中村和裕
中村 和裕 本名 中村 和裕 通称 カズ 吉田道場 大将 戦極の若大将 吉田道場の柔くん 吉田道場の一番星 性別 男性 国籍 日本 誕生日 1979年2月21日(44歳) 出身地 広島県福山市 身長...
エメリヤーエンコ・ヒョードル | |
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本名 | フョードル・ウラジーミロヴィチ・エメリヤーニェンコ (Fedor Vladimirovich Emelianenko) |
通称 | ロシアン・ラストエンペラー The Last Emperor 60億分の1の男 人類最強の男 |
性別 | 男性 |
国籍 | ロシア(ウクライナ) |
誕生日 | 1976年9月28日(46歳) |
出身地 | ウクライナ ルハンシク州ルビージュネ |
身長 | 183cm |
体重 | 104kg |
リーチ | 188cm |
階級 | ヘビー級 |
スタイル | 柔道、サンボ |
所属 | リングス・ロシア →ロシアン・トップチーム →レッドデビル・スポーツクラブ |
テーマ曲 | 「ロシア連邦国歌」 →「Enae Volare Mezzo」(Era) →「Oy , To Ne Vecher (露:Ой то не вечер)」[† 1] |
エメリヤーエンコ・ヒョードル[† 2](Fedor Emelianenko、1976年9月28日 - )は、ロシア[† 3]の総合格闘家。レッドデビル・スポーツクラブ所属。
柔道の国際大会で活躍したのち総合格闘技に転向、2000年にリングスの大会で日本に渡り、ヘビー級と無差別級の王座を獲得。2002年のリングス休止以降はPRIDEに出場し、2003年にアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラを下しヘビー級王座を獲得した。2004年にはヘビー級グランプリに優勝、2005年にはミルコ・クロコップを下し王座を防衛した。2007年のPRIDE消滅後も日本国外の大会を渡り歩き、2008年にはAfflictionで元UFCヘビー級王者ティム・シルビアを破りWAMMA世界ヘビー級王者となっている。その後も、2009年にはアンドレイ・アルロフスキーに勝ち、WAMMA王座の防衛に成功。その後はStrikeforceに出場。またプロ格闘家として活動する傍らコンバットサンボの大会にも出場し、世界選手権で4度の優勝を果たしている。2009年、政府認定のファン投票によりテニスのスベトラーナ・クズネツォワと共にロシアのベスト・アスリートに選ばれた。
2009年までは日本だけでなくアメリカなどのメディアからも「総合格闘技界全体で最強」と評価されており、多くのランキングにおいてヘビー級(93kg-120kg)世界1位にランクインしていた[1]。また長年活躍したロシアのトップアスリートだけに送られるスポーツマスターの称号も持つ。
1976年、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国ルハンシク州ルビージュネにてウクライナ人の両親の元に生まれた。姉1人、弟2人の4人兄弟であった。2歳の時に家族とともにロシア・ソビエト連邦社会主義共和国ベルゴロド州スタールイ・オスコルに移住し[9]、11歳になってサンボ・柔道を始めた。1991年に高校を卒業、1994年には専門学校を卒業する[9]。1995年から1997年[9]まではロシア陸軍の消防隊と戦車軍に入隊し、曹長で兵役を終える[18]。その後は柔道・サンボ両方の大会で活躍した(詳細は#獲得タイトルを参照)。当時は後に世界柔道選手権を制するアレクサンドル・ミハイリンとはライバル関係にあるなどヨーロッパではトップクラスの実力を有していたものの、国からの補助金が出なくなったため柔道を続けるには経済的な問題が生じていた。ヒョードルは「国の支援が続いていれば柔道を辞めずにオリンピックを目指していたかもしれない」と語っている[10]。
2000年初頭にニコライ・ピチコフの誘いでヴォルク・ハン率いるリングス・ロシア(現ロシアン・トップチーム)を見学し総合格闘技に興味を持ち、ヒョードルはこのジムで練習を始めた(このときよりボクシングの練習を開始している)[19]。また来日のための新人オーディションに参加し、前田日明からバラチンスキー・スレン[† 5]に次ぐ評価を受け日本大会への出場が決まった[20]。同年5月にはリングスで総合格闘技デビュー。9月5日には初来日を果たし高田浩也と対戦し、開始12秒、左右のフックによるKO勝利を収めている[21]。同年12月22日、「KING OF KINGS 2000トーナメント」のBブロック1回戦でヒカルド・アローナに延長の末、3-0の判定勝ち[22]。同日に行なわれた2回戦では高阪剛と対戦するも、出会い頭に目尻をカットし、ドクターストップによるTKO負けとなった。なお、このカットはフックをかわした後の反則である肘が当たったためである。高阪自身はのちにこの試合を振り返り、アクシデントだったと発言している。
2001年は4月6日にロシアでのミハイル・アポストロフ戦に勝利した後、ヘビー級王座決定トーナメントに出場する。4月20日の1回戦ではケリー・ショールに勝利し[23]8月11日の決勝大会に進出すると、準決勝ではトーナメント本命と目されていた[24]レナート・ババルに判定勝利し、決勝では対戦相手のボビー・ホフマンが左肩脱臼のため棄権し不戦勝[2]となり、初代リングス世界ヘビー級王者に就いた。その後10月20日には無差別級王座決定トーナメントにも出場、1回戦では柳澤龍志に[25]、準決勝ではリー・ハスデルに勝利し[26]、決勝戦に進出した。リングス最後の興行となった2002年2月15日の決勝戦ではクリストファー・ヘイズマンと対戦し、2度のダウンとロープエスケープでポイントアウトに追い込み、リングス2冠を達成している[3]。
リングスが活動停止となると、2002年6月23日の「PRIDE.21」においてPRIDE初参戦。当時パンクラス無差別級王者だったセーム・シュルトに30cmのリーチ差をものともせず、グラウンドのポジショニングで優位に立って判定勝ち[27]。同年11月24日の「PRIDE.23」では、ヒース・ヒーリングをパウンドの連打によるTKOで勝利し、ヘビー級タイトルマッチ挑戦権を獲得した[28]。
2003年3月16日、「PRIDE.25」にて、初代PRIDEヘビー級王者アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラの持つタイトルに挑戦する。開始早々フックでノゲイラを吹き飛ばし、グラウンドではパウンドをまとめてダメージを与える。2R以降もテイクダウンからのパウンドで手堅くポイントを稼ぎ、3-0の判定によりノゲイラを下し、第2代PRIDEヘビー級王者となった[4]。4月5日にはリトアニアでBUSHIDO-RINGSに参戦、エギリウス・ヴァラビーチェスに一本勝ちを収めた。同年6月8日の「PRIDE.26」ではノンタイトル戦で藤田和之と対戦し、直撃した藤田の右フックによってよろめくシーンを見せたが、やがて反撃、右フック・左ミドルキックを打ち込んでダウンを奪いチョークスリーパーで一本勝ち[29]。同年8月10日の「PRIDE GRANDPRIX 2003 開幕戦」ではゲーリー・グッドリッジと対戦し1R1分9秒でTKO勝ち[30]。同年11月9日の「PRIDE GRANDPRIX 2003 決勝戦」はミルコ・クロコップとのタイトルマッチが行なわれる予定であったが、練習中に右手を骨折したため欠場し、ミルコ対ノゲイラの暫定王者決定戦が代わりに組まれた[31]。この年の大晦日には3つのイベントによるヒョードル争奪戦が繰り広げられ、紆余曲折を経て最終的に「INOKI BOM-BA-YE 2003」に出場[32]、永田裕志に勝利した。なおこれに関連して、年末には弟アレキサンダーと共にロシアン・トップチームからレッドデビルに移籍している[32]。後にヒョードルは、チーム代表であったウラジミール・パコージンとの確執があったことを述べている[33]。
2004年4月25日、「PRIDE GRANDPRIX 2004 開幕戦」で2000年のGP優勝者マーク・コールマンと対戦。試合ではコールマンにテイクダウンからマウント、バックとポジションを奪われるも脱出し、その後再度タックルで下になったが腕ひしぎ十字固めで切り返し一本勝ちで初戦突破を果たす[34]。同年6月20日の「PRIDE GRANDPRIX 2004 2nd ROUND」では1回戦でミルコ・クロコップに番狂わせの勝利を演じたケビン・ランデルマンと対戦となり、開始後スープレックスで頭からマットに叩きつけられるも、すぐにポジションを奪い返してアームロックを極め一本勝ち[35]、同年8月15日の「PRIDE GRANDPRIX 2004 決勝戦」出場を決めた。準決勝では事前に組み合わせを決めるファン投票が行なわれ、最高得票を集めた小川直也との一戦が決定した[36]。小川を柔道家として尊敬する反面、ハッスルポーズは下品だと不快感を表し、試合前の握手は小川に拒否される。試合は1ラウンド開始からパンチで攻勢に立ち、開始54秒、腕ひしぎ十字固めで一本勝ちを収め[37]、決勝はセルゲイ・ハリトーノフに勝利したアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラとの再戦の運びとなる。「人類60億分の1の最強を決める」と謳われたGP決勝は1ラウンド3分過ぎにグラウンドでヒョードルの額とノゲイラの頭頂部がバッティングし、ヒョードルの右眉上が切れて試合が中断。協議の結果無効試合となり、優勝者は決まらなかった[37]。同年の大晦日、「PRIDE 男祭り 2004」にて行なわれた再戦で3-0の判定勝ちを収め、PRIDEヘビー級王座を防衛するとともにヘビー級GP王者となった[5]。
2005年4月3日、「PRIDE 武士道 -其の六-」でリングスで唯一の敗北を喫した高阪剛と4年半ぶりの再戦を果たした。試合前に高阪は「(ヒョードルには)穴が一杯ある」と語っていたものの[38]、試合ではテイクダウンからのパウンドでヒョードルが優勢に立ち、1ラウンド終了時にドクターストップによるTKOでリベンジを果たした[39]。6月にはロシアのクストヴォで開催された全ロシアコンバットサンボ選手権に出場し、100kg超級で優勝[40]。同年8月28日には「PRIDE GRANDPRIX 2005 決勝戦」にて2年越しにミルコ・クロコップとのタイトルマッチが実現。試合はヒョードルは打撃で圧力をかけ続け、ミルコはバックステップでリングを回りながらの打撃で応戦するという形となった。1ラウンド前半にミルコの打撃に押される場面もあったが、それ以外は打撃で攻め立て、投げや足払いからのテイクダウン・ポジショニングでも制し判定勝ちを収め、2度目の王座防衛に成功した[41]。大晦日に出場した「PRIDE 男祭り 2005」ではズールと対戦。パンチでダウンを奪い、パウンドの連打により1ラウンド開始26秒、でタップアウト勝ちを収めた[42]。
2006年1月26日、強力な打撃ゆえの慢性的な拳の怪我や骨折[43][31]に苦しんでいたヒョードルは、サンクトペテルブルクの病院で右拳の手術を受けた[44]。続いて6月24日、同じサンクトペテルブルクの病院で、固定していた金属プレートの除去手術を受けた[45]。この手術のため、「PRIDE無差別級GP」の1回戦と、回復次第ではシード扱いで出場する予定だった2回戦を共に欠場し、代役でヴァンダレイ・シウバが参戦した[46]。2度に渡る拳の手術を経て、10月21日、マーク・コールマンを相手に復帰第1戦を行なった。1Rは打撃で攻め立て、2Rに腕ひしぎ十字固めで一本勝ち[47]。続いて12月31日、「PRIDE 男祭り 2006」でのヘビー級タイトルマッチでマーク・ハントと対戦し、腕ひしぎ十字固めを返されたり、アームロックで追い詰められたものの、チキンウィングアームロックで一本勝ちし、3度目の王座防衛に成功した[48]。
2007年3月、総合格闘技イベントBodogFightと契約し、同年4月14日には、地元ロシアのサンクトペテルブルク大会に凱旋出場。マット・リンドランドに腕ひしぎ十字固めで一本勝ち[49]。同年4月にPRIDEが休止した後はUFC、BodogFight、HERO'Sなど世界中の格闘技団体がヒョードルの獲得を競っている状況であったが、2007年10月、米国の総合格闘技イベントM-1 Globalと2年6試合の契約を結んだ[50][† 6]。ファイトマネーは1試合につき基本給が200万ドルとなっており[51]、これは契約金・ボーナスなどのその他報酬を含めない額であった。11月10日、チェコ共和国プラハで行なわれた第31回コンバットサンボ世界選手権100kg超級に出場し、初戦は対戦相手が棄権し不戦勝、準決勝も順当に勝ちあがる。決勝戦の相手は準決勝でクリストフ・ミドゥを破ったウラジミール・ベゲーザだったが、彼も棄権し不戦勝となり、4度目の世界王者となった[12]。翌11月11日、ロシアの国家勲章であるピョートル大帝勲章を受章した[52]。12月31日、「やれんのか! 大晦日! 2007」で1年ぶりの来日を果たしチェ・ホンマンと対戦し、1Rに腕ひしぎ十字固めで一本勝ちを収めた[53]。
2008年2月8日、全ロシアコンバットサンボ選手権100kg超級に出場。1回戦は寝技で極め35秒で勝利、準決勝は相手の鼻を骨折させ10秒で勝利、決勝は身長206cmのスタニスラフ・シュシュコと対戦し、パンチを浴びせて投げ倒し寝技で極め1分10秒で勝利し、優勝した[15]。同年2月15日にはコンバットサンボ大統領杯に出場し、100kg級で優勝している[54]。同年7月19日、アメリカ合衆国の新興MMA団体であるAfflictionの第1回大会「Affliction: Banned」において、元UFC世界ヘビー級王者ティム・シルビアと対戦。スタンドのパンチでダウンを奪うと、グラウンドでバックからチョークスリーパーを極め、開始36秒で一本勝ちし、新たに設立された総合格闘技の王座認定団体であるWorld Alliance of Mixed Martial Artsの初代世界ヘビー級王者となった[6]。また他の格闘技大会に対して常に挑発的な態度をとっていたUFC最高責任者のダナ・ホワイトもこの結果に「ヒョードルに対する考え方が変わった」と驚愕していた[55]。同年11月、主演映画『第5の死刑』の撮影をタイで行ない(撮影は12月にクランクアップ)、コンバットサンボのロシア代表合宿に参加できないまま11月16日の世界選手権に臨んだ。100kg超級に出場したヒョードルは過去2戦勝利していたブラゴイ・アレクサンドル・イワノフとの準決勝で投げ技でポイントを奪われ、その後打撃で攻め立てたものの5-8の判定で敗れ3位となった。
2009年1月24日、「Affliction: Day of Reckoning」では1R3分過ぎ、跳び膝蹴りに来たアルロフスキーにカウンターで右フックを命中させ失神KO勝ちを収め、WAMMAヘビー級王座の初防衛を果たした。[56]。2月21日には全ロシアコンバットサンボ選手権に出場、100kg超級で連覇を達成した[16]。
同年4月29日、「DEEP M-1 CHALLENGE 3rd EDITION in JAPAN」で来日し、青木真也とサンボ衣着用・打撃ありのスーパーエキシビションファイトを行なった[57]。
同年8月1日、「Affliction: Trilogy」でジョシュ・バーネットと対戦予定であったが、ジョシュが試合前のドーピング検査で陽性反応が出たとして出場中止となり[58]、その影響で同大会は開催中止[59]、さらにAfflictionのMMA興行からの撤退が発表された[60]。その後、UFCとの交渉も伝えられたが、8月3日にStrikeforceと出場契約を交わしたことが発表された。
同年8月28日、「M-1: Breakthrough」でゲガール・ムサシと道着ありのエキシビションマッチを行ない、腕ひしぎ十字固めでタップを奪った[61]。
同年11月7日、Strikeforce初参戦となった「Strikeforce: Fedor vs. Rogers」で、ブレット・ロジャースと対戦。ヒョードルにとってケージでの試合は初めてであったが、右フックにより2ラウンドTKO勝ちを収め、WAMMA世界ヘビー級王座の2度目の防衛に成功した。
2010年6月26日、「Strikeforce: Fedor vs. Werdum」でファブリシオ・ヴェウドゥムと対戦。開始早々にヒョードルのフックがかすってファブリシオが寝技に誘うように後方に倒れこみ、追撃のパウンドを浴びせようとしたところで腕ひしぎ三角固めを極められ、大番狂わせのタップアウト負け[62]。2000年の高阪剛戦以来10年ぶりの敗戦であり、高阪戦が反則技による負傷でのTKO負けであるため、実質生涯初の敗戦となった。
2011年2月12日、「Strikeforce: Fedor vs. Silva」で行なわれたStrikeforce World Grand Prix 1回戦でアントニオ・シウバと対戦。2R開始早々からアントニオにテイクダウンを奪われる。バックチョーク、肩固め、膝十字をされるも耐えアンクルホールドで応戦。しかし、2R終了後、多くのパウンドを受けたことにより右目が塞がりドクターストップ。2連敗となった。試合後、引退を示唆したが、ロシアに帰国後、現役続行の意志を示した[63]。
2011年7月30日、「Strikeforce: Fedor vs. Henderson」のメインイベントでダン・ヘンダーソンと対戦し、パウンドによるTKO負けを喫し3連敗となった[64]。この試合はヘビー級契約で行なわれたが、前日計量時にヒョードルが223ポンド、ヘンダーソンが207ポンドと16ポンド(7.26kg)の体重差があった[65]。
2011年11月20日、ロシア・モスクワで開催された「M-1 Global: Fedor vs. Monson」のメインイベントでジェフ・モンソンと対戦し、3-0の判定勝ちを収め連敗を3で止めた。
2011年12月31日、「元気ですか!! 大晦日!! 2011」のメインイベントで石井慧と対戦し、右フックによるKO勝ちを収めた[66]。
1999年に前夫人と結婚し、同年に娘が誕生[9]。その後離婚し、現夫人と再婚した。2007年12月29日に2人目の娘が誕生している。また、2008年には大学を卒業している[67]。
自宅があるスタールイ・オスコルでは絶大な人気がありCMにも出演している。街の看板にはヒョードルが登場し、誕生日の9月28日は「ヒョードルの日」として街中がヒョードルを祝う日となっており、試合の際は男達が家でテレビ観戦するため町中が静かになるという[68]。ロシア全国内でも注目を集めており、2008年の北京オリンピックではロシアの聖火ランナーにも選ばれた。
普段は冷静沈着で大人しい性格であり、リングスのスタッフは「外国人選手の中では珍しく手のかからない選手として評判が良かった」と語っている[69]。一方で弟のアレキサンダーがマフィアに入っており、弟がマフィアから抜けるというまで馬乗りで殴り続けたという一面もある[70]。
総合格闘技 戦績 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
39[† 7] 試合 | (T)KO | 一本 | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 |
34 勝 | 9 | 16 | 8 | 1 | 0 | 1 |
4 敗 | 3 | 1 | 0 | 0 |
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
○ | 石井慧 | 1R 2:29 KO(右フック) | 元気ですか!! 大晦日!! 2011 | 2011年12月31日 |
○ | ジェフ・モンソン | 5分3R終了 判定3-0 | M-1 Global: Fedor vs. Monson | 2011年11月20日 |
× | ダン・ヘンダーソン | 1R 4:12 TKO(パウンド) | Strikeforce: Fedor vs. Henderson | 2011年7月30日 |
× | アントニオ・シウバ | 2R終了 ドクターストップ(右目負傷) | Strikeforce: Fedor vs. Silva 【Strikeforce World Grand Prix 1回戦】 | 2011年2月12日 |
× | ファブリシオ・ヴェウドゥム | 1R 1:09 腕ひしぎ三角固め | Strikeforce: Fedor vs. Werdum | 2010年6月26日 |
○ | ブレット・ロジャース | 2R 1:48 TKO(右フック→パウンド) | Strikeforce: Fedor vs. Rogers 【WAMMA世界ヘビー級タイトルマッチ】 | 2009年11月7日 |
○ | アンドレイ・アルロフスキー | 1R 3:14 KO(右フック) | Affliction: Day of Reckoning 【WAMMA世界ヘビー級タイトルマッチ】 | 2009年1月24日 |
○ | ティム・シルビア | 1R 0:36 チョークスリーパー | Affliction: Banned 【WAMMA世界ヘビー級王座決定戦】 | 2008年7月19日 |
○ | チェ・ホンマン | 1R 1:54 腕ひしぎ十字固め | やれんのか! 大晦日! 2007 | 2007年12月31日 |
○ | マット・リンドランド | 1R 2:58 腕ひしぎ十字固め | BodogFight: Clash of the Nations | 2007年4月14日 |
○ | マーク・ハント | 1R 8:16 チキンウィングアームロック | PRIDE 男祭り 2006 -FUMETSU- 【PRIDEヘビー級タイトルマッチ】 | 2006年12月31日 |
○ | マーク・コールマン | 2R 1:15 腕ひしぎ十字固め | PRIDE.32 "THE REAL DEAL" | 2006年10月21日 |
○ | ズール | 1R 0:26 KO(パウンド) | PRIDE 男祭り 2005 頂-ITADAKI- | 2005年12月31日 |
○ | ミルコ・クロコップ | 3R(10分/5分/5分)終了 判定3-0 | PRIDE GRANDPRIX 2005 決勝戦 【PRIDEヘビー級タイトルマッチ】 | 2005年8月28日 |
○ | 高阪剛 | 1R終了時 TKO(左瞼のカット) | PRIDE 武士道 -其の六- | 2005年4月3日 |
○ | アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ | 3R(10分/5分/5分)終了 判定3-0 | PRIDE 男祭り 2004 -SADAME- 【PRIDEヘビー級統一王座決定戦】 | 2004年12月31日 |
- | アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ | 1R 3:52 無効試合(偶然のバッティング) | PRIDE GRANDPRIX 2004 決勝戦 【ヘビー級GP 決勝】 | 2004年8月15日 |
○ | 小川直也 | 1R 0:54 腕ひしぎ十字固め | PRIDE GRANDPRIX 2004 決勝戦 【ヘビー級GP 準決勝】 | 2004年8月15日 |
○ | ケビン・ランデルマン | 1R 1:33 アームロック | PRIDE GRANDPRIX 2004 2nd ROUND 【ヘビー級GP 2回戦】 | 2004年6月20日 |
○ | マーク・コールマン | 1R 2:11 腕ひしぎ十字固め | PRIDE GRANDPRIX 2004 開幕戦 【ヘビー級GP 1回戦】 | 2004年4月25日 |
○ | 永田裕志 | 1R 1:02 TKO(パンチ連打) | INOKI BOM-BA-YE 2003 | 2003年12月31日 |
○ | ゲーリー・グッドリッジ | 1R 1:09 TKO(パウンド) | PRIDE GRANDPRIX 2003 開幕戦 【ヘビー級ワンマッチ】 | 2003年8月10日 |
○ | 藤田和之 | 1R 4:17 チョークスリーパー | PRIDE.26 REBORN | 2003年6月8日 |
○ | エギリウス・ヴァラビーチェス | 2R 1:13 チキンウィングアームロック | Bushido Rings 7: Adrenalinas | 2003年4月5日 |
○ | アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ | 3R(10分/5分/5分)終了 判定3-0 | PRIDE.25 【PRIDEヘビー級タイトルマッチ】 | 2003年3月16日 |
○ | ヒース・ヒーリング | 1R終了時 TKO(左眼窩底骨折の疑い) | PRIDE.23 【PRIDEヘビー級王座次期挑戦者決定戦】 | 2002年11月24日 |
○ | セーム・シュルト | 3R(10分/5分/5分)終了 判定3-0 | PRIDE.21 | 2002年6月23日 |
○ | クリストファー・ヘイズマン | 1R 2:50 TKO(ポイントアウト:ダウン2、エスケープ1) | リングス WORLD TITLE SERIES ~GRAND FINAL~ 【無差別級王座決定トーナメント 決勝】 | 2002年2月15日 |
○ | リー・ハスデル | 1R 4:10 ギロチンチョーク | リングス WORLD TITLE SERIES 【無差別級王座決定トーナメント 準決勝】 | 2001年12月21日 |
○ | 柳澤龍志 | 5分3R終了 判定3-0 | リングス WORLD TITLE SERIES 【無差別級王座決定トーナメント 1回戦】 | 2001年10月20日 |
○ | ボビー・ホフマン | 不戦勝(棄権) | リングス WORLD TITLE SERIES~旗揚げ10周年記念特別興行~ 【ワールドタイトル決定トーナメント ヘビー級決勝】 | 2001年8月11日 |
○ | レナート・ババル | 5分2R終了 判定3-0 | リングス WORLD TITLE SERIES~旗揚げ10周年記念特別興行~ 【ワールドタイトル決定トーナメント ヘビー級準決勝】 | 2001年8月11日 |
○ | ケリー・ショール | 1R 1:47 腕ひしぎ十字固め | リングス WORLD TITLE SERIES 1 【ワールドタイトル決定トーナメント ヘビー級1回戦】 | 2001年4月20日 |
○ | ミハイル・アポストロフ | 1R 1:03 チョークスリーパー | リングス・ロシア RUSSIA vs BULGARIA | 2001年4月6日 |
× | 高阪剛 | 1R 0:17 TKO(右瞼のカット) | リングス KING OF KINGS 2000 Bブロック1回戦・2回戦 【Bブロック2回戦】 | 2000年12月22日 |
○ | ヒカルド・アローナ | 5分2R+延長1R終了 判定3-0 | リングス KING OF KINGS 2000 Bブロック1回戦・2回戦 【Bブロック1回戦】 | 2000年12月22日 |
○ | 高田浩也 | 1R 0:12 KO(フック連打) | リングス BATTLE GENESIS Vol.6 | 2000年9月5日 |
○ | レヴォン・ラグヴィラーヴァ | 1R 7:24 チョークスリーパー | リングス・ロシア: Russia vs. Georgia | 2000年8月16日 |
○ | マルティン・ラザロフ[71] | 1R 2:24 フロントチョーク | リングス・ロシア: Russia vs. Bulgaria | 2000年5月21日 |
前王者 アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ | 第2代PRIDEヘビー級王者 2003年3月16日 - 現在 | 次王者 |
前王者 | PRIDE GP 2004ヘビー級トーナメント王者 2004年12月31日 | 次王者 |
初代 | 初代WAMMA世界ヘビー級王者 2008年7月19日 - 現在 | 次王者 |
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麻原 将平本名麻原 将平性別男性国籍日本誕生日1984年9月3日(38歳)出身地滋賀県身長171cm体重60kgリーチ階級ライト級(K-1)所属正道会館→シルバーアックス麻原 将平(あさはら しょうへ...
鹿又 智成本名鹿又 智成通称八王子のお祭り男打極無双寝技魔術師性別男性国籍日本誕生日1979年8月4日(43歳)出身地東京都昭島市身長173cm体重70kgリーチ階級ライト級、フェザー級スタイルブラジ...
鶴巻 伸洋本名鶴巻 伸洋性別男性国籍日本誕生日1971年10月22日(51歳)出身地新潟県新津市身長170cm体重87kgリーチ階級ミドル級、ウェルター級スタイル柔道所属SAW→ティアゲネス鶴巻 伸洋...
鳥生 将大本名鳥生 将大性別男性国籍日本誕生日1983年10月30日(39歳)出身地大阪府泉南郡身長177cm体重85kgリーチ階級ミドル級スタイルレスリング、極真空手、柔道所属P's LAB 大阪→...
魔裟斗(まさと)本名小林 雅人(こばやし まさと)通称反逆のカリスマ性別男性国籍日本誕生日1979年3月10日(44歳)出身地千葉県柏市身長174cm体重70kgリーチ階級ミドル級(K-1)スタイルキ...
魅津希本名井上 瑞樹通称天才格闘少女性別女性国籍日本誕生日1994年8月19日(28歳)出身地愛知県名古屋市身長162cm体重55kgリーチ階級-56kg級(JEWELS)スタイル空手所属空手道白心会...
高阪 剛本名高阪 剛通称TK世界のTK格闘技界の賢者性別男性国籍日本誕生日1970年3月6日(53歳)出身地滋賀県草津市身長181cm体重99kgリーチ階級ヘビー級(PRIDE)スタイル柔道所属リング...
高谷 裕之本名高谷 裕之通称伝説の喧嘩師喧嘩番長悪魔の拳性別男性国籍日本誕生日1977年6月10日(45歳)出身地千葉県習志野市身長167cm体重65kgリーチ階級フェザー級(DREAM)ミドル級(H...
高萩 ツトム本名高萩 勉通称褐色のドラゴン性別男性国籍日本誕生日1982年12月20日(40歳)出身地神奈川県身長181cm体重97kgリーチ階級ヘビー級(K-1)所属チームドラゴン高萩 勉(たかはぎ...
高田 延彦本名高田 伸彦通称平成の格闘王青春のエスペランサわがままな膝小僧アイアムプロレスラージャパニーズ・ラスト・出てこいや性別男性国籍日本誕生日1962年4月12日(61歳)出身地神奈川県横浜市身...
高瀬 大樹本名高瀬 大樹通称寝技アーティスト影のグラップリング・キングブログキング性別男性国籍日本誕生日1978年3月20日(45歳)出身地埼玉県北足立郡伊奈町身長180cm体重84kgリーチ階級ミド...
高橋 藍本名高橋 藍通称あいあい性別女性国籍日本誕生日1982年5月10日(41歳)出身地千葉県身長168cm体重57kgリーチ階級スタイルシュートボクシング所属シーザージムテーマ曲アイアイ高橋 藍(...
高橋 義生本名高橋 和生通称殴り屋人食い義生性別男性国籍日本誕生日1969年3月13日(54歳)出身地千葉県市川市身長180cm体重93kgリーチ階級ヘビー級、ライトヘビー級スタイルレスリング所属プロ...
高橋 洋子本名高橋 洋子通称たか性別女性国籍日本誕生日1973年4月20日(50歳)出身地北海道小樽市身長172cm体重72kgリーチ階級スタイルプロレス所属全日本女子プロレス→吉本女子プロレスJd'...
高林 恭子本名高林 恭子通称公武堂の看板娘性別女性国籍日本誕生日1981年4月15日(42歳)出身地岐阜県高山市身長157cm体重52kgリーチ階級フェザー級スタイルレスリング、柔術所属ALIVE高林...