松平忠吉

ページ名:松平忠吉

松平 忠吉(まつだいら ただとみ)とは、松平氏(徳川氏)一門の人物で、約4名ほど存在する。

  1. 小栗忠吉 : 岩津松平家の当主の松平親長の孫、忠勝の子、親足(ちかたり)の弟、吉忠(とみただ)忠重の父。常陸国から三河国に逃れた桓武平氏繁盛流大掾氏(常陸源氏)一門の小栗氏(常陸小栗氏)の当主で外祖父の小栗正繁(又市)の後を継いで、三河小栗氏(小栗松平家)の祖となった。
  2. 松平忠吉 (甚次郎) : 通称は甚次郎。松平義春の子、忠茂(甚太郎)[1]の兄。松平広忠(家康の父)の又従弟にあたる。
  3. 松平忠吉 (東条松平家) : 幼名は福松、初名は忠康。徳川家康の子、内藤信成の甥、徳川信康・松平秀康(結城秀朝)の異母弟、徳川秀忠の同母弟、松平信吉信義)・松平忠輝・松千代・仙千代・徳川義直義知/義利/義俊)・徳川頼宣(頼将/頼信)・徳川頼房らの異母兄。妻は徳川四天王のひとりの井伊直政の娘。族祖父である東条松平家の当主の家忠こと家次(上記の甚次郎忠吉の甥)が嗣子なくして逝去すると、その養子として後を継いだ。1600年秋9月の『関ヶ原の戦い』で岳父の井伊直政の進言で、豊臣氏(羽柴氏)の武将の福島正則と先陣を争い、薩摩国の秦姓惟宗氏の系統の島津一門の豊久を討ち取るなどの功を挙げる。その後、尾張国~美濃国を支配する清洲藩52万石を与えられた。同時に岳父の直政の勧めで父・家康の後継者候補として、異母兄の秀康と同母兄の秀忠と家督相続争いをした。1607年に、『関ヶ原の戦い』で負傷した破傷風の後遺症が原因で29歳の若さで逝去した。彼には嗣子がなく、清洲藩は弟の義直が相続して、名古屋藩に変更されて、名古屋徳川家の祖となった。
  4. 松平忠吉 (桜井松平家) : 桜井松平家の当主の松平家次の子、忠正の弟、信吉・忠頼の父。1581年の『高天神城の戦い』や諏訪原城の城代をつとめたが、25歳の若さで逝去した。甥の家弘(忠正の子)がその後を継いだ。

脚注[]

  1. 家忠の父。

関連項目[]

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