ウェンデル・ウィルキー

ページ名:ウェンデル・ウィルキー

ウェンデル・ウィルキー

出生名

Wendell Lewis Willkie

生誕

1892年2月18日

死没

1944年10月8日

役職

アメリカ第33代大統領

国家

アメリカ合衆国

民族

アメリカ人

イデオロギー

保守民主主義

政党

共和党
ウェンデル・ルイス・ウィルキー(Wendell Lewis Willkie, 1892年2月18日 - 1944年10月8日)は、アメリカの政治家、弁護士。第33代アメリカ合衆国大統領(在任:1941年1月20日 – 1944年10月8日)。

目次

来歴

ウィルキーは、インディアナ州エルウッドで生まれた。彼は主要政党の大統領候補に指名された唯一のインディアナ州出身者である。両親はともに弁護士であり、特に母親はインディアナ州で初めて司法に従事した女性の一人であった。インディアナ大学を卒業後、両親の法律事務所に司法修習生として1917年まで在籍した。

合衆国が第一次世界大戦に参戦すると、ウィルキーは陸軍士官として従軍した。その後、オハイオ州アクロンの法律事務所に勤め、1929年にはニューヨークで法律事務所を開業、主に大企業の顧問弁護士として活躍した。

政治的経歴

ウィルキーは永らく民主党員であったが、フランクリン・ルーズベルト大統領のニューディール政策、とりわけテネシー川のダム建設などの大規模公共事業に反対した。彼はニューディール政策により国家が市場経済へ過度に介入し、国家の役割が肥大化することを強く危惧した。したがって1939年に彼は共和党に鞍替えし、大統領に指名されるための運動を開始した。

ウィルキーは、民主党員であったという経歴もあって当初は大統領候補に指名される可能性はほとんどなかった。しかし草の根レベルでの運動を積み重ね、次第に支持を拡大した。フィラデルフィアで開かれた共和党大会で、アーサー・ヴァンデンバーグ上院議員、ロバート・タフト上院議員、トマス・E・デューイ検事らの有力候補を退け、6回の投票の末、大統領候補に指名された。ちなみにこのフィラデルフィア党大会は、初めてテレビ中継された主要政党の大会であった。

大統領選挙で、ウィルキーはニューディール政策を批判するばかりでなく、政権のヨーロッパでの戦争に対する中立政策や、軍事的な備えを欠いていることを非難し、ドイツに対する強硬姿勢及びイギリスに対する広範な支援、徴兵制を主張した。

彼の主張に共感する民衆の力もあったが、対抗馬でもあるルーズベルトの三期目への疑問や36年以降のニューディールの影響も大きく1940年11月5日に行われたアメリカ大統領選挙にて当選するきっかけになったとされている。

大統領

ウィルキーは前任までのルーズベルトによるニューディール政策の方針を一部変更しながらもルーズベルトの路線を肯定しつつ、『平和産業による恒久的な経済成長』を掲げ、軍拡を進めていくこととなる。

また、前年から始まっていた第二次世界大戦には介入姿勢を見せ、ダンケルク撤退に失敗し苦境に立たされたイギリスへの支援を強め、欧州戦線での勝利を目指すためにドイツへと宣戦布告する事となる。

第二次世界大戦への参戦

第二次世界大戦には介入姿勢を見せていたウィルキーは3月10日に「世界の政府間の平和のためにアメリカが先頭に立って 大掃除をする準備ができていることを公にする」と宣言しアメリカは対枢軸戦に参戦した。

・ヴァ―モンド作戦

独ソ戦でのソビエト軍の初動防衛の失敗による欧州方面での敗北を危惧したウィルキーはフランス北西部への上陸作戦(ヴァ―モンド作戦)を計画し、実行することとなる。しかし、この計画は不十分な準備やドイツ側により計画が読まれていた事も相まって結果は散々なものとなる。

この作戦の失敗は欧州戦線での敗北という衝撃を与え、軍拡と大戦への介入を掲げていたウィルキー政権の痛手となり、彼の選択にも焦りが現れていくこととなる。

・オレンジプランの実行

軍拡による経済成長を図りたいウィルキーは自国の白星を求め、統合参謀本部に対日戦計画であるオレンジプランの実行を命令する。海軍長官であったキング提督は戦力不足を理由に断るも、恫喝に近い形での命令に屈し、ハワイのスプルーアンス艦隊に日本近海での艦隊決戦を指示し、アメリカと日本の戦争が始まることとなる。(詳細太平洋戦争)

国家の命運を賭けた海戦であったが、南鳥島沖で発生した聯合艦隊との戦闘はアメリカの敗北に終わる事となり、ウィルキー政権の頼みの綱であった対日戦での勝利という希望は打ち砕かれることになる。

反戦運動

1944年選挙を前に、国内では反戦デモと大統領への抗議が相次いでおり、国内の安定は徐々に損なわれていくこととなった。激化する抗議活動は臨界点に達し、遂には首都ワシントンD.C.にて戦争で負傷した軍人や遺族らによるナショナルモールでのデモ行進に繋がるまでに至り、市民らは投石に火炎瓶と激化する抗議活動に怯える生活を暮らしていた。

ウィルキーは長い間健康的な食事を取らず、大量の喫煙や飲酒、過度なストレス環境に居たことから体調面は優れておらず、9月中旬に一度目の心臓発作に襲われると病院での生活を余儀なくされることとなる。

10月4日に二度目の心臓発作に襲われ、8日に三度目の致命的な心臓発作に襲われると混乱しているアメリカ世論を置いてウィルキーはこの世を去ることとなる。彼の死後、共和党出身の副大統領のジョン・W・ブリッカーが臨時大統領となるも1944年アメリカ大統領選挙ではなし崩し的に民主党のハリー・S・トルーマンが当選し、彼の政権は終わりを迎えることとなる。



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