1948年アメリカ大統領選挙

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1948年アメリカ大統領選挙

州別獲得選挙人分布図

獲得選挙人

民主党 258

共和党 269       進歩党  4

勝利地域数

民主党 26

共和党 21        進歩党  1

得票数

民主党 25,074,794票

共和党 22,161,213票   進歩党 1,267,890票

得票率

民主党 51.4%

共和党 45.4%       進歩党 2.6%

大統領

候補者

ハリー・S・トルーマン

トマス・E・デューイ   ヘンリー・A・ウォレス

政党

民主党    共和党

進歩党

副大統領

副大統領候補者

アルベン・バークレー

アール・ウォーレン    グレン・H・テイラー

政党

民主党    共和党

進歩党


1944年アメリカ大統領選挙                 1952年アメリカ大統領選挙

1948年アメリカ合衆国大統領選挙(1948ねんアメリカがっしゅうこくだいとうりょうせんきょ、英語: United States presidential election, 1948)は、1948年11月2日に行われたアメリカ合衆国大統領選挙である。アメリカ史の中でも最大の番狂わせが起こった選挙と多くの歴史家から言われていて、あらゆる予測(世論調査を行っていようといまいと)では、現職大統領で共和党のトマス・E・デューイが民主党候補のハリー・S・トルーマンに敗れるとしていた。しかし、トルーマンは所属する民主党の3分裂。特にヘンリー・A・ウォレス率いる進歩党に効果的な対処が出来ず北部州での支持を失ったことが大きな原因として敗北した。デューイの驚くべき勝利によって民主党のトルーマンを見限った南部州の有力政治家であるヒューイ・ロングの民主党離党に繋がり、民主党は苦境に陥る事となる。

目次

候補者の指名

・民主党の指名

1948年民主党全国大会は7月12日にフィラデルフィアで開催されたが、数週間前に共和党の大会が開催されたのと同じ会場だった。トルーマンは当初中道派と革新派の協力でこの選挙を乗り切ろうと画策していた。しかし、ヘンリー・A・ウォレスとの対立により彼は進歩党を設立したため北部の革新派議員が流出する形となり、政局打開の為にヒューイ・ロングとの協力関係を結ぶかどうかが民主党内での大きな争点となった。しかし、ロングの事を右派の急進派ポピュリストとして嫌っていたトルーマンはこの連立を拒否し、中道派のみでこの選挙を乗り越える形となった。しかし北部州では44年の痛手から盛り返しつつある共和党の人気が再熱し、苦戦を強いられることとなる。

民主党全国大会ではミネアポリス市長であるヒューバート・ハンフリーに率いられた北部の革新派集団が黒人の公民権を推進する綱領を提案して(活発な南部の反対はあったが)成功した。ハンフリーは公民権推進綱領を提案する演説で、「民主党が州の権限の影から脱し、人権という明るい陽光の中に正面から歩いていく時がきた」という印象的な話をした。皮肉なことにトルーマンとその参謀達は公民権綱領を支持することについて相反する感情を持っていたが、大都市の党ボスの多くは、公民権綱領が自分達の都市で増え続ける黒人に民主党への投票を促すことになると感じて、強く支持した。公民権綱領の採択によって、サウスカロライナ州知事ストロム・サーモンドに率いられる3ダースの南部代議員が会場から出て行くことになった。会場に残った南部代議員はトルーマンに対する警告として、ジョージア州選出アメリカ合衆国上院議員ヒューイ・ロングを民主党大統領候補に推した。それでも947人の代議員がトルーマンに投票し、ロングは全て南部から266票を得たに留まった。続いてトルーマンはケンタッキー州選出アメリカ合衆国上院議員アルバン・W・バークリーを副大統領候補に選び、拍手喝采でその指名が決まった。

・共和党の指名

共和党の候補指名争いはニューヨーク州知事トマス・E・デューイ、元ミネソタ州知事ハロルド・スタッセン、ダグラス・マッカーサー将軍、オハイオ州選出アメリカ合衆国上院議員ロバート・タフトおよびカリフォルニア州知事アール・ウォレンが有力となった。前回の共和党大統領候補者であったブリッカーは立候補しなかった。

立候補者の中でもデューイの欠点は多くの共和党員に嫌われていたことだった。彼を観察する者には冷たく、堅物で見下したような印象を与えた。一方タフトは共和党保守派の指導者だった。彼は1947年に民主党の国内外交両政策を攻撃することで選挙運動を開始した。外交政策において、タフトは孤立主義であり、タフトが占領下のドイツにモーゲンソー・プランを実行し、それによってヨーロッパ経済を破綻させ、(タフトの見解では)マーシャル・プランという形で合衆国の税金での救済を要求するようになると非難した。国内問題では、タフトとその仲間の保守派が、1930年代に作られたニューディール政策の社会福祉計画の多くを廃止しようとしており、これらの計画は実業界の利益にとって金を遣いすぎ有害だと見なした。タフトには2つの大きな弱みがあった。精彩の無い鈍感な候補者であり、党指導者の大半からはあまりに保守的すぎて論議が多く大統領選挙には勝てないと見られていた。タフトの支持基盤は出身地の中西部と南部の一部に限られていた。

しかし、進歩党が分離し、北部での影響力が薄くなった民主党に打ち勝つためには保守的なタフトでは勝利できないとして党内ではデューイを支持する声が大きくなった。中にはブリッカーの帰還を望む声もあったものの本人が立候補を否定しデューイが共和党の候補者として決定した。

・進歩党の指名

トルーマンとの対立から1948年に新たに結党された進歩党は、フランクリン・ルーズベルト政権で農務長官を務めたヘンリー・A・ウォレスを大統領候補に指名した。ウォレスは黒人や女性に対する差別を終わらせ、最低賃金を補償し、下院非米活動委員会を排除することを要求していた。非米活動委員会は合衆国政府や労働組合の中で共産主義者スパイの問題を調査していた。ウォレスとその支持者は、委員会が政府職員や労働組合の公民権を侵害していると考えた。しかし進歩党は、彼等が合衆国よりもソ連に忠実な共産主義者によって密かにコントロールされているという一般に拡がった思いこみによって、大きな議論の種を生み出してしまった。ウォレス自身は共産主義者であることを否定したが、共産主義者の支持を否定することは何度も拒んでおり、ある時点では、「共産主義者は初期キリスト教の殉教者に近いものがある」と言ったとされている。

フィラデルフィアで開催された進歩党党員集会は活発な議論を呼んだ。H・L・メンケンやドロシー・トンプソンのような著名な新聞記者数人は、進歩党が極秘に共産主義者にコントロールされていると公然と告発した。進歩党の指導者数人(社会主義者の指導者ノーマン・トーマス等)は、ウォレスに不当な共産主義者の影響力が及ぼされていると認識されることについて反対し離党した。トーマスはウォレスに対する代案として非共産主義者の革新を提案するためにアメリカ社会党の大統領候補として出馬した。

アイダホ州選出アメリカ合衆国上院議員グレン・H・テイラーは、「歌うカウボーイ」として知られる風変わりな人物であり、1944年に上院議員に当選したときは愛馬「ナゲット」でアメリカ合衆国議会議事堂の階段を上ったことがあり、ウォレスの副大統領候補に指名された。

一般選挙

・秋の選挙活動

共和党は1940年から44年まで続いたウィルキー政権の痛みから復活できずに民主党の勝利で終わると思われていた今選挙では、革新派の分裂と南部との関係性に苦しめられることとなった。一方、共和党はデューイの指導の下で、党大会での綱領を法制化していった。すなわち、社会保障の拡大要求、公営住宅の予算拡大、公民権法、および連邦政府による健康管理と教育の促進だった。しかし、これらの立場は保守的な共和党議会指導者には受け入れがたいものだった。トルーマンは南部との関係性に注意を割かなければいけなく、デューイの政策に効果的な対抗が出来なかった。

ロングとの関係調整により身動きの取れないトルーマンに対し、デューイは国の大半を周り、その激しい話術で釘付けにし、熱狂的な大群衆に働きかけた。しかし、世論調査や政治評論家は全て、トルーマンの優位は動かず、デューイの努力は無為になるとの予測を続けた。しかし、共和党員の間ではおろか、デューイの妻ですら夫が勝てるということに個人的な疑念を抱いた。

・結果      

                      大統領選の結果
大統領候補者

出身州

 党 得票数得票率副大統領候補者

出身州

選挙人得票数
トマス・E・デューイ

ニューヨーク州

共和党22,161,213票45.4%アール・ウォーレン

カリフォルニア州

  269
ハリー・S・トルーマン

ミズーリ州

民主党25,074,794票51.4%アルバン・W・バークリー

ケンタッキー州

  258
ヘンリー・A・ウォレス

アイオワ州

進歩党1,267,890票2.6%グレン・H・テイラー

アイダホ州

   4
ノーマン・トーマス

ニューヨーク州

アメリカ社会党139,569票0.3%タッカー・P・スミス

ミシガン州

   0
クロード・ワトソン

カリフォルニア州

禁酒党103,708票0.2%ダニエル・ラーン

ペンシルベニア州

   0
     その他   -46,361票0.1%      -   0
         合計48,793,535票100%     -  531
                 選出必要数  266

その後

    愛国党を含めた州別獲得選挙人分布図

1948年選挙の後にトルーマンから冷遇され続けていた南部州の民主党員らが中心となってヒューイ・ロングを党首とする愛国党が設立されることとなった。

これにより民主党の影響力は更に低下する事となり、共和党のトマス・E・デューイによる新たな政権が始まる事となる。



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