中村和裕
中村 和裕 本名 中村 和裕 通称 カズ 吉田道場 大将 戦極の若大将 吉田道場の柔くん 吉田道場の一番星 性別 男性 国籍 日本 誕生日 1979年2月21日(44歳) 出身地 広島県福山市 身長...
藤田 和之 | |
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本名 | 藤田 和之 |
通称 | 野獣 猪木イズム最後の継承者 リアル・ビースト Ol' Ironhead(オールド・アイアンヘッド) |
性別 | 男性 |
国籍 | 日本 |
誕生日 | 1970年10月16日(52歳) |
出身地 | 千葉県船橋市 |
身長 | 182cm |
体重 | 115kg |
リーチ | |
階級 | ヘビー級 |
スタイル | レスリング、プロレス |
所属 | 猪木事務所 →藤田事務所 |
テーマ曲 | 炎のファイター(オーケストラ・ヴァージョン) |
藤田 和之(ふじた かずゆき、1970年10月16日 - )は、日本のプロレスラー、総合格闘家。千葉県船橋市出身。
プロレスラーアントニオ猪木を師匠とし、「猪木最後の闘魂継承者」と呼ばれる。
レスリングの選手を経て、プロレスデビューをし、総合格闘技選手としての活動も同時並行して行なう。圧倒的なパワーから繰り出される打撃や、テイクダウンからの打撃、袈裟固め、肩固めなどの技を得意とする。
日本大学在学中に1989年より、レスリングで全日本学生選手権4連覇を果たした。1993年に大学を卒業してからは新日本プロレス職員としてアトランタオリンピック予選に挑戦したが敗退し、全日本選手権2度優勝の実績を残してレスリングは引退。
1996年に新日本プロレス所属のプロレスラーになり、11月1日に永田裕志戦でデビュー。
2000年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会でキモと対戦。膝蹴りが急所に入ってしまい、4分2秒反則負けとなった。この試合を最後に新日本プロレスを退団。
一時はリングスへの参戦に傾いていたが、アントニオ猪木が経営する猪木事務所所属となり、総合格闘技デビューとなった2000年1月30日の「PRIDE GRANDPRIX 2000 開幕戦」でハンス・ナイマンと対戦し、ネックロックによる一本勝ちを収めた。
2000年5月1日、「PRIDE GRANDPRIX 2000 決勝戦」の準々決勝で当時「霊長類最強の男」と謳われたマーク・ケアーに3-0の判定勝ち。しかし準決勝のマーク・コールマン戦ではケアー戦での左膝靭帯の損傷により開始直後にタオルが投入され、TKO負けとなった。
2001年4月9日、新日本プロレスのリングでスコット・ノートンを降し、第29代IWGP世界ヘビー級王者となった。6月6日に永田裕志、7月20日にドン・フライと防衛に成功した。
2001年8月19日、「K-1 ANDY MEMORIAL 2001」でミルコ・クロコップとMMAルールで対戦。3度目のタックルにカウンターの左膝蹴りを合わせられ、左眉横から大出血。ドクターストップ負けとなった。
人気選手となった2001年には、サントリーのBOSSコーヒーのテレビCMにアントニオ猪木と共に出演したり、アニメ映画「デ・ジ・キャラット」に声優として出演するなど多彩な活動をした。
2001年12月、練習中に右アキレス腱を断裂。大晦日の「INOKI BOM-BA-YE 2001」出場および2002年1月4日に予定されていた永田裕志とのIWGP世界ヘビー級選手権試合はキャンセルされ、1月4日のリング上で挨拶を行ない、IWGP王座返上が発表された。
2002年7月20日、9か月ぶりに新日本プロレス札幌大会における垣原賢人戦で復帰し、スリーパーホールドで一本勝ちを収めた。
2002年8月8日、「UFO LEGEND」で安田忠夫と対戦し、肩固めで一本勝ちを収めた。
2002年12月31日、大晦日興行初参戦となった「INOKI BOM-BA-YE 2002」でミルコ・クロコップとのリベンジマッチに挑むも、0-3の判定負けを喫した。
2003年6月8日、「PRIDE.26」でPRIDEヘビー級王者エメリヤーエンコ・ヒョードルと対戦。右フックでヒョードルをぐらつかせる場面もあったが、最後はスリーパーホールドでタップアウト負けを喫した。
2003年12月31日、2年連続の大晦日興行参戦となった「INOKI BOM-BA-YE 2003」で元IBF世界クルーザー級王者イマム・メイフィールドと寝技20秒限定ルールで対戦し、スタンド式肩固めで一本勝ち。当初はWBO世界ヘビー級王者レイ・マーサーと対戦予定であったが出場キャンセルとなり、当日になって対戦相手変更が発表された。
2004年5月22日、「K-1 ROMANEX」におけるボブ・サップとの「野獣対決」にパウンドでタップアウト勝ち。「リアルビースト」と呼ばれるようになる。
2004年6月5日、棚橋弘至とIWGPヘビー級王座決定戦を行ない、サッカーボールキックによるKO勝ち。ただし、前年のアルティメット・クラッシュでは棚橋にタッグマッチながらピンフォール負けを喫している。
2004年12月31日、3年連続の大晦日興行参戦となった「K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!」でアテネオリンピックレスリング金メダリストカラム・イブラヒムと対戦し、パウンドでTKO勝ちを収めた。
2005年4月、永田裕志、中西学、ケンドー・カシンとレスリング軍団「チーム・ジャパン(TJ軍)」を結成。
2006年2月1日をもって猪木事務所から独立し、藤田事務所所属となった。
2006年5月5日、PRIDE無差別級グランプリ1回戦でジェームス・トンプソンと対戦し、右フックでKO勝ちを収めた。
2006年7月1日、PRIDE無差別級グランプリ準々決勝でヴァンダレイ・シウバと対戦。右フックで倒され、サッカーボールキックの連打でタオルが投入され、TKO負け。シウバはヒョードル欠場による代役であった。
2006年12月31日、2年ぶり4度目の大晦日興行参戦となった「PRIDE 男祭り 2006」でアトランタ、シドニーオリンピックレスリング銅メダリストエルダリ・クルタニーゼと対戦し、右アッパーでダウンを奪ったところに踏みつけで追撃しKO勝ちを収めた[1]。
2007年4月8日、「PRIDE.34」で「UFC対PRIDE対抗戦」としてジェフ・モンソンと対戦し、スリーパーホールドで一本負けを喫した。
2007年12月12日、PRIDE(PRIDE FC WORLDWIDE)との契約を解除したことを発表[2]。12月31日の「K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!」への出場オファーはあったものの出場は実現しなかったが、Dynamite!!の前日記者会見でピーター・グラハムが「藤田が試合をキャンセルした。腰抜け野郎」と挑発を行なった[3]。
2008年3月5日、戦極旗揚げ戦「戦極 ~第一陣~」でピーター・グラハムと対戦し、ノースサウスチョーク(公式裁定はスピニングチョーク)で一本勝ち[4]。前日記者会見ではグラハムの挑発に乗り、「こんな胸くそ悪い奴は初めて。このトサカ野郎」と発言し、乱闘寸前の騒ぎを起こしたが[5]、試合後は両者共にお互いを称えあった。
2008年6月8日、「戦極 ~第三陣~」でトラヴィス・ビューと対戦し、左のジャブでダウンしたところにパウンドで追撃され失神KO負けを喫した[6]。
2009年8月2日、「戦極 ~第九陣~」でブラゴイ・アレクサンドル・イワノフと対戦し、1-2の判定負け。試合後、師匠のマルコ・ファスが判定に対する不満を露にした[7]。
2009年12月31日、3年ぶり5度目の大晦日興行参戦となった「Dynamite!! ~勇気のチカラ2009~」の「DREAM vs SRC 対抗戦」でアリスター・オーフレイムと対戦し、左膝蹴りでKO負け。エプロンサイドで倒れたまま自力で起き上がれず、担架で退場[8]。病院に搬送され、重度の脳震盪と診察された[9]。
2011年12月31日、2年ぶり6度目の大晦日興行参戦となった「元気ですか!! 大晦日!! 2011」でピーター・アーツとIGFルールで対戦し、逆片エビ固めによるギブアップ勝ちを収めた[10]。
小川直也のプロレス転向に伴うトレーニングパートナーとして帯同した際、佐山聡に「化け物」と評されたものの、総合格闘技を行なうまでの新日本プロレスでの藤田の扱いは前座レスラーだった(1999年1月4日東京ドーム大会でも、藤田は第1試合で中西学と対戦)。しかし、PRIDEでの活躍を経た後は扱いが一変し、2001年4月9日に新日本プロレスの第29代のIWGPヘビー級王座を獲得し、トップレスラーに登りつめる。IWGPのベルトはその後も2004年6月5日に棚橋弘至、2005年7月18日に天山広吉を下しIWGPヘビー級王座を計3度獲得した。しかし、リングに上がるのはビッグマッチ中心でほとんど巡業には参加しないことに蝶野正洋などが苦言を呈することもある。
2006年1月4日の、新日本プロレス東京ドーム大会のメインイベントでIWGPヘビー級タイトルへの挑戦が決定していたが、直前の12月になり何の説明もないまま「試合には出られない」としてドーム大会への参加をキャンセルし、ファンや関係者から非難を浴びた。しかし、直後に藤田と公私ともに親しい関係にある元ゴング編集長の金澤克彦が雑誌や携帯サイトのコラム等で、「藤田は、新日本と猪木事務所の軋轢(あつれき)に巻き込まれた被害者であり、彼には何一つ非はない」と擁護している。
総合格闘技 戦績 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
24 試合 | (T)KO | 一本 | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 |
15 勝 | 5 | 8 | 2 | 0 | 0 | 0 |
9 敗 | 5 | 2 | 2 | 0 |
勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
× | アリスター・オーフレイム | 1R 1:15 KO(左膝蹴り) | Dynamite!! ~勇気のチカラ2009~ | 2009年12月31日 |
× | ブラゴイ・アレクサンドル・イワノフ | 5分3R終了 判定1-2 | 戦極 ~第九陣~ | 2009年8月2日 |
× | トラヴィス・ビュー | 1R 1:24 TKO(右ストレート) | 戦極 ~第三陣~ | 2008年6月8日 |
○ | ピーター・グラハム | 1R 1:23 スピニングチョーク | 戦極 ~第一陣~ | 2008年3月5日 |
× | ジェフ・モンソン | 1R 6:37 スリーパーホールド | PRIDE.34 | 2007年4月8日 |
○ | エルダリ・クルタニーゼ | 1R 2:08 KO(右アッパー→踏みつけ) | PRIDE 男祭り 2006 -FUMETSU- | 2006年12月31日 |
× | ヴァンダレイ・シウバ | 1R 9:21 TKO(サッカーボールキック→タオル投入) | PRIDE 無差別級グランプリ 2006 2nd ROUND 【無差別級GP 準々決勝】 | 2006年7月1日 |
○ | ジェームス・トンプソン | 1R 8:25 KO(右フック) | PRIDE 無差別級グランプリ 2006 開幕戦 【無差別級GP 1回戦】 | 2006年5月5日 |
○ | カラム・イブラヒム | 1R 1:07 TKO(パウンド) | K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!! | 2004年12月31日 |
○ | ボブ・サップ | 1R 2:15 タップアウト(パウンド) | K-1 ROMANEX | 2004年5月22日 |
○ | イマム・メイフィールド | 2R 2:25 スタンド式肩固め | INOKI BOM-BA-YE 2003 | 2003年12月31日 |
× | エメリヤーエンコ・ヒョードル | 1R 4:17 スリーパーホールド | PRIDE.26 REBORN | 2003年6月8日 |
× | ミルコ・クロコップ | 5分3R終了 判定0-3 | INOKI BOM-BA-YE 2002 | 2002年12月31日 |
○ | 中西学 | 3R 1:09 TKO(パウンド) | 新日本プロレス ULTIMATE CRUSH | 2003年5月2日 |
○ | 安田忠夫 | 1R 2:46 肩固め | UFO LEGEND | 2002年8月8日 |
× | ミルコ・クロコップ | 1R 0:39 TKO(ドクターストップ) | K-1 ANDY MEMORIAL 2001 ~JAPAN GP 決勝戦~ 【K-1 MMAオフィシャルルール】 | 2001年8月19日 |
○ | 高山善廣 | 2R 2:18 TKO(肩固め) | PRIDE.14 | 2001年5月27日 |
○ | ギルバート・アイブル | 10分2R終了 判定6-0 | PRIDE.12 | 2000年12月23日 |
○ | ケン・シャムロック | 1R 6:46 TKO(タオル投入) | PRIDE.10 | 2000年8月27日 |
× | マーク・コールマン | 1R 0:02 TKO(タオル投入) | PRIDE GRANDPRIX 2000 決勝戦 【準決勝】 | 2000年5月1日 |
○ | マーク・ケアー | 15分1R終了 判定3-0 | PRIDE GRANDPRIX 2000 決勝戦 【準々決勝】 | 2000年5月1日 |
○ | Will Childs | チョークスリーパー | Extreme Shootout | 2000年4月1日 |
○ | ダン・チェイス | KO | Extreme Shootout | 2000年4月1日 |
○ | ハンス・ナイマン | 1R 2:48 ネックロック | PRIDE GRANDPRIX 2000 開幕戦 【1回戦】 | 2000年1月30日 |
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