Syottyuu

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雅子夫人が実家小和田家の人間(小和田恒小和田優美子礼節姉妹)とべったり状態、頻繁に会っているしょっちゅう会ってるシリーズをまとめたものである。夫祖母・香淳皇后の葬儀は「夏バテのようなもの」で欠席したが、実家の弔問・葬儀は忘れず出席皆勤賞ということも含む。

http://www.asahi.com/national/update/0710/TKY200907100291.html(魚拓)
宮内庁、「女性セブン」に抗議文 雅子さま巡る記事
2009年7月10日18時28分
 宮内庁東宮職の野村一成東宮大夫は10日の定例記者会見で、週刊誌「女性セブン」の編集部に9日付で抗議文を送ったことを明らかにした。野村氏は、7月16日号に掲載された「雅子さまが妹宅を頻繁に訪れている」などの記事について「事実無根。十分な検証をせずこうした話を出すのはいかがなものか」と述べた。
 小学館の女性セブン編集部の話 抗議があったのは事実ですが、記事は取材に基づいて作成しており、その内容については、宮内庁東宮職に説明しました。


目次

しょっちゅう会ってるシリーズ(判明している分)[]

  • ソース雑誌に発行年記載がないものは、小和田家係累と会った同年発行である。

1993年(平成5年)[]

1993.06~08月  一方で、優美子さんは、この2か月ですでに2桁におよぶ回数、皇太子さま・雅子さまが住む東宮仮御所を訪ねているという。雅子さまへの届けもののためだ。≪女性セブン1993年8月25日号p.125より引用≫
1993.08.13 結婚後小和田家への初めての里帰り。コンクリ御殿前でのマスコミカメラ撮影で、雅子と小和田家飼い犬ショコラがキッス。里帰り当日出された食事は「母優美子さんの手作りパエリア!」……との触れ込み(女性自身1993/9/7号)だったが、後にそれは自由が丘「エルペスカドール」のシェフが出向き作ったものと判明する「ケータリング」事件も。


1994年(平成6年)[]

1994.1月末頃 小和田夫妻が中近東旅行に出発する2日前、母優美子が雅子と面会。またこれ以外にも東宮御所に会いに出向いていることを匂わせる発言もあり。

『女性自身緊急増刊 新妻・雅子さま 輝いて「愛の1年」』 p.168より引用
 歌会始(1月14日)のころから風邪ぎみだった雅子さまが、ご公務の予定を中止または延期、ほとんど東宮仮御所に引きこもったままの日が続いたのである。
 巷では期待が先走りして“ご懐妊”の声が高まり、雅子さまと小和田家にとっては大きなプレッシャーとなった。
 2月の初め、恒さんと優美子さんは4日間の予定で、中近東への旅行へ出かけていたが、2月3日、エルサレムで外人記者のインタビューを受けた優美子さんは、ハッキリこう答えた。
「皇太子妃が妊娠しているのでは、という噂が流れているのは知っています。
 その噂にはまったく根拠がありません。私は日本を発つ2日前にも皇太子妃と会いましたが、皇太子妃は、はっきりと私にそう語りました」
 優美子さんが雅子さまについて語るのは、まったく異例のことだったが、外国にまで間違った噂が流れているのを、見過ごしてはいられなかったのだろう。そして、この発言の中には、優美子さんが心配のあまり、たびたび東宮御所にお見舞いにあがっていることがうかがわれた。

1994.04.02  雅子が小和田コンクリ御殿に三度目の里帰り、徳仁も同伴。

『女性自身緊急増刊 新妻・雅子さま 輝いて「愛の1年」』 p.168より引用
 4月2日小和田家は喜びと賑わいにつつまれた。ニューヨークに赴任するご両親との“お別れ夕食会”という意味をこめて、雅子さまのお里帰りが実現したのである。皇室記者によると
「夕方から皇太子さまもお見えになって、今回は和食中心のおもてなしだったようですが、新潟にゆかりの深い小和田家には、越後銘酒がいろいろそろえてあるそうです。小和田さんと皇太子さまはよほど盃を重ねたらしく、お帰りのときはお二人ともかなり上気した顔でした。しかし、さすがに乱れたところはなく、皇太子さまの強さには恒さんも驚いたことでしょう」
 4月28日、いよいよ小和田さん夫妻がニューヨークに出発する日が訪れた。この2日前には、さらに別れを惜しまれてか、おひとり、おしのびで4度目のお里帰りをされたという雅子さま――。

1994.04.26  雅子がお忍び単独で四度目のコンクリ御殿里帰り(1994.04.02参照)


2001年(平成13年)[]

2001.07.06  妊娠中の雅子と徳仁が、雅子実妹渋谷節子宅マンションを午後4時10分過ぎ~午後9時20分過ぎまで極秘訪問≪女性セブン7/26号 独占秘話皇太子妃雅子さま(37)「赤ちゃんはとても元気」ご夫妻で妹・節子さん(35)宅をお忍び訪問。5時間の語らいを…≫
2001.07.12 日本ユニセフのユニセフハウスオープンセレモニーに、東宮夫妻そして雅子実母小和田優美子・実妹池田礼子&渋谷節子が出席。

「二〇〇一年のユニセフハウスのオープン時も、皇太子ご夫妻が雅子さまのお母様や二人の妹と一緒に出席されており、今回も雅子さまのご意向が優先されたのでしょう」(皇室記者) ≪週刊文春2005/5/15号 p.144より引用≫


2003年(平成15年)[]

2003.09.04  愛子(当時1歳9ヶ月)を連れて、雅子が小和田コンクリ御殿に里帰り。夕方徳仁が合流しに来たが、現れた父親を前にしてもその存在がまったく認識できていないかのような乏しすぎる愛子の反応が「ひと足遅れて訪れた皇太子さまとご対面。ちょっと気恥ずかしそう。」と『週刊女性』2003/9/23号グラビア記事で掲載もされ、この頃から愛子の発達が心配だという声が上がりだす。なお当日は中華料理ケータリングディナーであった。
2003.12月 雅子が帯状疱疹にかかった時期、実母小和田優美子が頻繁に東宮御所訪問

 「娘はあちらさまに差し上げたのですから」
 こう言って、美智子さまの母・正田富美子さんは娘が皇室に嫁いでからは身を慎み、その一線を越えぬように生きた。
 だが一方の小和田家はこれまで何度も取り沙汰されたように、雅子さまとの近すぎる距離が問題となった。
「特に’03年に雅子さまが体調を崩された当初は、頻繁に東宮御所を訪れる様子がキャッチされています。昨年(=2013年)の皇太子ご夫妻のオランダ公式訪問の際も、オランダ王室の根回しに奔走、さらに宿泊先のホテルまで足を運んで大騒動となったのは記憶に新しいです。
 そんな批判があがっているのを知ってか、最近では優美子さんが東宮御所に出入りする機会は少なくなっていたんですが、結局は外で極秘の面会を続けていたんですね」(皇室記者)≪女性セブン2014/5/1号 オール学習院“父娘共演”の裏で――皇后美智子さま(79)との距離広げる皇太子妃雅子さま(50)「母優美子さん(76)と愛子さま(12)」の極秘面会≫


2004年(平成16年)[]

2004.09.15 雅子が池田礼子宅訪問。愛子・徳仁を同伴したかは不明。

ソース:『美智子さまの恋文』(橋本明著,新潮社,2007年発行) p.199より引用
同月(補足:2004年9月) 十五日、雅子妃は都内に住む妹・池田礼子を訪ねており、病気という触れ込みにしてはむしろ気ままな生活を送っている気配が濃厚だった。この月の二十四日から、東宮ご一家は那須御用邸で静養に入った。


2005年(平成17年)[]

2005.04月中旬 小和田家訪問、妹池田礼子夫婦の家にも愛子を連れ訪問、帰宅は深夜零時近くになった≪週刊新潮5/4号≫
2005.09月某日 翌月に第二子出産を控えた妹池田礼子宅を訪問≪女性自身11/1号≫
2005.10.07  紀宮内親王殿下御結婚奉祝として催された桃華楽堂での楽部洋楽演奏会鑑賞、何故か母小和田優美子も出席≪週刊文春10/20号≫
2005.12.09(情報未確定) 両陛下を招いての雅子誕生日夕食会は「雅子の風邪」のため1時間半前に急遽中止。この夕食会は母優美子も出席予定だったので(Part310-485参照)、東宮御所に来て雅子を「看病」していたのでは?


2006年(平成18年)[]

2006.02.23 夜、徳仁誕生日内宴(東宮御所、天皇皇后両陛下・秋篠宮両殿下・黒田清子氏そして小和田夫妻出席)
2006.03.13 池田礼子親子&別一組親子と東京ディズニーリゾートでお楽しみ【準皇族】【TDR
2006.03.17 母方祖父・江頭豊のお見舞いで静岡県富士宮市まで出向く。「病室では母親の優美子さんが待っていた」≪女性自身4/11号≫
2006.07.09 学習院OB管弦楽団第53回定期演奏会、雅子は池田礼子夫妻と、途中入場で演奏会第二部のベートーベン第九を鑑賞
2006.08.01 雅子と愛子が滞在中の那須御用邸を母親優美子が訪問し、昼食と夕食を共にする(徳仁は29日に独りぼっち帰京済み)≪週刊文春8/17・24号≫
2006.08.23 オランダ静養旅行での滞在先ヘット・アウデ・ロー城に、小和田夫妻と、スイス在住の妹・渋谷節子夫妻を招く【オランダ静養】【準皇族】
2006.08.25 一家でハーグの小和田夫妻宅を訪問し愛子を預け、オランダの王子一家私邸で昼食会。その後夫妻で国際司法裁判所がある平和宮を訪問、ベアトリクス女王とマウリッツハウス美術館で絵画鑑賞、小和田夫妻宅で夕食を共にする

(翌日26日にはベアトリクス女王直々お誘いのヨットクルーズを雅子愛子ドタキャン。[オランダマスコミ関係者に呆れられる])

2006.09.25 夫徳仁と娘愛子を伴い、祖父・江頭豊逝去につき弔問(江頭邸=小和田邸コンクリ御殿
2006.09.27 故江頭豊葬儀・告別式に東宮夫妻参列
2006.10.15 妹池田礼子とパークハイアットのレストランでランチ(当日所用でパークハイアットに行った人の目撃情報あり)
2006.10.25 国連大学小和田恒参加のパネルディスカッションを東宮夫妻聴講
2006.10.26-27(情報未確定) 奈良第58回正倉院展。東宮夫妻は閉館後視察、京都御所見学

2日目は「プライベート」につき取材拒否。その折ちょうど広島・京都を訪問していた父親小和田恒と会っていたか?備考:小和田恒は28-29日、広島・京都で2006年ノーベル平和賞受賞が決まったバングラデシュのグラミン銀行総裁ムハマド・ユヌス氏を接待していた(広島原爆記念館にて献花に訪れたユヌス氏と後ろに写る小和田恒画像がGettyimages#72288072に残る)。

2006.11.10 恵比寿ガーデンプレイス近くで伝蓋時代の友人が営むブランド子供服セレクトショップで池田礼子親子、愛子と共に1時間貸切ショッピング。その後恵比寿ガーデンプレイス内のイタリアンレストランで1500円のパスタランチ≪週刊文春11/30号、2007/3/28FNNスーパーニュースでは日にちをぼかした形でレストラン取材≫
2006.11.11 敬宮愛子ちゃん着袴の儀当日の夜、恵比寿イタリアンレストランで、池田礼子夫妻と一緒にお祝い夕食会≪週刊新潮11/23号≫
2006.12.01 愛子満5歳誕生日の夜、池田礼子夫妻を招いてちゃんこ鍋夕餐(東宮御所)≪週刊文春12/14号≫
2006.12.20 知人家族(礼子夫妻も参加か?)計10名ほどで、ウェスティンホテル最上階のレストラン「ビクターズ」個室ロココルームでディナー≪週刊文春2007/1/4・11号、週刊文春2013/3/21号≫
2006.12.26 小和田夫妻、渋谷節子夫妻、池田礼子一家揃って、東宮御所で食事会≪週刊文春2007/1/4・11号≫


2007年(平成19年)[]

2007.02.23 池田礼子、東宮御所での徳仁誕生日夕食会に出席≪女性自身3/13号≫
2007.03.16-20 東宮一家奥志賀スキー旅行に池田礼子一家(夫祐久氏+息子2人)が同行≪女性自身4/3号&週刊文春3/29号≫
2007.04.11 小和田恒がパネリストとして参加の国連大学講演会を東宮夫妻聴講≪週刊女性5/1号、読売ウィークリー5/6・13号≫
2007.07.07 池田礼子一家を東宮御所に招いて7人で午餐会、翌8日が誕生日の礼子のために東宮夫妻がバースデーケーキを準備し午後6時まで食事会を楽しんだ。≪週刊文春7/19号≫
2007.07.22 東宮一家と雅子妹親子が一緒に米米クラブジェームス小野田氏出演のミュージカル人形劇鑑賞≪米米クラブ公式HP内ジェームス小野田氏ブログ(webarchive)≫
2007.08.03 東宮御所に愛子の友達親子数組を招いた子供パーティに妹の礼子・節子も参加≪『週刊文春』8/16・23号、AERA9/10号≫
2007.08.04 小和田夫妻、池田礼子一家、渋谷節子夫妻と銀座のフレンチレストランで夕食≪『週刊文春』8/16・23号、AERA9/10号≫
2007.12.01 愛子満6歳誕生日の夜、妹池田礼子一家を東宮御所に招いて食事を楽しむ≪週刊文春12/13号≫
2007.12.09 雅子44歳誕生日夕食会に、両陛下・秋篠宮ご一家・黒田ご夫妻だけでなく、またも妹の池田礼子夫妻出席≪週刊文春12/27号≫
2007.12.21 恵比寿でクリスマスイルミネーション見物後、近くのホテルで小和田夫妻、妹・池田礼子家族らと食事会≪女性自身1/22号≫
2007.12.24 東宮一家、妹池田礼子宅にて小和田両親も合流してのディナーを楽しむ≪12/21日テレ、週刊文春2008/1/17号≫


2008年(平成20年)[]

2008.1.01 新年祝賀の儀を雅子だけ午前中で切り上げ(要するに両陛下への挨拶程度でおしまい)、小和田家両親・妹池田礼子一家と東宮御所で一緒に昼食≪サンデー毎日2/3号、週刊文春1/31号≫

同月24日、東宮職名義でサンデー毎日に対し抗議声明を宮内庁HPにて発表
小和田家おせち事件】参照

2008.2.23 東宮御所で開かれた徳仁48歳誕生日夕食会に、両陛下・秋篠宮両殿下・黒田ご夫妻だけでなく、昨年同様池田礼子夫妻出席。≪週刊文春3/6号≫
2008.3.29-4.02 東宮一家奥志賀スキー旅行に池田礼子と夫祐久氏と2人の息子、要するに妹池田礼子一家が同行しスキーを楽しむ。≪女性セブン4/17号≫
2008.6.09 東宮夫妻の結婚15周年記念日で夕食会が開かれる。皇室関係者出席者は天皇皇后両陛下・秋篠宮両殿下・黒田ご夫妻、、雅子サイド出席者は小和田優美子池田礼子夫妻・この春から帰国している渋谷節子であったと毎日新聞記事報じる
2008.8.07 雅子と愛子、神宮外苑花火大会を東宮御所に招いた妹池田礼子一家と楽しむ≪AERA10/6号≫

<記事引用>そんな中、8月7日から8日にかけて、皇太子さまは人生初となる富士山登頂を果たした。皇太子さまが山小屋で1泊した7日夜、雅子さまと愛子さまは、東宮御所に雅子さまの妹池田礼子さんらを招き、神宮外苑花火大会をご覧になった。<記事引用終わり>

2008.8.10 東宮一家、東京湾大華火祭を池田礼子宅億ションにて見物≪part1296-366mixi書き込み、AERA10/6号、週刊現代10/18号≫
2008.8.26/27/29 『週刊朝日』9/12号<悠仁さま2歳に、美智子さまとの「はじめてのやまのぼり」>と、『女性自身』9/16号<雅子さま・那須「笑顔復活の休日」にあった妹・礼子さん家族ぐるみの援護>によって、既にブログやmixiで画像等発掘されていた池田礼子とその息子ら那須静養合流疑惑が裏付けられる。

26日妹礼子一家とりんどう湖ファミリー牧場で予定時間を超過してお楽しみ≪週刊朝日9/12号・女性自身9/16号≫27日礼子一家と水上レストランで遅くまで夕食≪女性自身9/16号≫29日礼子一家と那須どうぶつ王国へ≪女性自身9/16号≫

また『女性自身』9/16号冒頭カラーグラビア<レッツゴー!愛子さま-那須での夏をご満喫>では、りんどう湖ファミリー牧場の子牛を愛子ちゃんが前歯が抜けた大口開けた横目状態で見ている画像や、足漕ぎボートに徳仁・愛子・礼子長男次男・雅子・礼子が同乗し、徳仁が彼らのために足漕ぎ係をしているスナップも掲載される。MSN産経皇室ウイークリー9/6は、「静養中のご様子についても説明があったので、一部紹介する。ご一家はテーマパークや美術館などで楽しい時間を過ごしたほか、付属邸では雅子さまのご親族とも交流された。」と記す

2008.10.12 学習院初等科運動会開催、八大行啓を休んだ雅子が午前中来校していたかどうかは不明。午後1時半頃来たのは複数ソースが一致。そして池田礼子が午後2時半頃合流したと『THEMISテーミス』11月号記事に。雅子は礼子のデジカメを覗いて、一緒に座っていたママたちに『見て見て』とはしゃぎながら説明したとのこと
2008.10.31 30日トプカプ宮殿騒動ことヤフオク祭りが発生した翌日、池田礼子宅訪問し「親族が集まる」。また東宮一家は10/31-11/7まで当初予定していた葉山御用邸への静養も取り止めたとのこと≪週刊朝日12/19号≫

同月26日にはMadeleine祭りも発生しており大層お騒がせな時期だった。

2008.11.29 学習院初等科祭(文化祭)の初日、雅子の代わりに小和田優美子池田礼子が登場≪女性自身12/23号≫

なお同日夕方に愛子が発熱し翌30日初等科祭を欠席、12/1誕生日行事を全て取り止めている。

2008.11.30 発熱した愛子の看病をしている雅子に代わり、「池田礼子さん母子」が学習院祭(2日目)に登場≪週刊新潮12/18号≫
2008.12.24 池田礼子一家を東宮仮御所に招いてのホームパーティが開かれる予定だったが中止≪週刊文春2009/1/1・8号、女性セブン2009/1/8・15号、週刊ポスト2009/1/16・23号≫
2008.12.29 雅子&愛子、青山円形劇場ファミリーオペレッタ「タントさんのふしぎなレストラン」ゲネプロを“小和田家のかたがたが同行”して鑑賞≪女性自身2009/1/20号、女性セブン2009/1/22号≫


2009年(平成21年)[]

2009.1.4 前年の小和田家おせち事件で多少考えたのか、正月三箇日を避け、式年祭に先立つ4日午後に小和田夫妻と妹夫妻らを東宮御所に迎えて正月料理を共にする≪週刊文春1/22号≫
2009.2.23 東宮仮御所での徳仁49歳誕生日夕食会に、両陛下・秋篠宮ご一家・黒田ご夫妻、そして「雅子さまのご親族」が出席≪産経皇室ウィークリー2/28≫
2009.8.8 夜、東宮一家が池田礼子宅を訪問、また渋谷節子も合流し、東京湾大華火祭の花火鑑賞。≪女性セブン9/10号は花火鑑賞記録のみ、THEMISテーミス9月号に詳細記事掲載、サンデー毎日9/13号も≫
同日シリーズ】参照
2009.10.17 学習院初等科運動会に、雅子実母小和田優美子と妹池田礼子が来場しゴール地点の本部テント近くに。東宮夫妻は徳仁祭祀のため11時過ぎに遅れてやってきて、愛子出場リレー終了後に優美子礼子と合流≪テーミス2009年11月号≫
2009.12.9 雅子46歳誕生日祝い夕食会(東宮御所)に、両陛下・秋篠宮両殿下・黒田清子さん夫妻に加え、実妹渋谷節子夫妻出席≪女性自身12/29号≫


2010年(平成22年)[]

2010.2.23 徳仁50歳誕生日夕食会(東宮御所)、「出席されたのは両陛下はじめ、秋篠宮ご夫妻、黒田清子さん、雅子さまの妹の池田礼子さん、渋谷節子さんら。」 文中「~ら」がどんな人物を指しているかは不明≪週刊文春3/11号≫
2010.3.24-30 東宮一家の奥志賀スキー静養に、実妹池田礼子]親子も合流≪週刊朝日4/9号1p目魚拓、同2p目魚拓≫
2010.6.7 この日愛子は学校早退。午後5時頃、東宮一家が上野の国立科学博物館で開催中の大哺乳類展を見学(月曜休館日)。[[礼節姉妹|池田礼子一家が同行≪女性セブン6/24号、THEMISテーミス2010年7月号≫

THEMISテーミス』2010年7月号 p.34より引用
 愛子さまは最近、大好きな担任の国語の授業へのご出席を優先されるせいか、3時間目に登校し、4時間目終了後下校されるようだ。
 たとえば6月7日。雅子さまと愛子さまを乗せた車が校門に横づけされたのは午前10時半頃。以前はお2人でしっかり手をつながれていたが、この日、愛子さまはさっさと1人で教室に向かわれた。・・中略・・
 前述した6日7日のこと。午後1時前に早退された雅子さまと愛子さまは、午後5時近くに上野の国立科学博物館の「大哺乳類展」にお忍びで出かけられた。午後7時過ぎまでさまざまな動物の剥製や骨格標本などを見学されたが、皇太子さまもご一緒だった。雅子さまの妹の池田礼子さん親子も一緒だったようだ。
 この日は国立科学博物館は休館日で、「愛子さまは会場を駆け回ったりされ、楽しそうだった」(宮内庁関係者)というが、まさに貸し切り状態だったということだろう。

2010.8.14 当夜、東宮一家が雅子妹池田礼子マンションを訪問し、第23回東京湾大華火祭をお楽しみ≪とくダネ!8/16、週刊文春8/26号、週刊女性8/31号、女性セブン9/2号≫
2010.8.26 東宮一家那須御用邸静養中の那須どうぶつ王国お楽しみに、池田礼子・渋谷節子の家族+節子知人+愛子お気に入り男子“のび太”A君が合流。イタリアンレストラン「ベラビスタ」で礼子節子らと食事≪女性自身9/14号、女性セブン9/16号等≫

自身同号は「久しぶりに妹家族と食事」と書くも、久しぶりどころかたかだか2週間程度ぶり。

2010.9.6 そんな合間にも帰国した祖父母とお会いする機会もあった。「始業式のあった日(中略)小和田ご夫妻とお昼をいっしょに召し上がりました。恒氏が(中略)ハーグへ戻る前に『お目にかかっておきたい』とおっしゃっていたそうです。愛子さまは、野球がお好きというお話をされていたみたいですね」(宮内庁関係者)≪週刊文春9/23号≫
2010.10.31 六大行啓の一つ、岡山県(30-31日訪問)にて開催の第25回国民文化祭「あっ晴れ!おかやま国文祭」に雅子欠席

同日夜、雅子&愛子が毎年恒例ハロウィンパーティーのため池田礼子宅訪問≪週刊朝日11/12号≫

2010.12.24 前日23日に引き続きこの日も、愛子の友達20人ほどを東宮御所に招いてクリスマスパーティを開いたとのこと≪女性セブン2011/1/20・27号≫

また同日、池田礼子宅を訪問してクリスマスパーティ≪女性自身2011/1/18・25号≫という、実にご多忙なお遊びスケジュールをこなすことに


2011年(平成23年)[]

2011.2.23  皇太子さまは23日に51歳の誕生日を迎えられた。皇太子さまは当日、朝の参内(皇居ご訪問)後に東宮御所に戻られた。皇族方による皇太子ご夫妻への祝賀、宮内庁幹部らによる皇太子さまと雅子さまお一人ずつへの祝賀-などの行事が予定されていたが、雅子さまはいずれも欠席された。「ご体調」が理由という。

 午後7時前には天皇、皇后両陛下が赤坂御用地を訪問された。東宮御所での誕生日恒例の食事会で、雅子さまの親族も集まり、この会には雅子さまも出席された。ご家族で和やかなひとときを過ごされたようだ。≪MSN産経皇室ウィークリー2/26≫

2011.8.22  東宮職関係者が「今年(補足:那須御用邸静養)はゆったりとしていただけるよう日程を細かく決めていない」と話すように、今回のご静養では、突然の外出や予定変更も多く、皇宮警察や栃木県警が右往左往する場面もあった。

 二十一日は午前中から降り続く小雨の中、りんどう湖ファミリー牧場で遊覧船に乗りながらお友達五人と花火をご鑑賞されたのだが、
花火大会の開始一時間半前まで、行くか行かないかの最終的な判断がされませんでした。二十二日は当初、ホテルでお友達の部屋に寄ったあとにレストランでランチの予定だったのですが、両方ともキャンセルになり、ご一家がホテルを出られる動線が大幅に変更になり、走り回る警官もいました」(宮内庁担当記者)
 その日は、御用邸近くにある会員制ホテル(補足:東急ハーヴェストクラブ那須)のプールを貸し切られ、愛子さまがお友達と一緒に過ごされたという。
「十四時過ぎでしたが、薄曇りの天気の中、プールで濡れた三つ編みをほどいた愛子さまが、軽い足取りで車に乗り込んでいかれたのです。車の窓が開けられ、愛子さまはくつろいだ表情でホテルの従業員にぺこりと会釈なさっていました」(宿泊客)
 その姿を少し離れて目を細めて見ていたのは、雅子さまの母、小和田優美子さんらご親族だった。
「愛子さまは水泳が苦手という話もありますから、ご夫妻や親族が見守られる中で練習なさったのかもしれません。雅子さまにとっては母妹とのリラックスできるひとときだったのでしょう」(前出・宮内庁担当記者)
同日、ご一家は那須ハイランドパークを訪れられ、アジアの雑貨などを販売する「アジアンオールドバザール」の中のレストランでエスニック料理を召し上がり、再び夜十一時近いお帰りとなった。≪週刊文春9/1号≫

2011.10.31 妹池田礼子の夕食会がお忍びで予定されていたものの、雅子の体調が良くないとの理由でキャンセル≪週刊文春11/10号≫

なお翌11月1日には「愛子」が発熱・咳の症状ありとの理由で、東大医学部付属病院に入院、雅子が付き添っている

『週刊文春』11/10号より引用
 東宮職関係者が話す。
「(補足:かまぼこ事件山中湖事件といった校外学習への雅子付きまといについての批判が出ていることによる)そういったご心労が重なってか、ここに来て雅子さまのご体調はあまりよくないようなのです。あれほど熱心になさっていたお付添いも、十月二十八日には東宮女官に替わってもらっている。三十一日にお忍びで予定されていた妹の池田礼子さんとの夕食会も前日にキャンセルされています。サウジアラビアへ弔問に向かう皇太子のお見送り、お出迎えにもお出になりませんでした」

2011.12.24 東宮一家が雅子実妹池田礼子宅訪問、夕方から5時間以上滞在≪週刊文春2012/1/5・12号≫

なお翌日(25日)、大正天皇例祭の儀(皇霊殿)を雅子欠席【翌日シリーズ


2012年(平成24年)[]

2012.3.3  四日、退院された天皇を皇居でお迎えしたのは秋篠宮ご夫妻と悠仁さまだった。黒田清子さんご夫妻も御所を訪れ、退院を祝ったという。

「皇太子ご一家は合流されませんでした。その前日は小和田ご夫妻が日本を離れオランダに帰るため、東宮御所を訪れ、夕方から十九時頃まで滞在したそうです」(宮内庁関係記者)≪週刊文春3/15号≫

2012.4.18 夕方徳仁外出とすれ違うようなタイミングで東宮御所訪問した両親小和田夫妻と、雅子が歓談≪週刊文春5/3・10号≫

なおその翌日(19日)、春の園遊会(赤坂御苑)を雅子欠席。【翌日シリーズ

2012.9.15 高級中華料理レストラン富麗華での小和田恒優美子夫妻金婚式祝いの夕食会に、東宮夫妻ら約10名出席≪週刊文春10/4号 天皇家のご静養には合流せず雅子さま「小和田夫妻金婚式」でとびきりの笑顔≫

なお前日(14日)、東宮御所でのご会釈(勤労奉仕団)とご会釈(人事異動者)を雅子欠席。【翌日シリーズ

2012.10.31 妹池田礼子マンションにてハロウィン・パーティー【同日シリーズ

新潮中吊りより:雅子さまのご気分は麗しく、目下、活動的な秋を過ごされている。月末には、麻布の超高級マンションに住む妹君を訪問なさって、「ハロウィン・パーティー」に参加されるというのだ。≪週刊新潮11/8号 園遊会はご欠席でも「雅子妃」のハロウィーン・パーティー≫
女性自身 2012年11月20日号<雅子さま“支え”の妹に打ち明けた「公務復帰が怖い…」愛子さまはカボチャ変装で大はしゃぎ!! 池田礼子さん宅でのハロウィンの夜に――>中吊り


2013年(平成25年)[]

2013.3月末 東宮一家・小和田夫妻・池田礼子一家、都内高級中華料理店(富麗華?)一人3万円のコースで会食

≪女性セブン5/27号ネット記事≫より引用始め~
小和田夫妻が日本にいたのには理由がある。それは、今回のオランダ訪問が決まるまでの約1か月間、休暇を取って日本に戻り、雅子さまと直接相談のやりとりをするためだった。(中略)「小和田さんは3月下旬に帰国されました。恆さんは帰国して間もない3月27日に、安倍晋三首相と面談しています。このとき、雅子さまのオランダ訪問について首相に相談されたそうです」(外務省関係者)その後はずっと東京に滞在していたのだが、3月末には、都内の高級中華料理店で皇太子ご一家と一緒に食事をされてもいる。「皇太子ご一家、さらに雅子さまの妹の池田礼子さん一家もお誘いになって食事会を開かれたようです。1人3万円のコースを召し上がったみたいですね。そこでもオランダ訪問の件が話題になって、恆さんが“行けそうですか?”と質問すると、皇太子ご夫妻は“そのつもりです”とお答えになったそうです。しかし、やはり雅子さまは困惑の表情をされていたみたいで…。恆さんは心配になったようで、それからオランダ訪問が決まるまで、雅子さまを励ますために何度も電話をしていたそうです。優美子さんも、ひそかに雅子さんのもとを訪れていたという話もあります」(前出・外務省関係者)~引用終わり

2013.5.1 オランダ新国王即位式、すったもんだで雅子オランダ渡航。5月1日在蘭邦人27名との面会欠席し、知人2名と、両親小和田恒・優美子とはご対面。

18時頃小和田恒・優美子夫妻がホテルオークラアムステルダム訪問、22時過ぎまで共に水入らずで過ごす【マコオタ画像集(雅子関係)36】
雅子オランダ訪問についてのごたごたと、その背後で暗躍する小和田恒の動きはこちら参照。

2013.6.9 徳仁雅子結婚20周年記念 食事会 <両陛下・秋篠宮両殿下・黒田清子さまご夫妻・池田礼子夫妻・渋谷節子夫妻が出席>

「天皇・皇后両陛下は9日、皇太子ご夫妻の結婚20年を祝う夕食会に出席されるため、赤坂の東宮御所を訪問された。夕食会には、秋篠宮ご一家が出席された他、黒田清子さん夫妻や雅子さまの妹の池田礼子さん夫妻と渋谷節子さん夫妻も出席したという。」≪NNN6/10≫

2013.8.10<情報確定待ち> 池田礼子宅で大東京華火大会鑑賞予定≪週刊新潮7/11号≫「愛子が楽しみにしている東京湾華火大会」≪週刊女性7/23-30号≫「麻布 50mおきくらいに警察官立ってる。。。。。?( ^・)何?」≪part2632-853ツイッター≫
2013.9.12 ご接見(万国国際法学会代表者)(東宮御所)「皇太子妃雅子の父、小和田恒・国際司法裁判所判事(80)も代表者の一人だった。」≪MSN産経皇室ウイークリー9/14≫
自分の父親との面会を公務にカウントする公私混同公務には出るが、同日の勤労奉仕団のご会釈欠席【選り好み
2013.9.16 小和田夫妻が東宮御所を訪問し「小和田会」

週刊文春10/3号<天皇皇后、秋篠宮ご一家の葉山ご静養には合流せず 雅子さま福島慰問直前 皇太子「小和田会」でのお立場>から引用始め~
 天皇と秋篠宮ご一家が葉山で過ごされていた十六日、東宮御所には雅子さまのご両親である小和田恒、優美子夫妻の姿があった。折悪く十六日は台風の関東接近が予想され、一度は参内が見送られたという。
「結局、小和田夫妻はいらっしゃることになりました。皆さんで軽食を召し上がり、小和田夫妻は、翌日オランダにお帰りになったそうです。雅子さまはその席で非常にご機嫌がよろしかったそうです。(東宮職関係者)」
 天皇皇后と秋篠宮ご一家がご静養中に開かれた『小和田会』。この対照的な構図に、千代田関係者は憂いを隠さない。
「相変わらず、東宮と両陛下の交流は少なく、“途絶状態”は続いています。最近では、皇室や皇位継承者としての在り方について両陛下がお伝えになりたいことを、秋篠宮殿下が代弁して皇太子殿下にお伝えしているようです。(千代田関係者)」
「今回も小和田夫妻との会食ではなく葉山合流を優先すべきだとご決断するのが皇太子の役目です。それなのに小和田家の予定を優先させている。まるで小和田家と一体のようです。(別の千代田関係者)」~引用終わり

2013.10.31<未遂> 毎年恒例“妹宅でのハロウィンパーティー”と秋の園遊会、翌日からの被災地訪問が重なり取り止め

「(岩手訪問に備えて)毎年妹の礼子宅で開かれる恒例のハロウィンパーティーも今年はしなかった」≪週刊女性11/19号≫
「ここ数年10月31日、皇太子ご一家は、雅子さまの妹の池田礼子さんのお宅でハロウィンパーティーに参加されています。そこで今年は園遊会の後にハロウィンのダブルお出まし、翌日から予定通り岩手県を訪問することも不可能ではありません。」≪週刊女性11/5号≫
「最近の雅子さまのご体調は絶好調。秋の園遊会に十年ぶりにご出席の可能性も。その日はハロウィンですから、妹の池田礼子さんのお宅で恒例のパーティーをなさるかもしれませんね。(東宮職関係者)さらに翌日からは泊りがけで岩手県への被災地訪問が予定されている。」≪週刊文春10/31号≫

秋の園遊会(赤坂御苑)は欠席→10/25時点で徳仁雅子共に出席予定なし≪朝日・皇室7days≫
「皇族方では皇太子さまや秋篠宮ご夫妻らが出席された」≪時事通信10/31≫
「園遊会には療養中の雅子さまは、欠席されました。宮内庁によりますと、11月1日から泊まりがけで、東日本大震災の被災地、岩手県を訪問するため体調に配慮したということです」≪TBS系ニュース10/31≫
園遊会日程が公開される前に、「公務がある」として同日の学習院の伊勢神宮に関する講演会臨席を断ったという報道があり、毎年恒例のハロウィンパーティーのために伊勢神宮関連公務を蔑ろにしたという憶測を呼ぶことに。<雅子さま決意の「学習院行事」お断り!>「学習院大学で伊勢神宮に関する講演会があるが、大学側は皇太子夫妻に臨席を申し込んだのに、公務があるとの理由で断りがあったそうだ」≪週刊女性10/1号≫

2013.12.9<情報確定待ち>  雅子50歳誕生日夕食会(東宮御所)《両陛下、秋篠宮両殿下、ご親族方》

週刊文春12/9号<雅子さま50歳お誕生日「V字回復」の未来>より引用~
「その日は、雅子さまお一人で天皇皇后両陛下をはじめとするご親族方をお迎えになったのです。ご体調が悪かった頃ならキャンセルされていたことでしょう。ご回復を実感いたしました。(東宮職関係者)」雅子さまが五十歳の誕生日を迎えられた十二月九日の夜、東宮御所では天皇皇后や秋篠宮ご夫妻ほかご親族を招いた御内宴が予定されていた。だが、皇太子は五日に死去したネルソン・マンデラ元大統領の追悼式出席のため、急遽、同日夕方に南アフリカに向けて出発されたのだった。しかし、御内宴は、皇太子ご不在のまま、予定通り恙なく行われたという。

2013.12.24  池田礼子宅クリスマスパーティーは愛子ひとりで出席

「例年であれば、クリスマスイブは、夕方から愛子さまとともに、妹の池田礼子さん(47才)一家が暮らすマンションを訪れられ、クリスマスパーティーをされるのだが、昨年は違った。当日は愛子さまおひとりでのお出かけでした。もちろん愛子さまが“親離れ”したこともありますが、雅子さまは、厳しい寒さの中、宮中祭祀をされる陛下と皇太子さまに配慮されて、外出を控えられたようです。やはりご進講を受けられたことが大きかったと思われますね。これまでの雅子さまなら、ご自身の私的な活動を優先されてきましたから」≪女性セブン1/23号/ネット記事≫
この日は歴代最後の女性天皇、後桜町天皇式年祭の儀(皇霊殿)雅子は当然欠席→12/13のご進講には雅子も出席→20日時点で徳仁のみ予定≪朝日・皇室7days≫
《陛下、徳仁、秋篠宮両殿下、眞子内親王、常陸宮両殿下、瑶子女王、高円宮妃、典子女王》《京都 後櫻町天皇山陵・彬子女王》が出席する天皇家と皇族一同総出の重要祭祀当日に、内親王の愛子を宅のクリスマスパーティーに行かせる行動は、祭祀よりクリスマス優先という雅子の脳内白人具合が分かる事件である。


2014年(平成26年)[]

2014.2.23 徳仁54歳誕生日夕食会(東宮御所)《両陛下、秋篠宮両殿下、眞子内親王、黒田様ご夫妻、雅子の妹家族》

<皇太子〈54歳誕生日会見〉前代未聞の「ご発言改ざん」騒動>「誕生日夕刻、ようやく騒動が収まった頃、東宮御所には天皇皇后や黒田清子さん夫妻、雅子さまの妹家族らがお集まりになり、内宴が催されたという。「この四月に愛子さまが進学される学習院女子中等科や、夜更かしをしながらご覧になったオリンピックについてお話しになったそうです」(別の宮内庁関係者)」≪週刊文春3/6号≫
「皇太子さまは23日、54歳の誕生日を迎え、両陛下も出席して誕生日を祝う夕食会が開かれました。両陛下は23日夜、夕食会に出席するなど、3時間余りにわたって皇太子ご一家のお住まい『東宮御所』でお過ごしになりました」≪ANN2/24≫
「毎年当日に東宮御所で両陛下や秋篠宮ご夫妻などを招待して内宴が開かれます。そのお食事メニューを決めるなどの段取りでお忙しかったそうです」≪週刊女性3/4号≫

2014.3.24-29 東宮一家の奥志賀スキー静養に、実妹池田礼子家族

<天皇皇后両陛下伊勢御参拝の最中 雅子さま奥志賀スキー旅行「雅子や愛子にも行ってほしい」美智子さまの思い届かず>
「宿泊先は奥志賀高原にある『ホテルグランフェニックス奥志賀』。雅子さまの妹、池田礼子さんのご家族もご一緒にいらっしゃるそうです。愛子さまとご年齢の近い息子さんがいますから、いとこ同士の交流も楽しみにされているのでしょう」(東宮職関係者)」≪週刊文春3/27号≫

2014.4.13 オール学習院の演奏会を小和田優美子・渋谷節子鑑賞、その後雅子愛子と合流≪女性セブン5/1号 オール学習院“父娘共演”の裏で――皇后美智子さま(79)との距離広げる皇太子妃雅子さま(50)「母優美子さん(76)と愛子さま(12)」の極秘面会≫

p.159より引用
 そんな雅子さまと少し離れた会場の隅で、愛子さまのご成長を眩しげな眼差しで見つめている婦人の姿があった。
「雅子さまのお母さまである小和田優美子さん(76才)が(雅子さまの)妹の渋谷節子さんと一緒に1階席の後方で鑑賞されていました。2人には東宮女官の岡山いちさんがずっと側に付いていました。そして演奏会が終わると楽屋に向かい、雅子さまと愛子さまと合流されたようです」(前出・宮内庁関係者)
p.159より引用
 両陛下が皇太子・同妃の時代には、週に1度は皇居に参内され、昭和天皇と香淳皇后から“帝王学”を学ばれた。
 しかし、皇太子ご夫妻が両陛下と会われるのは前述のような何かご用事があるときばかり…。皇室ジャーナリストの神田秀一氏はこう語る。
「今回の演奏会は取材設定こそありましたが、私的な外出です。そこで母親を呼び出し、家族の時間を持たれているだとしたら、皇太子妃としての自覚が希薄だといわざるを得ません。演奏会に出席できるのなら、公務に足を運ぶことも可能なわけですから。
 結局雅子さまが本当に頼りにされているのは誰なのか。美智子さまにとって雅子さまのご実家との距離の近さは悩みの種なのではないかと思いますよ。雅子さまが自分に心を開いてくれれば、もっと助言もできるわけですから……」

同日、愛子の【ごみ事件】発生。

2014.7.13  初めて両陛下の4人の孫が全員揃った陛下の傘寿を祝う皇后陛下主催の民族芸能公演を小和田恒と優美子夫妻も鑑賞

その後の昼食会にも参加したと思われる。《両陛下、皇太子一家、秋篠宮ご一家、高円宮一家、黒田ご夫妻、川嶋ご夫妻、小和田夫妻ら約130人》
「皇太子家の愛子さま、秋篠宮家の眞子さま、佳子さま、悠仁さまが報道陣の前で勢ぞろいするのは極めて珍しい」≪朝日7/13≫
「愛子さま、眞子さま、佳子さま、悠仁さまを含む天皇ご一家が、報道陣の前に姿を見せるのは初めてのこと。」≪FNN7/14≫
皇后陛下ご主催天皇陛下傘寿奉祝「日本の民俗芸能」(桃華楽堂)≪時事7/13≫≪動画7/13NHK/JNN/ANNFNN/NNN/7/14FNN≫
【暫定】天皇陛下傘寿奉祝午餐《皇族方、元皇族、ご親族》(宮殿)

2014.08.10<未遂>  毎年恒例の東京湾大華火祭の妹・池田礼子宅鑑賞お楽しみは、台風11号のため大会中止、結果として未遂。
14.10.31<情報確定待ち>  毎年恒例池田礼子宅ハロウィンパーティーは愛子のみ?

「元麻布はヨダレ単独っぽい イヤホン軍団はいない」≪Part2882-857≫

14.12.09<情報確定待ち>  雅子51歳誕生日夕食会(東宮御所)《両陛下、秋篠宮ご夫妻 など 》

※毎年恒例 池田礼子・渋谷節子夫妻ら雅子の招待親族の詳細は報道なし
<雅子さま51歳の誕生日 両陛下 皇太子ご一家と夕食(12/09 18:29)>「両陛下は9日午後6時ごろに赤坂御用地に入られ、今月2日に99歳の白寿を迎えられた三笠宮さまを訪問された後、皇太子ご一家と夕食をともにされるということです。」≪ANN12/9≫
「9日夜は、両陛下や秋篠宮ご夫妻などを招き、お祝いの夕食を共にされるという。12/09 20:32」≪FNN12/9≫
「雅子さまの51歳の誕生日を祝う夕食会が開かれ、天皇皇后両陛下や、秋篠宮ご夫妻などが出席された。12/09 21:28」≪FNN12/9≫
「夜には、お住まいの東宮御所に、両陛下や秋篠宮ご夫妻などを招き、お祝いの夕食会が開かれた。12/10 01:00」≪FNN12/10≫


2015年(平成27年)[]

2015.3.23-27<情報確定待ち> 東宮一家の4泊5日春スキー静養(長野県)
 ホテルグランフェニックス奥志賀23~28日まで全館満室【静養

<皇太子一家「4泊5日スキー旅行」は今年も危ういアイスバーン>「ほとんどの場合、礼子一家が同行する。笑顔になるので、皇太子は「治療効果あり」と考えるらしい。」≪週刊ポスト3/27号レポ≫「今年も3月23日から27日まで4泊5日の日程で長野県の奥志賀高原スキー場を訪問する予定です」(宮内庁関係者)≪週刊ポスト3/27号、NEWSポストセブン3/16≫

週刊ポストのスキー静養日程事前報道後、行きの新幹線をドタキャン
23日午後5時頃から春休みの高速・関越道を封鎖して車移動のツイッター情報多数≪part2941参照≫

<皇太子ご一家、長野で静養>「皇太子ご一家は23日夜、静養のため車で長野県入りされた。県北部のホテルに数日間滞在し、スキーなどを楽しむ予定。(2015/03/23-21:09)」長野県で静養のため、赤坂御用地を出発される皇太子ご夫妻と長女愛子さま=23日午後、東京都港区≪時事3/23、産経3/23≫
「23日午後、車でお住まいの東宮御所を出発されました。皇太子さまと雅子さまは車の窓を開けて集まった報道陣に笑顔で会釈をされ、23日から春休みに入った愛子さまも笑顔を見せられていました。」≪NHK3/24/同魚拓≫【(奥)】【順序が違うのではありませんか

出発同日、インドネシア大統領閣下及び同令夫人の宮中午餐(宮殿)と皇居・東御苑ご案内に雅子は欠席【同日シリーズ
※天皇陛下が21日から風邪の症状で一部ご公務取りやめ中、両陛下の24~27日3泊4日の7年ぶり御料牧場静養も23日取りやめ≪産経3/23≫

(2015年3月24日現在)



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