吉岡清十郎(剣豪)

ページ名:吉岡清十郎_剣豪_

登録日:2009/12/07 Mon 22:27:32
更新日:2023/08/12 Sat 19:24:11NEW!
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剣豪 天才 バガボンド 宮本武蔵 当主 見切り 吉岡清十郎 吉岡拳法 吉岡流



生没年不詳。
本名は吉岡直綱


概要

吉岡拳法の長男として生まれる。
死んだ父の跡を継ぎ、吉岡道場の主となる。
若い頃より吉岡の麒麟児と評判が高く、弟の吉岡伝七郎と共に吉岡道場を支えた。


清十郎は特に『見切り』の能力に長けていたようで、吉岡伝記によれば、顔に目がけて突かれた槍を鼻先一寸で避け、刃を指で摘むという離れ技が出来たらしい。



京には元々剣法が少ないが、その中でも有名なのが当時の吉岡流(吉岡剣法)であった。
1604年の春、剣の修業のため諸国を巡る一介の武芸者、宮本武蔵が、その吉岡流の評判を聞き付けて剣術の仕合を申し出るが当主は不在。
替わりに、門下生が対応するが難なく玉砕する。武蔵は清十郎に挑戦状を送り、五条大橋に決闘の高札を立てた。


それを受けた清十郎は、洛北蓮台寺野にての仕合となる。
武蔵の方が一瞬早く、木刀による一撃で真剣を持った清十郎の腕の骨を砕いた。門弟の気配を感じた武蔵は、すぐにその場から立ち去った。


二人の仕合を見ていた清十郎の弟子たちがすぐに板に乗せて連れ帰り、手を尽くして看病した為に命には別状なかったが、
この敗北を恥じた清十郎は、兵法を捨てて出家したと言われている。
(吉川英治の小説では佐々木小次郎につぶれた片腕を切り落とされ失血死を免れた設定にされている)


なお、この下りは宮本伊織の「小倉碑文」の記載であるが、当の吉岡側の記録「吉岡伝」では、武蔵とは対戦しているものの、
その中に清十郎の名はなく、場所も京都所司代の前となっており、しかも武蔵が吉岡に眉間を打たれて出血、結果は引き分けとなっている。



続いて、次男の伝七郎が兄の雪辱を晴らすべく三十三間堂にて武蔵と仕合するが、約束の刻限を半刻過ぎても武蔵は現れず、虚空に舞う雪を眺めながら、
苛ついていたところに虚を突かれて、伝七郎の五尺の大木刀を武蔵が奪い、それで撃ち倒して伝七郎は死亡する。


ただし、三十三間堂、列びに吉岡側の記録では、武蔵と伝七郎の仕合の事を伝えた記述はない。



吉岡道場は「天下一の剣法が武蔵に敗北した汚名は、是が非でも武蔵を倒して返上する」として、総力で武蔵と最終決戦に臨むことを決意。
清十郎の嗣子である吉岡又七郎を名目人として、武蔵に仕合を申し込んだ。
一乗寺下り松に集まった門弟の数は、数十人とも数百人ともされており、もはや仕合ではなく合戦である。


そこで、武蔵もこれまでとは違う作戦で対処、約束の刻限よりも早い夜明け前に試合場所に行き、松陰で敵を待ち伏せとした。
まさか武蔵が待ち伏せしているとは予想していなかった吉岡勢は対応が遅れ、吉岡勢の大将である又七郎を一刀のもとに又七郎を切り捨てた。
虚をつかれた吉岡一門は混乱し、さらに、武蔵はたった1人で数十人の敵を蹴散らした。



ただし「吉岡伝」では、一乗寺下り松の仕合は、「吉岡源左衛門直綱」と言う者であって、結果も相打ちと伝えられている。


この様に、名門の吉岡流には不名誉な結果でしかなく、史実からは無かった事にしたい思惑も垣間見える。



武蔵に敗れて剃髪した筈の清十郎や、即死した筈の伝七郎の兄弟は、その10年後の「大阪冬の陣」には豊臣側として参加している
どないなっとんねん! とツッコみたくなる読者も多かろうが、武蔵VS吉岡一門の戦いは多くが二天一流一派の記した歴史書が、
更にはそれを題材とした吉川英二の小説『宮本武蔵』が底本になっていることが多いため、仕方ない。



大阪の役の敗戦後、吉岡一門は、兵法所を閉めて京都四条西洞院で染屋を始めた。
家業であったとも、弟子の一人であった中国人の李三官という人が黒染が上手だったからとも言われている。



ちなみに、清十郎=放蕩癖
といったイメージが根強いが、実際は染物屋を営む傍ら吉岡道場の最盛期を築いているあたり結構デキる人である。



創作

バカボンド

吉岡一門当主であり、小柄なイケメンのチャラ男(武蔵が180越えという当時として異様な巨躯なのもあるが)。
色町好きの軽薄な青年に見えるが、腕は弟をはるかにしのぐ。武蔵が初めてその剣技に「恐れ」を抱いたライバルである。
原作とは逆に、武蔵に戦いを挑むも壮絶な敗死を遂げる。


天下無双 宮本武蔵

中間発表時のライバルキャラとして登場。
森の中で武蔵と戦い、合格時には剣を木に突き立てスキができた所を武蔵に切り伏せられる。


からくり剣豪伝ムサシロード

CV:大塚明夫
セイジュウロー名義で登場。ミヤコパレス一の道場「ヨシオカ道場(株)」当主のからくり武者。
傲岸不遜な性格であり、村から出たばかりのムサシを圧倒するものの、ボクデンにより小便を掛けられて殴り倒される。
1年後、ムサシとの再戦に臨み互角に立ち回るも、あまりにナメすぎていたため最終的に敗北する。


乙女剣武蔵

CV:間島淳司
巌流学園3年で剣道部主将。眼鏡に紫のウェーブヘアのインテリ風の外見をしている。
可愛い女子マネを募集中。




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  • (剣豪)って必要かな?あいまいさ回避の意味をなしていないように思えるけど -- 名無しさん (2014-03-25 12:34:17)
  • 武蔵が有名なせいで、すっかり噛ませ犬のイメージが -- 名無しさん (2014-03-25 13:41:02)
  • ひこにゃんの方かと思ったよ -- 名無しさん (2014-03-25 14:04:49)

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