古今集百人一首 - いにしえwiki
まらぬ 白玉は 人を見ぬめの 泪なりけり (安倍清行朝臣)055.かきくらし 降る白雪の 下きえに 消えてものおもふ 頃にもあるかな (壬生忠岑)056.はかなくて 夢にも人を みつるよは あしたの床ぞ おきうかりける (素性法師)057.ことに出て いはぬばかりぞ みなせ川 下
まらぬ 白玉は 人を見ぬめの 泪なりけり (安倍清行朝臣)055.かきくらし 降る白雪の 下きえに 消えてものおもふ 頃にもあるかな (壬生忠岑)056.はかなくて 夢にも人を みつるよは あしたの床ぞ おきうかりける (素性法師)057.ことに出て いはぬばかりぞ みなせ川 下
ながら 明けぬるを 雲のいづこに 月やどるらむ (清原深養父)035.春立つと いふばかりにや み吉野の 山も霞みて けさは見ゆらむ (壬生忠岑)036.吹く風を 勿来の関と おもへども 道もせにちる 山さくらかな (源義家)037.ほのぼのと 有明の月の 月影に 紅葉ふきおろす
議篁)登場人物:小野篁たかむら、小野比右子ひうこ和歌物語 三ありあけの つれなく見えし 別れよりあかつきばかり うきものはなし(30番 壬生忠岑)登場人物:壬生忠岑、藤原満子和歌物語 四人はいさ 心も知らず ふるさとは花ぞ昔の 香ににほひける(35番 紀貫之)登場人物:紀貫之、椿
松を秋風 吹くからに 声うちそふる 沖つしら波 (凡河内躬恒)033.み吉野の 山の白雪 ふみわけて 入りにし人の おとづれもせぬ (壬生忠岑)034.君が植ゑし ひとむらすすき 虫の音の しげき野べとも なりにけるかな (御春有輔)035.わが宿の 梅の立枝や 見えつらむ 思
や折らむ 初霜の おきまどはせる 白菊の花 (凡河内躬恒)027.春立つと いふばかりにや みよし野の 山もかすみて けさはみゆらむ (壬生忠岑)028.朝ぼらけ ありあけの月と 見るまでに 吉野の里に 降れる白雪 (坂上是則)029.山川に 風のかけたる しがらみは 流れもあへ
A. 平安時代前期の歌人。壬生忠岑は、壬生忠岑とも表記されます。参考URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%AC%E7%94%9F%E5%BF%A0%E5%B2%91
はつしもの おきまどはせる しらぎくのはな(凡河内躬恒)030.ありあけの つれなくみえし わかれより あかつきばかり うきものはなし(壬生忠岑)031.あさぼらけ ありあけのつきと みるまでに よしののさとに ふれるしらゆき(坂上是則)032.やまがはに かぜのかけたる しがら
A. 平安時代の歌集で、撰者は紀貫之、紀友則、凡河内躬恒、壬生忠岑の4名です。参考URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%8A%E5%92%8C%E6%AD%8C%E9%9B%86
はつ霜の おきまどはせる しら菊の花 (凡河内躬恒)030.春たつと いふはかりにや み吉野の 山もかすみて けさはみゆらん*12 (壬生忠岑)031.朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに よし野の里に ふれるしら雪 (坂上是則)032.山川に 風のかけたる しがらみは ながれもあ
『どうけ百人一首』・『神社仏閣 江戸名所百人一首』と並ぶ、近藤清春の「百人一首」シリーズのひとつ。今様職人尽百人一首の全首一覧001.のきのけた かりほぞあなの のみをゑらみ はかてしどもの せいをだしつつ*1 (てんちてんわう)002.かるすぎて のふじよのげいを うらやむも
初顔の 気をまどはせる まね出しの端 (凡河内躬恒)030.うちかけの 勝ちなく見えし わかれより 打ち継ぐばかり 憂きものはなし (壬生忠岑)031.朝ねぼけ わが運の尽きと 見るまでに よべの徹夜に あたまものうき (坂上是則)032.山師棊に 賭物をかけたる いきさつは
日本歌学全書第1編古今和歌集 巻第1-20(紀貫之等奉勅編) 紀貫之集 第1-10(紀貫之) 躬恒集(凡河内躬恒) 紀友則集(紀友則) 忠岑集(壬生忠岑)第2編後撰和歌集 巻第1-20(大中臣能宣等奉勅編) 元輔集(清原元輔) 能宣集(大中臣能宣) 順集(源順) 内裏歌合 小野宮
と の よりとも)源頼政(みなもと の よりまさ)三原王(みはらのおおきみ)御春有助(みはる の ありすけ)壬生忠見(みぶ の ただみ)壬生忠岑(みぶ の ただみね)生部道麻呂(みぶべ の みちまろ)宮川松堅(みやかわ しょうけん)明恵(みょうえ)タグ一覧: カウンターページ全体
) 藤原濱成倭歌作式 喜撰和歌式 孫姬石見女式新撰萬葉集序 菅原道眞・源當時古今和歌集兩序 紀貫之・紀淑望新撰和歌序 紀貫之和歌體十種 壬壬忠岑和歌十體 源道濟類聚證 藤原實賴新撰和歌髓腦新撰髓腦 藤原公任九品和歌 藤原公任能因歌枕(略本) 能因能因歌枕(廣本) 能因隆源口傳 隆
2-07-25 19:42:55)#comment*1 同様に、崇徳院の「瀬を早み」なども落語になっている*2 ただし、忠見の父親である壬生忠岑は860年頃に生まれたとされているので、忠見自身歌合の時点でも高齢の可能性がある。ひょっとしたらひょっとするかもしれない。*3 承久の乱
想を乗り越えるべく「笑い」の研究に入り、いくつかの論文を発表したが、これは完成しなかった。30代後半から日本の古典美学への関心を強め、「壬生忠岑『和歌体十種』について」(1963年)という論文を書く。「笑い」の研究を始めたことについて梅原は、フリードリヒ・ニーチェやマルティン・ハ
是則集堤中納言集(藤原兼輔)兼輔集宗于集伊勢集表章伊勢日記証素性集敦忠集源公忠集頼基集(大中臣頼基)藤原清正集興風集九条右大臣集(九条師輔)忠岑集忠見集朝忠集清慎公集(藤原実頼)海人手古良(藤原師氏)信明集(源信明)群書類従249豊蔭(藤原伊尹)義孝集(藤原義孝)群書類従249西
集 みつねしゅう 凡河内躬恒 261 興風集 おきかぜしゅう 藤原興風 262 忠峯集 ただみねしゅう 壬生忠岑 262 忠見集 ただみしゅう 壬生忠見 262 曽禰好忠集 そねよしただしゅう 曽禰好忠 263 桜井基佐