赤山の小字 - 埼玉県の小字
うち):現存。大字赤山にある源長寺が由来で、明治の上知令で没収された土地を指していると思われる。赤山源長寺上知遺跡がある。土手下参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 川口市地形図 1/2500
うち):現存。大字赤山にある源長寺が由来で、明治の上知令で没収された土地を指していると思われる。赤山源長寺上知遺跡がある。土手下参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 川口市地形図 1/2500
ある。西原(にしはら):現存。大字源左衛門新田に神根西原公園、大字木曽呂にバス停「西原」がある。西原町会がある。西原遺跡がある。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 川口市地形図 1/2500
つみ):仲道の南東、区域の東端。現存。北方(行衛字往還通を二分する区域)および南方に飛び地あり。大字石神に雨堤調節池がある。飛地参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ ゼンリンの住宅地図 川口市(北部) 1974・ 川口市地形図 1/2500
(まえまちとおり):現存。東内野前町遺跡、東内野前町南遺跡がある。葭原(よしはら):現存。大字東内野に東内野葭原第1公園がある。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 川口市地形図 1/2500
字安行吉岡字宮下になった。安行吉岡宮下遺跡がある。原下(はらした):1956年に大字安行領家に編入し、大字安行領家字原下になった。参考文献・北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 川口市地形図 1/2500・ 埼玉県報 昭和31年6月、昭和60年8月
跡がある。高木前(たかぎまえ):現存。道合高木前遺跡がある。久保前(くぼまえ):北方に飛び地がある。現存。道合久保前遺跡がある。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 川口市地形図 1/2500・ 行政文書 町村制(明治44年、大正3年)、町字区域変更・住居表示(昭
やつ):現存。東(ひがし):北方に二箇所飛び地がある。現存。神戸東遺跡がある。上ノ台(うえのだい):神戸上ノ台遺跡がある。現存。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 川口市地形図 1/2500
えもんつつみした):現存。無品原(むしなはら):現存。無品原遺跡がある。堂下(どうした):現存。藤堤下(ふじつつみした):現存。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 川口市地形図 1/2500
のみちした):現存。赤芝新田甲道下遺跡がある。乙道下(おつのみちした):現存。赤芝新田乙道下遺跡がある。道上(みちかみ):現存。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 川口市地形図 1/2500
に受け継がれている。原下:二箇所に分かれている。現存。明治14年の字届出書には記載がない。1956年に大字安行から編入した。中通参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ ゼンリンの住宅地図 川口市(北部) 1974・ 川口市地形図 1/2500・ 埼玉県報 昭和31年
通)(ていがいぬまどおり):綾瀬川沿いの区域。現存。堤外反高場:綾瀬川沿いの区域。現存。明治14年の字届書には記載されていない。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 川口市地形図 1/2500
。道内(みちうち):1994年に一部が長蔵一~三丁目になった。道外(みちそと):現存。1994年に一部が長蔵一~三丁目になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 川口市地形図 1/2500・ ゼンリンの住宅地図(川口・蕨・鳩ヶ谷) 1994年
:現存、1960年に大字西立野字大下の一部が川口市に編入し、大字安行西立野字安行大下となった。川口市地形図では大下となっている。参考資料・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ ゼンリンの住宅地図(川口・蕨・鳩ヶ谷) 1994年・ 川口市地形図 1/2500・ 埼玉県報 昭和
門新田宮前(宮前耕地)(みやまえこうち):現存。大字久左衛門新田に宮前公園がある。東通(東通耕地)(ひがしとおりこうち):現存。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 川口市地形図 1/2500
(なかみちひがし):現存。根堤(ねつつみ):現存。1985年に一部が(旧)安行出羽三丁目になった。大字安行吉蔵に根堤公園がある。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 川口市地形図 1/2500・ 埼玉県報 昭和60年8月
る。JR武蔵野線の一本木ガード(架道橋)がある。一本木町会がある。一本木遺跡がある。 外町:1911年に大字戸塚字柳に編入した。参考文献・北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 埼玉県報 昭和55年10月・ 行政文書 町村制(明治44年)、住居表示(平成3年度)・ 川口市(第
八現在の地名:川口市大字安行藤八道上(みちかみ):現存。1985年に一部が(旧)安行出羽二丁目になった。道下(みちした):現存。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 川口市地形図 1/2500・ 埼玉県報 昭和60年8月
:現存。安行原向原遺跡がある。枝郷(枝郷耕地)(えだごうこうち):1956年に大字安行小山に編入し、大字安行小山字枝郷になった。参考資料・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 川口市地形図 1/2500・ 草加市史研究 第4号「草加の地名について(4)」・ 埼玉県報 昭和3
:現存。赤芝川がある。安行慈林赤芝遺跡がある。堂下(どうした):現存。大字安行慈林に安行慈林堂下公園がある。向(むかい):現存。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 川口市地形図 1/2500
1957年に草加町に編入した。1970、1988年に松原四丁目、北谷一~三丁目、小山一丁目になった。伝右川に架かる峯分橋がある。参考資料・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 草加市史研究 第4号「草加の地名について(4)」・ 平成30年埼玉県統計年鑑「市町村の廃置分合等の
根郷(ねごう):現存。枝郷:1956年に大字安行原から編入した。1957年に草加町に編入した。1988年に小山一・二丁目になった。参考資料・北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 川口市地形図 1/2500・ 草加市史研究 第4号「草加の地名について(4)」・ 埼玉県報 昭和3
(いとしり):北方の飛び地。現存。1984年に一部がプラザになった。近隣の指扇、西遊馬、二ッ宮、佐知川、土屋にも字井戸尻がある。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ さいたま市 地形図(縮尺2,500分の1)・ 埼玉県報 昭和46年7月、昭和59年6月
。スノコ島(すのこじま):飛地組替により塚本村に編入した。二江川(ふたえがわ)塚田(つかた):飛地組替により二ッ宮村に編入した。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ さいたま市 地形図(縮尺2,500分の1)
地組替で上新倉村から編入した。茂次郎(元下笹目分):現存。飛地組替で下笹目村から編入した。登記情報では「元笹目分」となっている。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 北豊島郡大泉村全図・ 大和町白子第二耕地整理組合確定図・ 大和町全図(昭和39年)・ 埼玉県報 昭
入した。八貫野(元植田谷本分):現存。飛地組替により植田谷本村から編入した。 登記情報の表記では「元植田谷本村分」となっている。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 荒川堤外地調査平面図 第11号(大正3年)・ 浦和市土地宝典 大久保地区(昭和60年)・ 宿深町土
部が塚本町一・二丁目になった。二江川(元中野林分):登記情報が存在するが、地番から判断して二江川(元水判土分)の誤りと思われる。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 荒川堤外地調査平面図 第11号、第12号(大正3年)・ 大宮市土地宝典 馬宮地区(昭和56年)・
(はちかんの):荒川の堤外地にある飛び地。現存。鰻沼:飛地組替により島根村から編入したと思われる。1970年に大字昭和になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 荒川堤外地調査平面図 第11号(大正3年)・ 浦和市土地宝典 大久保地区(昭和60年)・ 植水土地
いたま市地形図では大字白鍬字八貫野(一部は大字下大久保字羽根倉)になっている。大字神田に天神後公園がある。神田天神後遺跡がある。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 荒川堤外地調査平面図 第10号、第11号(大正3年)・ 神田土地改良区 字区域変更図・ さいたま市
なった。本目:飛地組替により島根から編入したと思われる。不動産チェッカーでは表示されるが、デジタル化後の登記情報は見つからない。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 荒川堤外地調査平面図 第11号(大正3年)・ 浦和市土地宝典 大久保地区(昭和60年)・ さいたま
保の区域になっている。円蔵寺(えんぞうじ):荒川の堤外地にある飛び地。現存。さいたま市地形図では大字下大久保の区域になっている。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 荒川堤外地調査平面図 第10号、第11号(大正3年)・ さいたま市地形図(縮尺2,500分の1)
されている。夏浜(なつはま):飛地組替により下笹目村に編入した。飛西原:荒川の堤外地。現存。飛地組替により下笹目村から編入した。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・荒川堤外地調査平面図 第9号(大正3年)・ 土美耕地整理組合第二区確定図・ 新浦和土地改良区 字区域
っている区域を含む。野田(野田耕地)(やだ):荒川の堤外地の飛び地。現存。さいたま市地形図で大字下大久保になっている区域を含む。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 荒川堤外地調査平面図 第10号、第11号(大正3年)・ さいたま市地形図(縮尺2,500分の1)
地にある飛び地。現存。さいたま市地形図で大字下大久保字羽根倉になっている区域を含む。沼(ぬま):荒川の堤外地にある飛び地。現存。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 荒川堤外地調査平面図 第10号、第11号(大正3年)・ さいたま市地形図(縮尺2,500分の1)
大久保になっている区域を含む。さいたま市地形図では二か所の飛び地となっているが、うち一か所(南)は実際は大字神田字天神後の区域。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 荒川堤外地調査平面図 第11号(大正3年)・ (白鍬土地改良区)字界変更図・ さいたま市地形図(縮
地組替により田島から編入した。1959年に一部が大字堤外になった。1963年に浦和市に編入し、1975年に西浦和三丁目になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 土美耕地整理組合第一区整理確定図・ 新浦和土地改良区 字区域変更図・ 埼玉県報 昭和34年3月、昭
市に編入し、1978年に松本一~四丁目になった。新井(あらい):1959年に浦和市に編入し、1978年に松本一・二丁目になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 土美耕地整理組合第二区確定図・ 埼玉県報 昭和34年3月・ 行政文書 町字区域変更・住居表示(昭和
:1982年に道祖土四丁目になった。道祖土向原遺跡、道祖土向原東遺跡、道祖土向原西遺跡がある。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 大浦和市全地図(昭和9年)・ 浦和市大東土地区画整理組合 字区域変更図・ 埼玉県報 昭和51年3月
東方の飛び地。現存。2017年に一部が美園一・三~六丁目になった。綾瀬(あやせ):北東の飛び地。2017年に美園二丁目になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ (南部)野田土地改良区 現況平面図・ さいたま市 地形図(縮尺2,500分の1)・ 行政文書 町村
。原向(はらむこう):現存。浅間入(あさまいり):現存。中野田下(なかのたした):北東の飛び地。2017年に美園二丁目となった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 野田土地改良区 現況平面図・ さいたま市地形図(縮尺2,500分の1)・ 行政文書 町村制(明治4
):現存。本村(ほんむら):南東に飛び地がある。現存。代山本村遺跡、代山本村南遺跡がある。篠内(しのない):南方の飛び地。現存。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ さいたま市地形図(縮尺2,500分の1)
た。昭和29年の埼玉県告示では大字上野田元染谷字膝子下という表記になっている。沼(元染谷分):飛地組替により染谷村から編入した。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 野田土地改良区 現形図、確定図・ さいたま市地形図(縮尺2,500分の1)・ 埼玉県報 昭和29年
元下野田分)の飛び地が耕地整理に伴い、区域変更とともに「元下野田分」が取れたものと思われる。2017年に美園一~三丁目になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 野田耕地整理組合整理確定図・ さいたま市地形図(縮尺2,500分の1)・ 行政文書 町村制(明治4
目になった。外(そと):2017年に美園一~五丁目になった。本田(ほんでん):現存。玄蕃新田本田遺跡、玄蕃新田本田南遺跡がある。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ さいたま市地形図(縮尺2,500分の1)・ 行政文書 町村制(明治44年)・ 浦和東部第二地区及び
存。飛地組替により戸塚村から編入した。柳:飛地組替により戸塚村から編入したと思われる。1911年に戸塚村大字戸塚字柳に編入した。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ さいたま市地形図(縮尺2,500分の1)・ 埼玉県報 平成4年2月・ 行政文書 町村制(明治44年
がある。間宮宮前遺跡がある。中(中耕地)(なかこうち):現存。間宮中遺跡がある。後(後耕地)(うしろこうち):現存。大沼:現存。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ さいたま市地形図(縮尺2,500分の1)
から編入した。1962年に川口市に編入し、翌年に大字行衛字飛地になった。1984、1989年に戸塚四丁目、北原台二丁目になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 浦和市全図(昭和48年)・ さいたま市地形図(縮尺2,500分の1)・ 川口市地形図 1/2500
門村大字大門字宮下、字内町に編入した。入部崎(にゅうぶさき):青山苑墓地の東部あたりの飛び地。飛地組替により中野田村に編入した。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ さいたま市地形図(縮尺2,500分の1)・ 行政文書 町村制(明治44年)・ 浦和東部第二地区及び
大字名「大道」に引き継がれている。大道西(おおみちにし):見沼代用水西縁より外側の区域。1979年に大字三崎、大字三浦になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 浦和市全図(昭和26年)・ 宮本土地区画整理組合 字区域変更図・ 芝原土地区画整理事業 区域図・
: 芝川第一調節池の北。現存。見沼の一番深いところに四本の竹を立ててしめ縄を張り、祭祀の場としていたのが由来。四本竹遺跡がある。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ さいたま市地形図(縮尺2,500分の1)
。隣接する横根に字上平沼、字下平沼がある。八雲:飛地組替により染谷村から編入したと思われる。2017年に美園一・三丁目になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 野田耕地整理組合整理確定図・ 野田土地改良区 現形図、確定図・ さいたま市地形図(縮尺2,500分