中村和裕
中村 和裕 本名 中村 和裕 通称 カズ 吉田道場 大将 戦極の若大将 吉田道場の柔くん 吉田道場の一番星 性別 男性 国籍 日本 誕生日 1979年2月21日(44歳) 出身地 広島県福山市 身長...
ホジャー・グレイシー | |
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本名 | ホジャー・グレイシー・ゴメス (Roger Gracie Gomes) |
通称 | グレイシー最強の遺伝子 |
性別 | 男性 |
国籍 | ブラジル |
誕生日 | 1981年9月26日(41歳) |
出身地 | リオデジャネイロ州 |
身長 | 193cm |
体重 | 97kg |
リーチ | 201cm |
階級 | ヘビー級、ライトヘビー級 |
スタイル | ブラジリアン柔術 |
所属 | グレイシー・バッハ ホジャー・グレイシー柔術アカデミー |
ホジャー・グレイシー(Roger Gracie、1981年9月26日 - )は、ブラジルのブラジリアン柔術家、総合格闘家。リオデジャネイロ州出身。グレイシー・バッハ所属。イギリス・ロンドンで「ホジャー・グレイシー柔術アカデミー」を主宰。
グレイシー柔術の始祖カーロス・グレイシーの娘、ヘイラ・グレイシーを母親に持つ。父親はブラジリアン柔術家のマウリシオ・ゴメス。
世界柔術選手権(ムンジアル)、パンアメリカン選手権、ブラジル選手権、アブダビコンバットなど、数々の大会で優勝経験を持つ。
ホーウス・グレイシーの黒帯である父親マウリシオ・ゴメスの影響もあり、幼少期より柔術に親しんだ。15歳でリオデジャネイロを離れサンタカタリーナ州で従兄弟達と練習を積む中で、「ファイターになり、絶対に負けない」と決意した[1]。2002年のムンジアル茶帯無差別級でホナウド・ジャカレイを破って優勝し、黒帯を授与された。2003年にはイギリスで柔術普及に努めていた父親とともに、ロンドンで「ホジャー・グレイシー柔術アカデミー」を開いた。
2003年5月、アブダビコンバット99kg未満級において、1回戦で1998年の無差別級王者マリオ・スペーヒーに勝利するも、準決勝でユノラフ・エイネモにバックを奪われ敗退。3位決定戦ではシャンジ・ヒベイロに勝利した。
2003年7月、黒帯初のムンジアルではアブソルート級(無差別級)にエントリー。決勝まで勝ち進むも、同門のマーシオ・クルーズに敗れ、準優勝となった。
2003年10月5日、「PRIDE 武士道」で行なわれた「日本vsグレイシー 5対5対抗戦」にセコンドとして来日。PRIDE参戦を希望していたが、PRIDEが消滅したために実現しなかった。
2004年7月のムンジアルでスペルペサード級(-97kg)で優勝を果たした。アブソルート級では決勝でホナウド・ジャカレイと再戦。リードを許した後、腕ひしぎ十字固めでジャカレイの肘を脱臼させながら、最後は組み手を避けるジャカレイにポイント差で逃げ切られ、またも準優勝となった。ホジャーはこの結果について、レフェリーのミスジャッジと主張した[1]。
2005年5月、アブダビコンバット99kg未満級において優勝を果たし、無差別級では青木真也、ファブリシオ・ヴェウドゥム、シャンジ・ヒベイロ、ホナウド・ジャカレイから全て一本勝ちし優勝を果たし、モスト・テクニカル・ファイター賞も受賞した。
2005年7月、ムンジアルでスペルペサード級を連覇、アブソルート級決勝では前年と同じ組み合わせとなった。試合はホナウド・ジャカレイに終了間際にテイクダウンを奪われ、3年連続で準優勝となった。
2006年4月、パンアメリカン柔術選手権(パンナム)に出場、スペルペサード級ではシャンジ・ヒベイロに敗れて準優勝であったが、同じ組み合わせだったアブソルート級決勝でシャンジに三角絞めを決め、リベンジを果たした[2]。
2006年7月、ムンジアルでスペルペサード級を3連覇を達成。アブソルート級決勝でのシャンジ・ヒベイロ戦ではポイントでリードしながら終盤にテイクダウンで逆転を許し、4度目の準優勝となった[3]。
2006年12月2日、カナダで開催されたBodogFightで総合格闘技デビューし、ロン・ウォーターマンと対戦。自ら下になり相手をコントロールし、腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。なお、この試合は11月4日にドン・フライと対戦予定であったが、大会自体が延期になり、対戦相手も変更となった。
2007年5月6日、アブダビコンバットのスーパーファイトでユノラフ・エイネモと対戦し、5-0で判定勝ちを収めた。
2007年8月、ムンジアルのアブソルート級で決勝で同門のホムロ・バハルに送り襟絞めで勝利し、黒帯無差別級で初優勝、5年越しの悲願を達成した。元々バハルは同門対決を避け勝利を譲ろうとしたが、ホジャーが「無差別級の優勝者は闘って決められるべきだ」と説得し、本気の勝負が行なわれた[4]。またスペルペサード級でも4連覇を達成した。
2008年3月5日、戦極旗揚げ戦「戦極 ~第一陣~」の会場にて戦極 ~第二陣~への参戦が発表された。
2008年5月18日、「戦極 ~第二陣~」で近藤有己と対戦し、チョークスリーパーで一本勝ちを収めた。
2008年6月、ムンジアルに出場。階級を上げたペサディシモ級(+97kg)では優勝を果たすも、アブソルート級ではシャンジ・ヒベイロに破れ、5度目の準優勝となった。
2008年9月28日、「戦極 ~第五陣~」でトラヴィス・ビューと対戦予定であったが、肋間筋損傷により9月22日に欠場が発表された。正式な診断書などが提出されないなどの経緯などを踏まえ戦極は厳重な処罰なども検討した[5][6]。
2009年6月、ムンジアルに出場。スペルペサード級とアブソルート級の両階級で優勝を果たした。
2009年11月20日の「ShoMMA: Strikeforce Challengers」に参戦予定であったが、欠場となった[7]。
2010年5月15日、Strikeforce初参戦となった「Strikeforce: Heavy Artillery」にて、ケビン・ランデルマンと対戦。首相撲からの膝蹴りでダウンを奪うなど課題であった打撃面でも成長を見せ、最後はチョークスリーパーで一本勝ちを収めた[8]。
2011年1月29日、「Strikeforce: Diaz vs. Cyborg」でトレヴァー・プラングリーと対戦し、チョークスリーパーで一本勝ち[9]。総合格闘技4連勝となった。
2011年9月10日、「Strikeforce: Barnett vs. Kharitonov」でキング・モーと対戦し、右フックでダウンを奪われたところにパウンドで追撃されKO負け[10]。総合格闘技5戦目での初黒星となった。
総合格闘技 戦績 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
5 試合 | (T)KO | 一本 | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 |
4 勝 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1 敗 | 1 | 0 | 0 | 0 |
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
× | キング・モー | 1R 4:33 KO(右フック→パウンド) | Strikeforce: Barnett vs. Kharitonov | 2011年9月10日 |
○ | トレヴァー・プラングリー | 1R 4:19 チョークスリーパー | Strikeforce: Diaz vs. Cyborg | 2011年1月29日 |
○ | ケビン・ランデルマン | 2R 4:10 チョークスリーパー | Strikeforce: Heavy Artillery | 2010年5月15日 |
○ | 近藤有己 | 1R 1:40 チョークスリーパー | 戦極 ~第二陣~ | 2008年5月18日 |
○ | ロン・ウォーターマン | 1R 3:38 腕ひしぎ十字固め | BodogFight Season 1 Finale | 2006年12月2日 |
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
○ | ユノラフ・エイネモ | 判定5-0 | アブダビコンバット【スーパーファイト】 | 2007年5月6日 |
○ | ホナウド・ジャカレイ | チョークスリーパー | アブダビコンバット【無差別級 決勝】 | 2005年5月29日 |
○ | シャンジ・ヒベイロ | チョークスリーパー | アブダビコンバット【無差別級 準決勝】 | 2005年5月29日 |
○ | ファブリシオ・ヴェウドゥム | チョークスリーパー | アブダビコンバット【無差別級 準々決勝】 | 2005年5月29日 |
○ | 青木真也 | アキレス腱固め | アブダビコンバット【無差別級 1回戦】 | 2005年5月29日 |
○ | アレッシャンドリ・カカレコ | 判定(延長戦前に試合放棄) | アブダビコンバット【99kg未満級 決勝】 | 2005年5月29日 |
○ | シャンジ・ヒベイロ | チョークスリーパー | アブダビコンバット【99kg未満級 準決勝】 | 2005年5月28日 |
○ | エドゥアウド・テレス | 腕ひしぎ十字固め | アブダビコンバット【99kg未満級 準々決勝】 | 2005年5月28日 |
○ | ジャスティン・ガルシア | チョークスリーパー | アブダビコンバット【99kg未満級 1回戦】 | 2005年5月28日 |
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