劉公仲

ページ名:劉公仲

蜀攻略中に戦死した劉公仲

劉公仲(りゅうこうちゅう、197年? - 214年?)は、蜀漢)の皇族。「公仲」は字であり、諱は不詳。彼の事項は『元本[1]にある。

劉備の次男で、生母は甘夫人(皇思夫人/昭烈皇后)であり、劉禅劉永の同母兄である。妻の姓は不詳、劉理[2]の父と伝わる。劉封の異母弟[3]でもある。

概要[]

原籍は幽州・涿郡涿県楼桑里[4][5]である。197年に父・劉備が豫州牧のときに誕生した。

翌198年に呂布が派遣した張遼と高順が率いる精鋭の「陥陣営」1700騎によって、1歳の嬰児である劉公仲は生母とともに捕虜されたが、呂布が滅ぶと生母とともに父・劉備のもとに戻ることができた。

200年春に曹操の討伐を受けて、敗走した父・劉備に従って、4歳の彼は生母の甘夫人と兄の劉封とともに青州刺史・袁譚(袁紹の庶長子)を頼った。208年に12歳だった彼は生母と同母弟たちとともに部将の趙雲の護衛を受けて、難を逃れた。

209年、生母が若くして逝去したので、南郡に葬られた。

211年に蜀から赴いた法正の勧めもあり、龐統の進言で父に従って、兄の劉封と部将の魏延黄忠らとともに益州牧の劉璋(劉焉[6]の少子)と面会するために蜀にむかった。

翌年に、別駕の張松の謀反が、その兄の広漢郡太守・張粛の密告により、劉璋に知るところになり、張松は処刑された。そのため、劉備と劉璋の関係は悪化した。以降から龐統の指揮下で劉備と劉璋の軍勢は激突した。

劉公仲も兄の劉封に従って、奮戦したが劉璋の軍勢の抵抗に遭遇して、戦死を遂げたという。享年18という。その後、劉公仲の妻は劉理を出産したので、劉理は劉公仲の「遺腹の子」ということになる。

219年に劉備が蜀王(漢中王)になると、亡き息子の子、すなわち孫である劉理を武邑侯に封じ、同時に劉理は祖父・劉備の養子となった。230年に劉禅は亡き兄の子の劉理を安平王に封じて、同時に劉公仲は「安平湣王」と謚されたという。

脚注[]

  1. 『元大徳九路本十七史』、元の大徳10年に池州路儒学によって刊行された『三国志』関連文献書。
  2. 劉胤・劉輯兄弟の父、劉承(劉胤の子)の祖父。
  3. 劉封は樊城県令の劉泌(寇泌)と甘夫人との間の子とする説もある。そうなると劉公仲の異父兄ということになる。
  4. 現在の河北省保定市涿州県林家屯郷大樹楼桑村。涿県の酈亭という所には楼桑里という所があり、劉備の故郷だという(隋の酈道元著『水経注』巻12、巨馬河)。
  5. 先祖の籍は兗州・東郡臨邑県(現在の山東省徳州市臨邑県)という(『劉備出自考』(津田資久(国士舘大学教授)/国士舘人文学第3号/2013年)でも、この説を支持している)。
  6. 後漢の粛宗章帝(劉煊/劉烜/劉炟)の第2子・江夏恭王の劉余(『漢書』王子侯表では、平春悼王・劉全)の末裔という。

関連項目[]



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