前田日明

ページ名:前田日明
前田 日明
本名前田 日明
通称壊し屋
クラッシャー
スパークリング・フラッシュ
七色のスープレックス
黒髪のロベスピエール
肉体のローマ式戦車
格闘王
大殿
キックの千手観音
性別男性
国籍日本
誕生日1959年1月24日(64歳)
出身地大阪府大阪市
身長192cm
体重115kg
リーチ
階級
スタイル空手
所属新日本プロレス
→第1次UWF
→新日本プロレス
→第2次UWF
→リングス

前田 日明(まえだ あきら、1959年1月24日 - )は、日本のプロレスラー、総合格闘家。リングスCEO。元HERO'Sスーパーバイザー。総合格闘技大会THE OUTSIDERのプロデューサー。大阪府大阪市出身。元在日韓国人三世(日本国籍に帰化済み)。

プロレス界にキックボクシングやサンボの要素を持ち込み、格闘技を日本人にとって身近なものにした。また、プロモーターとして格闘技の大規模興行を成功させ、そのノウハウはK-1に受け継がれている。総合格闘技という言葉の創始者(佐山聡が使い始めたという説もある)とされ、佐山聡らと共に、日本の「プロレス」が現代の「総合格闘技」へと発展拡大していく流れを作った中心人物である。また、前田はリングス初期に試合会場を予約する際に「フリー・ファイト団体」として「プロレス」との差別化をはかろうとしていた[1]。

目次

来歴[]

プロレスへのきっかけ[]

少年時代は『ウルトラマン』に熱中。その中で1967年4月9日に放送された最終回「さらばウルトラマン」において初代ウルトラマンが宇宙恐竜ゼットン]倒されたのを見て、ウルトラマンの仇を討つため打倒ゼットンを志し少林寺拳法を習い始めた。北陽高校時代は少林寺拳法、空手、バイクに熱中した。空手は無想館拳心道館長岩崎孝二から学んだ(二段を取得)。

新日本プロレス[]

1977年に佐山聡にスカウトされ新日本プロレスに入団。同年8月25日、山本小鉄戦でデビュー。新日本プロレスの社長兼エースのアントニオ猪木に憧れて入団したのではなく、「肉が沢山食べられるから」「モハメド・アリに会える(同じジムに入れる)」が入団の理由であった。

その後、将来のエース候補として渡英しクイックキック・リー(「サミー・リー」(佐山聡)の弟というギミック)として活躍。ヨーロッパヘビー級王座を獲得し、IWGPトーナメント欧州代表として帰国。日本再デビュー戦の相手はポール・オーンドーフ(リバース・アームソルトにてピンフォール勝ちを収める)。当時の藤波辰巳とのタッグ名は「フレッシュコンビ」。ヨーロッパで修行したというブランド力や、長身を生かしたスープレックスと相手をロープに飛ばしてのフライングニールキックなどで人気レスラーとなった。

第1次(旧)UWF[]

1984年に第1次(旧)UWF(浦田昇社長)の旗揚げに参加。佐山聡の影響によりキックと関節技を中心とした格闘技色の濃いプロレススタイル(後にUWFスタイルと呼ばれる)が展開されるが、格闘技の試合は月に一度と言う“競技志向”の佐山と、会社が大変なんだから試合を増やそうと言う“興行志向”の前田が対立し、同団体は解散。

1985年12月6日、藤原喜明、木戸修、高田伸彦(現・高田延彦)、山崎一夫らと共に業務提携という形で新日本に復帰。前田はリング上で「1年半UWFとしてやってきたことが何であるか確かめに来ました」とマイクアピールを行った。

1986年4月29日、三重県津市体育館において新日本サイドの不可解なマッチメイクで、アンドレ・ザ・ジャイアントと対戦。セメントマッチだと言われているが、最後はアンドレが試合を放棄してしまい、26分35秒ノーコンテストとなった。

同年10月9日、両国国技館で行なわれた「INOKI 闘魂 LIVE」で、ドン・中矢・ニールセンとの「異種格闘技戦」を、逆片エビ固めでギブアップさせ勝利、この試合を期に「新格闘王」と呼ばれ、プロレス界以外からも注目を浴びるようになった。この試合について、後年、ニールセンは「ここはこうやって、その次はこう、と流れを決めたわけではなかった。でも、ボクが言われたのは“試合を盛り上げてくれ”ということ。そして、1Rにいいパンチが入ったのに、セコンドに“アーリーノックアウトはダメだ”って言われた」と、プロレス雑誌『kamipro』で証言した。

1987年11月19日、後楽園ホールにおけるUWF軍対維新軍の6人タッグマッチで、前田が長州力を背後からキックし、長州に右前頭洞底骨折、全治1か月の重傷を負わせた(長州vs前田 顔面蹴撃事件)。このことを理由に、新日本プロレスは前田に無期限出場停止の処分を下す。その後、出場停止解除の条件として、メキシコ遠征することを指示されたが、それを拒否したことにより1988年2月1日に新日本プロレスからプロレス道にもとる行為を理由に解雇される。後に前田は、プロレス雑誌「Gスピリッツ」におけるインタビューで、全日本プロレスでの天龍・輪島戦の衝撃に対抗するため顔面蹴りを試みたところ、長州が顔を反らしてしまったためにアクシデントに至ってしまったと証言している(和解済み)。

第2次(新生)UWF[]

第2次(新生)UWFは、1988年5月12日に後楽園ホールにて「STARTING OVER」と銘打ち旗揚げ戦を行った。当時、創刊されたばかりの格闘技通信は「プロレスという言葉が嫌いな人この指とまれ」と、前田を表紙に抜擢した。第2次UWFは格闘技であることを標榜した、競技色の強いプロレスであった。

その後、前田と神新二社長との間で、神社長の会社の株式の無断の独占問題と不明朗な経理で問題が発生。1990年10月、前田は船木誠勝戦直後に、フロントを非難。これを受けたフロントは前田を出場停止処分とする。この一連の前田とフロントとの確執は前田と所属選手間にも波及。翌1991年初頭に、前田は自宅マンションでの選手集会で第2次UWFの解散を宣言した。

リングス[]

リングス設立

第2次UWF解散後の1991年春、リングスを設立。同年5月11日に横浜アリーナで旗揚げ戦を行った。リングスの興行はWOWOWで生放送された。さらには、UWF時代の人脈からオランダのクリス・ドールマンの全面協力を得ることになった。正道会館からは、石井和義館長が佐竹雅昭ら空手家をリングスに派遣した。石井館長はリングス参戦によって大型興行のノウハウを蓄積しそれが後のK-1の飛躍へとつながった。

前十字靭帯の断裂

旗揚げ第2戦前の練習で、前田は前十字靭帯断裂の重傷を負った。その後しばらくはニーブレスをつけて強行出場を続けるが、最終的には手術を行ない長期欠場となった。エース不在の興行的な穴はディック・フライ、ヴォルク・ハン、高阪剛、田村潔司、山本宜久、長井満也、成瀬昌由らが埋めることになる。この頃、リングスは旗揚げ当初より続いた外国人頼りのカードから脱却する。

KOKルールの採用

1993年から始まったUFCの影響を受けて、1999年からリングスもバーリトゥードに近いKOKルールを採用した。KOKルールは、グラウンド状態での顔面への打撃は禁止であったが、スタンド状態での顔面打撃を認めた画期的なルールであった。佐山は初期の修斗ルールと同じと言っていたが、グラウンドでの腹部・腰部・足部への打撃有無の違いがある。

ヒクソン・グレイシーとの対戦宣言

1998年に開催されたPRIDE.1では、高田延彦がヒクソン・グレイシーに敗北。これを機に、前田はヒクソンとの対戦を宣言し交渉を進めるが、ヒクソン側が高田延彦との試合を決めたため、実現することはなかった。

リングス活動停止

1999年2月21日、前田の引退試合としてアレクサンダー・カレリンと対戦し、判定(ポイント)負け。カレリンとの引退試合は民放のニュース番組で特集されるほど、世間から注目されていた。後に前田は、引退試合の相手にカレリンを選んだ理由について「本当に強い人間っていうのは、こういうことだよっていうのを証明したかった」と語っている[2]。

前田引退による興行人気の低下によって、2002年にリングスは活動停止。しかし、リトアニア、オランダ、ロシアでは大会は継続され、日本国内でもリングス出身スタッフが運営し、リングスKOKルールを採用した格闘技イベントZSTが開催されている。

ビッグマウス(ビッグマウス・ラウド)[]

2005年、元新日本プロレスの上井文彦に請われ、上井が旗揚げした新プロレスイベントビッグマウスにスーパーバイザーとして参画。同時に、船木誠勝と和解。

2006年2月26日、新生ビッグマウス・ラウド旗揚げ記念大会・徳島興行で、前田は船木と共にビッグマウス・ラウドを脱退。上井による会社資金の横領の露見、それによる資金難による団体所属選手および社員の給与未払い、道場を用意しようとしなかった等、上井の資金の使い込みをめぐる確執が脱退理由であった。

HERO'S[]

ビッグマウスとK-1との提携で、「HERO'S」発足時より「スーパーバイザー」として参加。同興行の看板役の他に、試合ルールの運用、選手発掘などを行なう。しばしば記者会見等の公の場に姿を現した。

2007年10月5日、「HERO'S KOREA 2007」の開催発表記者会見に出席。前日10月4日にPRIDE事務所が閉鎖され活動停止となったことに関し「天網恢々粗にして漏らさず」と発言。同日深夜、HERO'S公式サイトで谷川貞治が「不適切な発言」と謝罪文を掲載する事態となった[3]。

同年12月31日、「K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!」で田村潔司vs所英男の試合後のリング上にプレゼンターとして登場。勝利者賞のトロフィーを田村に放り投げるように押しつけるトラブルを起こした[4]。

2008年2月15日、「THE OUTSIDER」(後述)の記者会見を開き、HERO'Sの発展的解消に伴い同イベントのスーパーバイザーを降板したことが発表された。それまで確執が取り沙汰されていた旧PRIDEとHERO'Sとの連立イベントDREAMについては「めでたいこと」と述べた[5]。

THE OUTSIDER[]

2008年1月21日、RINGS公式サイトで、いわゆる「不良」を主な対象とした格闘技大会「THE OUTSIDER」の立ち上げを発表し[6][7]。3月30日にディファ有明において旗揚げ大会を開催した[8]。

獲得タイトル[]

プロレス

  • ヨーロッパヘビー級]]王座
  • UWFヘビー級王座
元はWWF(現WWE)インターナショナルヘビー級王座だったが、旧UWFとWWFの関係が消滅したと同時に改称される。)
  • IWGPタッグ王座:(パートナーは高田延彦)

得意技[]

キャプチュード(Captured:捕獲投げ)変形フロント・スープレックス。そのままピンフォール出来る。腕と片足をフックして投げるのが特徴。技の名は入場テーマ曲のタイトル(『CAPTURED』)に由来(それ以前は「アキラスペシャル」と称されていた)。各種スープレックス当時のプロレス雑誌で公開された名称によると、ジャーマン・スープレックス・ホールド、ドラゴン・スープレックス・ホールド、リバース・アームサルト、ダブルリスト・アームサルト、ウンターグルフ、サルト、リバース・サルト、スロイダー、ハーフハッチ、ダブルアームロック・サルト、クォーターネルソン・サルト、デアポート・スロイダーの12種類。フライングニールキック前田独特の軌道を描くニールキック(スタン・ハンセンのラリアットを足でと言う発想から生まれたと言われている)。横にひねりを加えつつジャンプし、踵を相手の顔面や胸元に当てる。大車輪キック縦回転で放たれるニールキック。足の長い前田が使用するのが「大車輪」の由来。ジャンピング・ニーバット新日での凱旋帰国後、坂口征二とタッグの際に多用。これは、対戦相手として多く組まれた外人選手がニールキックを受けるのを嫌ったことに起因する。

人物[]

  • 2006年12月、15年来の親友であったフリーカメラマンの女性と入籍した(2007年3月3日に自身のブログで発表)[9]。2007年5月には長男が誕生。2009年1月17日に結婚披露宴を行った。
  • 在日韓国人三世。韓国訪問での体験などを経て帰化を決意。1983年に日本に帰化申請を行ない、翌年受理された。韓国名(旧名)は「高 日明」(コ・イルミョン、고일명)。
  • 新日本デビュー当時のリングネームは「前田明」であったが、旧UWF旗揚げ時にリングネームを本名の「日明」に改名した。「日明」と命名した祖父への思いから「前田日明」に改名した。
  • 1995年5月20日、リングス興行で鶴巻伸洋戦を終えた弟子・坂田亘に対し、試合内容の不甲斐無さなどを理由に予告どおりバックステージで制裁した。

政治[]

2009年12月28日に2010年夏の参議院比例代表に民主党公認で出馬予定だったが[10]、2010年3月3日には第1次公認候補が見送られ[11]、同年3月21日には出馬辞退の意向が伝えられた[12]。

その後、民主党と連立与党を組む国民新党が前田と接触を持ち、参議院東京都選挙区に同党公認候補として擁立する方針を打ち出す[13]。しかし、東京都選挙区からの立候補を望む同党と、比例区からの出馬を希望する前田との意思は合致せず、結果、同党からの出馬もなかった[14]。

トラブル[]

  • パンクラス社長である尾崎允実がリングスに出場していた外国人選手と会話していたのを見て、これを引き抜き工作だと考え、ホテルのロビーで尾崎の胸倉を掴むなどして脅迫。民事・刑事両方で前田が敗訴。
  • 1994年に開催された極真空手トーナメント大会に前田が来賓として出席。そこに居合わせた『フルコンタクトKARATE』編集長・山田英司を会場の女子便所内に監禁した。山田は過去にUWFがプロレスであることを暴露し、当時はリングス・パンクラスへの批判記事を雑誌に掲載していた。
  • 元弟子でもある安生洋二と、1994年にリングスとUWFインターナショナルとの対抗戦の交渉決裂後に罵りあう。1996年6月にはFIGHTING TV サムライ開局のパーティーで前田が安生を不意に裏拳で小突いた(レスラーやマスコミ等が周囲にいる中での出来事であり、前田と安生の間に立っていたアントニオ猪木が仲裁した)。1999年11月14日には、UFC-J会場において、安生が背後から不意に前田を殴打した。前田は失神し、前田の失神姿がプロレス雑誌の表紙となった。その後、前田は安生を訴え、安生は略式裁判で罰金刑を受けた。
  • 2001年5月30日付の東京スポーツに「有罪判決 リングス前田 暴行女性は元妻」という記事が1面に掲載されたことに対し、500万円の損害賠償を求めた訴訟を起こす。東京地裁(菅野博之裁判長)は、『米国で有罪判決を受けた』事実、および前田が『結婚していた』ことは「真実と認められない」と判断、200万円の支払いと謝罪広告掲載を命じ、東スポは敗訴(2002年9月13日判決)。

入場テーマ曲[]

  • 「KATANA」
  • 「THE ROOM (BRAINWASH) PART ONE」 - リック・ウェイクマンのアルバム「1984」の4曲目。英国より凱旋帰国した時の入場テーマとして使用していたが、前年から既に小林邦昭の入場テーマ曲として定着していた。
  • 「ダンバインとぶ」(歌詞は入れずブリッジで繫いで編集したものを使用)
  • 「キャプチュード」 - 代表的な入場テーマ。

その他[]

映画[]

  • YAWARA!(1989年) - 本人役
  • WARU(2006年) - 主人公の友人役

著書[]

  • 『格闘王への挑戦』 1988年、ISBN 4-06-204081-6
  • 『パワー・オブ・ドリーム』 1988年、ISBN 4-04-173701-X
  • 『誰のために生きるか』 1992年、ISBN 4-569-53635-2
  • 『最強の自分をつくる』 1994年、ISBN 4-569-54202-6
  • 『真格闘技伝説 RINGS』 1994年、ISBN 4-87031-189-5
  • 『無冠』 1998年、ISBN 408780285X

脚注[]

  1. ↑ 週刊プロレス別冊2008年冬季号 新生UWF証言集
  2. ↑ 週刊プロレス 2010年11月10日号
  3. ↑HERO'S 前田日明氏の発言に対する謝罪 HERO'S公式サイト 2007年10月5日
  4. ↑HERO'S 「K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!」第6試合 スポーツナビ
  5. ↑前田日明氏がSV降板、アマMMA大会「THE OUTSIDER」開催へ スポーツナビ 2008年2月15日
  6. ↑「ジョーがいたら俺が段平になる」前田が総合格闘技のアマチュアを確立する! angle JAPAN 2008年1月15日
  7. ↑THE OUTSIDER 参加者募集 RINGS公式サイト 2008年1月21日
  8. ↑第1回THE OUTSIDERを、前田CEOは「70点」「(乱闘の数は)想定以下」と評価 angle JAPAN 2008年3月31日
  9. ↑【HERO'S】新婚の前田日明SV「息子にはパイロットになって欲しい」 格闘技ウェブマガジンGBR 2007年3月8日
  10. ↑前田日明氏、民主から参院選に出馬へ 女優・岡崎友紀氏も MSN産経ニュース 2009年12月29日
  11. ↑前田日明氏、参院選1次公認見送り 日刊スポーツ 2010年3月4日
  12. ↑前田日明氏、民主からの参院選出馬辞退へ SANSPO.COM 2010年3月22日
  13. ↑前田日明氏、国民新が東京で擁立 民主比例出馬は破談 朝日新聞 2010年3月26日
  14. ↑前田日明氏、民主の次は国民新で出馬断念 MSN産経ニュース 2010年4月27日

外部リンク[]

  • RINGS.CO.JP(RINGS公式サイト)
  • グレーテストレスラーズ 前田日明(新日本プロレス公式サイト)
  • SHERDOG 選手データ

Wikipedia[]

  • Wikipedia:ja:前田日明
  • Wikipedia:en:Akira Maeda
Smallwikipedialogo.pngこのページには、クリエイティブ・コモンズでライセンスされたウィキペディアの記事が使用され、それをもとに編集がなされています。
使用された記事は前田日明にあり、その著作権者のリストはページの履歴に記録されています。


特に記載のない限り、コミュニティのコンテンツはCC BY-SAライセンスの下で利用可能です。

シェアボタン: このページをSNSに投稿するのに便利です。


最近更新されたページ

中村和裕

中村 和裕 本名 中村 和裕 通称 カズ 吉田道場 大将 戦極の若大将 吉田道場の柔くん 吉田道場の一番星 性別 男性 国籍 日本 誕生日 1979年2月21日(44歳) 出身地 広島県福山市 身長...

左メニュー

左メニューサンプル左メニューはヘッダーメニューの【編集】>【左メニューを編集する】をクリックすると編集できます。ご自由に編集してください。掲示板雑談・質問・相談掲示板更新履歴最近のコメントカウン...

龍二

龍二通称のんべえファイター酔いどれファイター博多のドランクドラゴン博多の荒武者博多の昇龍性別男性国籍日本誕生日1978年8月26日(44歳)出身地大分県身長177cm体重70kgリーチ階級ミドル級(K...

齋藤裕俊

齋藤 裕俊本名齋藤 裕俊通称マヌーフ性別男性国籍日本誕生日1984年8月12日(38歳)出身地茨城県猿島郡身長167cm体重70kgリーチ階級フェザー級スタイル空手、柔道所属和術慧舟會GODS齋藤 裕...

黒田アキヒロ

黒田 アキヒロ本名黒田 哲広性別男性国籍日本誕生日1978年4月28日(45歳)出身地神奈川県相模原市身長172cm体重60kgリーチ階級ライト級スタイルキックボクシング所属サバーイ町田→フォルティス...

麻原将平

麻原 将平本名麻原 将平性別男性国籍日本誕生日1984年9月3日(38歳)出身地滋賀県身長171cm体重60kgリーチ階級ライト級(K-1)所属正道会館→シルバーアックス麻原 将平(あさはら しょうへ...

鹿又智成

鹿又 智成本名鹿又 智成通称八王子のお祭り男打極無双寝技魔術師性別男性国籍日本誕生日1979年8月4日(43歳)出身地東京都昭島市身長173cm体重70kgリーチ階級ライト級、フェザー級スタイルブラジ...

鶴巻伸洋

鶴巻 伸洋本名鶴巻 伸洋性別男性国籍日本誕生日1971年10月22日(51歳)出身地新潟県新津市身長170cm体重87kgリーチ階級ミドル級、ウェルター級スタイル柔道所属SAW→ティアゲネス鶴巻 伸洋...

鳥生将大

鳥生 将大本名鳥生 将大性別男性国籍日本誕生日1983年10月30日(39歳)出身地大阪府泉南郡身長177cm体重85kgリーチ階級ミドル級スタイルレスリング、極真空手、柔道所属P's LAB 大阪→...

魔裟斗

魔裟斗(まさと)本名小林 雅人(こばやし まさと)通称反逆のカリスマ性別男性国籍日本誕生日1979年3月10日(44歳)出身地千葉県柏市身長174cm体重70kgリーチ階級ミドル級(K-1)スタイルキ...

魅津希

魅津希本名井上 瑞樹通称天才格闘少女性別女性国籍日本誕生日1994年8月19日(28歳)出身地愛知県名古屋市身長162cm体重55kgリーチ階級-56kg級(JEWELS)スタイル空手所属空手道白心会...

高阪剛

高阪 剛本名高阪 剛通称TK世界のTK格闘技界の賢者性別男性国籍日本誕生日1970年3月6日(53歳)出身地滋賀県草津市身長181cm体重99kgリーチ階級ヘビー級(PRIDE)スタイル柔道所属リング...

高谷裕之

高谷 裕之本名高谷 裕之通称伝説の喧嘩師喧嘩番長悪魔の拳性別男性国籍日本誕生日1977年6月10日(45歳)出身地千葉県習志野市身長167cm体重65kgリーチ階級フェザー級(DREAM)ミドル級(H...

高萩勉

高萩 ツトム本名高萩 勉通称褐色のドラゴン性別男性国籍日本誕生日1982年12月20日(40歳)出身地神奈川県身長181cm体重97kgリーチ階級ヘビー級(K-1)所属チームドラゴン高萩 勉(たかはぎ...

高田延彦

高田 延彦本名高田 伸彦通称平成の格闘王青春のエスペランサわがままな膝小僧アイアムプロレスラージャパニーズ・ラスト・出てこいや性別男性国籍日本誕生日1962年4月12日(61歳)出身地神奈川県横浜市身...

高瀬大樹

高瀬 大樹本名高瀬 大樹通称寝技アーティスト影のグラップリング・キングブログキング性別男性国籍日本誕生日1978年3月20日(45歳)出身地埼玉県北足立郡伊奈町身長180cm体重84kgリーチ階級ミド...

高橋藍

高橋 藍本名高橋 藍通称あいあい性別女性国籍日本誕生日1982年5月10日(41歳)出身地千葉県身長168cm体重57kgリーチ階級スタイルシュートボクシング所属シーザージムテーマ曲アイアイ高橋 藍(...

高橋義生

高橋 義生本名高橋 和生通称殴り屋人食い義生性別男性国籍日本誕生日1969年3月13日(54歳)出身地千葉県市川市身長180cm体重93kgリーチ階級ヘビー級、ライトヘビー級スタイルレスリング所属プロ...

高橋洋子

高橋 洋子本名高橋 洋子通称たか性別女性国籍日本誕生日1973年4月20日(50歳)出身地北海道小樽市身長172cm体重72kgリーチ階級スタイルプロレス所属全日本女子プロレス→吉本女子プロレスJd'...

高林恭子

高林 恭子本名高林 恭子通称公武堂の看板娘性別女性国籍日本誕生日1981年4月15日(42歳)出身地岐阜県高山市身長157cm体重52kgリーチ階級フェザー級スタイルレスリング、柔術所属ALIVE高林...