北海道と青森県の字のサイトにお越し頂きまして誠にありがとうございます。
まず、このサイトは地理を愛する一個人が執筆しておりますので、更新速度は低いです。ご容赦いただきますようお願い申し上げます。
また、由来についてでありますが、個人の考えが入っていますので、疑問点や提案などがありましたら、是非コメントを残して下さい。参考にさせて頂きます。
八戸市は青森県下第二位の人口を誇る、有数の港湾都市です。
このページでは、八戸市の地名を掲載するとともに、地名由来の考察もしていきます。
〈住所の表し方〉
全国には多数の地名が存在します。その中で一番身近に思うのはやはり、住所ではないでしょうか。八戸市に限った話をすれば、大きく分けて6通りの住所の表し方があります。尚、住所は例です。
1.八戸市大字三日町◯番地
八戸市中心市街地に見られる住所です。これは、旧来の八戸城下の範囲です。
2.八戸市大字大久保字◯◯ ◯番地
1889年に町村制が敷かれた際、江戸時代からの村は周辺の村々と合併し、新しく市町村を新設しました。その時の江戸時代からの村を「大字」として残した地名です。
3.八戸市大字湊町字◯◯ ◯番地
一見、1.2と同じに見えますが、少し違います。
何が違うかと言うと、2で述べた江戸時代からの村の名前にはなかった地名が大字になっているのです。これは、行政区画として八戸町が置かれた様に今の八戸市域には町村が置かれたのですが、その時の名前を八戸市に編入されてから新しく設置しました。
この様な住所は、以下の例があります。
3-1.大字白銀町
3-2.大字湊町
3-3.大字鮫町
3-4.大字市川町
3-5.大字豊崎町
3-6.大字尻内町
3-7.大字小中野町
この内、1.2.3は1929年まで違う自治体だったにも関わらず、大字浜通という地名でした。大字浜通(浜通村)は明治初期に複数の小村が合併しできた、とても広い村だったのです。
なお、1は1952年に湊町から分離独立して再登場しました。1929年からそれまでは大字湊町の範囲内でした。
4.5.6は昭和の大合併時に八戸市に合併して地域です。
それまでの大字は廃止され旧村の全範囲が大字とつき、後ろに町をつけたものです。
7は現在は住所表示によって無くなった地名です。1929年まであった三戸郡小中野町の範囲を指します。小中野町は1889年に合併した時に単独で町村制を敷いたので、大字はありませんでした。
4.八戸市類家◯丁目◯番◯号
住所表示、または住所変更された地名です。住人が多くなった、または団地が新設された為、わかりやすくその地域だけ住所を変更したのです。
5.八戸市河原木◯番地
大字河原木の端の小地域に、大字と小字が抜けた地名が存在します。どういう成り行きで設置したのかは不明です。尚、この様な例は河原木以外八戸市内では存在しません。
6.八戸市南郷大字頃巻沢字◯◯ ◯番地
2005年に合併した三戸郡南郷村域です。最初は大字の前に南郷区をつけたのですが、その後「区」を抜いて南郷になりました。
〈字とは何だろう〉
字は大雑把に言えば、市町村の下にある地名の事です。主に大字と小字に分けられ、大字は明治の大合併の際に旧村を継承する形で誕生しました。よって、本来は字といえば小字のことを指します。
よってここでは「小字」の事を指します。
江戸時代、村の中には大字や何丁目などはありませんでした。昔の人々は村の中に地名を付け、どういう場所かを表していました。崖、道、浜などつけ、危険な所などを表していました。しかし現代、住所を表す時に小字が必須の地域は、東北地方と愛知県、京都府、兵庫県の一部、徳島県ほどになってしまいました。不動産表示の際は表す場合は全国で使われていますが、それは生活に密着した馴染み深いものではないでしょう。
なぜなのでしょうか。
やはり現代、何丁目などに住所が変更されていってしまいます。その方が分かりやすいからです。長い歴史を持った地名であるからこそ、その時々の権力者に翻弄されてしまい、飛地が大量に発生したり、1番地の隣が200番地ではたまた2番地は凄く遠い所にある、など他の地域から来た人々が分かりづらくなってしまったのです。
ただ、先人が身をもって経験した地名を滅ぼすのは悲しい事です。安易に失くしてしまうのは良くないです。
このサイトでは失われた小字や、現代にも残る小字を収集し、掲載する事で、一人でも多くの人に小字のことを知ってもらい、この土地は昔はこういう土地だったのだ、という事を知ってもらいです。
地名は先人からのメッセージです。
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