後の反則である肘が当たったためである。高阪自身はのちにこの試合を振り返り、アクシデントだったと発言している。

2001年は4月6日にロシアでのミハイル・アポストロフ戦に勝利した後、ヘビー級王座決定トーナメントに出場する。4月20日の1回戦ではケリー・ショールに勝利し[23]8月11日の決勝大会に進出すると、準決勝ではトーナメント本命と目されていた[24]レナート・ババルに判定勝利し、決勝では対戦相手のボビー・ホフマンが左肩脱臼のため棄権し不戦勝[2]となり、初代リングス世界ヘビー級王者に就いた。その後10月20日には無差別級王座決定トーナメントにも出場、1回戦では柳澤龍志[25]、準決勝ではリー・ハスデルに勝利し[26]、決勝戦に進出した。リングス最後の興行となった2002年2月15日の決勝戦ではクリストファー・ヘイズマンと対戦し、2度のダウンとロープエスケープでポイントアウトに追い込み、リングス2冠を達成している[3]

PRIDE[]

リングスが活動停止となると、2002年6月23日の「PRIDE.21」においてPRIDE初参戦。当時パンクラス無差別級王者だったセーム・シュルトに30cmのリーチ差をものともせず、グラウンドのポジショニングで優位に立って判定勝ち[27]。同年11月24日の「PRIDE.23」では、ヒース・ヒーリングをパウンドの連打によるTKOで勝利し、ヘビー級タイトルマッチ挑戦権を獲得した[28]

2003年3月16日、「PRIDE.25」にて、初代PRIDEヘビー級王者アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラの持つタイトルに挑戦する。開始早々フックでノゲイラを吹き飛ばし、グラウンドではパウンドをまとめてダメージを与える。2R以降もテイクダウンからのパウンドで手堅くポイントを稼ぎ、3-0の判定によりノゲイラを下し、第2代PRIDEヘビー級王者となった[4]。4月5日にはリトアニアでBUSHIDO-RINGSに参戦、エギリウス・ヴァラビーチェスに一本勝ちを収めた。同年6月8日の「PRIDE.26」ではノンタイトル戦で藤田和之と対戦し、直撃した藤田の右フックによってよろめくシーンを見せたが、やがて反撃、右フック・左ミドルキックを打ち込んでダウンを奪いチョークスリーパーで一本勝ち[29]。同年8月10日の「PRIDE GRANDPRIX 2003 開幕戦」ではゲーリー・グッドリッジと対戦し1R1分9秒でTKO勝ち[30]。同年11月9日の「PRIDE GRANDPRIX 2003 決勝戦」はミルコ・クロコップとのタイトルマッチが行なわれる予定であったが、練習中に右手を骨折したため欠場し、ミルコ対ノゲイラの暫定王者決定戦が代わりに組まれた[31]。この年の大晦日には3つのイベントによるヒョードル争奪戦が繰り広げられ、紆余曲折を経て最終的に「INOKI BOM-BA-YE 2003」に出場[32]、永田裕志に勝利した。なおこれに関連して、年末には弟アレキサンダーと共にロシアン・トップチームからレッドデビルに移籍している[32]。後にヒョードルは、チーム代表であったウラジミール・パコージンとの確執があったことを述べている[33]

2004年4月25日、「PRIDE GRANDPRIX 2004 開幕戦」で2000年のGP優勝者マーク・コールマンと対戦。試合ではコールマンにテイクダウンからマウント、バックとポジションを奪われるも脱出し、その後再度タックルで下になったが腕ひしぎ十字固めで切り返し一本勝ちで初戦突破を果たす[34]。同年6月20日の「PRIDE GRANDPRIX 2004 2nd ROUND」では1回戦でミルコ・クロコップに番狂わせの勝利を演じたケビン・ランデルマンと対戦となり、開始後スープレックスで頭からマットに叩きつけられるも、すぐにポジションを奪い返してアームロックを極め一本勝ち[35]、同年8月15日の「PRIDE GRANDPRIX 2004 決勝戦」出場を決めた。準決勝では事前に組み合わせを決めるファン投票が行なわれ、最高得票を集めた小川直也との一戦が決定した[36]。小川を柔道家として尊敬する反面、ハッスルポーズは下品だと不快感を表し、試合前の握手は小川に拒否される。試合は1ラウンド開始からパンチで攻勢に立ち、開始54秒、腕ひしぎ十字固めで一本勝ちを収め[37]、決勝はセルゲイ・ハリトーノフに勝利したアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラとの再戦の運びとなる。「人類60億分の1の最強を決める」と謳われたGP決勝は1ラウンド3分過ぎにグラウンドでヒョードルの額とノゲイラの頭頂部がバッティングし、ヒョードルの右眉上が切れて試合が中断。協議の結果無効試合となり、優勝者は決まらなかった[37]。同年の大晦日、「PRIDE 男祭り 2004」にて行なわれた再戦で3-0の判定勝ちを収め、PRIDEヘビー級王座を防衛するとともにヘビー級GP王者となった[5]

2005年4月3日、「PRIDE 武士道 -其の六-」でリングスで唯一の敗北を喫した高阪剛と4年半ぶりの再戦を果たした。試合前に高阪は「(ヒョードルには)穴が一杯ある」と語っていたものの[38]、試合ではテイクダウンからのパウンドでヒョードルが優勢に立ち、1ラウンド終了時にドクターストップによるTKOでリベンジを果たした[39]。6月にはロシアのクストヴォで開催された全ロシアコンバットサンボ選手権に出場し、100kg超級で優勝[40]。同年8月28日には「PRIDE GRANDPRIX 2005 決勝戦」にて2年越しにミルコ・クロコップとのタイトルマッチが実現。試合はヒョードルは打撃で圧力をかけ続け、ミルコはバックステップでリングを回りながらの打撃で応戦するという形となった。1ラウンド前半にミルコの打撃に押される場面もあったが、それ以外は打撃で攻め立て、投げや足払いからのテイクダウン・ポジショニングでも制し判定勝ちを収め、2度目の王座防衛に成功した[41]。大晦日に出場した「PRIDE 男祭り 2005」ではズールと対戦。パンチでダウンを奪い、パウンドの連打により1ラウンド開始26秒、でタップアウト勝ちを収めた[42]

2006年1月26日、強力な打撃ゆえの慢性的な拳の怪我や骨折[43][31]に苦しんでいたヒョードルは、サンクトペテルブルクの病院で右拳の手術を受けた[44]。続いて6月24日、同じサンクトペテルブルクの病院で、固定していた金属プレートの除去手術を受けた[45]。この手術のため、「PRIDE無差別級GP」の1回戦と、回復次第ではシード扱いで出場する予定だった2回戦を共に欠場し、代役でヴァンダレイ・シウバが参戦した[46]。2度に渡る拳の手術を経て、10月21日、マーク・コールマンを相手に復帰第1戦を行なった。1Rは打撃で攻め立て、2Rに腕ひしぎ十字固めで一本勝ち[47]。続いて12月31日、「PRIDE 男祭り 2006」でのヘビー級タイトルマッチでマーク・ハントと対戦し、腕ひしぎ十字固めを返されたり、アームロックで追い詰められたものの、チキンウィングアームロックで一本勝ちし、3度目の王座防衛に成功した[48]

BodogFightからAfflictionへ[]

2007年3月、総合格闘技イベントBodogFightと契約し、同年4月14日には、地元ロシアのサンクトペテルブルク大会に凱旋出場。マット・リンドランドに腕ひしぎ十字固めで一本勝ち[49]。同年4月にPRIDEが休止した後はUFC、BodogFight、HERO'Sなど世界中の格闘技団体がヒョードルの獲得を競っている状況であったが、2007年10月、米国の総合格闘技イベントM-1 Globalと2年6試合の契約を結んだ[50][† 6]。ファイトマネーは1試合につき基本給が200万ドルとなっており[51]、これは契約金・ボーナスなどのその他報酬を含めない額であった。11月10日、チェコ共和国プラハで行なわれた第31回コンバットサンボ世界選手権100kg超級に出場し、初戦は対戦相手が棄権し不戦勝、準決勝も順当に勝ちあがる。決勝戦の相手は準決勝でクリストフ・ミドゥを破ったウラジミール・ベゲーザだったが、彼も棄権し不戦勝となり、4度目の世界王者となった[12]。翌11月11日、ロシアの国家勲章であるピョートル大帝勲章を受章した[52]。12月31日、「やれんのか! 大晦日! 2007」で1年ぶりの来日を果たしチェ・ホンマンと対戦し、1Rに腕ひしぎ十字固めで一本勝ちを収めた[53]

2008年2月8日、全ロシアコンバットサンボ選手権100kg超級に出場。1回戦は寝技で極め35秒で勝利、準決勝は相手の鼻を骨折させ10秒で勝利、決勝は身長206cmのスタニスラフ・シュシュコと対戦し、パンチを浴びせて投げ倒し寝技で極め1分10秒で勝利し、優勝した[15]。同年2月15日にはコンバットサンボ大統領杯に出場し、100kg級で優勝している[54]。同年7月19日、アメリカ合衆国の新興MMA団体であるAfflictionの第1回大会「Affliction: Banned」において、元UFC世界ヘビー級王者ティム・シルビアと対戦。スタンドのパンチでダウンを奪うと、グラウンドでバックからチョークスリーパーを極め、開始36秒で一本勝ちし、新たに設立された総合格闘技の王座認定団体であるWorld Alliance of Mixed Martial Artsの初代世界ヘビー級王者となった[6]。また他の格闘技大会に対して常に挑発的な態度をとっていたUFC最高責任者のダナ・ホワイトもこの結果に「ヒョードルに対する考え方が変わった」と驚愕していた[55]。同年11月、主演映画『第5の死刑』の撮影をタイで行ない(撮影は12月にクランクアップ)、コンバットサンボのロシア代表合宿に参加できないまま11月16日の世界選手権に臨んだ。100kg超級に出場したヒョードルは過去2戦勝利していたブラゴイ・アレクサンドル・イワノフとの準決勝で投げ技でポイントを奪われ、その後打撃で攻め立てたものの5-8の判定で敗れ3位となった。

AfflictionからStrikeforceへ[]

2009年1月24日、「Affliction: Day of Reckoning」では1R3分過ぎ、跳び膝蹴りに来たアルロフスキーにカウンターで右フックを命中させ失神KO勝ちを収め、WAMMAヘビー級王座の初防衛を果たした。[56]。2月21日には全ロシアコンバットサンボ選手権に出場、100kg超級で連覇を達成した[16]

同年4月29日、「DEEP M-1 CHALLENGE 3rd EDITION in JAPAN」で来日し、青木真也とサンボ衣着用・打撃ありのスーパーエキシビションファイトを行なった[57]

同年8月1日、「Affliction: Trilogy」でジョシュ・バーネットと対戦予定であったが、ジョシュが試合前のドーピング検査で陽性反応が出たとして出場中止となり[58]、その影響で同大会は開催中止[59]、さらにAfflictionのMMA興行からの撤退が発表された[60]。その後、UFCとの交渉も伝えられたが、8月3日にStrikeforceと出場契約を交わしたことが発表された。

同年8月28日、「M-1: Breakthrough」でゲガール・ムサシと道着ありのエキシビションマッチを行ない、腕ひしぎ十字固めでタップを奪った[61]

同年11月7日、Strikeforce初参戦となった「Strikeforce: Fedor vs. Rogers」で、ブレット・ロジャースと対戦。ヒョードルにとってケージでの試合は初めてであったが、右フックにより2ラウンドTKO勝ちを収め、WAMMA世界ヘビー級王座の2度目の防衛に成功した。

2010年6月26日、「Strikeforce: Fedor vs. Werdum」でファブリシオ・ヴェウドゥムと対戦。開始早々にヒョードルのフックがかすってファブリシオが寝技に誘うように後方に倒れこみ、追撃のパウンドを浴びせようとしたところで腕ひしぎ三角固めを極められ、大番狂わせのタップアウト負け[62]。2000年の高阪剛戦以来10年ぶりの敗戦であり、高阪戦が反則技による負傷でのTKO負けであるため、実質生涯初の敗戦となった。

2011年2月12日、「Strikeforce: Fedor vs. Silva」で行なわれたStrikeforce World Grand Prix 1回戦でアントニオ・シウバと対戦。2R開始早々からアントニオにテイクダウンを奪われる。バックチョーク、肩固め、膝十字をされるも耐えアンクルホールドで応戦。しかし、2R終了後、多くのパウンドを受けたことにより右目が塞がりドクターストップ。2連敗となった。試合後、引退を示唆したが、ロシアに帰国後、現役続行の意志を示した[63]

2011年7月30日、「Strikeforce: Fedor vs. Henderson」のメインイベントでダン・ヘンダーソンと対戦し、パウンドによるTKO負けを喫し3連敗となった[64]。この試合はヘビー級契約で行なわれたが、前日計量時にヒョードルが223ポンド、ヘンダーソンが207ポンドと16ポンド(7.26kg)の体重差があった[65]

2011年11月20日、ロシア・モスクワで開催された「M-1 Global: Fedor vs. Monson」のメインイベントでジェフ・モンソンと対戦し、3-0の判定勝ちを収め連敗を3で止めた。

2011年12月31日、「元気ですか!! 大晦日!! 2011」のメインイベントで石井慧と対戦し、右フックによるKO勝ちを収めた[66]

家族・私生活[]

1999年に前夫人と結婚し、同年に娘が誕生[9]。その後離婚し、現夫人と再婚した。2007年12月29日に2人目の娘が誕生している。また、2008年には大学を卒業している[67]

自宅があるスタールイ・オスコルでは絶大な人気がありCMにも出演している。街の看板にはヒョードルが登場し、誕生日の9月28日は「ヒョードルの日」として街中がヒョードルを祝う日となっており、試合の際は男達が家でテレビ観戦するため町中が静かになるという[68]。ロシア全国内でも注目を集めており、2008年の北京オリンピックではロシアの聖火ランナーにも選ばれた。

普段は冷静沈着で大人しい性格であり、リングスのスタッフは「外国人選手の中では珍しく手のかからない選手として評判が良かった」と語っている[69]。一方で弟のアレキサンダーがマフィアに入っており、弟がマフィアから抜けるというまで馬乗りで殴り続けたという一面もある[70]

戦績[]

総合格闘技 戦績
39[† 7] 試合(T)KO一本判定その他引き分け無効試合
34 勝9168101
4 敗3100
勝敗対戦相手試合結果イベント名開催年月日
石井慧1R 2:29 KO(右フック)元気ですか!! 大晦日!! 20112011年12月31日
ジェフ・モンソン5分3R終了 判定3-0M-1 Global: Fedor vs. Monson2011年11月20日
×ダン・ヘンダーソン1R 4:12 TKO(パウンド)Strikeforce: Fedor vs. Henderson2011年7月30日
×アントニオ・シウバ2R終了 ドクターストップ(右目負傷)Strikeforce: Fedor vs. Silva
【Strikeforce World Grand Prix 1回戦】
2011年2月12日
×ファブリシオ・ヴェウドゥム1R 1:09 腕ひしぎ三角固めStrikeforce: Fedor vs. Werdum2010年6月26日
ブレット・ロジャース2R 1:48 TKO(右フック→パウンド)Strikeforce: Fedor vs. Rogers
【WAMMA世界ヘビー級タイトルマッチ】
2009年11月7日
アンドレイ・アルロフスキー1R 3:14 KO(右フック)Affliction: Day of Reckoning
【WAMMA世界ヘビー級タイトルマッチ】
2009年1月24日
ティム・シルビア1R 0:36 チョークスリーパーAffliction: Banned
【WAMMA世界ヘビー級王座決定戦】
2008年7月19日
チェ・ホンマン1R 1:54 腕ひしぎ十字固めやれんのか! 大晦日! 20072007年12月31日
マット・リンドランド1R 2:58 腕ひしぎ十字固めBodogFight: Clash of the Nations2007年4月14日
マーク・ハント1R 8:16 チキンウィングアームロックPRIDE 男祭り 2006 -FUMETSU-
【PRIDEヘビー級タイトルマッチ】
2006年12月31日
マーク・コールマン2R 1:15 腕ひしぎ十字固めPRIDE.32 "THE REAL DEAL"2006年10月21日
ズール1R 0:26 KO(パウンド)PRIDE 男祭り 2005 頂-ITADAKI-2005年12月31日
ミルコ・クロコップ3R(10分/5分/5分)終了 判定3-0PRIDE GRANDPRIX 2005 決勝戦
【PRIDEヘビー級タイトルマッチ】
2005年8月28日
高阪剛1R終了時 TKO(左瞼のカット)PRIDE 武士道 -其の六-2005年4月3日
アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ3R(10分/5分/5分)終了 判定3-0PRIDE 男祭り 2004 -SADAME-
【PRIDEヘビー級統一王座決定戦】
2004年12月31日
アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ1R 3:52 無効試合(偶然のバッティング)PRIDE GRANDPRIX 2004 決勝戦
【ヘビー級GP 決勝】
2004年8月15日
小川直也1R 0:54 腕ひしぎ十字固めPRIDE GRANDPRIX 2004 決勝戦
【ヘビー級GP 準決勝】
2004年8月15日
ケビン・ランデルマン1R 1:33 アームロックPRIDE GRANDPRIX 2004 2nd ROUND
【ヘビー級GP 2回戦】
2004年6月20日
マーク・コールマン1R 2:11 腕ひしぎ十字固めPRIDE GRANDPRIX 2004 開幕戦
【ヘビー級GP 1回戦】
2004年4月25日
永田裕志1R 1:02 TKO(パンチ連打)INOKI BOM-BA-YE 20032003年12月31日
ゲーリー・グッドリッジ1R 1:09 TKO(パウンド)PRIDE GRANDPRIX 2003 開幕戦
【ヘビー級ワンマッチ】
2003年8月10日
藤田和之1R 4:17 チョークスリーパーPRIDE.26 REBORN2003年6月8日
エギリウス・ヴァラビーチェス2R 1:13 チキンウィングアームロックBushido Rings 7: Adrenalinas2003年4月5日
アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ3R(10分/5分/5分)終了 判定3-0PRIDE.25
【PRIDEヘビー級タイトルマッチ】
2003年3月16日
ヒース・ヒーリング1R終了時 TKO(左眼窩底骨折の疑い)PRIDE.23
【PRIDEヘビー級王座次期挑戦者決定戦】
2002年11月24日
セーム・シュルト3R(10分/5分/5分)終了 判定3-0PRIDE.212002年6月23日
クリストファー・ヘイズマン1R 2:50 TKO(ポイントアウト:ダウン2、エスケープ1)リングス WORLD TITLE SERIES ~GRAND FINAL~
【無差別級王座決定トーナメント 決勝】
2002年2月15日
リー・ハスデル1R 4:10 ギロチンチョークリングス WORLD TITLE SERIES
【無差別級王座決定トーナメント 準決勝】
2001年12月21日
柳澤龍志5分3R終了 判定3-0リングス WORLD TITLE SERIES
【無差別級王座決定トーナメント 1回戦】
2001年10月20日
ボビー・ホフマン不戦勝(棄権)リングス WORLD TITLE SERIES~旗揚げ10周年記念特別興行~
【ワールドタイトル決定トーナメント ヘビー級決勝】
2001年8月11日
レナート・ババル5分2R終了 判定3-0リングス WORLD TITLE SERIES~旗揚げ10周年記念特別興行~
【ワールドタイトル決定トーナメント ヘビー級準決勝】
2001年8月11日
ケリー・ショール1R 1:47 腕ひしぎ十字固めリングス WORLD TITLE SERIES 1
【ワールドタイトル決定トーナメント ヘビー級1回戦】
2001年4月20日
ミハイル・アポストロフ1R 1:03 チョークスリーパーリングス・ロシア RUSSIA vs BULGARIA2001年4月6日
×高阪剛1R 0:17 TKO(右瞼のカット)リングス KING OF KINGS 2000 Bブロック1回戦・2回戦
【Bブロック2回戦】
2000年12月22日
ヒカルド・アローナ5分2R+延長1R終了 判定3-0リングス KING OF KINGS 2000 Bブロック1回戦・2回戦
【Bブロック1回戦】
2000年12月22日
高田浩也1R 0:12 KO(フック連打)リングス BATTLE GENESIS Vol.62000年9月5日
レヴォン・ラグヴィラーヴァ1R 7:24 チョークスリーパーリングス・ロシア: Russia vs. Georgia2000年8月16日
マルティン・ラザロフ[71]1R 2:24 フロントチョークリングス・ロシア: Russia vs. Bulgaria2000年5月21日

外部リンク[]

  • Fedor Emelianenko "The Last Emperor" Official Website
  • エメリヤーエンコ・ヒョードル公式サイト
  • 本人によるブログ(ロシア語)
  • PRIDE 選手データ - Internet Archive
  • Strikeforce 選手データ
  • SHERDOG 選手データ
  • JudoInside.com 選手データ

脚注[]

  1. ティム・シルビア戦以降、この曲に変更している。
  2. 姓がエメリヤーネンコで名がヒョードルであるため通常であれば「ヒョードル・エメリヤーネンコ」となるはずであるが、ロシアではパスポートなど公式書面に「姓・名・父称」の順で表記するため、そのまま「エメリヤーエンコ・ヒョードル」となってしまったと本人は述べている。
  3. ウクライナとの二重国籍であり、ウクライナ国籍で出場していた時期もあったが、現在は現住地のあるロシア国籍での出場を選択している。
  4. この大会では1回戦で日本の小斎武志に一本負けを喫している。ヒョードルはその後敗者復活戦を勝ち上がり、小斎と共に3位に入賞している。
  5. 1998年と1999年のサンボ世界王者。高い評価を受けていたが、唯一の来日となったリングスでのヴァレンタイン・オーフレイム戦ではTKO負けとなった。
  6. 2008年3月、Sibling Entertainmentのメンバーが撤退し、ヒョードルをマネージメントするレッドデビルが「M-1 Global」という名前をそのまま引き継いだ。(kamipro.com モンテ・コックス 旗揚げ戦を行なうことなく空中分解した『M-1グローバル』ズンドコな舞台裏と新団体『Adrenaline』について語る!! kamipro.com 2008年4月12日)
  7. SHERDOGではホフマン戦の不戦勝はカウントされていない。

参考文献[]

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  • 「もうひとつの無敗王座 "コンバットサンビスト"ヒョードルが目指す頂」、『ゴング格闘技』2006年1月号(No.165)、日本スポーツ出版社、2006年、pp.8-9。
  • 「仮面の裏側 エメリヤーエンコ・ヒョードル」、『格闘マガジン FIGHTER』2007年春号、晋遊舎、2007年、pp.26-41。
  • 「エメリヤーエンコ・ヒョードル ロシアの中心となった皇帝」、『Sports Graphic Number』2007年7月5日号(No.681)、文藝春秋、2007年、pp.44-49。
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  3. 3.03.1第1次リングス、その歴史に幕を下ろす - 第9試合 スポーツナビ 2002年2月15日
  4. 4.04.1衝撃決着が続出。ノゲイラ×ヒョードルは? BoutReview 2003年3月18日
  5. 5.05.1ヒョードル、ヘビー級統一王者に BoutReview 2005年1月7日
  6. 6.06.1【Affliction】ヒョードル、KO勝ち!クートゥアーと対戦誓う MMAPLANET 2008年7月20日
  7. 引用エラー: 無効な タグです。「prideprofile」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません
  8. ヒョードル、ハッスル小川を完全否定「日本代表にふさわしくない」 スポーツナビ 2004年8月12日
  9. 9.009.019.029.039.049.059.069.079.089.099.109.119.129.139.14バイオグラフィー ヒョードル公式サイト
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  15. 15.015.1選手とコーチのダブルタイトルの日 ヒョードル公式サイト 2008年2月8日
  16. 16.016.1ヒョードル選手はサンボのロシア選手権に参戦します。彼の「Imperial team」は世界で最も強いチームの名に挑戦します。 ヒョードル公式サイト 2009年2月21日
    再びチャンピオン。 ヒョードル公式サイト 2009年2月21日
  17. Results of International Sambo Competitions "Russian Federation President's Cup" 2008 国際アマチュアサンボ連盟
  18. ヒョードル選手が再びファンの皆さんの質問に答えます。 ヒョードル公式サイト 2009年2月14日
  19. FIGHTER2007、pp.36
  20. FIGHTER2007、pp.28-29
  21. 村浜、関節技で激勝。坂田無念のドクターストップ BoutReview 2000年9月5日
  22. WORLD MEGA-BATTLE OPEN TOURNAMENT 2000 スポーツナビ 2000年12月22日
  23. リングス「WORLD TITLE SERIES」結果 スポーツナビ 2001年4月20日
  24. リングス[WORLD TITLE SERIES~旗揚げ10周年記念特別興行~] 第4試合 スポーツナビ 2001年8月11日
  25. 金原圧勝! 無差別級トーナメントは日本勢全滅 リングス代々木第二大会 スポーツナビ 2001年10月20日
  26. 元気、ヤマケンを破る! 金原は判定勝利 12・21リングス横浜大会 スポーツナビ 2001年12月21日
  27. ロシアの最終兵器、VTのリングに恐るべき全貌を現す BoutReview 2002年6月23日
  28. 高田、真剣勝負で22年のレスラー生活に幕 BoutReview 2002年11月25日
  29. ミルコが! ヒョードルが?あの日本人が! BoutReview 2003年6月9日
  30. 桜庭、シウバの前に3度散る……! 吉田は胴衣を生かした袖車で田村に逆転勝利 スポーツナビ 2003年8月10日
  31. 31.031.1ヒョードル欠場。ミルコ×ノゲイラで暫定王者決定 BoutReview 2003年10月16日
  32. 32.032.1前日に最後の一波乱?藤田の当初の相手来日せず BoutReview 2003年11月11日-12月30日
  33. エメリヤーエンコ・ヒョードルとのインタビュー(パート1) ヒョードル公式サイト 2004年3月9日
  34. ランデルマン、ミルコをKO! BoutReview 2004年4月27日
  35. 番狂わせ無く最終決戦へ BoutReview 2004年6月21日
  36. 小川の相手はヒョードルに BoutReview 2004年7月29日
  37. 37.037.12/60億に悪夢のアクシデント BoutReview 2004年8月16日
  38. 高阪初参戦。ヒョードルと5年ぶり再戦 BoutReview 2005年3月9日
  39. ヒョ―ドルが高阪の技術を力で粉砕 美濃輪はアイブルを70秒殺 スポーツナビ 2005年4月3日
  40. エメリヤーエンコ・ヒョードル選手はコマンド・サンボを忘れていません。 ヒョードル公式サイト 2005年6月21日
  41. ヒョードル&ショーグンが頂点に BoutReview 2005年9月1日
  42. 五味、マッハをKO。シウバ防衛 BoutReview 2006年1月4日
  43. 引用エラー: 無効な タグです。「BoutReview20050404」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません
  44. エメリヤーエンコ・ヒョードル選手の手術後の回復期間は半年以上続きます。 ヒョードル公式サイト 2006年1月27日
  45. エメリヤーエンコ・ヒョードル選手は再び手術を受けました。 ヒョードル公式サイト 2006年6月26日
  46. ヒョードル欠場。代役はヴァンダレイ BoutReview 2006年5月18日
  47. ヒョードル、ショーグンら完勝 BoutReview 2006年10月24日
  48. ヒョードル防衛。五味、石田をKO BoutReview 2007年1月1日
  49. ヒョードル一本。アルバレス初黒星 BoutReview 2007年4月18日
  50. ヒョードル、アメリカ資本得た新生M-1と2年契約 BoutReview 2007年10月23日
  51. Emelianenko Ready to Seize Marquee SHERDOG 2007年10月23日
  52. エメリヤーエンコ・ヒョードル選手は国家勲章を授与されました。 ヒョードル公式サイト 2007年11月10日
  53. 三崎×秋山は無効試合に BoutReview 2008年1月3日
  54. エメリヤーエンコ・ヒョードル選手はコンバットサンボ大統領カップに優勝しました。 ヒョードル公式サイト 2008年2月17日
  55. Kevin Iole White stands by his man Silva Yahoo! Sports 2008年7月20日
  56. 「エメリヤーエンコ・ヒョードル 初めての焦燥と、残された幻想」 『ゴング格闘技』No.202、2009年4月号、イースト・プレス、pp.30-31
    Fedor Emelianenko: Fight was even until I knocked Arlovski out MMA Junkie 2009年1月25日
  57. ヒョードル魅せた! 青木と異次元エキシビション 日本代表、1勝4敗でイギリスに完敗 スポーツナビ 2009年4月29日
  58. Update: Barnett Out of Fedor Fight SHERDOG 2009年7月22日
  59. 【Affliction】メイン消滅とともに大会キャンセル!! MMAPLANET 2009年7月25日
  60. Update: Affliction Clothing Back in UFC Fold SHERDOG 2009年7月25日
  61. "King Mo" blasts Kerr, Emelianenko taps Mousasi at M-1 Global "Breakthrough" MMA Junkie 2009年8月29日
  62. 【Strikeforce】世紀の番狂わせ、ヒョードルが一本負け MMAPLANET 2010年6月27日
  63. 【Strikeforce】ヒョードル、連敗で衝撃の引退発言!? MMAPLANET 2011年2月13日
  64. 【Strikeforce】落日の皇帝ヒョードル、ダン・ヘンに完敗 MMAPLANET 2011年7月31日
  65. 【Strikeforce】ヒョードルとダン・ヘン、体重差は7kg以上!! MMAPLANET 2011年7月30日
  66. 【元気ですか!!】第4部:ヒョードルが年越し寸前に石井をKO!青木、高谷は防衛 格闘技ウェブマガジンGBR 2011年12月31日
  67. ヒョードル選手が大学を卒業しました。 ヒョードル公式サイト 2008年6月14日
  68. Number2007、p.48
  69. FIGHTER2007、pp.37-39
  70. ゴング格闘技2006a、p.9
  71. On fights, brothers, and a meeting with the President ヒョードル公式サイト(英語版) 2007年5月8日(公式サイトには記載されていないが、この記事ではラザロフとの試合があった旨が述べられている。なお、同記事の日本語版には「2000年」という記述がない)
前王者
アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ
第2代PRIDEヘビー級王者

2003年3月16日 - 現在

次王者
 
前王者
 
PRIDE GP 2004ヘビー級トーナメント王者

2004年12月31日

次王者
 
初代
 
初代WAMMA世界ヘビー級王者

2008年7月19日 - 現在

次王者
 

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