坂本九

ページ名:坂本九

登録日:2011/08/27(土) 00:30:36
更新日:2023/08/18 Fri 18:58:36NEW!
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坂本 九(本名・大島 九(おおしま ひさし) 1941/12/10~1985/8/12)は、日本の歌手・俳優・司会者である。
妻は女優の柏木由紀子で二人の娘に恵まれている。




【来歴】


1941年12月10日、神奈川県川崎市川崎区に生まれた坂本は、当時「九ちゃん」の愛称で親しまれていた。
「九」と書いて「ひさし」と読ませる本名は、再婚した父にとって9番目の子供であったことから名付けられた。
誕生日の1941年12月10日は、第二次世界大戦のマレー沖海戦が起こった日であり、坂本は第二次世界大戦中に幼少期を送った。
戦争中は母の実家のある茨城県笠間市に疎開、川崎在住時代に松あきら一家が坂本家の近所に転居・在住してきた時期があり、よく遊んであげていたらしい。


高校生の時に両親は離婚。
しかし互いの家が近所で家族での交流はほとんど変わらなかった。九など幼い兄弟は母親側に引き取られ、それから姓は坂本から大島に変わる。
また、この頃からエルヴィス・プレスリーに憧れており、特に物真似は他の人より抜きん出ていたらしい。
1958年5月にザ・ドリフターズ*1へ加入した坂本はギターを担当していたが脱退。
グループ移籍の後にダニー飯田とパラダイス・キングの一員としてビクターと契約した。
そして1959年6月にデビュー曲『題名のない唄だけど』を出すが不発に終わる。
また無名時代に平尾昌章、ミッキー・カーチス、山下敬二郎などが出演した日劇ウエスタンカーニバルに出演。事務所には無断で出演しバックでギターを弾いていたが、全く知られる事は無かった。



1960年7月に東芝レコード(当時は東芝音楽出版、現EMIミュージックジャパン)へ移籍。
その年の8月、移籍後初のシングルとして発売した『悲しき六十才』が10万枚の売り上げを記録、坂本は初ヒットを掴んだ。



【世界へ】


1961年に出した『上を向いて歩こう』*2が海外で異例の大ヒットを起こし、坂本の名前を世界へ広げた。
1963年には、『SUKIYAKI』というタイトルでアメリカでもっとも権威あるヒットチャート誌【ビルボード】の【Billboard Hot 100】で3週連続1位を獲得した。
なお、この【Billboard Hot 100】で1位を獲得した日本人(東洋人)アーティストは、2022年現在に至るまで坂本ただ一人だけである。
この曲は後に英語歌詞が付いたが、1位を獲得したのは九が歌う日本語版だけで、これまで唯一の例。


尚且つ、1964年には米国でのレコード累計販売枚数が100万枚を超えたために、日本人初の「ゴールドディスク」を坂本は受賞した。
こうして『上を向いて歩こう』のヒットにより坂本は、日本だけでなく海外までにもその名を広げる。


それにより国際的活動も増え、1964年の第18回オリンピック東京大会にはウェルカムパーティーへゲスト出演し、『サヨナラ東京』『君が好き』を歌う。


1970年の日本万国博覧会(大阪万博)の若手芸能人で万国博委員に起用され、さらに読売テレビ『クイズEXPO'70』の司会にも起用されるなど、タレント・司会者としても活躍。
そして1971年に結婚し、その年のNHK紅白歌合戦(奇しくも坂本が出演した最後の回となった)にも妻が応援に来てくれたりした。
また『上を向いて歩こう』ヒット後ひょんなことから北海道を中心とした小児麻痺撲滅チャリティー活動もする様になり、晩年は北海道に冠番組『ふれあい広場・サンデー九』も持つようになっていた。
1981年4月~1982年正月にはNTV系の人気オーディション番組『スター誕生』の三代目司会者も担当。坂本司会期の著名なデビュー者には中森明菜がおり、他にデビュー者を決める決戦大会に計2回参戦した事が切っ掛けで芸能界入りを果たした佐久間レイもいたり。



しかし、そんな坂本の最期は余りに突然だった……。





1985年8月12日、520名という未曽有の犠牲者を出した『日本航空123便墜落事故』に遭遇した坂本は、同行していたマネージャーと共に死亡。享年43。
シングル『懐しきlove-song/心の瞳』を発売して、まさに歌手活動を再び本格化させようとしていた矢先であった。


実は坂本は当時、国内移動の際には日本航空ではなく必ず全日空を使っていた。*3
坂本は事故に遭った日、友人の選挙応援の為に飛行機で大阪へ向かう予定だったが、本来はいつものように全日空を利用するつもりであった。
しかし当日、お盆の混雑の影響で全日空便が満席となり、どうしてもチケットを取ることができなかった坂本が仕方なく使用したのが、件の日本航空123便。
運が悪かっただけと言えばその通りなのだが、まるで事故に遭うことが宿命づけられていたかのような、気味が悪い経緯である。


航空事故の犠牲者の例に漏れず、この事故でも犠牲者の遺体は凄まじく損傷しており、身元の特定は困難を窮めた。
坂本の遺体も損傷が激しかったが、愛用品であった笠間稲荷神社のペンダントが遺体の胸にめり込むような形で残っていたことから身元が特定された。*4


坂本九の突然の死は音楽界のみならず、世の中に多大な衝撃を与えた事は想像するにたやすい。



そんな坂本の残した曲は後世にも強い影響を与えており、遺作となった『心の瞳』は横山潤子などにより編曲された。
また、ウルフルズによる『明日があるさ』はオリコン1位を獲得、坂本 九の楽曲を再び有名にさせる結果となった。


日本はかけがえのない人物を失った。




【シングル曲(主な物のみ)】


  • 題名のない唄だけど(1959年10月)
  • 悲しき六十才(1960年8月)

初のヒット曲。

  • ビキニスタイルのお嬢さん
  • 夢のナポリターナ(1960年12月)
  • 遙かなるアラモ
  • 砂漠の恋の物語(1961年1月)
  • GIブルース(1961年1月)
  • 九ちゃんのズンタタッタ(1961年3月)
  • 見上げてごらん夜の星を(1963年5月)

同名ミュージカルのテーマ曲。

  • 明日があるさ(1963年12月)
  • J.Qの歌(1965年)

ハンナ・バーベラプロ製作のアニメ作品『科学少年J.Q』のテーマ曲。

  • 夕焼けの歌(1975年)

NHKの人形劇『新八犬伝』の前期ED曲。

  • 仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌(1975年)

『新八犬伝』の後期ED曲。

  • 東京五輪音頭(1964年1月)
  • 上を向いて歩こう(1961年10月)

代表曲。

  • ボクの星(1962年8月)

映画『九ちゃん音頭』主題歌。

  • サヨナラ東京(1964年7月)
  • 君が好き(1964年7月)

上2曲は、東京オリンピックのウェルカムパーティーで坂本が各国選手団・外交使節団の前で歌唱したもの。

  • 世界の国からこんにちは(1967年3月)
  • 何かいいことありそうな(1976年10月)
  • ぶっちぎりNO文句(1983年11月)

XQS(エクスキューズ)という名義の覆面歌手として歌った曲。発売当時は正体が非公表だったが現在は死後に発売された坂本九名義のアルバムCDで聞く事ができる。当時テレビ東京ではなんと坂本がタキシードに下半身はタイツと革靴、頭には目と口だけ穴を空けた紙袋を被った出立ちで歌うMVが放送されて視聴者に強烈なインパクトを与えた。MVは今もYouTubeで見る事が出来る。

  • 懐しきlove-song/心の瞳(1985年5月)

3ヶ月後の日本航空123便墜落事故で結果的に遺作となった曲。




【余談】


  • 2005年8月『上を向いて歩こう坂本九物語』というタイトルで単発ドラマが放送された。九ちゃん役は当時TOKIOメンバーだった山口達也が務めた。

  • 最新技術を駆使し平井堅が九ちゃんと当時の音源でデュエットした『見上げてごらん夜空の星を』を発売。PVや歌謡祭ではCGながらも共演を果たしている。

  • 日航は前述の事故以来、機内放送で坂本の曲を流さないことを徹底しているという。



上を向いて歩こう
涙がこぼれないように
泣きながら歩く一人ぽっちの夜


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  • あの飛行機に乗らなければ・・・・・。(TT) -- 名無しさん (2014-02-08 13:53:32)
  • 明石家さんまのように偶然乗らなくて助かったという人もいればこういう人もいるんだよな・・・。人の運命って分からんな。 -- 名無しさん (2014-11-30 10:48:04)
  • あまりにも酷い結末。誰かに運命をすり替えられたとしか思えない。死ぬべき人が死なず、死なないべき人が死んだ -- 名無しさん (2015-04-11 13:37:17)
  • ↑本当に惜しい人を亡くしたと思うけど死ぬべき人とか、そのような言い方はやめろ -- 名無しさん (2015-07-08 17:20:24)
  • ↑最初から死んでいい人間なんて一人もいない。いるはずがないんだ -- 名無しさん (2015-07-08 20:01:24)
  • 呆気ないという一文が少し気になったんで修正しました -- 名無しさん (2015-12-31 06:46:29)
  • 【最後に】とか要らんくね? -- 名無しさん (2015-12-31 08:01:10)
  • ↑3,4 まぁ、確かにそうだよね。死んでいいかどうかは、生まれてきてから、どう生きたかで決められることだから。 ところで、自分はこれと同日か前日ぐらいに飛行機で帰ってきたんだよね。本当に運命はわからん…… -- 名無しさん (2015-12-31 09:36:40)
  • ↑自分はこないだ死んだ祖父や高校の時のクラスメートの父親がそれぞれあの飛行機に乗る予定だったと聞いて驚いた記憶がある。生まれる前なのでもしかしたら祖父の顔を知らず、そのクラスメートは生まれることすらなかったかもしれないと思うと・・・。 -- 名無しさん (2015-12-31 09:52:33)
  • 有名司会者だった逸見さんも乗る予定だったんだっけ。奥さんがやめようって言いだして新幹線に変えて助かったとか。せめて飛行機に空きがなければ坂本さんも・・・ -- 名無しさん (2019-07-09 03:04:30)
  • 「心の瞳」は今はYouTubeやストリーミングサービス等で気軽に聴くことができるが、ほとんど歴史上の人物みたいなイメージがあった坂本九が普通に80年代っぽいバラード歌謡曲を歌ってるというのが何度聴いても不思議に感じる。今や合唱用の曲としても有名なわけだし。 -- 名無しさん (2023-03-22 13:39:00)

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*1 いかりや長介等現在知られるメンバーが加入する前の元型的バンドで、主に歌手の井上ひろしのバックを務めていた。
*2 NHKの番組『夢であいましょう』の挿入歌で海外ヒット後の特集映像が現存している。
*3 俳優の古谷一行は、生前の坂本から「飛行機で怖い思いをした」という話を聞いたことがあり、また妻も「夫は以前から日本航空の企業体質などに不満を抱いており、日本航空の便には乗ろうとしなかった」と語っている。
*4 坂本は幼児の頃母と共に鉄道事故に巻き込まれ九死に一生を得ており、それ以来「笠間稲荷の神様が自分たちを救ってくれた」として笠間稲荷神社を篤く信仰していたという。

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