八戸市の町名 - 北海道と青森県の字
1983年 河原木・石堂・下長 住所表示は1986/2/17 白銀 しろがね 一から五 1974年 白銀町 住所表示未実施 白銀台 しろがねだい 一から三 1968年 白銀町・大久保 住所表示未実施
1983年 河原木・石堂・下長 住所表示は1986/2/17 白銀 しろがね 一から五 1974年 白銀町 住所表示未実施 白銀台 しろがねだい 一から三 1968年 白銀町・大久保 住所表示未実施
大字湊町 大字湊町 新湊 大字湊町 湊高台 大字湊町 湊高台(追加) 大字白銀町 大字白銀町 築港街 大字白銀町 白銀台 大字白銀町 白銀台(追加) 白銀
大字湊町 大字湊町 新湊 大字湊町 湊高台 大字湊町 湊高台(追加) 大字白銀町 大字白銀町 築港街 大字白銀町 白銀台 大字白銀町 白銀台(追加) 白銀
1~1924 11/9)三戸郡湊町大字浜通(1924 11/10~1929 4/30)八戸市大字浜通(1929 5/1~1952)八戸市大字白銀町(1952~)八戸市築港街(1962~)八戸市白銀台(1968~,1974~)八戸市白銀(1974~)八戸市岬台(1991 11/25
白銀大火(しろがねたいか)とは、1961年(昭和36年)5月29日午後11時40分ごろ、青森県八戸市白銀町で発生した大火である。白銀町大火あるいは三陸大火ともいう。これは放火事件である。概要[編集]1961年(昭和36年)5月29日午後11時40分ごろ、同町大沢片平、水産加工業清
現存大沢(おおさわ)三戸郡湊町役場があった。白浜道が貫き、海に面しているため、古くから栄えていた。また、接している字として白銀町字大沢片平がある。大字として白銀町が分離する前は、大字浜通として同じ村であった時の名残である。
店3.2 個室居酒屋一之蔵姫路店株式会社YKHの企業概要[]社名:株式会社YKH (ワイケイエイチ)所在地:〒162-0825 東京都新宿区白銀町2番4号白銀町ビル1F設立日:2016年2月2日資本金:1,000万円代表者:代表取締役社長室津良昭役員:専務取締役中野建太郎事業内容
現存木戸場(きどば)野馬が畑を荒らさないように、この防止のために野馬土手を築き、その一部に人間が通れる出入口を開けた。これを木戸と言う。白銀町には白銀台方面に字野馬小屋もあり、南部がいた可能性がある。参考文献:京葉ガス電気 船橋編(上) 「牧」関係の地名https://www.k
くりさわみち)字の北側の道路を「栗沢道」という事から、そのまま字になったと考えられる。因みに、道としての栗沢道は岬台団地の南端を通り、鮫町と白銀町の境界通りにぶつかっているが、旧道は大久保部落からの道とぶつかり三叉路となっていた。今は旧道の名残すらない。栗には崖の意味があり、白銀
現存(岬台・白銀台に変更された地区あり)佐部長根(さぶながね)大字白銀町の白銀平と言われる原野の殆どが字佐部長根である。佐部の由来は不明。長根は、尾根の意味。
レビドラマ3.3 オリジナルビデオ3.4 舞台3.5 その他のテレビ番組4 音楽作品5 脚注6 外部リンク来歴[]東京都新宿区(旧・牛込区)白銀町に生まれる。父は生後一ヶ月のときに結核で死去、母の手ひとつで育てられる。生まれた当初つけられた名前は『斌(あきら)』であったが、後に肉
現存(一部白銀1丁目に変更されたと思われる)大沢片平(おおさわかたひら)大沢は隣接する大字湊町にも存在する。また、字大沢頭も存在する。片平は、片側が切り開かれている土地の意味である。山手通り側は崖だった為開拓されなかった為ではないか。
現存(一部白銀3丁目に変更されたと思われる)大久保道(おおくぼみち)大久保部落に続く道の白銀側の最初の字である。
現存大沢頭(おおさわがしら)大沢は崖の下側、大沢頭は崖の上側である。この地域を総称して大沢と言ったのではなかろうか。
現存姥畑(うばはた)姥は恐らく「上」の濁音化である。白銀の集落から山の方面に行った場所に存在する。参考文献:「うば、おば」の語源https://folklore2017.com/gogen/057.htm
北側本町(きたがわほんちょう)→現存(大部分が白銀に変更)南側本町(みなみがわほんちょう)→消滅北側本町も番地が1しか現存していないのでほぼ消滅してしまった字と言える。白銀部落の中心地を本町としたときに、北側と南側に分けて字を付けたと思われる。
現存姥久保(うばくぼ)姥畑とは違い、崖では無いが傾斜地に存在するためウバフ(奪)から、崩崖などの崩壊地形であると思われる。ただし、窪地ではないのでそこは謎である。
現存(一部白銀4・5丁目に変更されたと思われる)雷(いかずち)昔、大の男が3人がかりで手をつながないと回らないほど大きな木に落雷した事より。参考文献:八戸市の地区・町内地図と地名 44頁https://research.hachinohe-u.ac.jp/wp-content/u
現存久保下(くぼした)付近に目立った窪地がないにもかかわらず久保となったのは謎である。
八戸町 八戸城下 大字柏崎旧長者村 大字類家 大字田向 大字石手洗 大字中居林 大字糠塚旧是川村 大字是川旧湊町 大字湊町 大字大久保 大字白銀町旧大館村 大字新井田 大字妙 大字十日市 大字松館旧館村 大字田面木 大字売市 大字根城 大字八幡 大字坂牛 大字櫛引 大字上野 大字
っていたと推測できる。高校ができた際に字界も歪んだのであろう。また、小松平バス停が存在するが、これは字小松平に存在せず、なんと二つ隣の字名の白銀町字姥畑にある。もしかしたらだが、ここいらへんの平地を全般的に「小松平」(白銀平、蒼前平などと同様に)と呼んでいたのかもしれない。坂ノ上
、「下」がついたのではないか。他にもこの周辺地域には、岩淵通、新井田道、白浜道、栗沢道など道の名前がそのまま地名になった例が存在する。因みに白銀町には字大久保道が存在し、こちらも白銀部落より大久保に続く道の出発地点に存在する。
に変更)下新井田道(しもにいだみち)→消滅(湊高台4~6丁目に変更)白銀から新井田に至る道(現在の県道29号)を指す。隣接する大字白銀町には右新井田道、左新井田道も存在する。
北外ノ沢(きたそとのさわ)→現存(大部分が白銀台に変更)南外ノ沢(みなみそとのさわ)→消滅古い航空写真を確認すると、清水川の支流(勘助川)が流れていたことが確認できる。現在も流れを確認できる。水源は野馬の湯周辺の池。外は、ある範囲から外れた所、という意味がある
現存(一部が白銀5丁目に変更)源治囲内(げんじかこいない)世に言う源義経公北行伝説の地名である。源氏の屋敷、と言う意味であり、白銀の村に一時仮住居を定めたときに出来た地名である。角川によると、読みが「げんじかこいのうち」となっている。最後の「内」が「ない」読みであるとアイヌ語地名
消滅現在の白銀五丁目方面(鮫町方面)が元々の本町である。よって、新町は白銀小学校側の町を指すと思われる。福昌寺敷地内に、新町公園が存在し、浜街道より西側を新町と言った。通は、線路の崖上に存在する道路の事を指すのでは無いか。白銀大火による土地整理事業により、1974年に消滅。
現存(一部が白銀・築港街に変更された可能性あり)洲賀端(すかばた)「スカ」は海に沿った高地、砂丘、砂地の意味。「須賀」と書く事が多いが、異字であろう。現在の築港街2丁目(マルヨ水産の裏側・鮫町方面)は古地図を見る限りでは岩場となっており、砂地では無かった。館鼻から続く砂地が終わる
現存新九郎蒔目(しんくろうまきめ)蒔目はアイヌ語のマク(山手・奥側・後ろ側)と、窪んだところの意味の「目」が合わさった言葉。尚、蒔目はこのように「巻目」と書くことが多い。「蒔目」と書くのはここだけである。字の南東に清水川浸食による崖から少し窪んだ地形となっている。新九郎とは誰なの
現存(一部白銀に変更された可能性あり)砂森(すなもり)鮫町との境界に存在する字。水産高校の上(南側)は窪地になっており、昔は森の如く海からの砂が溜まっていたのか。三沢市の字での砂森と由来と同じだとこのような由来になる。
現存昭和町(しょうわちょう)昭和に埋め立てた地区に新設された字であろう。昭和町という単独の町名を設置しないのがいかにも八戸らしい。昭和28年の地図には、人形沢付近から引き込み線の存在を伺える。
現存田端(たばた)田の端という意味
現存白浜道(しらはまみち)白浜に続く道の沿道に存在する。この白浜道、三陸浜街道とも呼ばれ久慈まで続いている江戸時代からの主要道路なのである。
現存(大部分が白銀に変更)下タ通(したとおり)以前は下通とも表記したが、現在は下タ通で統一されている。下タ通とは、山手通りと線路に挟まれた道の事であり、白銀地区の区画整理が行われて山手通りが開通するまでは、白浜街道に次ぐ白銀地区のメインストリートであった。今でも、栗沢道方面から築
現存(一部白銀に変更された可能性あり)小沼(こぬま)清水川沿いに位置する。由来は恐らくそのまま。
丁蘋町浮町裡一町目~裡七町目江戸町曲尺手町鍛冶町川岸通川崎町北三軒町八町目~十町目蔵前材木町肴町三間町三光町三ノ丁塩町七軒町渋田清水町十軒町白銀町新町代官町竹隈町立浪町轟町二ノ町根積町蓮池町花畑馬場檜物町宝鏡院門前細谷門前本五町目~七町目水門町明星町元仲ノ町横竹隈
小路鉄砲町寺町天王町常磐小路鳥見町長町仲町並松町奈良屋町西町根本町梅香馬口労町花小路備前町藤坂町藤沢小路松小路松本町南三ノ丸南町宮下向井町元白銀町元山町桃小路谷中柳小路八幡町
さわさと 1940年1月1日 館村 尻内町 しりうちまち 1955年4月1日 上長苗代村 白銀町 しろがねまち 1952年 大字湊町 田向 たむかい 1901年7月1日 長者村 田面
現存(一部白銀に変更された可能性あり)沢向(さわむかい)この「沢」とは、清水川の事である。ここから南側には清水川の浸食によって出来た崖があり、その終着点である。
八戸市域には町村が置かれたのですが、その時の名前を八戸市に編入されてから新しく設置しました。この様な住所は、以下の例があります。3-1.大字白銀町3-2.大字湊町3-3.大字鮫町3-4.大字市川町3-5.大字豊崎町3-6.大字尻内町3-7.大字小中野町この内、1.2.3は1929