郡山地下鉄600形

ページ名:郡山地下鉄600形

概要

郡山地下鉄600形は1986年に登場した東西線向けの車両である。東西線東部ニュータウン延伸及び400形の代替を目的として、1991年までに6連17本が新造された。

設計

車体

車体側は500形と概ね同一の設計であり、アルミ合金車体が採用されている。


走行装置

4象限チョッパ採用まで

当時の郡山地下鉄では営団(当時)と情報共有を行い、新技術導入の検討を行っていた。これは、基盤が脆弱な郡山地下鉄では新技術開発にリソースを割くのは難しいため、規模の大きい事業者と連携し、新技術導入を推進したことによる。


当時の営団では4象限チョッパ制御が01系で導入されており、東西線においても次期新形車両での導入が検討されていた。折しも1987年には東部ニュータウン延伸が予定されており、当時の技術から4象限チョッパ制御の導入が最適であると判断された。この段階でのVVVF制御は実用直前であり、実用化するかどうか不透明だったVVVF制御よりも、従来方式の延長線上にある4象限チョッパを導入した方が確実であった。


郡山地下鉄においては、1985年開業の安積野線用車両として2000形に4象限チョッパ制御を導入。1986年には東西線用車両として600形が導入されることになった。


4象限チョッパについて

4象限チョッパではGTOサイリスタを採用することで、チョッパ周波数を向上させた(660Hzから200Hz以上に向上)。チョッパ制御ではオン・オフの間隔により平均電圧を制御しているが、従来のサイリスタではチョッパ周波数が低く、オン・オフ時に電流が途切れる間隔が長いため、オフ時に流れる電流を確保するための主平滑リアクトルが必要であった。しかし、チョッパ周波数向上によりオン・オフ時に途切れる間隔が長くなったため、これが不要となった。


また、力行・減速(回生ブレーキ)の回路切り替えに必要な転換器や電流遮断に用いる転流回路が不要となった。また、4象限チョッパ採用により小型軽量化が可能となった。


銀座線01系と郡山地下鉄600形の相違点

営団銀座線の最高速度は65km/h(01系の設計速度は75km/h)であるのに対し、郡山地下鉄東西線では延伸区間で最高速度95km/hでの運転を計画していた。これに対応するため、600形では速度向上策を行うことになった。


その一つがモーターの高回転化である。モーターを高回転対応のものとすることで、速度向上を成し得ることができる。しかし、一般にモーターを高回転化するとトルクが低下してしまうが、600形では加速性能向上による運行本数増大や車両数削減などを計画していた(車両数削減に関しては旧形車両が当面の間共存する関係で断念)。また、郡山地下鉄東西線は車両限界の関係で車輪径を762mmとしており、860mmの01系と比べてモーターを小型化する必要があった。高回転モーターとすると、寸法も小型となる反面、前述の通りトルク低下のデメリットもあった。そこで、加速性能を500形並(3.0km/h/s)程度を確保するため、MT比を4M2Tに向上している。このため、MT比は01系の3M3Tとは異なっている。


形式・編成表

従来車通り逢瀬公園形から付番する形態としたが、1991年には600形は新造両数が100両を超えたため、100両を超えた分(100両目、101両目、102両目)の車番をどうするかが検討された。最終増備車が新造された頃には、空港直通に伴い南北線用VVVF車導入が計画されていたこともあり、東西線用車両もVVVF制御へ移行することになった。このVVVF車は700形とすることが決まっており、700番台の使用が許されなかったことから、100両を超えた分は600、001、002とすることになった。これは、いわゆる「インフレナンバー」として趣味的に紹介されることもある。


TcMMMMTc新造年
6016026036046056061986年
6076086096106116121986年
6136146156166176181986年
6196206216226216241986年
6256266276286296301986年
6316326336346356361987年
6376386396406416421987年
6436446456466476481987年
6496506516526536541987年
6556566576586596601988年
6616626636646656661988年
6676686696706716721989年
6736746036766776781989年
6796806816826836841990年
6856866876886896901990年
6916926936946956961991年
6976986996000010021991年

運用の変遷

登場時(1986~1987年)

1987年の東部ニュータウン延伸(郡山~東部ニュータウン)にあたっては9編成が必要となったが、1年あたりの新造数を分散させるため、1986年から1987年の2年間にかけて新造することになった。1986年には4編成、1987年には5編成が新造されている。


日中急行の運行開始(1987年)

さて、高速運転を計画していた延伸区間であるが、高速運転対応車両が不足することから、日中の急行列車(毎時3本運行)のみ最高速度95km/hとし、その他の列車は従来同様最高速度65km/hで運行することになった。


所要時間については、全区間通しの各停(逢瀬公園~東部ニュータウン間)で34分を見込んでいた。この内、郡山~あぶくま台間で1分半程度、あぶくま台~東部ニュータウン間で2分半程度短縮し、4分の短縮を見込んだ。また、逢瀬公園~福楽沢間でも各駅停車ながら速度向上(最高速度75km/h)により1分程度の所要時間短縮を見込んだ。これらを勘案し、急行列車は29分で結ぶことになった。ただし、折り返し時間と運行間隔を考慮すると40分サイクルで回さざるを得ないため、各停運行時と運用本数は変わらない(いずれの場合でも4運用)。


この他、各停の待避を加味した調整も行われた。各停の待避がない場合(=急行が先行各停を追い越さない場合)、西行列車の着時刻は以下のようになる。


待避なしの場合

種別東部NT発郡山着
各停1000(11分)1011
急行1005(7分)1012
各停1010(11分)1021

急行は各停より4分早いので、郡山到着場面で前の各停との間隔は1分差になる一方、後続列車との差は9分差になり、輸送上好ましくないダイヤとなる。本来であれば郡山で待避を行うのが望ましいのだが、郡山は都心部故に用地や地下空間の余裕がないため、待避設備の新設は出来なかった(余談だが、郡山1駅手前の向河原には待避設備を設置できるよう準備工事が行われている。)。


郡山~東部ニュータウン間で待避設備があるのはあぶくま台のみであり、ここで待避をした場合の時刻は以下のようになる。


待避ありの場合

種別東部NT発あぶくま台発/着郡山着
各停10001005/10091015
急行10041006/10071011
各停10101015/10151021

この場合は急行があぶくま台で追い抜くことで速達サービスの向上となり、郡山到着場面で間隔が平準化される。また、退避なしの場合と比べて東部ニュータウン発時刻の間隔も平準化されている。ただし、あぶくま台発時刻は不均等になっている。


なお、東行の急行はあぶくま台での追い越しは行わない。


600形の増備(1988~1991年)

1988年以降は年間2本のペースで新造が続けられ、計8本が新造された。これにより、600形は6連17本の陣容となっている。


この増備により、6連10本が在籍していた400形は残り6連2本となった。しかし、1992年には空港延伸対応に伴い東西線向けの増備はストップしたため、中途半端に残存することになった。置き換えられた400形の内、6連3本は3連化の上で大槻線に転用された。


また東西線向けの新造は1994年に再開されたが、この年よりVVVF制御に切り替えられたため、600形の新造は1991年で終了となった。


全時間帯での速度向上の実施(1994年)

1994年には700形6連2本が新造され、東西線内から400形は撤退した。また、高速運転対応車両が19編成となった。


当時の平日朝ラッシュダイヤでは、逢瀬公園~東部ニュータウン間と福楽沢~あぶくま台間の2系統があった。この内、前者の系統が17運用となっていたが、高速運転対応車両がこの運用数を越えたため、晴れて高速運転を実施することになった。しかし、朝ラッシュのダイヤは等間隔運行であり、下手に所要時間を短縮してしまうと間隔が不均等になる。このため、所要時間の短縮は行わず、速度向上をダイヤ乱れ時の回復分として使用することになった。


また、夕方にはピーク方向の反対に急行列車を設定し、運用数の削減が試みられた。


通勤急行の運行開始(1996年)

長らく朝ラッシュ時は各駅停車のみであったが、1996年の谷田川延伸に併せて通勤急行を設定。通勤急行はあぶくま台~谷田川間でのみ急行運転を行い、あぶくま台から郡山方面は各駅停車となる。これは、あぶくま台から先に待避設備がないことに加え、運行本数も2分間隔となることから、急行運転が出来ない(前に詰まるため無意味)と判断されたことによる。
(以下未完成)

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