山本宜久

ページ名:山本宜久
山本 宜久
本名山本 宜久
通称前田イズム継承者
ヤマヨシ(ヤマノリ)
ヒクソンを追い詰めた男
性別男性
国籍日本
誕生日1970年7月4日(52歳)
出身地山口県下松市
身長190cm
体重103kg
リーチ
階級ヘビー級
スタイル柔道
所属前田道場
→リングス
→フリー
→高田道場
→フリー

山本 宜久(やまもと よしひさ、1970年7月4日 - )は、日本の総合格闘家。山口県下松市出身。フリー。

リングスでデビューし、試合を重ねる。リングス解散後にPRIDEに参戦し、9戦3勝6敗。その後、HERO'Sに参戦するが4戦全敗。

リングネームを山本宜久→山本憲尚(やまもと のりひさ)→山本宜久と改名している。

目次

来歴[]

高校時代に柔道を経験。ちなみに、初段である。高校卒業後、職を転々とした後に第2次UWFへ入門。

リングス[]

1991年にリングスに入門し、1992年に成瀬昌由戦でデビュー。初勝利は1993年の西良典戦。1994年には前田日明とも対戦したが、アキレス腱固めにより敗北。

リングスでは田村潔司が移籍する1996年頃まで前田日明に次ぐナンバー2の序列だった[1]。その後も田村、金原弘光らと共に団体を引っ張る。リングス戦績37勝24敗4分。

1995年2月、リングス・オランダがオランダで開催した自主興行で、ルディ・イウォルドとの流血試合がテレビ放送されたことがきっかけになり、オランダ政府はフリーファイトの規制を行なうようになる[2]

1995年4月20日、「バーリ・トゥード・ジャパン・オープン 1995」ではヒクソン・グレイシーと対戦。ヒクソンに対し、フロントチョークをかけるなどしたが、3R3分49秒スリーパーホールドで一本負け。ヒクソンのパンチを受け、眼窩を骨折した。まだルール問題が明確でなかった総合格闘技の創成期に行なわれたこの試合で山本はヒクソンにテイクダウンされないようにとの前田日明のアドバイスの元、常にロープを掴みつつ、フロントチョークをかけていた。その状態に、ヒクソンもかなり追い詰められていて、必死に抵抗していた。試合後、グレーシー側の抗議もあり、ロープを掴む行為が試合の進行を妨げるなどの問題と取られ、それ以降の大会ではロープを掴む行為が反則と見なされるようになった。

リングス時代にはモーリス・スミスヒカルド・モラエスジェレミー・ホーンなどと対戦経験がある。

2001年2月24日、「KING OF KINGS 2000 GRAND FINAL」でヴァレンタイン・オーフレイムに腕ひしぎ十字固めで一本負け。この試合が山本にとってリングス最後の試合となった。また、この試合よりリングネームを山本憲尚と改名した。

2001年5月にリングスを退団し、フリーとして活動を始める。2001年6月14日にはプロレスイベントの真撃でファンに挨拶中の小川直也を襲撃してパンチでKOし、第3者のリングでの対決を要求。小川に対してはリングス時代に1999年5月22日にも挑戦表明して対戦が浮上していたが、対戦は実現しなかった[3][4]

リングスの前田道場時代のニックネームは、ジョージだった[5]

PRIDE[]

フリーとしてPRIDEに参戦。デビュー戦となった2001年9月の「PRIDE.16」のアスエリオ・シウバ戦では前田日明のテーマ曲である「キャプチュード」で入場するも、開始11秒でTKO負けを喫した。

2001年12月12日付けで高田延彦主宰の高田道場へ移籍。12月23日、「PRIDE.18」でヤン・"ザ・ジャイアント"・ノルキヤから一本勝ちを収めた。通常は心機一転と言うところを一気進展とマイク[6]。山本にとって、PRIDEにおける明快な勝ち星はこの試合だけである。

以降は、ボブ・サップ、ガイ・メッツァーヒース・ヒーリングといった強豪と対戦し敗退。アレクサンダー大塚には勝利しているが、大塚の負傷(右ふくらはぎの筋断裂)によるものである。

2003年に行なわれたPRIDE武士道への出場権を賭けた高田道場内での非公式戦では、松井大二郎に一本勝ちを収めた。

2003年11月9日のヒース・ヒーリング戦より、リングネームを本名に戻した。

2004年2月1日、「PRIDE.27」でPRIDEヘビー級GPの出場権を賭け、PRIDEに復帰したマーク・ケアーと対戦。試合開始直後にケアーがタックルを試み山本はそのままマットに倒されたが、ケアーはリングに頭を強打し失神、山本のTKO勝ちとなった。山本は「プロレスラーなんでね、とっさにDDTを使ってしまった。まぁ彼の心が折れたんでしょうね」と発言。テレビのレポーターとして山本に接した浅草キッドと大槻ケンヂがDDTではないかと誘導質問して煽ったのを受けた山本の発言だったが[7]、ケアーの首をクラッチできておらず、高田延彦はこの発言を問題視し、ヘビー級GP出場は保留にされ新たに査定試合が組まれることとなった。

その2週間後の2月15日、「PRIDE 武士道 -其の弐-」で再度PRIDEヘビー級GPの挑戦権を賭けミルコ・クロコップと戦う。このマッチメイクは、マーク・ケアー戦後の山本の発言と態度にファンからの抗議電話が殺到したのを受けた制裁マッチだとも言われた[8]。試合は、ミルコのタックルの防御に対し、山本はこれをサミング行為とみなして2度アピールするも観客からはブーイングをもらい(また、ミルコの攻撃にニヤニヤと笑みを浮かべるなど、良くない印象を与えた)、しかもその行為がミルコを怒らせてしまい、山本はミルコの一方的な攻撃を受けてTKO負けを喫した。

2004年5月23日、「PRIDE 武士道 -其の参-」でチェ・ムベに判定負け。この試合が山本のPRIDEにおける最後の試合となった。

2003年頃に虫垂炎を悪化させて腸閉塞になる。2004年8月には初期の大腸癌が発見されて手術を受けた[6]

HERO'S[]

2005年2月に高田道場を退団。3月11日にかつての師匠前田日明がスーパーバイザーを務めるHERO'Sへの参戦を表明[6]。しかし、その後交通事故で肩の骨を折る重傷を負い、2005年は全く試合ができなかった。

2006年3月15日に、ケガより復帰し、HERO'Sへ参戦。アトランタオリンピック柔道銀メダリストのキム・ミンスと対戦した。バックハンドブローで一時は追い詰めたが、チョークスリーパーで一本負けを喫した。

2006年8月5日、HERO'Sでドン・フライと対戦。山本は試合前インタビューで「今回意地をね…、とにかく勝ちたい」と険しい表情で語っていたが、チョークスリーパーで敗北。試合後、「心と体がバラバラで限界かな、と思ってます」と引退を示唆したが現役を続行。

2007年3月12日に、「HERO'S 2007 開幕戦 ~名古屋初上陸~」で柴田勝頼と対戦。柴田に「総合をちょっとかじってきたらしいが、僕も色々なトップ選手と対戦してきたんで、なめるなという感じ。ボコボコにしてやりますよ」と語っていたが、試合開始9秒、柴田の右フックが山本の頭にヒットしパウンドをくらいTKO負け。セコンドには、高阪剛成瀬昌由などリングス時代の戦友がついた。

2007年10月28日、「HERO'S KOREA 2007」でイ・テヒョンと対戦し、ミドルキックで倒され、グラウンドパンチでTKO負け。顔面の出血がひどく、病院へ直行した。

2010年10月24日、これまでのヘビー級からウェルター級へ30kg以上の減量をして、「DEEP 50 IMPACT」で門馬秀貴と対戦。3年ぶりの試合で、これがDEEP初参戦だったが[9]、肩固めで一本負けした[10][11]

2011年10月15日、約1年ぶりの復帰戦となった「GRABAKA LIVE! 1st CAGE ATTACK」で山宮恵一郎と対戦し、0-3の判定負けを喫した[12]

戦績[]

総合格闘技 戦績
39 試合(T)KO一本判定その他引き分け無効試合
14 勝551310
24 敗71034
勝敗対戦相手試合結果イベント名開催年月日
×山宮恵一郎5分2R終了 判定0-3GRABAKA LIVE! 1st CAGE ATTACK2011年10月15日
×門馬秀貴1R 1:07 肩固めDEEP 50 IMPACT ~10年目の奇跡~2010年10月24日
×イ・テヒョン1R 1:03 TKO(グラウンドパンチ)HERO'S KOREA 20072007年10月28日
×柴田勝頼1R 0:09 TKO(右フック→パウンド)HERO'S 2007 開幕戦 ~名古屋初上陸~2007年3月12日
×ドン・フライ1R 4:52 チョークスリーパーHERO'S 2006
ミドル&ライトヘビー級世界最強王者決定トーナメント準々決勝
【スーパーファイト】
2006年8月5日
×キム・ミンス2R 1:32 スリーパーホールドHERO'S 20062006年3月15日
×チェ・ムベ2R終了 判定0-3PRIDE 武士道 -其の参-2004年5月23日
×ミルコ・クロコップ1R 2:12 TKO(パウンド)PRIDE 武士道 -其の弐-2004年2月15日
マーク・ケアー1R 0:40 TKO(DDT)PRIDE.27 TRIUMPHAL RETURN2004年2月1日
×ヒース・ヒーリング3R 2:29 スリーパーホールドPRIDE GRANDPRIX 2003 決勝戦2003年11月9日
アレクサンダー大塚2R終了時 TKO(ドクターストップ)PRIDE.242002年12月23日
×ガイ・メッツァー3R終了 判定0-3PRIDE.222002年9月29日
×ボブ・サップ1R 2:44 TKO(パンチ)PRIDE.202002年4月28日
ヤン・"ザ・ジャイアント"・ノルキヤ1R 1:43 アームバーPRIDE.182001年12月23日
×アスエリオ・シウバ1R 0:11 TKO(パウンド)PRIDE.162001年9月24日
×ヴァレンタイン・オーフレイム1R 0:45 腕ひしぎ十字固めリングス KING OF KINGS 2000 GRAND FINAL
【準々決勝】
2001年2月24日
クリストファー・ヘイズマン1R 3:57 KOリングス KING OF KINGS Bブロック
【2回戦】
2000年12月22日
ビターゼ・アミラン1R 4:38 腕ひしぎ十字固めリングス KING OF KINGS Bブロック
【1回戦】
2000年12月22日
×セーム・シュルト1R 2:54 TKO(タオル投入:頭部カット)リングス・オランダ Missisipidreef in Utrecht2000年6月4日
×ブランドン・リー・ヒンクル1R 2:21 チョークスリーパーWEF 92000年5月13日
×ジェレミー・ホーン2R 2:50 肩固めリングス MILLENNIUM COMBINE2000年4月20日
×ブラッド・コーラー1R 1:57 肩固めリングス KING OF KINGS 予選Aブロック
【1回戦】
1999年10月28日
ヴァレンタイン・オーフレイム3:35 TKO(マウント掌打)リングス BATTLE GENESIS Vol.51999年9月15日
田村潔司20分終了 判定リングス RISE 4th1999年6月24日
高阪剛15:41 KO(打撃)リングス RISE 3rd1999年5月22日
ヨープ・カステル7:32 KO(右掌底)リングス RISE 2nd1999年4月23日
ヴァレンタイン・オーフレイム2:40 腕ひしぎ十字固めリングス RISE 1st1999年3月22日
アンドレイ・コピィロフ1R 6:55 チョークスリーパーリングス 前田日明 引退試合 ~The Final~1999年2月21日
×ディミータ・ペトコフ3:32 肩固めリングス WORLD MEGA-BATTLE TOURNAMENT 1998
~第1回国別対抗戦FNRカップ~ Aブロック・1st ROUND
1998年10月23日
ボリス・ジュリアスコフ6:01 TKO(右掌底)リングス WORLD MEGA-BATTLE TOURNAMENT 1998
~第1回国別対抗戦FNRカップ~ Aブロック・1st ROUND
1998年10月23日
×田村潔司18:54 フロントネックロックリングス FIGHTING INTEGRATION 6th1998年9月21日
ニコライ・ズーエフ13:30 裸絞めリングス FIGHTING INTEGRATION 5th1998年8月28日
×前田日明20分終了 判定1-3リングス CAPTURED ~AKIRA MAEDA LAST MATCH~
【前田日明リングスラストマッチ】
1998年7月20日
ヴォルク・ハン11:30 TKOリングス FIGHTING EXTENSION 1997 Vol.61997年8月13日
長井満也2:27 腕ひしぎ十字固めリングス FIGHTING EXTENSION 1997 Vol.51997年7月22日
モーリス・スミス6:00 裸絞めリングス FIGHTING EXTENSION 1997 Vol.41997年6月21日
ヘルマン・レンティング3:17 裸絞めリングス FIGHTING EXTENSION 1997 Vol.31997年5月23日
成瀬昌由21:20 腕ひしぎ十字固めリングス FIGHTING EXTENSION 1997 Vol.21997年4月22日
×高阪剛30分終了 判定リングス BATTLE GENESIS Vol.11997年4月4日
ハンス・ナイマン8:02 腕ひしぎ十字固めリングス FIGHTING EXTENSION 1997 Vol.11997年3月28日
×ビターゼ・タリエル6:19 TKO(レフェリーストップ)リングス MEGA-BATTLE TOURNAMENT 1996 Grand-Final
【3位決定戦】
1997年1月22日
×田村潔司9:49 腕ひしぎ十字固めリングス MEGA-BATTLE TOURNAMENT 1996 Semi Final
【準決勝】
1996年12月21日
ゴギテゼ・バクーリ4:52 裸絞めリングス MEGA-BATTLE TOURNAMENT 1996 2nd Round
【2回戦】
1996年11月22日
ハハレイシビリ・ダビット2:24 ヒールホールドリングス MEGA-BATTLE TOURNAMENT 1996 1st Round
【スペシャルマッチ】
1996年10月25日
×アンドレイ・コピィロフ12:33 膝十字固めリングス MAELSTROM 7th1996年9月25日
×ヒカルド・モラエス0:46 KOリングス MAELSTROM 6th ~旗揚げ5周年記念大会~1996年8月24日
×ハンス・ナイマン2:35 TKO(レフェリーストップ)リングス MAELSTROM 5th1996年7月16日
モーリス・スミス30分終了 判定(ロストポイント4-0)リングス MAELSTROM 4th1996年6月29日
ブザリアシビリ・ラマジ8:19 裸絞めリングス MAELSTROM 3rd ~RUSSIAN BATTLE MISSION~1996年5月25日
高阪剛13:04 ヒールホールドリングス MAELSTROM 2nd1996年4月26日
ビターゼ・タリエル7:54 裸絞めリングス MAELSTROM 1st1996年3月25日
坂田亘1R 3:28 アームロックFREE-FIGHT GALA 1996 The Kings of Martial Arts1996年2月18日
×前田日明17:59 ヒールホールドリングス MEGA-BATTLE TOURNAMENT 1995 Grand Final
【決勝】
1996年1月24日
ヴォルク・ハン10:17 腕ひしぎ十字固めリングス MEGA-BATTLE TOURNAMENT 1995 Semi Final
【準決勝】
1995年12月19日
長井満也7:43 アキレス腱固めリングス MEGA-BATTLE TOURNAMENT 1995 2nd Round
【2回戦】
1995年11月16日
ビターゼ・アミラン4:36 裸絞めリングス MEGA-BATTLE TOURNAMENT 1995 1st Round
【1回戦】
1995年10月21日
ディック・フライ8:21 裸絞めリングス RISING SERIES NAGATSUKI1995年9月22日
ヘルマン・レンティング5:00 三角絞めリングス RISING SERIES HAZUKI1995年8月27日
ディック・フライ9:04 TKOリングス RISING SERIES FUMIZUKI1995年7月18日
×ヴォルク・ハン15:15 腕ひしぎ十字固めリングス RISING SERIES MINAZUKI1995年6月17日
×ヒクソン・グレイシー3R 3:49 スリーパーホールドバーリ・トゥード・ジャパン・オープン 1995
【1回戦】
1995年4月20日
×長井満也11:18 レッグロックリングス RISING SERIES YAYOI1995年3月18日
ルディ・イウォルド3分5R終了 判定FREE-FIGHT GALA 1996 The Kings of Martial Arts1995年2月19日
×ハンス・ナイマン6:49 TKOリングス FIGHTING NETWORK RINGS 1994 TOURNAMENT GRAND FINAL
【3位決定戦】
1995年1月25日
×前田日明11:44 アキレス腱固めリングス BATTLE SHOT at NIIGATA Vol.21994年12月24日
×前田日明9:47 アキレス腱固めリングス FIGHTING NETWORK RINGS 1994 TOURNAMENT SEMI FINAL
【準決勝】
1994年12月16日
グロム・ザザ7:41 裸絞めリングス FIGHTING NETWORK RINGS 1994 TOURNAMENT 2nd Round
【2回戦】
1994年10月22日
この戦績は未完です。

プロレスとの関わり[]

かつてZERO-ONEの真撃や新日本プロレスのリングに乱入したが、未だにプロレスでの試合出場はない。

2001年のリングス退団後に真撃のリングに乱入した際、山本は小川直也をパンチで失神させ「寝言は寝て言え」と挑発したが、両者の対戦は実現しなかった。

2005年の高田道場退団後に新日本プロレスに乱入した際は、永田裕志と大乱闘を繰り広げたが、対戦は実現せず、以降永田との因縁はなかったことになっている。

出典[]

  1. 田村潔司『孤高の選択』、東邦出版、2006年、p.25
  2. 矢作祐輔「【世界のバーリトゥード事情】 IFC、WVCを知ってるかい?」『PRIDE&バーリトゥード 最強読本』、ゴング格闘技特別編集、日本スポーツ出版社、2000年、p.143
  3. 金澤克彦『子殺し 猪木と新日本プロレスの10年戦争』、宝島社、2009年、p.136
  4. 渋澤恵介「小川直也VS山本宜久」『格闘技&プロレス 迷宮Xファイル あの事件はいったい何だったのか!?』、芸文社、2004年、pp.96-99
  5. 『PRIDE Official YEAR BOOK 2004』、ドリームステージエンターテインメント監修、エンターブレイン、2004年、p.81。田村潔司インタビュー。
  6. 6.06.16.2 聞き手・松澤チョロ「"一気進展" 山本宜久」『紙のプロレスRADICAL』NO.85、ワニマガジン社、2005年、pp.114-121
  7. 大槻ケンヂ・吉田豪「迷勝負こそが、未来のプロレスなのだ……!?」『大槻ケンヂのプロレス・格闘技世紀の大凡戦!』、洋泉社、2005年、p.20
  8. 『kamipro』編集部編『kamipro books U.W.F.変態新書』、エンターブレイン、2008年、p.250
  9. 約3年ぶりに復帰する山本宜久が33kgの減量でウェルター級挑戦 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年9月8日
  10. 格闘技速報 DEEP 50 IMPACT ~10年目の奇跡~ スポーツナビ 2010年10月24日
  11. 【DEEP】死闘!菊野が帯谷を判定で退ける、青木&ミノワマン&長南は快勝 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年10月24日
  12. 【GRABAKA】菊田早苗、因縁の相手・山本喧一に完勝!ボビーはミノワマンと引き分ける 格闘技ウェブマガジンGBR 2011年10月15日

外部リンク[]

  • PRIDE 選手データ - Internet Archive
  • HERO'S 選手データ - Internet Archive
  • SHERDOG 選手データ

Wikipedia[]

  • Wikipedia:ja:山本宜久
  • Wikipedia:en:Yoshihisa Yamamoto (wrestler)
Smallwikipedialogo.pngこのページには、クリエイティブ・コモンズでライセンスされたウィキペディアの記事が使用され、それをもとに編集がなされています。
使用された記事は山本宜久にあり、その著作権者のリストはページの履歴に記録されています。


特に記載のない限り、コミュニティのコンテンツはCC BY-SAライセンスの下で利用可能です。

シェアボタン: このページをSNSに投稿するのに便利です。


最近更新されたページ

中村和裕

中村 和裕 本名 中村 和裕 通称 カズ 吉田道場 大将 戦極の若大将 吉田道場の柔くん 吉田道場の一番星 性別 男性 国籍 日本 誕生日 1979年2月21日(44歳) 出身地 広島県福山市 身長...

左メニュー

左メニューサンプル左メニューはヘッダーメニューの【編集】>【左メニューを編集する】をクリックすると編集できます。ご自由に編集してください。掲示板雑談・質問・相談掲示板更新履歴最近のコメントカウン...

龍二

龍二通称のんべえファイター酔いどれファイター博多のドランクドラゴン博多の荒武者博多の昇龍性別男性国籍日本誕生日1978年8月26日(44歳)出身地大分県身長177cm体重70kgリーチ階級ミドル級(K...

齋藤裕俊

齋藤 裕俊本名齋藤 裕俊通称マヌーフ性別男性国籍日本誕生日1984年8月12日(38歳)出身地茨城県猿島郡身長167cm体重70kgリーチ階級フェザー級スタイル空手、柔道所属和術慧舟會GODS齋藤 裕...

黒田アキヒロ

黒田 アキヒロ本名黒田 哲広性別男性国籍日本誕生日1978年4月28日(45歳)出身地神奈川県相模原市身長172cm体重60kgリーチ階級ライト級スタイルキックボクシング所属サバーイ町田→フォルティス...

麻原将平

麻原 将平本名麻原 将平性別男性国籍日本誕生日1984年9月3日(38歳)出身地滋賀県身長171cm体重60kgリーチ階級ライト級(K-1)所属正道会館→シルバーアックス麻原 将平(あさはら しょうへ...

鹿又智成

鹿又 智成本名鹿又 智成通称八王子のお祭り男打極無双寝技魔術師性別男性国籍日本誕生日1979年8月4日(43歳)出身地東京都昭島市身長173cm体重70kgリーチ階級ライト級、フェザー級スタイルブラジ...

鶴巻伸洋

鶴巻 伸洋本名鶴巻 伸洋性別男性国籍日本誕生日1971年10月22日(51歳)出身地新潟県新津市身長170cm体重87kgリーチ階級ミドル級、ウェルター級スタイル柔道所属SAW→ティアゲネス鶴巻 伸洋...

鳥生将大

鳥生 将大本名鳥生 将大性別男性国籍日本誕生日1983年10月30日(39歳)出身地大阪府泉南郡身長177cm体重85kgリーチ階級ミドル級スタイルレスリング、極真空手、柔道所属P's LAB 大阪→...

魔裟斗

魔裟斗(まさと)本名小林 雅人(こばやし まさと)通称反逆のカリスマ性別男性国籍日本誕生日1979年3月10日(44歳)出身地千葉県柏市身長174cm体重70kgリーチ階級ミドル級(K-1)スタイルキ...

魅津希

魅津希本名井上 瑞樹通称天才格闘少女性別女性国籍日本誕生日1994年8月19日(28歳)出身地愛知県名古屋市身長162cm体重55kgリーチ階級-56kg級(JEWELS)スタイル空手所属空手道白心会...

高阪剛

高阪 剛本名高阪 剛通称TK世界のTK格闘技界の賢者性別男性国籍日本誕生日1970年3月6日(53歳)出身地滋賀県草津市身長181cm体重99kgリーチ階級ヘビー級(PRIDE)スタイル柔道所属リング...

高谷裕之

高谷 裕之本名高谷 裕之通称伝説の喧嘩師喧嘩番長悪魔の拳性別男性国籍日本誕生日1977年6月10日(45歳)出身地千葉県習志野市身長167cm体重65kgリーチ階級フェザー級(DREAM)ミドル級(H...

高萩勉

高萩 ツトム本名高萩 勉通称褐色のドラゴン性別男性国籍日本誕生日1982年12月20日(40歳)出身地神奈川県身長181cm体重97kgリーチ階級ヘビー級(K-1)所属チームドラゴン高萩 勉(たかはぎ...

高田延彦

高田 延彦本名高田 伸彦通称平成の格闘王青春のエスペランサわがままな膝小僧アイアムプロレスラージャパニーズ・ラスト・出てこいや性別男性国籍日本誕生日1962年4月12日(61歳)出身地神奈川県横浜市身...

高瀬大樹

高瀬 大樹本名高瀬 大樹通称寝技アーティスト影のグラップリング・キングブログキング性別男性国籍日本誕生日1978年3月20日(45歳)出身地埼玉県北足立郡伊奈町身長180cm体重84kgリーチ階級ミド...

高橋藍

高橋 藍本名高橋 藍通称あいあい性別女性国籍日本誕生日1982年5月10日(41歳)出身地千葉県身長168cm体重57kgリーチ階級スタイルシュートボクシング所属シーザージムテーマ曲アイアイ高橋 藍(...

高橋義生

高橋 義生本名高橋 和生通称殴り屋人食い義生性別男性国籍日本誕生日1969年3月13日(54歳)出身地千葉県市川市身長180cm体重93kgリーチ階級ヘビー級、ライトヘビー級スタイルレスリング所属プロ...

高橋洋子

高橋 洋子本名高橋 洋子通称たか性別女性国籍日本誕生日1973年4月20日(50歳)出身地北海道小樽市身長172cm体重72kgリーチ階級スタイルプロレス所属全日本女子プロレス→吉本女子プロレスJd'...

高林恭子

高林 恭子本名高林 恭子通称公武堂の看板娘性別女性国籍日本誕生日1981年4月15日(42歳)出身地岐阜県高山市身長157cm体重52kgリーチ階級フェザー級スタイルレスリング、柔術所属ALIVE高林...