郡山地下鉄600形
概要郡山地下鉄600形は1986年に登場した東西線向けの車両である。東西線東部ニュータウン延伸及び400形の代替を目的として、1991年までに6連17本が新造された。設計車体車体側は500形と概ね同一...
郡山地下鉄500形は1978年に登場した東西線向けの車両である。東西線逢瀬公園延伸及び100形の置き換えを目的として、1984年までに6連14本が新造された。
600形ではアルミ合金車体が採用されたが、世代としては第二世代に該当する。
構造としては、台枠にA7N01合金が、屋根板や側板などにA5083合金などが用いられている。現代ではリサイクル性などを考慮して同一合金を用いた設計(モノアロイ化)が行われているが、当時は技術上の制約から軽量化と高剛性を両立させるべく、強度の異なる複数種類の合金を溶接し車体が制作された。このため、この世代の車両は廃車後のリサイクルが難しい欠点がある。
一方で軽量化についての効果であるが、モノコック車体の100形では22.4t、セミモノコック車体の400形では25.0tと自重が増加していた。500形ではアルミ合金車体としたことで、Tc車22.0t、M車24.2tにまで軽量化を図ることに成功したが、流石に冷房装置を搭載したこともあり、M車は100形水準の自重には至っていない。
冷房装置は車端部2か所に薄型のものを搭載。かつては屋根上スペースに余裕がないことに加え、排熱及び消費電力増加の観点から、冷房装置搭載は困難であるとの見方が強かった。しかし、前者については1977年に薄型とした試作冷房装置が開発され、後者については電機子チョッパ制御採用による回生ブレーキ化や消費電力低減により、東西線においても冷房装置の採用が可能となった。
500形では電機子チョッパ制御が採用された。この頃になると、AVFチョッパ制御やAFEチョッパ制御が登場しており、敢えて電機子チョッパ制御とした理由が気になるところである。これは、東西線の最高速度が65km/hと低く、電機子チョッパ制御でも事足りたためである。AVFチョッパやAFEチョッパは、どちらも弱め界磁以降もチョッパ制御として連続制御することで、高速域からの回生ブレーキ改善に寄与した。首都圏の地下鉄のように、直通先の郊外路線で高速運転をする場合には有用である一方、どちらの方式でも構造がやや複雑になるデメリットがあった。
郡山地下鉄東西線の最高速度は65km/hであり、郊外路線との直通はなく、東西線内だけの運用を考えればよい。当時の東西線では、ブレーキ初速度が平均で55km/h程度であり、電機子チョッパ制御でも十分に回生ブレーキが使用できる。このため、500形では単純な機構の電機子チョッパ制御が採用されたのである。
……だったのだが、後に東西線が東部ニュータウンまで延伸されると、一転して高速運転を志向するようになり、後の600形では最高速度95km/hに向上された。500形では制御方式の他に、台車周りにもアキレス腱を抱えており(後述)、高速運転対応改修が断念される原因となった。なお、モーター出力は従来の55kWから95kWに変更された。
台車はペデスタル式空気バネ台車を採用。すなわち軸箱支持方式は従来車相当のペデスタル式としつつも、枕バネを空気バネとしたものである。ペデスタル式は軸箱守と軸箱の間にすり板を設け上下動に対応している。このため摩耗部分が生じることから、定期的な交換が必要となり、摩耗の具合によっては乗り心地が悪化する原因にもなる。後の高速化改修検討にあたっては、このペデスタル式がネックとなったようである。また、一部のマニアからは「横揺れがひどい」などと評されていたが、これに関連があるものと思われる。[要出典]
逢瀬公園寄りから付番する形態とし、すなわち逢瀬公園寄りが奇数車、郡山(谷田川)寄りが偶数車となっている。
当初はM車を0番台、Tc車を50番台で区分することも検討されたが、500形の場合はM車とTc車の数が4:2となり、M車が548(第12編成)まで到達するとこれ以上の付番できなくなる一方、Tc車は574までしか到達しないため、575~599の番号が無駄になってしまう。こうした問題などから、通し番号で付番することになった。
Tc | M | M | M | M | Tc | 新造年 |
501 | 502 | 503 | 504 | 505 | 506 | 1978年 |
507 | 508 | 509 | 510 | 511 | 512 | 1978年 |
513 | 514 | 515 | 516 | 517 | 518 | 1979年 |
519 | 520 | 521 | 522 | 523 | 524 | 1979年 |
525 | 526 | 527 | 528 | 529 | 530 | 1980年 |
531 | 532 | 533 | 534 | 535 | 536 | 1980年 |
537 | 538 | 539 | 540 | 541 | 542 | 1981年 |
543 | 544 | 545 | 546 | 547 | 548 | 1981年 |
549 | 550 | 551 | 552 | 553 | 554 | 1982年 |
555 | 556 | 557 | 558 | 559 | 560 | 1982年 |
561 | 562 | 563 | 564 | 565 | 566 | 1983年 |
567 | 568 | 569 | 570 | 571 | 572 | 1983年 |
573 | 574 | 575 | 576 | 577 | 578 | 1984年 |
579 | 580 | 581 | 582 | 583 | 584 | 1984年 |
1979年の逢瀬公園延伸には4編成が必要となったが、準備や予算上の観点から、1978年に2編成、1979年に2編成が導入された。また、運行本数増大に伴い消費電力も増加していたが、回生ブレーキ導入により、消費電力増加を一定程度抑制できることが500形導入によってわかった。
冷房化の推進及び消費電力削減を目的として、1980年以降も400形の新造が継続された。1984年までに6連10本が出そろい、100形全編成を置き換えた。なお、500形増備直前の東西線100形在籍数は6連6本であったが、4本多く導入されたことになる。この4本の用途については、3本が400形安積野線転用分、1本が逢瀬公園引き上げ線整備に伴う運用増分である。
1985年には安積野線向けに4象限チョッパ制御を採用した2000形が登場した。1985年時点ではVVVFがギリギリ実用化前後といった段階で、「実用的な制御方式は4象限チョッパ以外にあり得ない」として採用された。もっとも、これにより営団同様VVVF導入が遅れた要因にもなった。
1987年には東部ニュータウン延伸が予定されており、この分の増備として、東西線向けの4象限チョッパ車・600形が登場した。600形は1987年までに6連9本、1991年までに6連17本と勢力を拡大し、東西線の主力車両に躍り出た。また、500形にとって不幸だったのは、延伸区間での高速運転開始である。500形は性能上高速運転への対応が困難だった他、台車も高速運転を行った場合に横揺れが激しくなる懸念があった。結局、1987年延伸時点では速度向上は見送られたが、1994年の高速運転開始以降は運用範囲を逢瀬公園・福楽沢~あぶくま台間に限定することになった。
(以下未完成)
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