劉建

ページ名:劉建

劉 建(りゅうけん)は、(前漢・後漢)の皇族・宗室、かつ宗族。約10名ほど存在する。

  1. 劉建 (燕王) : 高祖(劉邦)の第8子(末子)で斉悼恵王の劉肥・恵帝(劉盈)・趙隠王の劉如意太宗文帝(劉恒)・趙共王の劉恢・趙幽王の劉友・淮南厲王の劉長の異母末弟、悼太子の劉達の父。盧綰に代わって燕王に封じられるが、20歳前後で逝去した[1]。その直後に、嬰児であった太子達は、嫡母の呂后(呂雉)によって毒殺されて、燕王の劉建の系統は断絶した。異母兄の文帝によって、「霊王」と謚された。
  2. 劉建 (シ川王) : 斉悼恵王の劉肥(劉邦の庶長子)の孫、菑川懿王の劉志の子、頃王の劉遺・広饒康侯の劉国[2]・缾侯の劉成と兪閭煬侯の劉毋害の父。「靖王」と謚された。
  3. 劉建 (江都王) : 成祖景帝(劉啓)の第6子である江都易王の劉非の子、丹陽哀侯の劉敢・盱眙侯の劉蒙之[3]・胡孰頃侯の劉胥行・秣陵終侯の劉纏・淮陵侯の劉定国の兄。父の逝去後に後を継いだが、喪中の最中に亡父の愛妻・淖姫[4]と密通した。さらに、姉妹の劉微臣とも親近強姦した揚句に、領民の女性に対して強引に野獣と性交させるなど暴虐し放題の藩王であった。最後は族祖父である淮南煬王・劉安の謀反に加担した疑いで、叔父の世宗武帝(劉徹)の尋問を受けて、自決して果てた。「煬王」と謚された。彼の娘の劉細君(江都公主/烏孫公主)はトルコ系烏孫の酋長である猟驕靡の夫人になった(後に猟驕靡の孫の岑陬軍須靡に嫁いだ)。
  4. 劉建 (淮南王家) : 上記の劉安の孫、劉不害の子。父に命じられて、族父の武帝に祖父と叔父(太子の劉遷)が謀反をしていると告訴した。
  5. 劉建 (襄ゼン侯) : 趙敬粛王の劉彭祖の子、廃太子の劉丹・頃王の劉昌・平干頃王の劉偃・尉文節侯の劉丙・封斯戴侯の劉胡傷・榆丘侯の劉受福の弟、邯會衍侯の劉仁・朝節侯の劉義・東城侯の劉遺・陰城思侯の劉蒼・邯平侯の劉順・武始侯の劉昭・象氏節侯の劉賀・易安侯の劉平・柏暢戴侯の劉終古・歊安侯の劉延年・漳北侯の劉寬・南龻侯の劉佗・南陵侯の劉慶・鄗侯の劉舟・安檀侯の劉福・爰戚侯の劉當(劉当)・栗節侯の劉楽・洨夷侯の劉周舍・猇節侯の劉起・揤裴戴侯の劉道の兄。襄嚵侯に封じられた。
  6. 劉建 (皐虞侯) : 膠東康王の劉寄(景帝の子、武帝の異母弟)の子、哀王の劉賢・六安恭王の劉慶の弟、魏其煬侯の劉昌・祀茲侯の劉延年の兄、穅侯の劉定の父。皐虞侯に封じられ、「煬侯」と謚された。
  7. 劉建 (広陽王) : 武帝の第3子である燕剌王・劉旦の長子、安定戻侯の劉賢・新昌節侯の劉慶の兄、穆王の劉舜・臨郷頃侯の劉雲・西郷頃侯の劉容(劉谷)・陽郷思侯の劉発・益昌頃侯の劉嬰の父。「頃王」と謚された。
  8. 劉建 (千乗王) : 顕宗明帝(劉荘/劉陽)の子、陳敬王の劉羨・彭城靖王の劉恭・楽成靖王の劉党・粛宗章帝(劉煊/劉烜/劉炟)・下邳恵王の劉衍・梁節王の劉暢・淮陽頃王の劉昞・済陰悼王の劉長の兄。はじめは、曲成侯に封じられ、伯父の楚戻王の劉英と、その腹心の王平と顔忠(顔中)に唆されて、遂郷侯の耿建・朗陵侯の臧信・濩沢侯の鄧鯉とともに謀反を企てたという。この報に激怒した父の明帝は侍御史の寒朗に、王平と顔忠を過酷に取り調べさせた。両人および、劉建は何も知らないと無実を訴えた。やがて、劉建らの謀反が王平と顔忠の虚言と判明して、寒朗が懸命に弁護したため、劉建らは無実とされた。やがて、千乗王に昇格したが、嗣子がないまま逝去したために、除国された[5]。「哀王」と謚された。
  9. 劉建 (河間王) : 章帝の曾孫、河間孝王(清宗穆帝)の劉開の孫、恵王の劉政の子、安王の劉利・崇徳侯の劉佗の父、某王(の崇徳侯)の劉陔・済南王の劉康(劉庾)の祖父、某王の劉贇[6]の曾祖父。「貞王」と諡された。
  10. 劉建 (晋) : 東晋の部将。彭城郡[7]の人。楚の元王の劉交[8]の後裔とされ[9]、西晋の雁門郡太守の劉羲(劉義)の子、劉牢之の父、劉敬宣の祖父、劉光祖(劉祖)の曾祖父、侍中の劉隗は族兄弟である。(東晋)の征捕将軍となった。

脚注[]

  1. 呂雉による毒殺の疑いが濃厚とされる。
  2. 劉京の祖父。
  3. 広陵王の劉宮の高祖父。
  4. 劉建が自決すると、叔父の趙敬粛王の劉彭祖の正室となり、その間に太子丹が生まれ、彼女の兄は宦官として、武帝に仕えた。
  5. 除国された千乗国は甥の千乗貞王の劉伉(章帝の庶長子、楽安夷王の劉寵(劉伏胡)の父)が後を継いだ。
  6. 劉康の子。
  7. 現在の江蘇省徐州市
  8. 劉邦の従弟、荊湣王の劉賈の弟。
  9. 『宋書』劉敬宣伝

関連項目[]

この記事は 『劉建』 のための曖昧さ回避ページです。

下記は同じタイトルを共有しているページへのリンク一覧です。
下記の曖昧さ回避リンクのひとつを辿るか、探したいものがもし一覧になければそのページを見つけるため検索してください。もし内部リンクからここに誘導されたときは、目的とする記事に直接向かわせるリンクを変更してみてください。



特に記載のない限り、コミュニティのコンテンツはCC BY-SAライセンスの下で利用可能です。

シェアボタン: このページをSNSに投稿するのに便利です。


最近更新されたページ

左メニュー

左メニューサンプル左メニューはヘッダーメニューの【編集】>【左メニューを編集する】をクリックすると編集できます。ご自由に編集してください。掲示板雑談・質問・相談掲示板更新履歴最近のコメントカウン...

2ちゃんねる_(2ch.net)

曖昧さ回避この項目では、1999年設立2ちゃんねる(2ch.net)について記述しています。2014年4月にひろゆきが開設したもうひとつの2ちゃんねるについては「2ちゃんねる (2ch.sc)」をご覧...

2ちゃんねる

2ちゃんねる(に - )とは、日本最大の大手掲示板。約2つほど存在する。2ちゃんねる (2ch.net) : 1999年5月30日に、あめぞう型掲示板を乗っ取ったひろゆきによって、設立された掲示板。現...

黄皓

黄皓(こうこう)とは、中国の人物。約2名ほど存在する。黄皓 (宦官) : 蜀漢(蜀)の宦官。後主(懐帝)の劉禅に信頼されて、中常侍に任命された。この権力を利用して、皇弟の魯王の劉永と上将軍の姜維と対立...

黄忠

“矍鑠なるかなこの翁は”と謳われた黄忠黄忠(こうちゅう、? - 220年)は、『三国志』に登場する蜀漢(蜀)の部将で、字は漢升。子は黄叙(黄敍)、他に孫娘[1](後述)がいたという。『三国志演義』では...

黄奎

黄奎像黄奎(こうけい、170年/171年? - 212年5月)は、『三国志』に登場する後漢末の人物。字は宗文。黄香の玄孫、黄瓊の曾孫、黄琼の孫、黄琬の子、黄某の父、荊州牧の劉表配下の江夏郡太守の黄祖の...

麻生氏_(筑前国)

曖昧さ回避この項目では、豊前国の氏族について記述しています。その他の氏族については「麻生氏」をご覧ください。麻生氏(あそうし)とは、筑前国・豊前国の氏族。約2系名ほど存在する。筑前国遠賀郡麻生郷[1]...

麻生氏

麻生氏(あそうし)とは、日本の氏族。約幾多かの系統が存在する。麻生氏 (常陸国) : 常陸麻生氏とも呼ばれる。桓武平氏繁盛流大掾氏(常陸平氏)一門の常陸行方氏の庶家で、行方宗幹の3男・家幹(景幹)を祖...

鹿島氏

鹿島氏(かしまし)とは、日本における常陸国鹿島郡鹿島郷[1]の氏族。約3系統が存在する。鹿嶋氏とも呼ばれる。鹿島家 : 崇光源氏流伏見家一門の山階家[2]の庶家。山階菊麿の子の鹿島萩麿[3]が設立した...

鷹司家_(藤原氏)

曖昧さ回避この項目では、藤原北家について記述しています。その他の氏族については「鷹司家 (源氏)」をご覧ください。鷹司家(たかつかさけ)とは、藤原北家一門で、約2系統が存在する。山城国葛野郡鷹司庄[1...

鷹司家_(源氏)

曖昧さ回避この項目では、源姓一門について記述しています。その他の氏族については「鷹司家 (藤原氏)」をご覧ください。鷹司家(たかつかさけ)とは、源氏一門。約2系統が存在する。山城国葛野郡鷹司庄[1]を...

鷹司家

曖昧さ回避この項目では、公家の家系について記述しています。その他の氏族については「鷹司氏」をご覧ください。鷹司家(たかつかさけ)とは、日本の氏族。約2系統ほど存在する。山城国葛野郡鷹司庄[1]を拠点と...

鷲尾氏

鷲尾氏(わしおし)とは、日本の氏族。約3系統がある。鷲尾家 : 藤原北家魚名流四条家の庶家。同族に山科家[1]・西大路家[2]・櫛笥家[3]があった。鷲尾氏 (備後国) : 備後鷲尾氏とも呼ばれる。源...

鳩時計

ドイツ南西部のシュヴァルツヴァルトにある鳩時計専門店鳩時計(はとどけい、独語:Kuckucksuhr、英語:Cuckoo clock)とは、ドイツの壁掛け時計の一種で「ハト時計」・「カッコウ時計」・「...

鳥山氏

鳥山氏の家紋①(大中黒一つ引き)大井田氏の家紋②(二つ引き両)鳥山氏(とりやまし)は、新田氏(上野源氏)流源姓里見氏一門。上野国新田郡鳥山郷[1]を拠点とした。目次1 概要2 歴代当主2.1 親成系2...

魏書

魏書(ぎしょ)とは、中国の史書。幾多かある。『三国志』の魏(曹魏)の曹操を中心とした史書。『三国志』時代以前の後漢末の王沈の著書(現存せず、『三国志』の注釈の中に断片的に残されているのみである)。『北...

魏延

甘粛省隴南市礼県祁山鎮に存在する魏延像魏延(ぎえん、? - 234年)は、『三国志』登場する蜀漢(蜀)の部将。字は文長。目次1 概要2 その他のエピソード3 魏延の隠された事項4 脚注5 関連項目概要...

魏勃

魏延の遠祖の魏勃指揮を執る魏勃魏勃(ぎぼつ、生没年不詳)は、前漢初期の部将。蜀漢(蜀)の部将の魏延の遠祖と伝わる[1]。 概要[]彼の出身地は不詳であるが、父が鼓琴の名手で、彼は秦の咸陽に赴いて、始皇...

魏(ぎ)とは、元来は都市国家に属し、現在の今日の山西省運城市芮城県に該当される。戦国時代に領域国家に変貌した。幾多の国家(王朝)が存在する。魏 (春秋) : 別称は「微」。姓は好。殷(商)の微子堅(微...

高間慎一

高間 慎一(たかま しんいち、1978年9月19日 - )は、日本の実業家。大学1年の18歳で会社の起業をしたメンバーシップ系のワイン&ダイニング レストラン「Wabi-Sabi」の創業者であり、マー...