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『殺しの烙印』(ころしのらくいん)は鈴木清順監督、宍戸錠主演の1967年6月15日公開の日本映画。併映作品は西村昭五郎監督『花を喰う蟲』。日活の成人映画として公開された。
公開時のキャッチフレーズは「色、欲、裏切り…むせかえる肌と硝煙が奏でる殺しのシンフォニー!!」。
日活は当時、映画館から客足が遠のく梅雨時にはエロ作品とアクの強いハードボイルド作品を二本立て興行するのが通例になっており、本作品もエロティシズムを前面に押し出した『花を喰う蟲』がまず最初に作られて、その併映作品として急遽企画されたものだった。
鈴木は、この企画を1966年に結成された脚本家グループ・具流八郎のシナリオで映画化することを決定。中心人物だった大和屋竺が「殺し屋の世界ランキング」というアイディアをまず立ててハードボイルド・タッチの前半部分を書き、他のメンバーがそれに話を加えていくという方式をとった。また、一部の場面でギャビン・ライアル『深夜プラス1』、リチャード・スターク『悪党パーカー/人狩り』を参考にしている。
作品中には小川万里子ら女優のヌードが随所に登場するが、それらは公開当時画面半分を隠すほどの大げさな黒ベタによって塗りつぶされていた。DVDや関連書籍のインタビューによると、最初はフィルムに直接白い矢印を書き、その矢印が自粛個所を追いかけながら隠すというものだったらしい(しかし、これは会社から無断でお蔵入りにされた。ワイズ出版『清順スタイル』によると清順含む製作に関わった者は市販されているソフトをインチキ「殺しの烙印」と呼んでいる)。この修正の役割を大きく逸脱した芸術的な黒ベタを愛するファンもいるが、現行DVD、フィルムセンター収蔵版、2007年5月14日にWOWOWで放映された版は一切の修正が入っていない「完全版」である(DVDには修正入りも収録されている)。
完成した作品は批評家や若い映画ファンに熱狂的に支持されたが、当時の日活社長・堀久作は完成した作品を観て激怒[1]。翌1968年の年頭社長訓示において、本作品を「わからない映画を作ってもらっては困る」と名指しで非難し、同年4月には、鈴木に対し電話で一方的に専属契約の打ち切りを通告した。一方、日活は、川喜多和子が主宰するシネクラブ研究会に対しても鈴木清順作品封鎖と称してフィルムの貸し出しを拒否し、解雇事件とフィルム貸し出し拒否を不服とした映画人や大学生有志による「鈴木清順問題共闘会議」が結成されて、映画界を巻き込んだ一大騒動に発展した。
この問題は結局、鈴木の日活提訴により法廷に持ち込まれ、1971年に日活との間で和解が成立したが、鈴木は1977年に松竹で『悲愁物語』を監督するまで約10年間のブランクを送ることとなる。なお、この空白期間中に具流八郎または大和屋の単独により『続・殺しの烙印』のシノプシスが書かれているが、これは野田三郎という、まったく違う主人公が殺し屋の物語で、2001年に本作品の続編と銘打って公開された『ピストルオペラ』とはまったく別のストーリーである。
2007年になってようやくディスクユニオンからサウンドトラックが発売された。
殺し屋がランキングされ、すべての殺し屋がナンバー1になろうとしのぎを削る世界。ナンバー3の花田五郎は、ある人物の護送を依頼され、その任務中にナンバー4の高とナンバー2の佐倉を倒してナンバー2の座を獲得する。しかし、栄光の座についたのも束の間、部屋中に蝶の死骸を散りばめ自らも死に取り憑かれた謎の女・美沙子に依頼された狙撃に失敗した花田は、彼をナンバー2の座から蹴落とそうとする殺し屋たちの追撃を受ける羽目になる。挑戦者をすべて倒した花田の前に最後の敵として現れたのは、正体不明の伝説の殺し屋ナンバー1だった。
映画「殺しの烙印」オリジナル・サウンドトラック
『殺しの烙印』の続編。シナリオ執筆中に制作中止が決定となる。Petit Grand Publishing刊「STYLE TO KILL─殺しの烙印 VISUAL DIRECTORY─」にシノプシスが掲載されている。内容につながりはない。プロットは大和屋竺、田中陽造、曽根中生。
fr:La Marque du tueurit:La farfalla sul mirino
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