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東坊城 恭長(ひがしぼうじょう やすなが、1904年9月9日 - 1944年9月22日)は、日本の映画俳優、脚本家、映画監督である。正三位勲三等子爵、貴族院議員東坊城徳長の三男で、戦前の日活大将軍撮影所等で活躍した。実妹は同子爵の長女入江たか子、その長女で女優の入江若葉は姪に当たる。
1904年9月9日、東京・麻布の東坊城家の三男として生まれる。
慶應義塾大学予科を卒業後、京都に移り、弱冠23歳、小笠原長生子爵の長男小笠原明峰が1923年、京都に設立したばかりの映画会社「小笠原プロダクション」に入社、大正末期の無声映画時代に、映画俳優となる。1924年、20歳のとき、三善英芳こと小笠原章二郎監督の『泥棒日記』、あるいはその兄・小笠原明峰監督の『海賊島』の端役でデビュー、とされる。
つぎに京都・嵯峨野の日活京都第二撮影所に入社、「現代劇部」の映画俳優としてキャリアが始まる。最初にクレジットとして記録に残っている作品は村田実監督の『青春の歌』で、同作は1924年12月5日に鈴木傳明主演作として浅草三友館を皮切りに全国で公開された。
翌1925年には、日活主流の京都・日活大将軍撮影所に移り、同年の溝口健二監督の『小品映画集《街のスケッチ》』や翌1926年の村田実監督の『故郷の水は懐し』では、小品といえど主役を張るようになる。当時の俳優仲間には、のちに映画監督となる島耕二や渡辺邦男がいた。
もともと菅原道真の流れをくみ、御歌会始奉行をつとめた父を持つ家系ゆえか、やがて1927年、脚本家としてデビューする。初脚本作は内田吐夢監督の『靴』で、同年3月26日に浅草三友館を皮切りに全国で公開された。俳優業は、同年5月1日に全国で公開された村田実監督、夏川静江主演の『椿姫』を最後に廃業した。同撮影所では1928年秋までに9本を監督した。
日活の大将軍撮影所閉鎖により、「時代劇部」につぐ「現代劇部」の移転にともない、1928年、新設の日活太秦撮影所に移る。ここでも1929年 - 1932年の間に11本を監督した。1932年1月、同撮影所での監督作10作目、サトウ・ハチロー原作、市川春代主演の『浅草悲歌』に出演した直後、まだ20歳だった妹・入江たか子が同撮影所から独立、製作会社「入江ぷろだくしょん」を設立した。同社は、大阪の帝国キネマが改組して東京に設立した新興キネマとの提携・配給で、双ヶ丘(現在の右京区御室双岡町)に新設した専用の撮影所で、入江を主演とした「現代劇」を製作していく会社だった。
そこで東坊城も、1932年末をもって古巣の日活を退社、「入江ぷろ」に入社、阿部豊監督の『須磨の仇浪』(1933年3月16日公開)や、かつて俳優時代に主演に抜擢してくれた溝口健二監督の『瀧の白糸』(同年6月1日公開)の脚本を書く。また同社の提携先の新興キネマで、3本の無声映画を監督した。
1935年、新興キネマ京都撮影所の放つ、絢爛豪華な正月作品『春姿娘道中』の監督に抜擢される。同作は東坊城にとって初めての「サウンド版」映画の現代劇で、市川春代を主演に、竹夏子、霧立のぼる、浦辺粂子、森静子、そして入江たか子といったスター女優が揃い踏み、浅草電気館をはじめとして全国で公開された。しかし、これが東坊城にとっての最後の監督作となった。
「入江ぷろ」が1935年をもって新興キネマとの提携を解消、撮影所は閉鎖、1937年からは新たにPCL映画製作所との製作提携と東宝映画配給との配給提携に移行した。そこで東坊城は、木村荘十二、伏水修監督の入江たか子主演作、2本のトーキーの脚本を書き、また、同年のPCLほか4社合併による「東宝映画」の設立後、入江は東宝と専属契約し、同プロダクションは解散した。
東坊城は1940年、佐藤武監督、吉屋信子原作妹の主演作『妻の場合 前・後篇』(トーキー、東宝映画)の脚本を書いたが、同作を最後にその後の活動は不詳。1944年9月22日に死去。テンプレート:没年齢。
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