まるで成長していない…

ページ名:まるで成長していない_

登録日:2012/07/23 Mon 22:03:34
更新日:2023/08/12 Sat 19:31:03NEW!
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       iイ彡 _=三三三f           ヽ         !イ 彡彡´_ -_=={    二三三ニニニニヽ        fイ 彡彡ィ 彡イ/    ィ_‐- 、   ̄ ̄ ヽ     し  ま        f彡イ彡彡ィ/     f _ ̄ ヾユ  fヱ‐ォ     て  る        f/ミヽ======<|-'いシ lr=〈fラ/ !フ    い  で        イイレ、´彡f        ヽ 二 _rソ  弋_ { .リ    な  成        fノ /) 彡!               ィ     ノ ̄l      .い   長        トヾ__ら 'イf     u    /_ヽ,,テtt,仏  !     :        |l|ヽ ー  '/          rfイf〃イ川トリ /      .:        r!lト、{'ー‐    ヽ      ´    ヾミ、  /       :       / \ゞ    ヽ   ヽ               ヽ /       ./    \    \   ヽ          /    /〈     \                 ノ -‐ ´ ヽ ヽ       \\     \        人





「まるで成長していない…」とは、SLAM DUNKにおける安西先生の台詞であり、同作品を代表する名言の一つである。


なお、彼のもう一つの名言「諦めたら試合終了ですよ」と違い、こちらは正確には心中で安西が発した呟きであって、実際に口に出した台詞ではない。


台詞だけで終わらせず「…」を最後につけるのがポイントである。









※以下、本編(特に原作189話及びテレビアニメ88話)の非常に重要なネタバレを含みます














<前置き>

桜木花道に顎をタプタプと叩かれる、頬や腹を引っ張られる、「オヤジ」呼ばわりされるなどの無礼を受けても怒らないほどに穏やかで、
指導方針も決して押し付けがましくせず、選手一人ひとりの個性を伸ばしてチームを育てている、湘北高校バスケットボール部監督・安西光義。
しかし、かつて大学のバスケ部で監督をしていた頃の彼は、そんな今の姿とは正反対に「白髪鬼ホワイトヘアードデビル」とあだ名されるほど怖くて厳しい超スパルタコーチであったことは、安西先生が作中に初めて登場した時から示唆されていた。


湘北バスケ部がインターハイ神奈川県予選にて準優勝を果たし、インターハイ出場を決めた日から一週間後の午前。
安西先生の自宅を、湘北バスケ部員の流川楓が訪ねる。
一年生ながら湘北のエースと呼ばれる実力者である彼は、もっと上達するためにアメリカへの留学を志望し、安西にそのことを話しに来たのだ。
しかし──


「私は反対だ」


安西はそれを認めず、さらに


「陵南戦のビデオを見たが…」
「君はまだ仙道君に及ばない」
「今アメリカへ行くと言う…」
「それは逃げじゃないのかね?」


流川はその言葉に苛立って反論しようとするが、安西の話は続き、


「まして全国にはもっと上がいるかも」


と、流川にとっては耳が痛い言葉で現実を突きつけた。


「とりあえず…」
「君は日本一の高校生になりなさい」


安西のこの言葉に驚く流川。安西はさらに


「アメリカはそれからでも遅くはない」


と念を押し、流川もそれを渋々ながらも受け入れて帰った。


しかし、普段は選手の個性を尊重し、自身の方針を押し付けようとはしない安西が、流川のアメリカ留学には何故首を縦に振らなかったのか?
その理由は、彼が過去に経験した悲劇にあった。
そして内心では不服であった流川も、自身を車で送迎する安西夫人を通じてそれを知ることとなる。



<バスケットの国>

時をさかのぼること10年ほど前、大学監督時代の安西のチームには、将来を期待された一人の一年生選手がいた。
名を谷沢龍二。2メートルの長身*1と、それに似つかわしくない優れた運動能力を持ち合わせていた。
白髪鬼と呼ばれていた当時の安西も、もちろん彼に少なくない期待をかけており、人一倍厳しい練習や叱責で彼をしごき上げていた。



「谷沢……」
「お前なぁんか勘違いしとりゃせんか?」


(や……)
(ヤクザだよ ほとんど…)


「お前の為にチームがあるんじゃねぇ」
「チームの為にお前がいるんだ」


「…………」



しかし、そんな安西の思いとは裏腹に、
谷沢は安西に、そしてチーム全体に対して次第にうんざりし始めていた。


当時の安西流は「ガチガチのシステマチックなバスケットで有名」であり、
日々の谷沢に課せられるのは軍隊のような規律第一の指導執拗に繰り返させる基礎練習、そして鬼のように圧の強い叱責
もちろんそれらは全て、将来的には谷沢にバスケット選手として大成してもらいたい親心の裏返しであり、
そのために基礎的な部分を疎かにさせず、徹底的に叩き込む狙いがあった。


この基礎を何よりも重視する方針自体は至極正しい*2
しかし、谷沢のためを考えてのこととはいえ、安西の指導法はいずれも彼にとっては厳しく、面倒、かつ不快で、何よりも無意味なものとしか映らなかったのである。


やめてやる!!オレがやりたいバスケはここにはねえ!!
アメリカだ!!オレが憧れたアメリカのバスケットボールに挑戦するときが来たんじゃないのか!?
アメリカでオレのプレイがどこまで通用するか…
すぐには通用しなくてもいい でも1年か2年…
本場のバスケにもまれれば きっとデビルの想像も及ばないくらいの選手になれるはずだ!!いや絶対なってみせる!!
自信はある!!アメリカでオレの才能を試すんだ!!


その時が来たんだ!!



こう考えた谷沢は安西やチームメイトに無断でアメリカへ留学し、日本を去ってしまった。


期待をかけていた教え子に突然の一方的な離別をされたことで、安西もそれ以来どこか元気が無くなり、考えごとをすることが多くなる。
せめて消息だけでも掴もうと谷沢の友人に色々と聞き込むが、連絡は段々なくなっていったらしく、その消息は分からずじまいであった。



それから約一年後、誰もが谷沢を忘れかけた頃に、大学に一本のビデオテープが届けられた。


収録されていたのはアメリカでのバスケットボールの試合。
それに谷沢が出場していると聞き、チームメイトも、そして安西も食い入るように画面を見つめる。
そこには、風貌こそ変わっていたものの、確かに谷沢が映っていた。


「ヒゲなんか生やしてるよ」
「でも頑張ってるじゃねぇか あいつ1人だけ日本人で……!!」
「ああ 見直したぜ……!!」


異国の地で外国人選手を相手に戦う谷沢の姿を見て、彼を見損なっていた者も含めてチームメイト達は素直に賞賛する。
しかし、安西は試合を見る中で本質を見抜き、心中で呆然と呟いた。




(まるで成長していない………)



…と。
そこに映っていた谷沢のプレーには選手としての成長など微塵も見られなかった。それどころか、彼は日本で安西が教えていた頃から全く進歩していなかったのだ。


(誰か谷沢に基礎を教える人間はいるのか…?)
(あいつ英語はどうなんだ?チームメイトとうまくコミュニケートできていないようだ)


走れる2メートル選手といっても、それは日本でのこと。
自分より大きくて走れる選手を、谷沢はアメリカの地で何度も目の当たりにした。
誤解のないように書くと、谷沢は自分より格上の選手が何人もいる環境で成長したいと考え、更にすぐに通用するほど甘くもないだろう事も理解して渡米した。
つまり、その程度の情報は持っていたと思われるため、ここまでは彼も覚悟していたことだった。
しかし、だからといって高校時代に能力に任せたプレイ*3で基礎を疎かにし、大学入学後も安西の教えに反発して同様のプレイを続けた彼には、彼自身の言う「本場のバスケ」にただ揉まれたところで自身が期待していたほどの急成長は望むべくもなかったのである。
その上で、思い詰めていきなり渡米した彼の英語力ではすぐに円滑なコミュニケーションなど取れるはずもなく*4、基礎を教えてくれる者がいなかったり、チーム内で孤立したりするのも当然であった。


さらに、問題は谷沢本人だけでなく、彼が所属しているチームにもあった。


(そもそもこのチームは何だ…それぞれが勝手なプレイばかりだ まるでまとまっていない)
(一体 指導者は何をやっとるんだ!?)


指導が杜撰で、選手は皆スタンドプレイに走ってばかり。
チームワークなど欠片もなく、チーム内の環境の悪さは明白であった*5


(これじゃ谷沢はダメになる…!!)


谷沢の将来を危惧した安西はその場で谷沢の友人に谷沢の連絡先を尋ねるが、近頃は引っ越したのか連絡が取れなくなったという。



(帰ってこい谷沢!!)
(わしの監督生活の最後に お前を日本一の選手に育て上げるつもりだったんだ!!)
(お前はまだ素材だ!!環境次第で白くも黒くもなる!! )



安西は必死で谷沢を呼び戻そうとするが、相変わらず行方は掴めない。
谷沢の友人も谷沢からの手紙をもらわなくなって大分経った頃、安西は谷沢の在籍する大学に電話して問い合わせた。
だが、谷沢はバスケ部にも顔を見せなくなったという。
安西の不安通り、谷沢はついていけなくなり、バスケから離れてしまったらしいことは確実になった。


安西はその後も八方手を尽くして谷沢を探したが、その消息は掴めず、いつしか谷沢の同期生たちも卒業を迎えていた。


そして、谷沢が渡米して5年目となる、ある日の朝──



新聞を読んでいた安西の視線は、ある一つの小さな記事の上で凍りついた。




米で邦人留学生激突死


120キロの暴走*6、薬物反応も?


谷沢龍二さん(24)




それは谷沢が薬物に手を出した末に死亡したことを匂わせる記事であった。
安西にとって、バスケで挫折を味わった谷沢が自暴自棄に陥った末の出来事であることを悟るのは、あまりにも簡単なことだった。
こうして、安西が日本一のバスケットボール選手になれると期待した男は、その大きな翼で飛翔しようとして墜落したかのような、極めて悲惨な形でこの世を去った。




谷沢の死後、彼が住んでいたアパートにあったという手紙を、安西は彼の母を通して眼にする。
彼の母が「出せなかったんでしょう…」と推測する、死の4年前に記したその手紙*7には、こう綴られていた。


「安西先生──


いつかの先生の言葉が近ごろ、よく頭にうかびます。


「お前の為にチームがあるんじゃねぇ チームの為にお前がいるんだ」


ここでは誰も僕にパスをくれません。


先生やみんなに迷惑をかけておきながら、今おめおめと帰るわけにはいきません。


いつか僕のプレイでみんなに借りを返せるようになるまで、頑張るつもりです。


バスケットの国アメリカの──


その空気を吸うだけで僕は高く跳べると思っていたのかなぁ…」



その年、名将・安西は白髪鬼の名を置き去りに大学バスケから身を引いた*8



<それぞれの思い>

上記の通り、谷沢は流川のように人一倍強いバスケへの情熱や向上心の持ち主であった
全ては当事者となった安西と谷沢の方向性のすれ違いから起きた悲劇だと言える。


谷沢の立場からすれば、いくら安西の言う基礎練習をやっても、
体が大きいだけで経験が浅かったり、体力から怪しい、あるいはルールもろくにわからない初心者ならともかく、
既に基礎を身につけ、日本の大学バスケ界では十分一流の域に入っている自身の成長にはつながらない。
「華麗で特殊なプレーを身につけた方が、自分は成長できる」等と考えるのは、決しておかしな話ではないだろう。
悪く言えば自信過剰でもあるが、自信は一流選手が向上を続ける原動力でもあるため、一概に否定すべきものではない*9


加えて、向上心があればあるほど、辛い練習になればなるほど、その練習の内容が地味であればあるほど、選手は「こんなことをしていて、本当に上に行けるのか?」という不安にさいなまれる。
しかも元々実力があれば、どうしても成長は鈍化する。従って、「自分は成長した」という実感でもって不安を解消することは難しい。
ましてやバスケは団体競技であるため、個人の実力だけでは勝てない分、自分自身の成長を感じとることは困難になる。
作中での期待ぶりや描写から、チームメンバーについても彼より一回りは能力が劣ると思われ、その中で練習していても飛躍的な成長は期待しづらい*10
自分と同格、あるいはそれ以上の相手がいるかもしれない試合も飛躍の機会ではあるが、日常的に試合ばかりしているわけにも行かない。
こうした発想は、決して「根拠のない不安」とは言えない。



他方、安西の立場からしてみれば、時に過剰な自信を抱きがちな選手に現実を突きつけなければならないこともある。
「大学界きっての名将」と称される安西の目に狂いもなかっただろう。
選手に少し反発されただけで引っ込めるようでは、どんなに適切な指導を準備しても絵に描いた餅になりかねない。
そのために厳格な指導方針で臨むこと自体は間違いではない。


だが、選手にも監督や環境を選択する自由がある以上、選手が監督についてくる動機付けは絶対に必要である。
とりわけ向上心の高い選手にとって、叱責されようと、一見不条理な行動を無理強いされようと、監督についていく最大の動機は「どんなに厳しくても、この監督についていけば、自分は名選手になれる」という信頼に他ならない。
安西には、谷沢が確実に抱くであろうこうした不安をしっかりと受け止め、彼が心を開くに足る関係性を築くことが必要だった。


つまり、安西はその関係性を築くことに完全に失敗したのである。
事実、谷沢は安西に対して恐怖心と不満を抱いており、結果安西の指導全てが谷沢にとっては向上につながらない、ただ辛いだけのものに成り下がってしまっていた。
安西が自分の真意を谷沢に説明していたかは不明だが、仮に説明したとしてもいわゆる「疲れるだけの古臭い根性論指導」と思われてしまえば効果はないだろう。
それどころかまるでヤクザの様に恐れていたことから褒めることはほぼなかったと思われるため、「俺のことを嫌っているからしごくのか?」とさえ思われていてもおかしくないだろう。


安西にとって留学が寝耳に水であったことからしても、安西が谷沢の心理を全く読めていなかったことは明白である。
それでも、谷沢が一度でも安西にその不安をぶつけていれば、安西も自身の考えや指導の意図を谷沢に理解させる必要性を悟り、関係改善に向けて歩み寄りができたかもしれない。
だが、常に厳格で高圧的な安西の態度は、谷沢からアメリカ留学について相談しようという意志さえも奪ってしまった。


こうして受け止めてくれる相手を失った谷沢の向上心は、間違った方向に暴走してしまった
アメリカでようやく安西が正しかったことに気づいた谷沢であったが、その代償はあまりにも大きすぎた
選手としての向上に重要な時期を棒に振ってしまっただけでなく、期待をかけてくれていた安西やチームの仲間を自ら捨ててしまった谷沢にとって、安西の指導の正しさに気づいたことはむしろ自己嫌悪の原因でしかなかっただろう。
安西に一度書いた悲痛な手紙さえ投函することもできずにいたのは、安西への恐怖ではなく、自己嫌悪から「安西に頼れない」という気持ちを抱いてしまったことが原因である可能性が高い
こうして、最後の最後まで安西の「帰ってこい谷沢」という願いは届かぬままになり、谷沢との和解を果たすことも叶わなかった*11



<その後の安西>

安西はその後、谷沢にかけた夢を引きずったまま、バスケット人生にピリオドを打つことができずに湘北バスケ部の監督となる。


しかし、そこでの安西に大学界時代の白髪鬼ホワイトヘアードデビルと呼ばれたスパルタコーチとしての面影はなく、当時を知る者からすると信じられないほど優しげな雰囲気となったばかりか、指導方針までも180度真逆と化し、
自他校問わず選手やチームスタッフを「くん」付けで呼び*12、敬語混じりの言葉で話し、選手を叱責する時ですら穏やかな口調で語るようになるなど、白髪仏ホワイトヘアードブッダという新たな異名で呼ばれるほどに穏やかな人物へと変わり果てていた。
それほどまでに、谷沢の悲劇的な最期は安西に暗い影を落とし、安西の指導者としてのあり方すら変えるきっかけになったのである。


どれだけ理屈が正しくても、選手と心を通わせることを蔑ろにし、円滑な信頼関係を築かないまま、厳しい指導だけを一方的に押し付けるようでは、
第二の谷沢を生みかねず、そして谷沢と同じ末路を辿りかねない……谷沢の悲劇を経た安西は、そう考えていると思われる。



湘北バスケ部の監督としてバスケットへの携わりこそ続けたものの、谷沢にかけた夢は宙ぶらりんのままとなり、練習にもたまにしか来ないなど指導者としての情熱を完全に失っていた*13*14安西がその情熱を再び取り戻すには、谷沢を超える素質を持ち、暴走することなく進化を続けていく2人の1年生──
桜木花道流川楓の入学を待たねばならなかった。



<日本一の高校生>

流川と安西の間には信頼関係が成り立っていた。だからこそ流川は谷沢と違い安西に相談を持ち掛けた
そして安西も、その時点での流川の留学は許可せずとも、流川の向上心と彼の将来的な成長次第で留学することは否定していないことを示し、日本一の高校生という明確な目標を与えた。
また県内に流川を上回る実力者である仙道がいたことも流川を説得する材料となり、さらにインターハイでは山王工業高校のエースである沢北栄治というより強力なライバルにも巡り合えたことで、流川は日本一の高校生という目標とアメリカ留学への意識を一層高めることができた。


留学の否定に一時は反発を覚えた流川だったが、安西夫人により安西の過去を知らされたことで
安西は流川がかつての谷沢と同じになりかねないのではないかと、自分を心配してくれているのだと知る。
さらに安西夫人は、安西が流川と花道は今まで見たこともないくらいの素質を持っており、彼らの将来のことを嬉しそうに語ることを明かし、「流川の成長をもうちょっと見ていたい」と安西の気持ちを推測している。
これらの通り、基礎となる信頼関係と安西及び安西夫人の適確な対応があったからこそ、
流川と安西の信頼関係はこの件で揺らぐことはなかったのである。


また、インターハイ直前に静岡県への遠征合宿からただ一人外され、自身のみ別メニューとしてジャンプシュート二万本の練習合宿を行うことになった桜木に対しても、
この短期間でジャンプシュートをマスターすることのメリットを説き、自分の指導に従えば成長できるという確信を持たせている。


流川にしろ桜木にしろ、非常に我が強く自信家(しかも片方は不良である)である二人が、たった4ヶ月しか指導を受けていない安西にこれほどの信頼を寄せているのである。*15
谷沢との件を通じて、安西自身も変わったことを示していると言えるだろう。


そしてインターハイ2回戦の湘北対山王工業戦。
大差をつけられた中でも奮闘する花道と流川。


花道のプレーを目の当たりにした山王の河田雅史は、彼の才能を感じ取っていた。


「ズイブン長えこと宙にいるんだな そして着地するや速攻の先頭を駆ける あの脚力……!!」
「ブロックにフルパワーでジャンプしたあと、あれだけのダッシュは並じゃできねえ」
「誰もそんなとこ見てやしねーだろうが……」


しかし、安西はそんな花道の才能にいち早く気付いていた。そして、彼に比肩する才能がもう一人…。感情を抑えきれず、頭を抱えて震えながら、安西は…


「おい…」
「見てるか谷沢…」
「お前を超える逸材がここにいるのだ…」
「それも…」
「2人も同時にだ…」
「谷沢…」


と、今は亡き教え子に語りかけるのだった。



<ネットでの使われ方>

「諦めたらそこで試合終了だよ」や「バスケがしたいです」といった作中の他の名言には及ばないものの、その汎用性の高さからか、アニメや漫画の感想、或いはSNSなどの炎上騒ぎで目にする機会は多い。


大抵は作中の安西と同じく、一度何らかの失敗を犯した人物がそれなりの時間を経ているにも関わらず、同じ失敗を繰り返しているシーンなどで、読者の呆れ・落胆を表す言葉として使われる。


ただし、ネットで使われるスラングが大体そうであるように、常に原作に忠実に使われているわけではない。
この言葉だけ抜き取ると「あーこいつまたやってるよ」「進歩の無いヤツだな」という受け取り方になるのが自然なので、
単純に呆れを嫌味ったらしく示すだけのニュアンスで使われる場合が多い。
あるいは軽いツッコミ扱いでもよく用いられる。


そのため、スラングからこの言葉を知って元ネタを調べた結果、このシーンの重さに驚く人も多い。
本記事などで元ネタのやりとりを知った君は、あまり軽はずみに乱用しないように気を付けよう。



<その他>

  • 単行本22巻および新装版14巻における1コマ漫画では、谷沢の墓参りに来た安西を見て、谷沢の墓が「先生また太ったな」と呟いている。
    大学監督時代の安西はまだ(比較的)痩せていたので、太ったのは湘北に来てからの様子。
    この事から谷沢はデビルであった彼のことは恨んではいない事(安西がそれを知る方法はないが…)と、「また」という言葉から安西はしょっちゅう彼の墓に来ているだろうというのはわかる。
    谷沢のエピソードは確かに悲劇であるが、この一コマで重苦しさを緩和している。

  • 花道が背中を痛めた際、安西は彼の異変にすぐ気付いていたものの、どんどん良くなる彼のプレイを見ていたかったから交代させなかったことを白状し、
    自らを「指導者失格」と自責の念を表した上で「あと少しで一生後悔するところでした」と語った。
    谷沢とは異なる形とはいえ、再び自らが手にかけて育てた逸材を失うのを安西は何よりも恐れていると思われる。と同時に、確かに名将ではあるものの、完璧な人間ではないことも描かれている*16



(まるで成長していない…)


(誰かアニヲタに追記・修正を教えるWiki篭りはいるのか?
 あいつBBS操作はどうなんだ? 他の利用者と上手くコミュニケートできていないようだ。
 そもそもこの項目は何だ。それぞれが勝手な編集ばかりだ。まるでまとまっていない。
 一体、冥殿は何をやっとるんだ!?
 これじゃアニヲタはダメになる…!!)


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*1 これもただ背ばかり高くて細い感じではなく、体格も良い
*2 事実、安西の指導を間近で見ていたチームメイトも安西の方針には理解を示し、「谷沢に対する期待の表れ」「基礎がないとどんな才能も開花することはないからな」と擁護している。
*3 それで通用してしまう程に谷沢がずば抜けていた事の証でもあるが
*4 もしかしたら十分に学んでいた可能性もあるかもしれないが、90年代の日本の一般的英語教育の拙さや作中の状況などを考えると……。
*5 「そもそもどうしてそんなチームに入ってしまったのか」とも思うが、日本でインターネットが一般に普及し始めた時代が本作の連載終盤である1995年頃なので、その10年前(80年代)となると情報源は雑誌・テレビ・口コミが主流で、たまたま試合成績などが良かったチームを選んでしまった可能性が高い。
*6 アメリカでの車の速度単位はマイルであるが、当時の日本ではキロと誤って表記されている場合があった。もし記事が「120マイル」の誤りだった場合、実際には「約193キロ」になる。
*7 安西が指導する大学に試合を収録したビデオテープが届いたのが谷沢が渡米した約1年後なので、時期的に考えるとビデオテープと一緒に送ろうとした手紙である可能性がある。
*8 アニメ版では体を震わせながら手紙を読む等、安西の悲しみを強調するような描写となっていた。
*9 そうした過剰とも言える自信から才能を開花させたのが他ならぬ主人公の桜木花道である。とはいえ花道もインターハイ出場決定後もドリブル、パス、シュートといった基礎練習は赤木や彩子の監視の下義務付けられていた。
*10 山王の沢北栄治が他校との試合に関してこれに近い状態であったが、彼の場合は山王内に「深津・河田という自分とはタイプの違う優れた先輩プレイヤーが存在する」事でモチベーションを保てていた
*11 ちなみに安西が谷沢のことを心配して探しているという情報が伝わっていたかどうかまでは不明。谷沢の手紙の「おめおめと帰るわけにはいきません」という一文を考えると、どちらでもおかしくない。
*12 ただし、谷沢や大学時代の同期生だった北野のことは引き続き呼び捨てにしているほか、山王戦にて河田美紀男のことは「河田弟」と呼んでいる。
*13 赤木という、誰からも認められるほどの一流のセンターが在籍していたにもかかわらずである。まあ、赤木は細かく指導されなくても自ら熱心に研究して練習するタイプ+相棒の木暮もいたので、余計な口を挟まない方がいいと判断したのかも知れないが…。
*14 赤木に加え、ファンの指摘として「安西先生が適切に接していれば三井がグレる事はなかったのでは?」というものがあるが、これも「谷沢の件を経た事で安西先生は選手に深く関わる事を恐れてしまっていたのではないか」という考察がある
*15 バスケ初心者の桜木は言うに及ばず、湘北進学の動機が「近かったから」という流川も入学してからの関係しかないはずである
*16 これは安西に限ったことでなく、スラムダンクの世界では、名監督・名指導者でもどこかしら欠点を持っているように描かれている。陵南の田岡しかり、海南の高頭しかり、豊玉の北野しかり…。

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