中村和裕
中村 和裕 本名 中村 和裕 通称 カズ 吉田道場 大将 戦極の若大将 吉田道場の柔くん 吉田道場の一番星 性別 男性 国籍 日本 誕生日 1979年2月21日(44歳) 出身地 広島県福山市 身長...
青木 真也 | |
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本名 | 青木 真也 |
通称 | バカサバイバー 跳関十段 |
性別 | 男性 |
国籍 | 日本 |
誕生日 | 1983年5月9日(40歳) |
出身地 | 静岡県静岡市 |
身長 | 180cm |
体重 | 70kg |
リーチ | 183cm |
階級 | ライト級(DREAM) ミドル級(修斗) |
スタイル | 柔道 |
所属 | フリー →Team ROKEN →パラエストラ東京/Evolve MMA[1] |
テーマ曲 | バカサバイバー(ウルフルズ) |
青木 真也(あおき しんや、1983年5月9日 - )は、日本の総合格闘家、ブラジリアン柔術家。静岡県静岡市出身。パラエストラ東京/Evolve MMA所属[1]。
寝技の極めの技術に非常に長け、数々の試合で一本勝ちを収め、日本の軽量級最高峰のグラップラーとして評価され、「跳関十段」(とびかんじゅうだん)、「バカサバイバー」の異名を持つ。中井祐樹からブラジリアン柔術黒帯を授けられている。
DEEPジムのインストラクターとして働いているが、試合はパラエストラ東京の代表として出場している。2011年5月よりシンガポールに所在するジム「Evolve MMA」も所属先として併記することになった[1]。
東海大第一中学、静岡学園高校、早稲田大学のそれぞれで柔道部に在籍。この当時から既にさまざまな格闘技に通じ、跳びつき腕ひしぎ十字固め・脇固め・スピニングチョーク・フットチョークなど、柔道においては特異な技の数々で勝利をものにしてきた。その結果全日本ジュニア強化選手となったが、競技柔道(講道館柔道)では投げ技による一本勝ちを重視する傾向があるため、ともすれば高専柔道や七帝柔道とも見なされかねない青木のスタイルは講道館柔道の世界からは異端扱いをされ、結果青木はその格闘技観の違いから、「極」を重視した格闘技へと活躍の場を移すことを決意。
2003年11月24日、「club DEEP 4th」で行なわれたフューチャーキングトーナメント82kg以下級で優勝[3]。
2004年10月30日、「DEEP 16th IMPACT」で中尾受太郎と対戦。寝技を駆使し試合を優位に進めるも、スタンドの打ち合いで左ストレートを受けKO負けを喫した。
2004年11月28日、「COPA reversal 2004」で弘中邦佳と柔術マッチで対戦し、跳びつき腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。フィニッシュの腕ひしぎ十字固めで弘中は右肘を脱臼した[4]。
2005年1月29日、初参戦となった修斗でキース・ウィスニエフスキーにスタンド状態から腕ひしぎ脇固めで一本勝ち。フィニッシュの腕ひしぎ脇固めでウィスニエフスキーは左腕を骨折した[5]。2005年2月2日付けでクラスAに昇格した(1戦1勝)[6]。
2005年5月4日、修斗で岩瀬茂俊と対戦予定であったが、眼底検査で網膜裂孔と診断され、インターナショナル修斗コミッションよりライセンスが発行されず、欠場となった[7]。
2005年5月28日、アブダビコンバットでは、77kg未満級の2回戦でマルセロ・ガッシアと対戦し、バックを許し、チョークスリーパーで一本負け。翌日5月29日には無差別級の1回戦でホジャー・グレイシーと対戦し、アキレス腱固めによる一本負けを喫した。
2005年6月11日、プロ柔術関西「大阪夏の陣」で渡辺直由へのリベンジに成功。試合後、セコンドについていた渡辺の師である早川光由に「次はお前だ!」と対戦要求した[8]。
2005年7月30日、網膜裂孔が完治し修斗よりライセンスが発行され、5月に中止となった岩瀬茂俊と対戦[9]。開始35秒、右ローキックを股間に受けてしまい、反則勝ちとなった[10]。
2005年8月20日、修斗で桜井"マッハ"速人と対戦し、0-3の判定負けを喫した。
2005年10月19日、カリフォルニア州で行なわれたヒクソン・グレイシー主催のブドーチャレンジ77kg未満級トーナメントに参戦。決勝でキャメロン・アールに一本勝ちし優勝を果たした。
2005年11月6日、1年前に柔術マッチで対戦した弘中と修斗で再戦し、三角絞めで固めた上での鉄槌で左眉付近をカットさせ、TKO勝ちを収めた。
2005年11月20日、「カンペオナート・ジャポネーズ・ジュウジュツ・アベルト」のアダルト黒帯アブソルート級1回戦で、階級が下の小野瀬龍也のスパイダーガードを攻略出来ずに敗北。
2006年2月17日、修斗世界ミドル級王者菊地昭に判定勝ち、史上最短の5戦目にして第5代世界ミドル級王者となった。試合直後にリング上でマイクを握った青木は号泣しながら修斗への感謝を語り、「俺は一生修斗しかやりません」と宣言した[11]。また、直後のインタビューでは「PRIDEさんからも声がかかったけど、PRIDEは競技ではない。あれはイベントであり、エンターテインメントだから僕の目指す競技ではない」と発言していた(後述)。
2006年3月に大学卒業後、警察官(静岡県警)となり警察学校に入るが2か月で退職し、プロ格闘家一本へ。そして雑誌にてPRIDEへの参戦を仄めかし、後にPRIDE参戦が決定。
2006年8月26日、PRIDE初参戦となった「PRIDE 武士道 -其の十二-」でジェイソン・ブラックと対戦し、三角絞めによる一本勝ちを収めた[12]。
2006年10月14日、修斗でジョージ・ソテロポロスと対戦し、金的攻撃による反則勝ちとなった。
2006年11月5日、「PRIDE 武士道 -其の十三-」でギルバート・メレンデスと対戦予定だったが、メレンデスが負傷欠場。代役のクレイ・フレンチと対戦し、跳び三角絞めで一本勝ち。試合後、リング上でマイクを握った青木は、リングサイドで腕をギプスで固定しながら観戦していたメレンデスに対して、大晦日に試合をすることを呼びかけ、メレンデスもこれに賛同したものの[13]、結局同年の大晦日は青木はハンセンと、メレンデスは川尻達也と対戦したため両者の対戦は実現しなかった。
2006年12月31日、大晦日興行初参戦となった「PRIDE 男祭り 2006」でヨアキム・ハンセンと対戦。レインボーカラーのスパッツ&マウスピースといういでたちで登場、開始早々にグラウンドに引きずり込みフットチョーク(PRIDEの公式記録はトライアングルチョーク)で一本勝ちを収めた。
2007年2月17日、修斗世界ミドル級王座の初防衛戦で前王者・菊地昭と再戦し、2-1の判定勝ちで王座防衛を果たした。
2007年3月、DEEP GYMで自らが指導するクラスを開始させた。
2007年4月8日、「PRIDE.34」でブライアン・ローアンユーと対戦。ローアンユーのパウンドや膝蹴りでダメージを負うも、冷静に下から腕ひしぎ十字固めを極め一本勝ちを収めた。
2007年6月17日、グラップリング大会「DEEP X」のメインイベントでペドロ・アキーラと対戦。開始38秒、チョークスリーパーによる一本勝ちを収めた。
2007年12月31日、2年連続の大晦日興行参戦となった「やれんのか! 大晦日! 2007」でJ.Z.カルバンと対戦予定であったが、カルバンの負傷による欠場により、代わりに参戦となった総合格闘技デビュー戦のチョン・ブギョンとメインイベントで対戦。腕ひしぎ十字固めを2度極めかけられるなど苦戦するも、パウンドで流れを引き寄せ3-0の判定勝ちを収めた。
2008年3月15日、「DREAM.1」のライト級グランプリ1回戦でJ.Z.カルバンと対戦。1R序盤、カルバンがガブッた体勢から振り下ろした肘が青木の首に当たってしまう。反則行為である延髄への打撃と見なされ、ダメージの残る青木に3分間のインターバルが与えられるも回復せず、偶発的なアクシデントによりノーコンテストとなった[14]。トーナメントの勝ち上がりは主催者預かりとなったが、4月4日の記者会見で没収試合に裁定変更のうえ「DREAM.2」で再戦することが発表された[15]。
2008年4月29日、「DREAM.2」でJ.Z.カルバンと再戦。1Rにカルバンのパウンドを受けるもバックを奪い、2Rにも再三跳び関節を仕掛け、3-0の判定で勝利。前年の大晦日から続いた因縁に決着をつけた。
2008年6月15日、「DREAM.4」の2回戦で永田克彦と対戦し、マウントからのフットチョークで一本勝ちを収めた。
2008年7月21日、「DREAM.5」のライト級グランプリ準決勝で宇野薫と対戦。終始ペースを握って次々と関節技を仕掛け、宇野の粘りに一本は奪えなかったものの3-0の判定勝ち。決勝ではリザーブから上がってきたヨアキム・ハンセンにパウンドによるTKO負け。準優勝となった。
2008年9月23日、「DREAM.6」ではトッド・ムーアに裸絞めによる一本勝ちを収めた。試合後にマイクを持つと、「僕が大黒柱です」「僕の前に試合をした秋山“マイケル・ジャクソン”成勲先輩!青木真也と大晦日にネバーランドでワオワオしませんか?」と秋山成勲に対戦を要求した[16](秋山の「韓国での自分の人気の高さはマイケル・ジャクソンに匹敵する」という発言への皮肉を込めた挑発である)。
2008年12月31日、3年連続の大晦日興行参戦となった「Dynamite!! ~勇気のチカラ2008~」でライト級グランプリ決勝で対戦するはずであったエディ・アルバレスと対戦し、踵固めで一本勝ち。試合後のマイクでは「UFCよく聞け、日本がトップだコノヤロー!」と絶叫した[17]。この勝利により、初代WAMMA世界ライト級王者に認定された[18]。
2009年3月8日、ウェルター級GPへの参戦を見据えてライト級の体重から増量し、74kg契約で「DREAM.7」でデイビッド・ガードナーと対戦。ガードナーが「ハロージャパン」と発声したスキを突きチョークスリーパーを極め一本勝ちを収めた。試合後のコメントでウェルター級GPへの参戦を表明した。
2009年4月5日、「DREAM.8」のウェルター級グランプリ1回戦で桜井"マッハ"速人と対戦し、開始直後にテイクダウンを奪ったもののバタフライ・スイープで体位の逆転を許し、開始27秒、パウンドによるKO負けを喫した。
2009年4月29日、「DEEP M-1 CHALLENGE 3rd EDITION in JAPAN」でエメリヤーエンコ・ヒョードルとサンボ衣着用・打撃ありのスーパーエキシビションファイトを行なった。お互いに見せ場を作った後、終了間際に青木がヒョードルのアキレス腱固めにタップアウトした[19]。
2009年7月20日、「DREAM.10」でビトー"シャオリン"ヒベイロと対戦。シャオリンとの対戦が決定した際に「(柔術世界王者シャオリン相手に)思いっきり寝技で勝負します!」と宣言していた[20]にもかかわらず、試合では寝技を避けて終始スタンドでのミドルキックや膝蹴りで攻勢となり、判定勝ち。試合後のリング上で「いやー、ムエタイって面白いでしょ?」(友人である藤原あらしの発言のオマージュ)と発言すると、会場からブーイングが起こった。また、試合後の会見では「最初から“判定上等”でした」と発言した。
2009年10月6日、「DREAM.11」のライト級タイトルマッチで3度目となったヨアキム・ハンセンと対戦し、試合終了残り4秒となったところで腕ひしぎ十字固めによる一本勝ち。ライト級王座を獲得し、DREAM初の日本人王者となった。
2009年12月31日、4年連続の大晦日興行参戦となった「Dynamite!! ~勇気のチカラ2009~」の「DREAM vs SRC(戦極)対抗戦」でSRCライト級王者・廣田瑞人との王者対決を戦い、アームロックを極め続けて廣田の右上腕を骨折させ勝利[21]。勝利後のリング上で横になったままの廣田に対し、舌を出しながら中指を立てるファックサインで侮辱し、さらに会場中に向かってファックサインをして観客を侮辱するなど[22]など物議を醸す結末となった(その時セコンド陣から「止めろ!」と即静止させられた)。試合後の記者会見[23]や試合翌日の記者会見[21]でフィニッシュした極め技のことを「笹原圭一プロデューサーから刺しにいけと言われたので刺したので『笹原圭一2010』です」と発言した。廣田を試合後に侮辱したことに関して笹原プロデューサーから厳重注意が与えられたことが発表された[21]。試合翌日の会見で青木は廣田を侮辱したことについて謝罪した。
2010年1月7日、Dynamite!!での試合後の不道徳行為について、パラエストラ東京から厳重注意が与えられ、パラエストラ東京の指導スタッフから解任されたことが発表された[24]。同日に行なわれたSRCの記者会見では、「試合後のインタビュー等においても形式的に謝罪の弁は述べているが、フィニッシュした極め技のことを「笹原さんが『刺しに行け』と言って、しっかり刺してきたので『笹原圭一2010』です」とコメントしたり、廣田選手の腕を「確実に折りにいきました」と述べるなど、誠意と謝意は微塵も感じられない言葉を重ねている。青木自身はもとより、彼をその影響下におき、煽り立て、結果としてかかる振る舞いに至らしめたと推測される関係者に対して心からの猛省を促すと共に然るべき処罰を強く求めます。少なくとも「厳重注意」「反省」といった、お手盛りの言葉とやりとりで許される類いのものでは決してない」と処罰を要求する意見書を発表した[25]。
2010年4月17日、アメリカ合州国テネシー州にて開催された「Strikeforce: Nashville」でケージデビューし、Strikeforce世界ライト級王者ギルバート・メレンデスの王座に挑戦するも、終始圧倒され、18度のテイクダウンを試みるが1度も成功せず寝技でもパウンドを受け続けるなど全くいいところなくフルマークの0-3の判定負け。試合後は、メレンデスの所属チームであるグレイシー・ファイターに弟子入りを申し出、主席コーチであるシーザー・グレイシーより承諾を受けた[26]。
2010年5月21日付けで2006年2月17日から保持していた(2007年2月17日以降、防衛戦を行っていなかった)修斗世界ミドル級王座を返上した[27]。
2010年7月10日、「DREAM.15」のライト級タイトルマッチで川尻達也と対戦し、アキレス腱固めによる一本勝ちを収め王座初防衛に成功した。試合後のリング上で「私事ですが、僕は結婚します!」と結婚することを宣言した[28]。また、この試合ではロングスパッツではなく普通のトランクスを着用し、自身のTwitter上で「スパッツにウダウダ言ってたやつ合掌!」と発言した。
2010年9月25日、「DREAM.16」でマーカス・アウレリオと対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。試合前の煽りVTRでは結婚および夫人が妊娠していることが発表された(2011年3月に男児が生まれた)[29]。
2010年12月31日、5年連続の大晦日興行参戦となった「Dynamite!! ~勇気のチカラ2010~」で長島☆自演乙☆雄一郎と対戦。試合はミックスルール(1Rが3分の特別キックルール(フリーノックダウン制)、2Rが5分の総合格闘技ルール。2Rで決着がつかない場合は判定なし)で行なわれたが、2R開始直後に青木のタックルに合わせた長島の右跳び膝蹴りでダウンしたところにパウンドで追撃され失神KO負け[30]。この試合では、1Rに明らかに時間稼ぎのクリンチやドロップキックなどで逃げ回り、反則であるロープに掴む行為も行ない、会場からはブーイングが浴びせられており、この試合の解説を行なった須藤元気には「バチが当たった」、魔裟斗には「逃げてちゃ勝てないですよ」と酷評されるなど物議を醸す結果となった。
2011年4月9日、「Strikeforce: Diaz vs. Daley」でライル・ビアボームと対戦し、チョークスリーパーによる一本勝ち。Strikeforce初勝利となった[31]。
2011年5月29日、「DREAM JAPAN GP -2011バンタム級日本トーナメント-」でリッチ・クレメンティと対戦し、フェイスロックによる一本勝ちを収めた[32]。対戦相手選びが難航し、当初対戦予定であったヴィラミー・シケリムはパスポートの期限切れで対戦が流れ、その後アントニオ・マッキーとの対戦が発表されるも[33]、マッキーが膝を負傷し対戦相手が直前で変更された[34]。
2011年9月24日、「DREAM.17」のメインイベントでロブ・マックローと対戦し、裸絞めによる一本勝ちを収めた[35]。
2011年12月31日、6年連続の大晦日興行参戦となった「元気ですか!! 大晦日!! 2011」で行なわれたDREAMライト級タイトルマッチで練習仲間である北岡悟と対戦し、3-0の判定勝ちを収め2度目の王座防衛に成功した[36]。
総合格闘技 戦績 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
37 試合 | (T)KO | 一本 | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 |
31 勝 | 1 | 19 | 8 | 3 | 0 | 1 |
5 敗 | 3 | 0 | 2 | 0 |
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
○ | 北岡悟 | 5分5R終了 判定3-0 | 元気ですか!! 大晦日!! 2011 【DREAMライト級タイトルマッチ】 | 2011年12月31日 |
○ | ロブ・マックロー | 1R 4:57 裸絞め | DREAM.17 | 2011年9月24日 |
○ | リッチ・クレメンティ | 2R 2:17 フェイスロック | DREAM JAPAN GP -2011バンタム級日本トーナメント- | 2011年5月29日 |
○ | ライル・ビアボーム | 1R 1:33 チョークスリーパー | Strikeforce: Diaz vs. Daley | 2011年4月9日 |
○ | ヨックタイ・シスオー | 1R 1:00 アームロック | DEEP 50 IMPACT ~10年目の奇跡~ | 2010年10月25日 |
○ | マーカス・アウレリオ | 2R(10分/5分)終了 判定3-0 | DREAM.16 | 2010年9月25日 |
○ | 川尻達也 | 1R 1:53 アキレス腱固め | DREAM.15 【DREAMライト級タイトルマッチ】 | 2010年7月10日 |
× | ギルバート・メレンデス | 5分5R終了 判定0-3 | Strikeforce: Nashville 【Strikeforce世界ライト級タイトルマッチ】 | 2010年4月17日 |
○ | 廣田瑞人 | 1R 2:17 アームロック | Dynamite!! ~勇気のチカラ2009~ 【DREAM vs SRC 対抗戦】 | 2009年12月31日 |
○ | ヨアキム・ハンセン | 2R 4:56 腕ひしぎ十字固め | DREAM.11 フェザー級グランプリ2009 決勝戦 【DREAMライト級タイトルマッチ】 | 2009年10月6日 |
○ | ビトー"シャオリン"ヒベイロ | 2R(10分/5分)終了 判定3-0 | DREAM.10 ウェルター級グランプリ2009 決勝戦 | 2009年7月20日 |
× | 桜井"マッハ"速人 | 1R 0:27 KO(パウンド) | DREAM.8 ウェルター級グランプリ2009 開幕戦 【ウェルター級グランプリ 1回戦】 | 2009年4月5日 |
○ | デイビッド・ガードナー | 1R 5:58 チョークスリーパー | DREAM.7 フェザー級グランプリ2009 開幕戦 | 2009年3月8日 |
○ | エディ・アルバレス | 1R 1:32 ヒールホールド | Dynamite!! ~勇気のチカラ2008~ | 2008年12月31日 |
○ | トッド・ムーア | 1R 1:10 チョークスリーパー | DREAM.6 ミドル級グランプリ2008 決勝戦 | 2008年9月23日 |
× | ヨアキム・ハンセン | 1R 4:19 TKO(レフェリーストップ:パウンド) | DREAM.5 ライト級グランプリ2008 決勝戦 【ライト級GP 決勝】 | 2008年7月21日 |
○ | 宇野薫 | 2R(10分/5分)終了 判定3-0 | DREAM.5 ライト級グランプリ2008 決勝戦 【ライト級GP 準決勝】 | 2008年7月21日 |
○ | 永田克彦 | 1R 5:12 フットチョーク | DREAM.4 ミドル級グランプリ2008 2nd Round 【ライト級GP 2回戦】 | 2008年6月15日 |
○ | J.Z.カルバン | 2R(10分/5分)終了 判定3-0 | DREAM.2 ミドル級グランプリ2008 開幕戦 【ライト級GP 1回戦(再戦)】 | 2008年4月29日 |
- | J.Z.カルバン | 1R 3:46 ノーコンテスト(偶発的な反則) →没収試合 | DREAM.1 ライト級グランプリ2008 開幕戦 【ライト級GP 1回戦】 | 2008年3月15日 |
○ | チョン・ブギョン | 2R終了 判定3-0 | やれんのか! 大晦日! 2007 | 2007年12月31日 |
○ | ブライアン・ローアンユー | 1R 1:33 腕ひしぎ十字固め | PRIDE.34 | 2007年4月8日 |
○ | 菊地昭 | 5分3R終了 判定2-1 | 修斗 BACK TO OUR ROOTS 【世界ミドル級チャンピオンシップ】 | 2007年2月17日 |
○ | ヨアキム・ハンセン | 1R 2:04 フットチョーク | PRIDE 男祭り 2006 -FUMETSU- | 2006年12月31日 |
○ | クレイ・フレンチ | 1R 3:57 三角絞め | PRIDE 武士道 -其の十三- | 2006年11月5日 |
○ | ジョージ・ソテロポロス | 2R 0:05 反則失格(ローブロー) | 修斗 | 2006年10月14日 |
○ | ジェイソン・ブラック | 1R 1:58 三角絞め | PRIDE 武士道 -其の十二- | 2006年8月26日 |
○ | 菊地昭 | 5分3R終了 判定3-0 | 修斗 SHOOTO The Victory of The Truth 【世界ミドル級チャンピオンシップ】 | 2006年2月17日 |
○ | 弘中邦佳 | 1R 2:10 TKO(レフェリーストップ:左眉カット) | 修斗 | 2005年11月6日 |
× | 桜井"マッハ"速人 | 5分3R終了 判定0-3 | 修斗 ALIVE ROAD | 2005年8月20日 |
○ | 岩瀬茂俊 | 1R 0:35 反則失格(ローブロー) | 修斗 | 2005年7月30日 |
○ | キース・ウィスニエフスキー | 1R 2:22 腕ひしぎ脇固め | 修斗 | 2005年1月29日 |
× | 中尾受太郎 | 1R 4:29 KO(左ストレート) | DEEP 16th IMPACT 【DEEPウェルター級トーナメント 準決勝】 | 2004年10月30日 |
○ | 池本誠知 | 2R 0:52 腕ひしぎ十字固め | DEEP 15th IMPACT 【DEEPウェルター級トーナメント 1回戦】 | 2004年7月3日 |
○ | 佐藤隆平 | 不戦勝(棄権) | club DEEP 4th in 西調布格闘技アリーナ 【第2回フューチャーキングトーナメント 82kg以下級 決勝】 | 2003年11月24日 |
○ | 龍保利 | 1R 0:51 腕ひしぎ十字固め | club DEEP 4th in 西調布格闘技アリーナ 【第2回フューチャーキングトーナメント 82kg以下級 準決勝】 | 2003年11月24日 |
○ | 沖村大 | 1R 3:14 腕ひしぎ十字固め | club DEEP 4th in 西調布格闘技アリーナ 【第2回フューチャーキングトーナメント 82kg以下級 1回戦】 | 2003年11月24日 |
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
× | 長島☆自演乙☆雄一郎 | 2R 0:04 KO(右膝蹴り→パウンド) | Dynamite!! ~勇気のチカラ2010~ 【DREAM特別ルール(1R キックルール/2R DREAMルール)】 | 2010年12月31日 |
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
○ | ペドロ・アキーラ | 1R 0:38 チョークスリーパー | DEEP X | 2007年6月17日 |
○ | キャメロン・アール | 足関節技 | ブドーチャレンジ【77kg未満級 決勝】 | 2006年5月26日 |
○ | アリ・アブデルアジズ | 跳びつき腕ひしぎ十字固め | ブドーチャレンジ【77kg未満級 1回戦】 | 2006年5月26日 |
○ | 鶴屋浩 | 2R 1:04 フットチョーク | 修斗【修斗グラップリングマッチ】 | 2006年3月24日 |
× | ホジャー・グレイシー | アキレス腱固め | アブダビコンバット【無差別級 1回戦】 | 2005年5月29日 |
× | マルセロ・ガッシア | チョークスリーパー | アブダビコンバット【77kg未満級 準々決勝】 | 2005年5月28日 |
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
○ | 渡辺直由 | 10分終了 ポイント5-0 | プロ柔術関西「大阪夏の陣」 【アダルト黒帯メジオ級】 | 2005年6月11日 |
○ | 弘中邦佳 | 3:17 跳びつき腕ひしぎ十字固め | COPA reversal 2004 ~FESTA DO JIU-JITSU~ | 2004年11月28日 |
× | 渡辺直由 | 8分終了 ポイント0-8 アドバンテージ1-1 | プロ柔術GroundImpact ~Gi-05~ 昼の部 | 2004年9月19日 |
初代 | 初代WAMMA世界ライト級王者 2008年12月31日 - 現在 | 次王者 |
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鶴巻 伸洋本名鶴巻 伸洋性別男性国籍日本誕生日1971年10月22日(51歳)出身地新潟県新津市身長170cm体重87kgリーチ階級ミドル級、ウェルター級スタイル柔道所属SAW→ティアゲネス鶴巻 伸洋...
鳥生 将大本名鳥生 将大性別男性国籍日本誕生日1983年10月30日(39歳)出身地大阪府泉南郡身長177cm体重85kgリーチ階級ミドル級スタイルレスリング、極真空手、柔道所属P's LAB 大阪→...
魔裟斗(まさと)本名小林 雅人(こばやし まさと)通称反逆のカリスマ性別男性国籍日本誕生日1979年3月10日(44歳)出身地千葉県柏市身長174cm体重70kgリーチ階級ミドル級(K-1)スタイルキ...
魅津希本名井上 瑞樹通称天才格闘少女性別女性国籍日本誕生日1994年8月19日(28歳)出身地愛知県名古屋市身長162cm体重55kgリーチ階級-56kg級(JEWELS)スタイル空手所属空手道白心会...
高阪 剛本名高阪 剛通称TK世界のTK格闘技界の賢者性別男性国籍日本誕生日1970年3月6日(53歳)出身地滋賀県草津市身長181cm体重99kgリーチ階級ヘビー級(PRIDE)スタイル柔道所属リング...
高谷 裕之本名高谷 裕之通称伝説の喧嘩師喧嘩番長悪魔の拳性別男性国籍日本誕生日1977年6月10日(45歳)出身地千葉県習志野市身長167cm体重65kgリーチ階級フェザー級(DREAM)ミドル級(H...
高萩 ツトム本名高萩 勉通称褐色のドラゴン性別男性国籍日本誕生日1982年12月20日(40歳)出身地神奈川県身長181cm体重97kgリーチ階級ヘビー級(K-1)所属チームドラゴン高萩 勉(たかはぎ...
高田 延彦本名高田 伸彦通称平成の格闘王青春のエスペランサわがままな膝小僧アイアムプロレスラージャパニーズ・ラスト・出てこいや性別男性国籍日本誕生日1962年4月12日(61歳)出身地神奈川県横浜市身...
高瀬 大樹本名高瀬 大樹通称寝技アーティスト影のグラップリング・キングブログキング性別男性国籍日本誕生日1978年3月20日(45歳)出身地埼玉県北足立郡伊奈町身長180cm体重84kgリーチ階級ミド...
高橋 藍本名高橋 藍通称あいあい性別女性国籍日本誕生日1982年5月10日(41歳)出身地千葉県身長168cm体重57kgリーチ階級スタイルシュートボクシング所属シーザージムテーマ曲アイアイ高橋 藍(...
高橋 義生本名高橋 和生通称殴り屋人食い義生性別男性国籍日本誕生日1969年3月13日(54歳)出身地千葉県市川市身長180cm体重93kgリーチ階級ヘビー級、ライトヘビー級スタイルレスリング所属プロ...
高橋 洋子本名高橋 洋子通称たか性別女性国籍日本誕生日1973年4月20日(50歳)出身地北海道小樽市身長172cm体重72kgリーチ階級スタイルプロレス所属全日本女子プロレス→吉本女子プロレスJd'...
高林 恭子本名高林 恭子通称公武堂の看板娘性別女性国籍日本誕生日1981年4月15日(42歳)出身地岐阜県高山市身長157cm体重52kgリーチ階級フェザー級スタイルレスリング、柔術所属ALIVE高林...