宿命剣鬼走り

ページ名:宿命剣鬼走り

登録日:2015/05/31 Sun 08:35:02
更新日:2024/01/15 Mon 10:31:39NEW!
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剣豪小説 藤沢周平 短編 武士 宿命 因縁 戦場剣 宿命剣鬼走り



藤沢周平の短編剣豪小説。世に語るべからざる「秘剣」を身につけた武士と、その周辺の人々を主人公に据えた短編小説のシリーズである”隠し剣”シリーズの内の一編。


初出は文芸誌「別册文藝春秋」の147号('79年刊行)。
現在は”隠し剣”シリーズを纏めた短編集「隠し剣孤影抄」(文春文庫)に収録されている。またその他、藤沢氏の全作品を収録した「藤沢周平全集」の第16巻に収録されているが全集だけあってこっちは生粋のファンでもなければ手を出しにくいであろう。



□概要
秘剣を題材とした短編剣豪小説”隠し剣”シリーズの第八作目。前作は「悲運剣芦刈り」、次作は「酒乱剣石割り」。シリーズではあるものの、基本的に各話間に繋がりは無く、これ一話で完結する。
”隠し剣”シリーズは「隠し剣孤影抄」「隠し剣秋風抄」の二冊が刊行されているが、その内ファーストシーズンとでも言うべき「隠し剣孤影抄」のラストを飾る作品。
そんな事もあってか、大体が30~60P前後の隠し剣シリーズの中でも、100P近い分量を誇るシリーズ最長の作品に仕上がっている。また分量同様に、登場人物もシリーズ内では特に多く読み応えも十分。
内容は、対立する二つの一族の確執を描くものであり、最後の果し合いまでの流れが丁寧に書かれた傑作。そしてこういった作品の例に漏れず鬱エンド……というかほぼ全滅エンドに近い。


【物語】
小関十太夫と伊部帯刀。
かつては同門で剣を競い、一人の女を巡って争い、藩政について死力を尽くした抗争を行った、正しく宿敵と呼べるこの二人も今は共に家督を息子に譲り、自適な隠居生活を送っていた。


そんなある日、十太夫の長男で小関家の現当主である鶴之丞が死亡する。原因は伊部の息子伝七郎との果し合いであった。
だが当初、十太夫はそれに関し伊部に某かの行動を起こすつもりは無かった。十太夫は鶴之丞が伝七郎との果し合いに臨む事を本人の口から聞いており、尋常の果し合いであれば余人の口出しすることでは無いと考えていたし、それ以上に鶴之丞の身体や刀に刻まれた傷の状態から、鶴之丞は伝七郎に勝てないまでも相打ったものと考えたからである。


ところが翌日、登城した次男の千満太から伝七郎は生きているという事実を聞かされる。それだけではなく、とある武家の子が二人、果し合いと同じ日に不審死している事も。そしてこの二人は伝七郎の取り巻きとして有名な武士であった。
不審に思った十太夫は伝手を頼りに彼らの死因について調べ、伝七郎が彼ら二人の加勢を伴い果し合いに臨んだ証拠を掴む。
その事実に激昂した十太夫は伊部の屋敷に乗り込み、伝七郎に腹を切らせなければ全てを洗いざらいぶちまけると脅しをかける。だが伊部は一千石の元家老。二百石の元大目付な小関とは家格の違いもあり、そんなことをしても沈むのは小関家だけだと十太夫を軽くあしらう。結局十太夫は、腹に据えかねるものを抱えながらも引き下がるしかないのであった。


十太夫が次なる凶事に襲われたのは、四月ももう半ばを過ぎた頃の事であった。
光村という平藩士が同門の武士を言い争いの末に斬り殺して逃走、その後村はずれの水車小屋に立て籠ったというのだ。そして光村は十太夫の娘美根と恋仲であり、美根もまた光村と共に立て籠っていた。
十太夫はその日たまたま遠出しており、知らせに来た若党と共に現場に着いた時には既に藩からの討手が水車小屋を包囲した状態であった。指図役(討手達のリーダー)は徒目付の金井奥右衛門――かつて伊部に与し十太夫と対立した人物である。
十太夫は金井に対し、光村は兎も角美根は助けるように掛け合うが、金井は聞く耳を持たない。そうしている内に光村達が水車小屋から討手達に攻め入り、金井の号令一下それに反撃した討手達は光村と共に美根もまた討ってしまう。


――伊部との決着を決心させる最後の凶事が十太夫に襲いかかったのはそれから一年半後の秋の事であった。


【人物】
○小関十太夫
二百石取りの元大目付。現在は家督を鶴之丞に譲り、自身は隠遁生活を送っている。妻の浅尾との間に鶴之丞、千満太、美根の三人の子供を設けている。
しかし、現在は妻との仲は冷え切っており家庭内別居状態。主な原因は十太夫の妾遊びにあるが、作中の描写からそれ以外にも結構不満が溜まっていた様子。結局本作の最後の最後まで仲が戻る事は無かった。
反面、長男鶴之丞の果し合いに理解を示したり、次男千満太や娘の美根の為に最後まで奔走したりと子供に対してはまあまあ理解のある父親の様子。


前述したように伊部帯刀とは正に宿敵と呼べるような仲。だが伊部は元家老で一千石なため基本的に家格は伊部の方が遥かに上。十太夫が伊部とまともにやり合えたのは大目付という役職もあってのこと(大目付はいわゆる監査役のようなもの。藩内の風紀を取り締まる役職)。
元々はそこまで仲が悪かった訳ではなさそうであるが、女性関係や秘剣の継承を巡った対立がきっかけで次第に疎遠になっていったらしい。


去水流と呼ばれる剣術を遣う剣士であり、若い頃は岸本道場に通っていた。同門の伊部と共に龍虎と並び称されていたたしい。
また、師の岸本六郎右衛門から去水流の秘剣”鬼走り”を受け継いでおり、鬼走りを受け継いだ前後から剣に関しては伊部よりもやや上、というのが世間の評判であった。実際、鬼走り継承の際には十太夫と伊部の間で壮絶な試合があり、その勝者である十太夫が鬼走りを継ぐ事となったという経緯がある。


伊部との政争のせいで早くに藩政から身を退く事となった十太夫であるが、本人はそれなりに満足して隠遁生活を送っていた。そんなある日、鶴之丞が果し合いにより死亡。その後次々と凶事がその身に降りかかるが、その裏には常に伊部の影があり……。


○鶴之丞
小関家の現当主。彼が死亡するところから物語は始まる。
卯女という美人だが病弱な嫁を貰っている。


長身白皙の美男子で、寡黙ではあるが迂闊な男ではない、というのが十太夫の評価。剣の腕も高くかつては十太夫も通っていた岸本道場に鍛えた剣腕は道場でも一、二を争う程であったらしい。


二人の加勢を加えた伝七郎と果し合いを行い、その結果自身も数多の傷を負いながら二人を道連れにするという壮絶な最後を遂げる。


○美根
十太夫の娘。年は十八。
女子の習い事よりも剣に興味を示しており、中沢道場で小太刀を習っている。母親の浅尾は結婚適齢期も間近な娘が花嫁修業よりも剣に熱を上げている事を快く思っておらず、十太夫に道場通いを止めさせるよう再三苦言している。


中沢道場の高弟の光村榛次郎と恋仲であり、道場に通うのは彼のこともあってだと思われる。が、光村との仲を浅尾に反対されており、そのすれ違いどのような結果に至ったかは前述の通り。


光村と美根の追討の指揮を取った金井は伊部の派閥であり、結果的に十太夫は鶴之丞の死以降抱えていた伊部への恨みを更に大きくする事となる。


○千満太
小関家の次男。鶴之丞が没してからは小関家の当主として近習組に勤める事となる。


鶴之丞とは反対に広く厚い胸板を持った屈強な体躯。そしてその体躯に違わず剣の腕も高く、二十前後の若さで自身が通う末次道場の免許を受ける事となる。


不幸続きの小関家であったが美根が討たれた事件から一年半後、千満太ととある郡奉行の娘との間に縁談が整い、小関家全体も俄に好転の様相を見せるようになる。
そんなある日、千満太は鶴之丞の死と同時に実家へと戻された嫂の卯女と偶然再会することとなるが……。


○浅尾
小関十太夫の妻で、鶴之丞・千満太・美根の母。年は42。
17で小関家に嫁入った時には物静かで柔和な女性だったが、現役時代に十太夫が妾を囲ったのがもとで夫婦仲にヒビが入り、
るいというその妾が病死して妾宅通いが止んだ後も、会話も無く着替えも手伝わず、寝る床も別々という完全に冷え切った状態になっている。


腹を痛めて産んだ子供たちが次々と不幸に見舞われ、しかもそれに対して自分は蚊帳の外、という本作でも屈指の不幸な人物。


ただ、彼女自身にしても、既に成人している子供たちに対して過保護に世話を焼き、また不幸続きの中でどうにか気持ちの折り合いを付けようとしている夫に対して刺すような非難の言葉を1年経っても浴びせたりと、問題が無かったとは言い切れない所がある。


○伊部帯刀
一千石を喰む元家老。伝七郎という息子がいるがそれ以外の血縁は不明。跡取りは伝七郎のみと思われる。


伊部家は元々藩主の血筋に連なる家系であり、伊部の曽祖父の代で藩主の家から別れ現在に至っている。
元々が政治好きの家系らしく、伊部の祖父などは無役のまま時の藩政を牛耳っていたらしい。その血が伊部にまで伝わっている事は元家老という役職からもうかがい知れるであろう。


既に書いたことだが十太夫とは宿敵関係。十太夫の働きには随分と辛酸を舐めさせられたようで、十太夫曰く伊部の手足はもいだとの事。現在伊部は藩政に対し手も足も出ない状態らしい。


十太夫と同門であるため伊部もまた去水流を遣う剣士。相伝の秘剣こそ伝えられなかったもののその実力は十太夫に次ぐ。また、鬼走りの継承者候補であったためか、それがどのような技であるかは知っている様であり鬼走りを破るための工夫も持っているらしい。


知ってか知らずか小関家の不幸に何らかの形で関わっており、十太夫との間に因縁を募らせる事となるが、伊部の家には何の瑕疵もなく安泰な筈であった。
そんなある日、伊部の下に届いた一つの凶報が十太夫との因縁に決着をつける切っ掛けとなる。


○伊部伝七郎
伊部家の現当主。伊部帯刀の倅。


城下で最も人気のある影山道場で剣を学び、その剣名もなかなかに高い。……高いが、果し合いに加勢を頼んだり(伝七郎が頼んだのかは不明だが)、取り巻きを率いて千満太に突っかかったりとイマイチ小物感が拭えない男。


一千石を受け継ぎ、親の代から因縁を持つ鶴之丞も果し合いで葬った事で順風満帆な人生を送る事が出来ると思われていたが……。


○香信
円徳寺の尼僧で十太夫と伊部の共通の知人。十八の時仏門に入り、現在は四十余歳。
俗名を満寿といい、本編において十太夫はこちらで呼ぶことのほうが多い。


元々は間崎兵之進という物頭の娘であり、この間崎が岸本道場の門弟であったことから十太夫等とも付き合いを持つようになる。


前述した、十太夫と伊部の取り合った女性というのが彼女。満寿が十六になった頃、ほぼ同時に求婚し以降熱心に間崎の家へと出入りしていたらしい。
その事が家中の話題となり、満寿が剣腕では上の十太夫を選ぶか、あるいは家名で上の伊部を選ぶかで藩士の間では盛り上がったという。ところが満寿はどちらでもなく仏門へと入る道を選んだ。名目上は母親を亡くした事による発心であるとのことだが、藩内では「どちらも選ぶことができず仏門に入ったのでは?」との噂が囁かれた。
現在では十太夫も伊部も所帯を持ち家を支えて長いため諦めたようであるが、満寿が仏門に入った当初は引切りなしに円徳寺を訪れ満寿に会おうとしたという。


二人が執心しただけあって美しい女性であり、その美しさは三十年近く過ぎた今現在でもあまり変わっていない。


立場上、十太夫と伊部の両方に好意的でどちらにも肩入れしない存在。そんな彼女に対し十太夫は(あるいは伊部も)胸の内を曝け出すが、内心では十太夫と伊部の対立を心苦しく思っている様子。
そんな彼女の想いと裏腹に十太夫と伊部の因縁は積み重なっていき、遂に抜き差しならない状況にまで来た時に彼女が選んだ行動は……。


【映像化】
映画化はしていないものの二時間の一話完結としてTVドラマ化している。
放映されたのは1981年12月11日。放送局はフジテレビ。主演は下飯坂菊馬、松嶋稔、萬屋錦之介等。



以下ネタバレ注意



























変幻の走りから、突如として十太夫は疾走に移った
拳を離れた鷹のように、十太夫は、まっすぐ伊部に襲いかかっていた


美根の命が失われた一件から一年半後の秋の事。
道場帰りの千満太はその途上で嫂の卯女と再会する。再会を喜んだ千満太と卯女はその場で互の近況を報告しあい、ひとしきり歓談して別れた。そしてそんな様子を偶然にも見てた人物が居た。伊部の当主、伝七郎とその取り巻き達である。


伝七郎は卯女と別れた千満太に話しかける。卯女と話していた貴様は大層嬉しそうだった、もしや貴様、過去にあの嫂との間に何かあったのでは無いか、と。要するに伝七郎は千満太の事を揶揄しに来たのである。そんな伝七郎の言に取り巻き達も悪乗りし千満太を冷やかす。
だが相手と話題、そして時期が悪かった。武士が公衆の面前で侮られる訳にはいかない。ましてや千満太は婚約が決まったばかりの身である。激情に駆られた千満太は抜打ち様に伝七郎を斬り殺してしまう。


その後、小関の家へと帰宅した千満太は十太夫が伝七郎の生死を確かめている間に自裁してしまう。理由はどうあれ千満太は人を切り捨ててしまったのだ。当時の法に照らし合わせても切腹は当然の事であった。


十太夫は、二人の息子と一人の娘、全ての子を失った。そしてそれは同時に、小関という家を存続させる手立てを失ったという事であった。


その二日後。
十太夫は全てを終わらせる為に行動する。守るべき家がないというのは同時に家という柵を失ったという事である。
家という柵を失った十太夫に残ったものは宿敵たる伊部との決着のみであった。十太夫は妻の浅尾と離縁し、伊部との決着を付けるべく果たし状を送りつける。伝七郎という息子、家を存続させる手段、守るべき家の柵を失ったのは伊部も同様である。伊部は十太夫の果し合いを受けたのであった。


満寿の、命を賭けた引き止めにも応じず十太夫は伊部との決着へと向かう。決着の場は、人気のない馬場の一角であった。


僅かの言葉を交わした十太夫と伊部は早速斬り合いに移る。十太夫の使う剣は鬼走り――師、岸本六郎右衛門から伝えられた、一撃必殺の秘剣である。その秘剣は名の通り、走りから始まった。
地面に稲妻を描くかのような緩やかな走りから始まるその秘剣は、前後左右の変幻な走りから相手の構えの隙を誘い、一瞬の隙を付いた疾走で距離を詰め、相手の頭上を飛び過ぎながら顔面を切り割る戦場剣である。
だが伊部も然る者。鬼走りの秘剣に対する工夫を以て迎え撃ち、結果として十太夫は伊部を倒したものの自身もまた脚に深手を負ってしまう。生命線たる脚を断たれた十太夫は最早鬼走りを使えないであろう。


だがそれでもよかった。十太夫は元々、この戦いから生きて帰る気は無かったのだから。
伊部を倒した十太夫は服の襟を開く。そうして今度は自らに決着をつけるのであった。



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  • むかしのように走れるか、からの、前のように跳べなんだ、っていう言い回しがすごく好き。 -- 名無しさん (2015-06-30 20:40:18)
  • 石割りの記事来ないのかなぁ。もう買ってても魅入るから楽しみにしてたんだけど。 -- 名無しさん (2015-10-02 17:51:19)
  • 長きにわたる憎しみ合いの果てに決闘する十太夫と伊部なんだが、殺し合いの中での二人の掛け合いがなんだか粋というか楽しそうというか、もはや怨恨を超えて闘っている感じが好き。あとスターシステムの別人如く、悲運剣と同じく卯女という名の超かわいい未亡人兄嫁が登場する辺りも個人的に見どころ。先生、義姉萌え拗らせてるというか、卯女ちゃんお気に入りなんですか?w -- 名無しさん (2016-06-20 15:18:44)
  • 先生はNTRと鬱エンド多いから性癖やばすぎだろ・・・って思ってたけど、ある時代の時代劇はその展開めちゃ多いのよな。 -- 名無しさん (2016-12-15 15:47:22)

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