郡山地下鉄400形

ページ名:郡山地下鉄400形

概要

400形は1965年に登場した東西線向けの車両である。1977年までに78両(6連13本)が新造された。

設計

両数

1965年以前の東西線は4両編成であったが、同年の南北線笹川延伸に併せて5両編成への増結を行うことになった。これは中央大町で南北線からの乗り換えによる利用者増加を見越したものである。


この時、100形の増備も検討されたが、、100形は高性能電車黎明期に登場した車両であり、試作要素を大いに含んでいた。1960年代半ばにもなると技術が安定したことから、こなれた技術を用いて設計を改めることになった。また、この頃は近い将来に6両化を行う方針であったため、6両化を視野に入れた設計とすることになった。


これにより形式は400形となり、両数も1965年時点では暫定的に5両編成とするが、6両化にも対応した構造で登場することとなった。


1965年に新造された3編成は5両編成で登場したものの、1968年以降は6両編成で登場しており、5両編成も6両化されている。なお、5両編成は一部が欠番(405、411、417)となっていたが、6両化の際に欠番を埋めている。


編成

McMMMMMc製造年備考
401402403404"405"4061965年405は1968年新造
407408409410"411"4121965年411は1968年新造
413414415416"417"4181965年417は1968年新造
4194204214224234241968年
4254264274284294301968年
4314324334344354361971年大槻線へ転用
4374384394404414421971年大槻線へ転用
4434444454464474481973年大槻線へ転用
4494504514524534541975年大槻線へ転用
4554564574584594601975年大槻線へ転用
4614624634644654661975年大槻線へ転用
4674684694704714721977年
4734744754764774781977年

車体

100形と同様15m級3ドアとし、普通鋼製を採用している。モノコック車体とした100形に対し、400形はセミモノコック車体となった関係で自重が2.6tほど増加している(100形22.4t、400形25.0t)。モノコック車体は軽量化のメリットが大きかった反面、裾部が丸くなるため、床面積が小さくなり詰め込みが効かないデメリットがあった。


なお1977年に新造された2編成に関しては将来の冷房化を考慮し、車端部の屋根上にL形の切り欠きを設け、冷房搭載への準備工事が行われた。

走行装置

モーター出力は混雑率の増加等を受けて55kWに増強された。また駆動方式もWN駆動方式に変更されている。


運用の変遷

登場時(1965年)

1965年時点では15両(5連3本)が新造された。この時、100形グループは52両が在籍していたが、300形2両が新造され、6両化の際に過不足なく組替が行えるようになった。

6両化(1968年)

1968年には15両(6連2本・中間車3両)が新造され、東西線の全車両が6両編成となった。

増発に伴う増備(1973~1977年)

6両化以降は3分間隔での運行を行っていたが、増結は既に限界であったため、以降は増発により輸送力増強がなされた。


1971~1973年にかけて運行間隔2分半化のため18両(6連3本)、1977年には運行間隔2分化のため12両(6連2本)が新造された。しかし、設備上2分間隔が輸送力増強の限界であり、これ以上の輸送力増強は新線建設を行う他なく、安積野線や鶴見坦線などのバイパス路線の着工を余儀なくされた。


なお、1971~1973年新造車については、100形の混雑対応及び更新工事の予備車として1971年に12両が先行的に新造された。1973年に更新が終了すると、1973年新造車と合わせて増発分に充当された。


この他、1976年には安積野線開業に伴い、100形を転出させるため、1975年に6連3本が新造されている。

500形への移行(1979年)

この頃には、運行本数の増大等からトンネル内の温度上昇が問題となっていた他、社会情勢から冷房付車両の登場が望まれた。とはいえ、冷房を搭載すると冷房装置からの排熱でトンネル内の温度上昇を余計に悪化させる問題があったが、これは電機子チョッパ制御等を採用し回生ブレーキを備えることで緩和できることがわかった。また、東西線は歴史的経緯からトンネル断面が小さく、通常の冷房装置搭載は困難であった。しかし、この頃には厚さ400mm程度の薄型冷房装置が開発されたため、小断面の東西線でも導入可能であることがわかった。


1979年より電機子チョッパ及び冷房搭載とした500形が登場。1977年をもって400形の増備は終了し、1979年以降は電機子チョッパの500形、1986年以降は4象限チョッパの600形増備が進められることになる。

安積野線・大槻線への転用(1984~1991年)

1983年から1984年にかけて400形6連3本が安積野線に転用された。1985年には安積野線への新形車両投入(2000形)が予定されていたが、1年でも早く、1両でも多く100形を置き換えたかったためだとされる。2000形投入直前の安積野線は100形6連3本、400形6連3本の陣容で、全車置き換えには至らなかった。


1985年には安積野線が徳定まで延伸され、全車両が2000形に置き換えられた。余剰廃車となった100形はともかく、比較的年数の新しい400形については、1987年に開業予定だった大槻線への転出が決定された。大槻線向け車両は新造することも検討されたが、東西線から非冷房車を早期に撤退させるため、400形を転用改造することになった。この時、転用されたのは1975年新造の6連3本で、安積野線転用分がそのまま大槻線にスライドする格好となった。


転用に当たっては、(1)両数の短縮(6両→3両)、(2)冷房装置の設置、(3)冷房化に伴う各機器更新の3点を行うことになった。(1)両数の短縮については、大槻線自体が郡山市郊外部を環状方向に走る路線であり、沿線も当時は未開発であったことから、利用者は少ないだろうと想定されたことによる。(2)冷房化については、モータリゼーションへの対抗の他、当時は初夏に冷房化率が新聞に掲載され、イメージ向上を図る狙いがあったとされる。(3)各機器更新については、冷房化により自重が増加し、そのままの機器では走行できない問題があった。また、そのままの機器では抵抗制御であるため排熱量が増大し、トンネル内環境を悪化させる懸念があったためである。これらの問題を解決するため機器更新を行うことになった。


1986年から1987年までに徳定工場で3連6本を改造。1991年には南赤坂延伸に合わせ、追加で6連3本を3連6本へ改造することになった(改造メニューは1987年同様)。この時、改造されたのは1971~1973年新造の6連3本である。


比較的新しい車両から改造された理由であるが、前期車(1960年代の新造車)は冷房改造せずに新造から20~30年程度を目安に老朽代替として置き換える予定だった一方、後期車(1970年代の新造車)はいくら非冷房車といえど新しいうちに代替するのは憚られたことによる。なお、1977年新造車のみ冷房化準備工事が施されていたため、冷房化を行い、継続使用することになった。


大槻線転用車

McMTc新造年改造年
4314324331971年1990年
4344354361971年1990年
4374384391971年1990年
4404414421971年1991年
4434444451973年1991年
4464474481973年1991年
4494504511975年1986年
4524534541975年1986年
4554564571975年1986年
4584594601975年1987年
4614624631975年1987年
4644654661975年1987年

大槻線転用車は3連12本の陣容となり、最後まで活躍したグループとなった。

置き換えの進展(1988~1991年)

大槻線転用と並行して、1988年から19年にかけては400形前期車の置き換えが進められることになった。この時期には600形6連8本が新造され、内6連3本は大槻線転用分、6連5本は老朽代替分として投入された。


この時、一連の置き換えを行うと、400形は1977年新造の2本のみが残ることになる。大槻線転用分は別としても、この2本のためだけに大規模な冷房化を行うか、内部でかなりの検討を要したという。結局、1992年に6連2本を新造して置き換えることになったが、この新造も1993年の福島高速鉄道空港線開業に伴い、各種設備投資を空港関連に注力するため、土壇場で撤回された。結果、新造は1994年に持ち越しとなり、同年まで2本だけ非冷房車が残ることになった。

大槻線転用車の代替(2000年代)

大槻線転用車に関しては、大規模な更新が行われたこともあり、2000年代まで生き延びる結果となった。一方で沿線開発の進展により、5分間隔といえど3連では厳しい場面もしばしば見られた。400形の代替に関しては新造も検討されたが、高速運転への対応に難があった500形を転用することが決定された。
(以下未完成)

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