曹邵

ページ名:曹邵

曹操の身代わりに殺害された曹邵

曹邵(そうしょう、? - 190年)は、『三国志』に登場する後漢末の人物で、の皇族。字は伯南[1]。別名は「曹紹[2]という。

曹操の従弟であり、曹忠の子、曹慮[2]の兄、曹遵(曹慮の子)の伯父。妻は秦琪[3]の娘[2]で、その間に曹真・曹彬・徳陽郷主[4]らを儲けた。

概要[]

沛郡譙県[5]の人。175年ごろに従兄の曹操のとともに孝廉に推挙されて郎中となった。

190年に従兄の曹操の挙兵に呼応するが、豫州刺史の黄琬[6](字は子琰[7][8])の配下の沛郡の相・袁忠[9][10]によって、弟の曹慮とともに殺害された。

この経緯を聞いた曹操は、自分の代わりに殺害された従弟の曹邵の境遇を憐れんで、曹邵の子の曹真と曹彬兄弟とその甥の曹遵を引き取って、自分の子・曹丕とともに養育した。

脚注[]

  1. 魏書』曹真伝が引く『魏略』では、秦伯南と呼ばれ、曹操の旧知だったが、興平2年(195年)に、袁術の配下の軍勢に追われた曹操を自邸に匿った。自身はわずかの手勢を率いて「わしが曹操だ!」と名乗って、その結果として袁術の配下に惨殺された。そのために曹操は「秦伯南」の子の真と彬兄弟とその甥の遵を引き取って養子にしたという。ただ、この逸話は呂布の部将の秦宜禄(秦誼)の事項と重なり、また宜禄の子・秦朗(または秦良/秦明、字は元明)を養子に迎えた経緯とも重なるので、ここでは採り上げない。
  2. 2.02.12.2元本』(『元大徳九路本十七史』、元の大徳10年に池州路儒学によって刊行された『三国志』関連文献書)。
  3. 三国志演義』では、夏侯惇の部将で、蔡陽(蔡揚)の甥と設定されている。
  4. 曹操の外族子の夏侯尚(夏侯淵の甥)の妻。
  5. 現在の安徽省亳州市または、河南省永城市
  6. 黄奎の父。
  7. 『後漢書』校勘記(中華書局)の『文選』にある李善(李邕の父)が引用する『後漢書』によると字は「公琰」。
  8. 黄琬は189年に豫州刺史から司徒に昇進しているために曹邵とは直接関係ない説もある(『後漢書』「献帝紀」)。
  9. 字は正甫。豫州汝南郡汝陽県(現在の河南省周口市商水県)の人。袁賀(字は元服)の次子、袁閎の弟、袁秘(字は永寧(謝承著『後漢書』))の父、袁紹の族兄にあたる。同郷の范滂と友人で、ともに『党錮事件』で逮捕され、釈明して許された。袁忠の釈明の言葉は、『後漢書』范滂伝にある。初平年間(190年~193年)沛郡の相となり、沛恭王の劉曜に仕えた。袁忠が赴任するとき、葦で作った粗末な車で赴任したために「清貧な人」だと呼ばれた。天下が大いに乱れたため、袁忠は官職を放棄して会稽郡上虞県の食客となった。会稽郡太守の王朗と面会したとき、王朗の配下が衣類を飾り立てているのを見てこれを嫌った。袁忠は仮病を使って、王朗との関係を絶った。後に孫策が会稽郡を攻略し平定したとき、袁忠は舟に乗って南方の交趾郡(ベトナム北部)に逃亡した。196年に曹操に奉じられた愍帝(献帝)が穎川郡許昌県(許都)に遷都したとき、袁忠を衛尉として召したが、これに応じた袁忠は着任する前に逝去した。袁忠の子・袁秘は郷里の汝南郡の門下議生(議曹に属する官吏)になった。184年に黄巾党の乱が起きると、袁秘は汝南郡太守の趙謙に従って討伐をした。だが、軍は敗れ、袁秘は功曹の封観ら7人と兜鎧をまとった身体を盾に刃を防戦し、ついに戦死を遂げた。後に趙謙は、袁秘のおかげで死なずに済んだために、朝廷に詔して、袁秘らの7人を「七賢」と呼ぶことにした(『後漢書』巻45)。
  10. その一方、袁忠は沛相のときに曹操を処罰しようとしたことがある(『魏書』「武帝紀」の注に引く『傅子』)。旧友で沛郡の人である桓邵(または桓曄、字・文林、春秋時代の斉の桓公(小白)の後裔で、彼の族兄弟の末裔が楚斉(南斉)を建国した桓玄(武悼帝)である)と陳留郡の人である辺譲らとともに当時、兗州牧だった曹操を軽んじてこれを誹謗したため、身の危険を感じた袁忠・桓邵・辺譲らは初平年間に会稽郡を経て、交趾郡太守・士燮(士爕)を頼って、避難していた。間もなく、張邈の誘いを受けて中原に戻るが、196年ごろに張邈を討ち取った曹操に出頭して、過去の所業を許されずに処刑されたと伝わる。

関連項目[]



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