陣営一覧
ここでは、複数の国家の集合体(組織)を一覧化している。目次1 軍事・安全保障組織 軍事的な連携を目的としたより硬い国際組織2 経済連携組織経済的な連携を目的とした比較的緩い国際組織3 共通された目標を...
共和党 269 進歩党 4
共和党 21 進歩党 1
共和党 22,161,213票 進歩党 1,267,890票
共和党 45.4% 進歩党 2.6%
トマス・E・デューイ ヘンリー・A・ウォレス
進歩党
アール・ウォーレン グレン・H・テイラー
進歩党
←1944年アメリカ大統領選挙 1952年アメリカ大統領選挙→
1948年アメリカ合衆国大統領選挙(1948ねんアメリカがっしゅうこくだいとうりょうせんきょ、英語: United States presidential election, 1948)は、1948年11月2日に行われたアメリカ合衆国大統領選挙である。アメリカ史の中でも最大の番狂わせが起こった選挙と多くの歴史家から言われていて、あらゆる予測(世論調査を行っていようといまいと)では、現職大統領で共和党のトマス・E・デューイが民主党候補のハリー・S・トルーマンに敗れるとしていた。しかし、トルーマンは所属する民主党の3分裂。特にヘンリー・A・ウォレス率いる進歩党に効果的な対処が出来ず北部州での支持を失ったことが大きな原因として敗北した。デューイの驚くべき勝利によって民主党のトルーマンを見限った南部州の有力政治家であるヒューイ・ロングの民主党離党に繋がり、民主党は苦境に陥る事となる。
1948年民主党全国大会は7月12日にフィラデルフィアで開催されたが、数週間前に共和党の大会が開催されたのと同じ会場だった。トルーマンは当初中道派と革新派の協力でこの選挙を乗り切ろうと画策していた。しかし、ヘンリー・A・ウォレスとの対立により彼は進歩党を設立したため北部の革新派議員が流出する形となり、政局打開の為にヒューイ・ロングとの協力関係を結ぶかどうかが民主党内での大きな争点となった。しかし、ロングの事を右派の急進派ポピュリストとして嫌っていたトルーマンはこの連立を拒否し、中道派のみでこの選挙を乗り越える形となった。しかし北部州では44年の痛手から盛り返しつつある共和党の人気が再熱し、苦戦を強いられることとなる。
民主党全国大会ではミネアポリス市長であるヒューバート・ハンフリーに率いられた北部の革新派集団が黒人の公民権を推進する綱領を提案して(活発な南部の反対はあったが)成功した。ハンフリーは公民権推進綱領を提案する演説で、「民主党が州の権限の影から脱し、人権という明るい陽光の中に正面から歩いていく時がきた」という印象的な話をした。皮肉なことにトルーマンとその参謀達は公民権綱領を支持することについて相反する感情を持っていたが、大都市の党ボスの多くは、公民権綱領が自分達の都市で増え続ける黒人に民主党への投票を促すことになると感じて、強く支持した。公民権綱領の採択によって、サウスカロライナ州知事ストロム・サーモンドに率いられる3ダースの南部代議員が会場から出て行くことになった。会場に残った南部代議員はトルーマンに対する警告として、ジョージア州選出アメリカ合衆国上院議員ヒューイ・ロングを民主党大統領候補に推した。それでも947人の代議員がトルーマンに投票し、ロングは全て南部から266票を得たに留まった。続いてトルーマンはケンタッキー州選出アメリカ合衆国上院議員アルバン・W・バークリーを副大統領候補に選び、拍手喝采でその指名が決まった。
共和党の候補指名争いはニューヨーク州知事トマス・E・デューイ、元ミネソタ州知事ハロルド・スタッセン、ダグラス・マッカーサー将軍、オハイオ州選出アメリカ合衆国上院議員ロバート・タフトおよびカリフォルニア州知事アール・ウォレンが有力となった。前回の共和党大統領候補者であったブリッカーは立候補しなかった。
立候補者の中でもデューイの欠点は多くの共和党員に嫌われていたことだった。彼を観察する者には冷たく、堅物で見下したような印象を与えた。一方タフトは共和党保守派の指導者だった。彼は1947年に民主党の国内外交両政策を攻撃することで選挙運動を開始した。外交政策において、タフトは孤立主義であり、タフトが占領下のドイツにモーゲンソー・プランを実行し、それによってヨーロッパ経済を破綻させ、(タフトの見解では)マーシャル・プランという形で合衆国の税金での救済を要求するようになると非難した。国内問題では、タフトとその仲間の保守派が、1930年代に作られたニューディール政策の社会福祉計画の多くを廃止しようとしており、これらの計画は実業界の利益にとって金を遣いすぎ有害だと見なした。タフトには2つの大きな弱みがあった。精彩の無い鈍感な候補者であり、党指導者の大半からはあまりに保守的すぎて論議が多く大統領選挙には勝てないと見られていた。タフトの支持基盤は出身地の中西部と南部の一部に限られていた。
しかし、進歩党が分離し、北部での影響力が薄くなった民主党に打ち勝つためには保守的なタフトでは勝利できないとして党内ではデューイを支持する声が大きくなった。中にはブリッカーの帰還を望む声もあったものの本人が立候補を否定しデューイが共和党の候補者として決定した。
トルーマンとの対立から1948年に新たに結党された進歩党は、フランクリン・ルーズベルト政権で農務長官を務めたヘンリー・A・ウォレスを大統領候補に指名した。ウォレスは黒人や女性に対する差別を終わらせ、最低賃金を補償し、下院非米活動委員会を排除することを要求していた。非米活動委員会は合衆国政府や労働組合の中で共産主義者スパイの問題を調査していた。ウォレスとその支持者は、委員会が政府職員や労働組合の公民権を侵害していると考えた。しかし進歩党は、彼等が合衆国よりもソ連に忠実な共産主義者によって密かにコントロールされているという一般に拡がった思いこみによって、大きな議論の種を生み出してしまった。ウォレス自身は共産主義者であることを否定したが、共産主義者の支持を否定することは何度も拒んでおり、ある時点では、「共産主義者は初期キリスト教の殉教者に近いものがある」と言ったとされている。
フィラデルフィアで開催された進歩党党員集会は活発な議論を呼んだ。H・L・メンケンやドロシー・トンプソンのような著名な新聞記者数人は、進歩党が極秘に共産主義者にコントロールされていると公然と告発した。進歩党の指導者数人(社会主義者の指導者ノーマン・トーマス等)は、ウォレスに不当な共産主義者の影響力が及ぼされていると認識されることについて反対し離党した。トーマスはウォレスに対する代案として非共産主義者の革新を提案するためにアメリカ社会党の大統領候補として出馬した。
アイダホ州選出アメリカ合衆国上院議員グレン・H・テイラーは、「歌うカウボーイ」として知られる風変わりな人物であり、1944年に上院議員に当選したときは愛馬「ナゲット」でアメリカ合衆国議会議事堂の階段を上ったことがあり、ウォレスの副大統領候補に指名された。
共和党は1940年から44年まで続いたウィルキー政権の痛みから復活できずに民主党の勝利で終わると思われていた今選挙では、革新派の分裂と南部との関係性に苦しめられることとなった。一方、共和党はデューイの指導の下で、党大会での綱領を法制化していった。すなわち、社会保障の拡大要求、公営住宅の予算拡大、公民権法、および連邦政府による健康管理と教育の促進だった。しかし、これらの立場は保守的な共和党議会指導者には受け入れがたいものだった。トルーマンは南部との関係性に注意を割かなければいけなく、デューイの政策に効果的な対抗が出来なかった。
ロングとの関係調整により身動きの取れないトルーマンに対し、デューイは国の大半を周り、その激しい話術で釘付けにし、熱狂的な大群衆に働きかけた。しかし、世論調査や政治評論家は全て、トルーマンの優位は動かず、デューイの努力は無為になるとの予測を続けた。しかし、共和党員の間ではおろか、デューイの妻ですら夫が勝てるということに個人的な疑念を抱いた。
大統領候補者 出身州 | 党 | 得票数 | 得票率 | 副大統領候補者 出身州 | 選挙人得票数 |
---|---|---|---|---|---|
トマス・E・デューイ ニューヨーク州 | 共和党 | 22,161,213票 | 45.4% | アール・ウォーレン カリフォルニア州 | 269 |
ハリー・S・トルーマン ミズーリ州 | 民主党 | 25,074,794票 | 51.4% | アルバン・W・バークリー ケンタッキー州 | 258 |
ヘンリー・A・ウォレス アイオワ州 | 進歩党 | 1,267,890票 | 2.6% | グレン・H・テイラー アイダホ州 | 4 |
ノーマン・トーマス ニューヨーク州 | アメリカ社会党 | 139,569票 | 0.3% | タッカー・P・スミス ミシガン州 | 0 |
クロード・ワトソン カリフォルニア州 | 禁酒党 | 103,708票 | 0.2% | ダニエル・ラーン ペンシルベニア州 | 0 |
その他 | - | 46,361票 | 0.1% | - | 0 |
合計 | 48,793,535票 | 100% | - | 531 | |
選出必要数 | 266 |
愛国党を含めた州別獲得選挙人分布図
1948年選挙の後にトルーマンから冷遇され続けていた南部州の民主党員らが中心となってヒューイ・ロングを党首とする愛国党が設立されることとなった。
これにより民主党の影響力は更に低下する事となり、共和党のトマス・E・デューイによる新たな政権が始まる事となる。
シェアボタン: このページをSNSに投稿するのに便利です。
ここでは、複数の国家の集合体(組織)を一覧化している。目次1 軍事・安全保障組織 軍事的な連携を目的としたより硬い国際組織2 経済連携組織経済的な連携を目的とした比較的緩い国際組織3 共通された目標を...
重慶軍閥正式名称中華民国略称重慶閥タグCHO公用語中国語首都南京(事実上:重慶)国家元首孔 祥熙政府首班孔 祥熙政府思想-与党中国国民党人口-人成立1912年1月1日所属陣営中華統一戦線重慶軍閥は、反...
製作メンバー[]※製作メンバーにおける主要管理人のみ管理人[]にっしんGB副管理人[]T75_kareraisuア無理・ロイせつなれいんらぺ會長んしゅぱらコーディング部長[]んしゅぱらシナリオ製作部長...
自由フランス正式名称フランス共和国略称自由フランスタグFFR公用語フランス語(名目上)首都ブラザウィル国家元首シャルル・ド・ゴール政府首班シャルル・ド・ゴール政府思想権威民主主義与党-国家解放委員会人...
1900年-1910年1911年-1920年1921年-1930年1931年-1940年1941年-1950年1941年9月11日~1943年6月15日 太平洋戦争1941年6月22日 ヴァ―モンド作...
独ソ戦戦争第二次世界大戦年月日1941年6月22日~1947年5月28日結果連合国の勝利交戦勢力勢力1連合国ソビエト社会主義共和国連邦グレートブリテン及び北アイルランド連合王国フランス共和国アメリカ合...
無政府主義は、一切の権力を否定し個人とその集団の自由を全く拘束することの無い社会を実現しようと主張する政治思想である。目次1 思想1.1 ・経済構造1.2 ・分派2 サブイデオロギー思想無政府主義の主...
満州国特に記載のない限り、コミュニティのコンテンツはCC BY-SAライセンスの下で利用可能です。...
沙桑羅問題(しゃさろもんだい)は、カリフォルニア州連合の国家承認や大日本帝国の責任、アメリカ西海岸におけるアジア人による人種差別問題といったカリフォルニア州連合による様々な国際問題の総称。第二次世界大...
欧州基本条約署名1950年8月5日署名場所ソ連 モスクワ発効1951年1月1日寄託者ソビエト社会主義共和国連邦政府内容第二次世界大戦、特に独ソ戦後における欧州の在り方に関する基本的な条約欧州基本条約は...
横浜講和条約署名1946年7月15日署名場所日本 横浜発効1947年1月1日寄託者大日本帝国政府内容第二次世界大戦における連合国と大日本帝国の間の平和条約横浜講和条約は横浜で開かれた横浜講和会議で正式...
横浜講和会議条約横浜講和条約期間1946年5月1日~7月13日日本側代表吉田 茂連合国側代表ジョン・フォスター・ダレス目的横浜講和条約の締結横浜講和会議は、太平洋戦争を正式に終結させるために横浜で開か...
このぺージでは、この世界ではどのように核開発が行われたかを解説する。目次1 ・米国の核開発と戦後1.1 -マンハッタン計画2 ・核開発競争2.1 -ソ連の核開発成功2.2 -ソ連の水素爆弾開発の成功・...
東トルキスタン社会主義共和国正式名称東トルキスタン社会主義共和国略称東トルキスタン所属陣営オムスク条約機構目次1 歴史2 政治3 軍事4 経済5 その他6 関連記事歴史政治軍事経済その他関連記事オムス...
日本=オホーツク海問題は、日本海、オホーツク海における日ソ間の勢力圏拡大による対立抗争及びそれに関連した紛争である。目次1 経緯2 紛争2.1 紛争・事件一覧3 影響経緯第二次世界大戦後、日ソは両国を...
冷戦戦争冷戦年月日1946年~(諸説あり)交戦勢力勢力1大東亜共栄圏・大日本帝国勢力2オムスク条約機構・ソビエト社会主義共和国連邦指導者・指揮官指導者・指揮官1大東亜共栄圏・大日本帝国指導者・指揮官2...
広域アジア連携会議場所日本 東京期間1945年10月10日~11月10日主導大日本帝国参加国-目的アジア共同条約の締結(大東亜共栄圏の形成)広域アジア連携会議は、大日本帝国が主導し東京で開催されたアジ...
ここでは、50年代以降から開発が急速に進んでいる宇宙開発の歴史について解説している。宇宙開発力においては、ソビエト社会主義共和国連邦が最も高く、次いで大日本帝国、イギリスと続く。目次1 ソ連の宇宙開発...
太平洋戦争 洋上を航行する聯合艦隊戦争第二次世界大戦年月日1941年9月11日 - 1944年結果大日本帝国側の勝利。英米との条件付き講和。交戦勢力勢力1枢軸国大日本帝国満州国蒙古国ビルマ国タイ自由イ...
大洋州総督府正式名称大洋州総督府略称豪州/大洋州タグAST公用語豪州諸語/日本語/英語首都キャンベラ特区国家元首西村祥治政府首班西村祥治政府思想-人口996万人成立1945年9月3日所属陣営大東亜共栄...