劉度

ページ名:劉度

劉度(りゅうたく/りゅうど)とは、の皇族、あるいは宗室(宗族)の姓名で、少なくとも5名ほど存在する。

  1. 劉度 (陽郷侯) : 前漢の成祖景帝(劉啓)の第10子である世宗武帝(劉徹)の玄孫、燕剌王の劉旦の曾孫、広陽頃王の劉建の孫、陽郷思侯の劉発の子。
  2. 劉度 (鍾武侯) : 武帝の異母兄である長沙定王の劉発の曾孫、戴王(康王)の劉庸の孫、頃王の劉鮒鮈(劉胕朐)の子、剌王の劉建徳・高城節侯の劉梁・復陽厳侯の劉延年の弟、孝侯の劉宣・後節侯の劉則の父、哀侯の劉覇(劉宣の子)・劉望(劉聖とも、劉則の子)の祖父。「前節侯」と謚された。
  3. 劉度 (六侯) : 後漢世祖光武帝劉秀)の曾孫、楚戻王[1]劉英の孫、六侯の劉种の子、劉拘の父、蒼梧郡太守の劉曜の祖父、江夏郡太守・盪寇将軍の劉祥の曾祖父、蜀漢()の劉巴の高祖父[2]。父の後を継いだ。
  4. 劉度 (後漢) : おそらく、漢の宗族出身。威宗桓帝劉志)の代に荊州刺史として、赴任した。だが、現地の相次ぐ反乱が重なって統治がうまくいかずに、尚書の朱穆の進言によって、勅命で度尚と交代して更迭された[3]
  5. 劉度 (後漢末) :広陵厲王の劉胥(武帝の子)の後裔とされ[2]劉賢劉延)の父と伝わる。曹操によって、 後漢末に零陵郡太守として赴任する。209年に遠縁筋の劉備が荊州南部を占領すると、直ちに降伏した。

脚注[]

  1. 「楚厲王」とも。
  2. 2.02.1元本』(『元大徳九路本十七史』、元の大徳10年に池州路儒学によって刊行された『三国志』関連文献書)より。
  3. 『後漢書』度尚伝・南蛮伝

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