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テンプレート:基礎情報 会社
日活株式会社(にっかつ、Nikkatsu Corporation)は、映画制作会社。この社名は創立時の名称である「日本活動写真株式会社」の略称に由来する。最近の製作作品は『デスノート』(ワーナー・ブラザース配給)、2007年には日活アクション50周年として邦画の配給も再開する。
本社は東京都文京区本郷3-28-12。調布市に日活撮影所を有する。また、この日活撮影所内には日活芸術学院という映画学校がある。ミニシアターのシネ・リーブル池袋、シネ・リーブル梅田、シネ・リーブル神戸(三宮)、シネ・リーブル博多駅(福岡県)を所有し、千葉県印西市にシネマコンプレックスのシネリーブル千葉ニュータウンを所有している。また、スカイパーフェクTV!やケーブルテレビ局向けにチャンネルNECO、レインボーチャンネル、CINEMA-Rを放送している。
日活ロマンポルノ終了後も、新日本映像作品を上映するなどして成人映画専門上映館(以下、成人館)を経営していた。しかし、シネロマン博多、ロッポニカ旭川、シネロマン千葉、シネロマン名古屋などを閉館するなど成人館は徐々に撤退、整理の方向に進んでいった。そして2008年4月、シネロマン池袋、ロッポニカ高松の2館の営業を譲渡する事となり、ロマンポルノ開始以来所有していた成人映画館は全て譲渡もしくは閉館となった。
1912年(大正元年)、国家当局の要請を受け、当時の横田商会ほか国産映画会社四商社が合併して創立。尾上松之助主演の映画でその名を知られる。大河内傳次郎、片岡千恵蔵、阪東妻三郎、入江たか子らも活躍し戦前は時代劇の名門映画会社だったが、昭和初期より業績が下降し、経営権を巡る争奪戦が勃発。東宝・松竹両社の関連会社となっていた。さらに1942年には戦時企業統合により、製作部門は大映(大日本映画製作株式会社)に吸収され、映画製作から一旦撤退。
戦中戦後は映画興行および配給で凌ぐが、1954年に活動再開した後は月丘夢路、水島道太郎、三橋達也、南田洋子、北原三枝、芦川いづみら他社のスターを引き抜いて文芸映画を製作。新人として名和宏、長門裕之らを登用。石原慎太郎原作の太陽族映画が当たると石原裕次郎、小林旭、浅丘ルリ子、待田京介、赤木圭一郎、宍戸錠、二谷英明、岡田真澄、川地民夫、和田浩治らを起用した若者向けの低予算のアクション映画中心の会社に路線変更した。興行収益が好調な上に事業多角化を推進したため、業績は堅調であった。
しかし、本格的なテレビ時代の到来と日本の映画産業全体の斜陽化のあおりを受けた上に、北原三枝と芦川いづみの引退、赤木圭一郎の急逝、アクション映画のマンネリ化、企画不足、石原裕次郎&小林旭の二大スターの肥満等による人気低下、堀久作社長のワンマン体質からくる過剰な不動産投資、それに反発した江守専務ら映画製作の中枢者を強引に退陣させる等(1967年)、放漫経営などが次々に災いして1960年代半ばから業績は急激に悪化。その1960年代には吉永小百合、浜田光夫、高橋英樹、渡哲也、山本陽子、和泉雅子、松原智恵子、梶芽衣子、藤竜也、杉良太郎といった新人スター達も生み出したが、退潮を食い止めることは出来ず、丸の内日活、新宿日活、梅田日活など主要劇場を次々と売却。1965年には山崎忠昭が描いたシナリオ、『殺人狂時代』が企画されるが、未制作となり。そのままこの企画書は東宝に引き渡された。1969年には撮影所を、1970年には日比谷の本社ビルをも明け渡した後、同じ不採算で同根の大映と配給部門を合体して「ダイニチ映配」を設立する。しかし、この弱者連合はすぐに行き詰まり、翌年には堀久作社長が退陣。息子の堀雅彦が社長に就任し、『戦争と人間』のヒットを背景にした「フリーブッキング大作路線」を標榜するが、実はダイニチ離脱、映画製作中止をしたいのが本心だった。
1971年夏、大映と袂を分かった後は一時製作を中断。組合との協議により、秋からは採算面から低予算の「日活ロマンポルノ」をスタートさせる。大手の映画会社がポルノ映画会社になるのは世界にも例がない。これにより、石原・小林・渡・宍戸・吉永らこれまでの上記の日活映画スター達は事実上フリーになった。
1975年に社長の堀雅彦が経営不振で辞任し(副社長の村上覚が社長に就任)、これによって、戦前より会社経営を担ってきた堀一族が退陣。代わって、日活労働組合(共産党系)出身の根本悌二が台頭し、1979年には根本が社長に就任し、以後、役員すべてを労組幹部出身者で固めた布陣で経営が行われる事となる。
1978年7月、資本金を上回る累積赤字のため、日活株は東京証券取引所の一部上場を外されそうになる。そこで同社は、当時安売り紳士服チェーンとして一世を風靡していた「流通卸センター」(ROC)と提携。同社の系列会社などに第三者割当増資を行うなどして資本金を縮小。借金完済に成功し、難局を乗り切った。その余勢で同年9月には調布の撮影所を買戻し、それを機に社名を株式会社にっかつと改称する(ただしにっかつの名前がスクリーンに登場するのは1979年以降)。
ビデオデッキが普及した1980年代後半には成人映画の劇場に足を運ぶ人は減る一方となり、にっかつはポルノに見切りを付け、1988年7月1日、にっかつ上映館を「ロッポニカ」に改名し、配給会社を「シネ・ロッポニカ」に変更した上で「ロッポニカ」レーベルで一般向け映画の製作・配給を再開するが、不入りで半年で打ち切られる。また、ケーブルテレビ(CATV)のコンテンツ·チャンネルNECOを設立したが、バブル景気に乗じて過剰投資に走りすぎ、バブル崩壊後経営状況は悪化の一途をたどる。なお、「ロッポニカ」の名称は当時六本木に本社があったことに由来している。現在、日活直営館で「ロッポニカ」の名が残るのは高松市の成人館のみである。
1993年会社更生法を申請し事実上倒産。ゲーム会社のナムコが支援するようになったのをきっかけに社名を元の日活株式会社に戻しナムコの子会社となった(社長の中村雅哉はナムコ会長と兼任)。
2005年4月21日、ナムコが日活株式のUSENへの譲渡を検討していることを発表するが、USENの企業体質に対して日活労働組合が難色を示し、USENは買収を断念する。その後同年9月7日にインデックスがナムコ保有の日活株式の取得を発表、インデックスが労働条件の維持を表明し日活労働組合も同意した事により、9月中にインデックスグループ傘下の子会社となった。同年11月1日をもってインデックスの会長・落合正美が日活会長に、ナムコの中村雅哉は非常勤の名誉顧問になった。社長には徳間グループ傘下だった頃の大映から譲渡合併後の角川大映映画(現角川映画)に転じ制作担当の取締役であった佐藤直樹が迎えられた。
内紛があり、結果的に横田商会系列が会社内の実権を掌握する。横田永之介が社長に就任。
堀久作が正式に社長に就任。劇場経営を邦画(大映系)から洋画系に転じる。
戦後[]ロマンポルノ[]主要脚本家[]戦前[]
主要音楽家[]戦後[]
主要カメラマン[]戦後[]
主要男優[]戦前[]
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主要女優[]戦前[]
戦後[]
ロマンポルノ[]テンプレート:Seealso
関連項目[]
外部リンク[]
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