真蹟遺文で使われている漢字の名詞ランキング_3文字以上編 - あなごクンのうぃき
為極2法華亦爾2法華一乗2法相源仁2法界唯心2法欲滅時2況復余耶2治術之旨2治方亦経2治十三年2治世語言2沈没在於2汝慎伝弘2汝当聴説2永信法印2水火天地2水大百一2水中之月2殺阿羅漢2殺害相加2此語用否2此経法者2此三種身2正道之侶2正道之人2正法治国2正月一日2正嘉年中2正八
為極2法華亦爾2法華一乗2法相源仁2法界唯心2法欲滅時2況復余耶2治術之旨2治方亦経2治十三年2治世語言2沈没在於2汝慎伝弘2汝当聴説2永信法印2水火天地2水大百一2水中之月2殺阿羅漢2殺害相加2此語用否2此経法者2此三種身2正道之侶2正道之人2正法治国2正月一日2正嘉年中2正八
汰]S大威徳法[観厳僧正S伴僧八口S七條院S御沙汰]S転輪聖王法[成賢僧正S伴僧八口S同院S御沙汰]S十壇大威徳法[伴僧六口S覚朝僧正S俊性法印S永信法印S豪円法印S猷円僧都S慈賢僧正S賢乗僧都S仙尊僧都S寛覚法眼S以上十人大旨本坊S於S之S修S]S如意輪法[妙高院僧正S伴僧八口
為極2法華亦爾2法相源仁2法界唯心2法然聖人2法欲滅時2法常住経2況復余耶2治方亦経2治世語言2江河逆流2汝等比丘2汝慎伝弘2汝当聴説2永信法印2水火天地2水大百一2比丘有っ2毀呰軽賎2殺阿羅漢2此語用否2此経法者2此三種身2正雑二行2正観果報2正法治国2正月一日2正教衰薄2正在
為極2法華亦爾2法華一乗2法相源仁2法界唯心2法欲滅時2況復余耶2治術之旨2治方亦経2治十三年2治世語言2沈没在於2汝慎伝弘2汝当聴説2永信法印2水火天地2水大百一2水中之月2殺阿羅漢2殺害相加2此語用否2此経法者2此三種身2正道之侶2正道之人2正法治国2正月一日2正嘉年中2正八
れ、既に「次郎長もの」の映画を手掛けた経験のあったマキノ雅弘が監督となった。主演の次郎長には東宝社長の小林一三からの指名で小堀明男が選ばれ、法印大五郎役の田中春男、そして石松役の森繁久彌は田崎と同じく自ら志願しての出演となった。こうしてシリーズ第一作「次郎長三國志 次郎長賣出す」
(50巻)求那跋陀羅訳(←雑阿含)No100 別訳雑阿含経(16巻)失訳No101 雑阿含経(1巻)失訳No102 五蘊皆空経No103 聖法印経(←慧印経・聖印経・阿遮曇摩文図経)No104 法印経No105 五陰譬喩経(←水沫所漂経・五陰喩経)No106 水沫所漂経(←聚珠譬
>NHKニュース連結画像、東日本大震災被災地の伝統芸能を通じて復興支援の輪を広げようという国立劇場企画のもの2013年2月2日民俗芸能「雄勝法印神楽」鑑賞、国立劇場監事室に入って来る徳仁雅子と、客席側を上目遣いニラニラ表情で見ている雅子。「当初は皇太子さまお1人の予定だったが、雅
、日本の氏族。約3つの系統が存在する。小俣氏 (下野国) : 下野小俣氏とも呼ばれる。足利氏(下野源氏)一門で、足利泰氏の子の小俣賢頼(賢宝法印)[1]を祖とする。下野国足利郡小俣郷[2]を本拠地とした。この系統から、甲斐小俣氏と丹後小俣氏が分かれた。小俣氏 (伊勢国) : 伊勢
A. 四法印とは、仏教の教えを簡潔にまとめたもので、以下の四つの法印を指します。1. 諸行無常(しょぎょうむじょう)すべてのものは常に変化し続け、永遠不変のものは存在しないという教え。2. 諸法無我(しょほうむが)すべての存在には「我」はなく、すべては相互依存の関係にあるという教
A. 仏教において、三法印とは、仏教の教えが真理であることを示す3つの基本的な教義を指します。参考URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%B3%95%E5%8D%B0
子、斯波家氏・渋川義顕(兼氏)・頼氏・一色頼深(よりとお、公深阿闍梨)・上野義弁(よしあり)[1]・伊豆密巌院別当覚海/覚玄・小俣賢頼(賢宝法印)[2]・顕実/賢実法印・賢弁法印・氏継[3]の弟、信氏・兼氏・伊豆密巌院別当覚遍・足利尊氏(高氏)室[4]の父。今川基氏 : 三河吉良
紀子妃殿下の悪辣な都市伝説を大声で触れ回っていたなる書き込み19 どこまで本当かは不明だが、2013年2月2日国立劇場での宮城県石巻市「雄勝法印神楽」鑑賞に際して、“「小迫(おばさま)の延年の舞」をプログラムで見て「え、これおばさまって読むの?あはははははオバサマ?オバサマ?アヒ
、斯波家氏・渋川義顕(兼氏)の異母弟、一色頼深(よりとお、公深阿闍梨)・上野義弁(よしあり)[1]・伊豆密厳院別当覚海/覚玄・小俣賢頼(賢宝法印)[2]・顕実/賢実法印・賢弁法印・氏継[3]・加古基氏の異母兄、家時(義忠/義忍禅師)の父。喜連川頼氏 : 幼名は龍王丸。小弓公方の小
父。渋川義顕 : 初名は兼氏。足利泰氏の子、斯波家氏の弟、頼氏・一色頼深(よりとお、公深阿闍梨)・上野義弁(よしあり)[4]・小俣賢頼(賢宝法印)[5]・伊豆密厳院別当覚海/覚玄・顕実/賢実法印・賢弁法印・氏継[6]・加古基氏の兄、義春の父。脚注[]↑美濃畠山氏の祖。↑ 国氏(時
けられる紀子妃殿下2015年5月20日金剛峯寺にご到着された秋篠宮両殿下2015年5月20日金剛峯寺にご到着され、総本山金剛峯寺 座主猊下、法印御房、本山執行長をはじめ塔頭寺院住職、高野町長らのお出迎えを受けられる秋篠宮両殿下2015年5月20日金剛峯寺にご到着、座主猊下、法印御
る。渋川義顕 : 初名は兼氏。足利泰氏の子、斯波家氏の弟、頼氏・一色頼遠(よりとお、公深阿闍梨)・上野義弁(よしあり)[1]・小俣賢頼(賢宝法印)[2]・伊豆密厳院別当覚海/覚玄・顕実/賢実法印・賢弁法印・氏継・加古基氏の兄、義春の父。足利兼氏 (麻植足利家) : 上記の足利泰氏
慈林村→安行村大字慈林→川口市大字安行慈林現在の地名:川口市大字安行慈林法印前(ほういんまえ):現存。安行慈林法印前遺跡がある。一身ノ口(いちみのくち):現存。上村中(かみむらなか):現存。安行慈林上村中遺跡がある。下村中(しもむらなか):現存。安行慈林下村中
t_Spring_Spirit_Summoning.png 元素スキル: 仰霊威召将役呪氷元素攻撃のダメージバフ4段階突破の固有: 縛霊通真法印 (押す)Talent_Spirit_Communion_Seal.png 4段階突破の固有: 縛霊通真法印 (押す)元素スキルと元素爆
の 命とも しらでや人の 我をまつらむ (菊池入道寂阿)062.はなさかん ころはいつとも しらくもの ゐるをしるべに みよしのゝ山 (吉水法印宗信)063.治れる 世にあふ坂の 関の戸は 月影ならで さすよはもなし (左兵衛督直義)064.我家の 風ならなくに 和歌の浦の 波ま
おとせぬ 秋もあらば 涙のほかに 月は見てまし (入道二品親王道助)006.心をも 跡をもとめず あくがれて あはれうき身の 友千鳥かな (法印公順)007.たかせさす 六田のよどの 柳原 みどりもふかく かすむ春かな (権中納言公經)008.鷲の山 いかにすみける 月なれば い
へて 何ならむ まみえぬ為に おくる黒髪 (木下長嘯子室)096.常にこそ 曇るもいとへ 今宵ぞと 思ふは月の ひかりなりけり (徳善院玄以法印)097.をさまれる 御代ぞと思ふ 松風に 民の草葉の 猶なびくなり (秀次公)098.八干代ふれ 只辛崎の 一つ松 植ゑしわが身は 雲
こそあふけ 九重の 今宵の月を みるにつけても (小早川隆景)098.いにしへも 今もかはらぬ 世の中に 心のたねを のこす言の葉 (従二位法印幽斎)099.ささずとも たれかは越えむ あふ坂の 関の戸うづむ 夜半のしら雪 (藤原政宗)100.吉野山 たれとむるとは なけれども
を 迎へ申て かれもまた 飛つくほとに 思ふよろこび (山口心牛)098.音にのみ 遠くもきくの 香をとめて えならぬ花の 色をこそ見れ (法印寛常)099.みるめなき あらのゝ菊に 宮人の 袖ふれんとは おもひかけきや (橘千蔭)100.沖津鳥 かもつく島に よる波の なみなら
世にしあれば 心のまゝに 我はすぎまし (赤堀水之助)043.突けば槍 うてば鳶口 ひけば鎌 何につけても のがさざらまじ (宝蔵院覚禅房法印胤栄)044.似つかずと 人はいふとも 国の恩 報ゆるわざを しらでやはある (権律師禅栄坊胤舜)045.世の望み 今は足りたり 秘めお
746 亀山院御灌頂記釈家部 746 後宇多院御灌頂記釈家部 747 中御室御灌頂記釈家部 747 尊快親王御灌頂資記釈家部 748 遍智院法印灌頂資記釈家部 748 中性院法印灌頂資記釈家部 748 蓮蔵院僧正実深灌頂資記 ※『和漢図書分類目録』に記載なし。釈家部 748 尊性
)神祇部 32 文永六年兼文宿袮勘文神祇部 32 大永五年石清水八幡遷宮日時定神祇部 32 永享十年石清水放生会記神祇部 32 貞応二年宗清法印立願文神祇部 32 嘉禄元年宗清法印立願文神祇部 33 嘉元年中賀茂祭記神祇部 33 延文元年賀茂臨時祭記(兼綱公記、園太曆抄出)神祇部
海士の 袖濡れて ほすまも知らぬ 身の業ぞうき (大猷院贈太政大臣)002.秋の野の 露さへ寒き 草むらに なほゆふ霜を まつ虫の声 (二位法印玄旨)003.わけ濡れし 小鹿の跡か 一とほり 花に露なき 秋の萩原 (平常縁)004.かくばかり 遠きあづまの 富士の根を 今ぞみやこ
A. 雄勝法印神楽は、宮城県石巻市(旧・雄勝町)に伝わる民俗芸能の神楽です。参考URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%84%E5%8B%9D%E6%B3%95%E5%8D%B0%E7%A5%9E%E6%A5%BD
長男として江戸に生まれた。通称は庄三郎で、諱は養信。会心斎、玉川とも号す。画法を父に学び、文政2年(1819)法眼に叙され、家督を継ぐ。のち法印に進み、晴川院と称す。弘化3年(1846)歿す。享年51歳。 注1)『Discover Japan』(2012年8月号)70頁
応を起こして死亡してしまう事も。実は分離させた大蛇丸自身の意思も仙術チャクラとして混ぜており、バックアップの役割も兼ねている。これにより解邪法印による外部からの干渉ありきではあるが、楔と同様に後の復活を可能としている。しかし楔のような重複防止機能はないため、サスケから復活した個体
園摂政百首(二条良基)慶運百首(慶運)経乗詠百首(経乗)宋雅百首(飛鳥井雅縁)入道大納言雅世卿百首(飛鳥井雅世)蜷川親当百首(蜷川親当)尭孝法印百首(尭孝)尭孝一夜百首(同)正徹百首(正徹)正徹百首(同)日吉社宝前詠百首(同)正徹百首(同)南都百首(一条 兼良)心敬雑題百首(心敬
可依時儀。勝圓法橋寧王。二條關白家にて布衣衣袴を着て參たりけるを。人/\とがめて止たりけり。されど後々には蒙御免て又着けり云々。彼院御時增圓法印薄墨絹衣袴にて御會に參りたりけるをば。法印以上の房官などは。さてもありなんと御汰沙云々。是房官は不可准侍。仍衣袴着用不及子細者也。予云。
)続歌仙落書越部禅尼消息(俊成卿女)八雲口伝(藤原為家)詠歌一体(同)三賢秘訣小点和歌簸川上(弁入道真観)和歌庭訓抄蓮性陳情(六条知家)定為法印申文夜の鶴(阿仏尼)和歌口伝(源承法眼)和歌用意条々遂加(慶融)為兼卿和歌抄(京極為兼)延慶両卿訴状和謌密書三眇抄野守鏡(六条有房)和歌
祐)秋夢集(藤原為家女)沙弥蓮愉集(宇都宮景綱)隣女集(飛鳥井雅有)為信集(藤原為信)三位中将公衡集(西園寺公衡)権中納言実材卿母集拾藻鈔(法印公順)実兼公集(西園寺実兼)権大納言俊光集(藤原俊光)為兼卿集(京極為兼)為兼卿遠所詠歌為兼卿家集(北川真顔)権大納言典侍集(従二位為子
井)の俳句/80p〔鯉屋杉風〕此の暮も亦繰返し同し事(俳句)/81p〔鯛屋貞柳〕油烟斉の由来/82p〔鯛屋貞柳〕狂歌/83p〔上島鬼貫〕玄旨法印に劣らぬ才力/85p〔中川乙由〕椿の落花と風流の考へ/86p〔中川乙由〕見竜、発句も附句も麦林に及ばす/87p〔中川乙由〕我欲は妙句を惜
元良親王集 群書類従20出観集(入道二品親王覚性)群書類従264珍誉集(法印珍誉)続群書類従444北院御室御集(守覚法親王)群書類従265守覚法親王百首高台院和歌集(道助法親王)雅成親王集澄覚法親王集尊円法親王百首瓊玉和歌集(宗尊親王)群書類従230柳葉和歌集(宗尊親王)東関三百
田畠名詞-普通名詞-一般11無尽名詞-普通名詞-一般11烈士名詞-普通名詞-一般11災禍名詞-普通名詞-一般11法盛名詞-固有名詞-一般11法印名詞-普通名詞-一般11殺害名詞-普通名詞-一般11武士名詞-普通名詞-一般11根源名詞-普通名詞-一般11本経名詞-普通名詞-一般11
明十四年将軍家歌合慈照院殿御自歌合四十四番歌合書抄殿中十五番御歌合正広三百六十番自歌合十番歌合明応元年歌合公武歌合武家六十番歌合地下歌合尭孝法印自歌合岩山道堅法師自歌合豊原統秋自歌合素純百番自歌合三十六番歌合蜷川親孝家歌合大永歌合十市遠忠三十六番自歌合十市遠忠五十番自歌合十市遠忠
7年4月22日*41)廿五日(ユリウス暦1207年4月23日*42)仁王会。*43廿六日(ユリウス暦1207年4月24日*44)興福寺権別当法印権大僧都信宗、職を辞す。尋で、寂す。*45廿七日(ユリウス暦1207年4月25日*46)廿八日(ユリウス暦1207年4月26日*47)廿
]の13世の祖。脚注[]↑ 為進(ためのぶ/ためみち/ためゆき、大太郎)の父。↑ 資光の父。↑ 3.03.1 駿河伊達氏の祖。↑ 貞暁(鎌倉法印)の生母。↑ 『古代氏族系譜集成』(宝賀寿男/古代氏族研究会/1986年)が引用する『新編常陸国誌』より。↑ 頼朝の甥で、義経の子。↑
の玄孫、土岐国房の曾孫、光国(師時)[1]の孫、光信[2]の子、光基・光重(深栖冠者)[3]・光長の弟、国時・信保(信泰)・宗清(石清水八幡法印・宋清)の兄。肥田光慶 : 法号は顕智入道、通称は浅野小三郎。上記の光国の後裔で、美濃肥田氏の当主の肥田光時[4]の曾孫、光房(浅野次郎
の父。↑ 『吾妻鏡』文治5年8月8日の戦いの条項より。↑ 資光の父。↑ 駿河伊達氏の祖で、後裔に陸奥宗光(紀伊伊達氏)がいる。↑ 貞暁(鎌倉法印)の生母。↑ 『古代氏族系譜集成』(宝賀寿男/古代氏族研究会/1986年)が引用する『新編常陸国誌』より。↑ 頼朝の甥で、義経の子。↑
触穢。*31二十日(ユリウス暦1207年5月18日*32)廿一日(ユリウス暦1207年5月19日*33)上皇、神泉苑に御幸あらせらる。*34法印信憲を興福寺権別当に補す。*35廿二日(ユリウス暦1207年5月20日*36)伊勢外宮仮殿遷宮。*37院御所に於て、最勝講を行はる。*3
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日(ユリウス暦1207年11月15日*32)廿五日(ユリウス暦1207年11月16日*33)承元と改元す。是日、赦を行ふ。*34前無動寺検校法印良尋寂す。*35廿六日(ユリウス暦1207年11月17日*36)廿七日(ユリウス暦1207年11月18日*37)廿八日(ユリウス暦120
゙ャーヤー 経典」より》仏教関連(原始仏典から抜粋)※TOPページ「仏教とハイリアリティ」 に、関連事項があります。◆仏教の根本理念(四法印)※この順番に、意味があると思われます。【諸行無常】 (縁起している)この世のものごとは絶えず変化する 。【一切皆苦】 現れた世界のすべ
して知名度が上がった[4]。また、茶道などの芸事だけではなく、学問にも優れ、特に儒学を好み藤原惺窩や林羅山に師事した。後にその功を認められて法印(法眼)となった[5]。板垣信憲 : 別称は信重/信里、通称は弥次郎。源姓板垣氏の当主の板垣信方(信形)の子、信興(清三郎)・信広・酒依
賊者當受刑獄之法事428.琵琶名物元興寺事429.盜人聽博雅三位篳藁而改心事430.海賊臨篳藁師用光吹調子而感淚事431.澄憲法印教化奈良山賊事432.女賊病臥朱雀門上事433.檢非違使別當隆房家女房強盜事露顯而禁獄事434.中納言兼光檢非違使別當時內
之事466.後京極良經催曲水宴,未至其日而薨逝事467.中御門中納言宗行于菊川遊女家之柱書秀句,和歌事468.後高倉院七七日忌御佛事時,聖覺法印唱御追善文事469.壬生二位家隆詠七首和歌而往生事,附侍從隆祐詠歌事470.四條天皇崩御並御葬送事471.侍從隆祐聞明義門院並陰明門院薨
經事057.西行法師入大峰行難行苦行事058.蓮華王院後戶邊功德出水事059.平清盛於福原向持經者千僧轉讀法華經事060.澄憲法印祈雨事061.解脫房不談法文宗義事062.鎌倉右大將善光寺如來定印來迎拜印事063.源空上人念佛往生事并請公胤僧正上人為導