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灰ヶ峰展望台(灰ヶ峰防空砲台跡) - 呉市周辺の遺構まとめ

灰ヶ峰展望台(灰ヶ峰防空砲台跡)呉市の象徴的な山である灰ヶ峰「呉市で2番目に高い山」こと灰ヶ峰ですが太平洋戦争中は山頂に呉鎮守府所属の防空砲台がありました。砲台は基本的に山の上に作られますがここ灰ヶ峰は標高737mと周りの山に比べて飛び抜けて高い山です。しかし、海軍の砲台があるこ

地区別 - 呉市周辺の遺構まとめ

中学校(旧第11航空廠横路工員宿舎) 第11海軍航空廠白石隧道地下工場跡 灯火管制塗装された木造住宅北部北部 二河峡取水口(呉鎮守府水道) 灰ヶ峰展望台(灰ヶ峰防空砲台跡) 本庄水源地(本庄ダム) 鉄管道路 長ノ木隧道 東辰川の防空壕跡倉橋島倉橋島 音戸の瀬戸と音戸大橋 坪井(戦

冠崎砲台跡 - 呉市周辺の遺構まとめ

ました。(巡洋艦最上の砲塔とする資料もあり)昭和20年2月に完成し15.5cm三連装砲という防空砲台には大きすぎる砲塔が1基配備されました。灰ヶ峰砲台や高烏台砲台など呉周辺でよく使われている砲塔は12.7cm連装高角砲、広の螺山砲台が10cm連装高角砲なのでどれだけ巨大な砲塔なの

江波山気象館(旧広島気象台) - 呉市周辺の遺構まとめ

ことができます。現在は広島市の指定重要文化財として気象に関する博物館となっており毎年夏休みになると多くの子供達が訪れます。余談ですが、呉市の灰ヶ峰気象レーダーも広島地方気象台の管轄観測所でした。原爆の爆風を受けた外壁北東側の外壁昭和20年8月の原爆投下の際に爆風を受けた外壁が保存

三津峰山防空砲台跡 - 呉市周辺の遺構まとめ

月に普通科砲術訓練生用の13mm機銃30基が応急配備されました三津峰山から望む呉市三津峰山の展望台からの眺め三津峰山は標高378mと北にある灰ヶ峰の半分程度の高さですが視界が開けているため防空砲台が作られたと思われます。眼下にあるのは日新製鋼呉製鉄所(旧呉海軍工廠廠製鋼部・魚雷実

大空山公園(大空山砲台跡) - 呉市周辺の遺構まとめ

205mと砲台を作るにはやや低い山ですが南に瀬戸内海、東は広市街地と視界は開けているため砲台が作られたと思われます。また、大空山の後ろにある灰ヶ峰にも太平洋戦争中に防空砲台がありました。倉庫砲台跡から100mほど降りた三叉路にあるカマボコ型の倉庫です。通常、砲台にある倉庫は火薬等

二葉山砲台跡 - 呉市周辺の遺構まとめ

二葉山二葉山は広島駅の北にある標高139mの山広島市は太田川に流れる砂が溜まってできた三角州の都市で、元々島であったところを除けば旧市内の山はこの二葉山が最南端のとなります。山としては小さな山で20分程度で登頂できます。また、江戸時代より広島東照宮や金光稲荷神社が作られ広島駅から

平原浄水場低区配水池 - 呉市周辺の遺構まとめ

平原浄水場低区配水池灰ヶ峰の南麓にある『呉鎮守府水道』の浄水場平原浄水場低区排水池は、同じ呉鎮守府水道の本庄水源地の関連施設として本庄水源地と同じく大正7年に操業を開始しました。当初本庄水源地は軍用水道である呉鎮守府水道の水源地として建設されたため呉市民は水道を使うことはできませ

呉の名店 - 呉市周辺の遺構まとめ

しました。当初は呉市稲荷町に工場がありましたが、昭和14年からここ天応に移転し現在も万年筆を製造しています。海軍さんの麦酒平成8年創業の会社灰ヶ峰の湧き水で作った呉の地ビールです。特に旧海軍に起源があるかどうかは不明です。※このお店は閉店しました福住フライケーキ(他県では「あんド

全国の地名の発音 - ある滋賀県民の方言覚書き

イッターで観察された指摘は、草津(映画では頭高型、地元では中高型)、長ノ木(映画では「ながの'き」、地元は「なが'のき」)、灰ヶ峰(映画では「はいが'みね」、地元は平板型)など。 本通り(広島):ほんどーり= 山口:や'まぐち 県を指す場合

旧澤原家住宅(三ツ蔵) - 呉市周辺の遺構まとめ

旧澤原家住宅(三ツ蔵)旧長ノ木街道に面した国の重要文化財澤原家は江戸時代から続く呉市の庄屋でこの独特の外観の蔵も旧澤原家のものです。灰ヶ峰への入口という市街地寄りの場所にありますが、太平洋戦争末期の市街地への空襲では奇跡的に被害を受けませんでした。また、前蔵ばかり有名ですが江戸時

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