群書類従(文筆部) - いにしえwiki
文 ぞくせんじもん 長承元年 三善為康 135 富士山記 ふじさんき 都良香 135 狐媚記 こびき 康和三年 大江匡房 135 源府君所蔵銅雀研記 げんぷくんしょぞうどうじゃくけんき 義堂周信 135 暮年記 ぼねんき 大江匡房 135
文 ぞくせんじもん 長承元年 三善為康 135 富士山記 ふじさんき 都良香 135 狐媚記 こびき 康和三年 大江匡房 135 源府君所蔵銅雀研記 げんぷくんしょぞうどうじゃくけんき 義堂周信 135 暮年記 ぼねんき 大江匡房 135
殿七百首 かめやまどのしちひゃくしゅ 元亨3 後宇多天皇 167 堀川院御時百首和歌 ほりかわいんおんときひゃくしゅわか 大江匡房, 源俊頼, 藤原基俊 168 永久四年百首 えいきゅうよねんひゃくしゅ 169 久安六年御百首 きゅうあんろくねんおん
かけじやそでの ぬれもこそすれ(祐子内親王家紀伊)073.たかさごの をのへのさくら さきにけり とやまのかすみ たたずもあらなむ(前中納言匡房)074.うかりける ひとをはつせの やまおろしよ はげしかれとは いのらぬものを(源俊頼朝臣)075.ちぎりおきし させもがつゆを い
063 菅原氏系図 すがわらしけいず 道真 063 大江氏系図 おおえしけいず 平城帝, 千里, 維時, 匡衡, 匡房 063 橘氏系図 たちばなしけいず 敏達帝, 諸兄, 楠木正成 063 紀氏系図 きしけいず 孝元帝, 貫之,
稲葉 おとづれて 葦のまろやに 秋風ぞ吹く (大納言経信)064.高砂の をのへの桜 咲きにけり 外山のかすみ 立たずもあらなむ (前中納言匡房)065.うづら鳴く 真野の入江の 浜風に 尾花なみよる 秋の夕ぐれ (源俊頼朝臣)066.みよし野の 山井のつらら むすべばや 花のし
田幸隆) 三中老 和田の三石(上和田の円石・下和田の方石・和田の立石) 大槻三賢人(大槻玄沢・大槻磐渓・大槻文彦) 前の三房(藤原伊房・大江匡房・藤原為房) 後の三房(北畠親房・万里小路宣房・吉田定房) 三木一草(結城親光・名和長年・楠木正成・千種忠顕) 三振の太刀(石川兵助・伊
A. 平安時代後期の公卿で、大江匡房(おおえのまさふさ)の子です。参考URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%B1%9F%E7%B6%AD%E5%85%89
066 日本往生極楽記 にほんおうじょうごくらくき 慶滋保胤 066 続本朝往生伝 ぞくほんちょうおうじょうでん 大江匡房 067 仁和寺御伝 にんなじごでん 尊海 068 明匠略伝 めいしょうりゃくでん 069 唐大和上東征伝
のふん かなしや袖の ゆれもこそすれ (祐子内親王家紀伊)073.高砂の 尾の上の櫻 咲きにけり こゝからなりと みつゝ飲まばや (前中納言匡房)074.とし頼は さむさも強し 山おろし はげしかれとは 祈らぬものを (源俊頼朝臣)075.ふる懸けを とりしばかりを 命にて あは
月移植朝陽舍櫻花至清涼殿東北庭事655.永承六年五月內裏菖蒲根競合事656.太宰帥經信于筑前筵田驛伐館前槻而觀月事657.大江匡房進上水邊菖蒲狀令弼少將師賴判讀而詠歌一首事658.嘉保二年八月白河上皇于鳥羽殿前栽合事659.長治二年二月殿上花合事660
此道事334.嵯峨天皇命田村丸扈從事并白河院憑賜忠盛事335.源賴光誅鬼同丸事336.源義家於衣川與安倍貞任連歌事337.源義家學兵法於大江匡房事338.源義家令安倍宗任近侍事339.源義家密會某法師之妻事340.依渡邊番所緣拒否赦免事341.左衛門尉貞綱逢強盜而逃
く 秋風に みだれてさける 真野の萩原*37 (祐子内親王家紀伊)073.高砂の 尾上の桜 咲にけり 外山の霞 たゝずもあらなん (権中納言匡房)074.あすも来ん 野路の玉川 萩こえて 色なる波に 月宿りけり*38 (源俊頼朝臣)075.契りおきし させもが露を 命にて あはれ
部大輔永範秀句事116.元稹秀句事117.鬼神拜菅原文時家事118.大內記善滋保胤評匡衡齊名以言等事119.大江匡房返高麗牒狀秀句事120.大江匡房依夢想始安樂寺祭事121.我朝尚齒會於大納言年名始行,同在衡,宗忠等續行茲事122.式部大
唐惜別事181.某內舍人盜大納言女逃至奧州淺香郡事182.小野小町壯衰事183.小式部內侍大江山歌事184.大江匡房詠和歌不彈和琴事185.出身田舍兵士詠水上月秀歌事并大宮先生義定秀歌事186.乞物法師應彈琴女詠歌事187.阿闍梨仁俊祈北野社詠歌而有感
091 後光厳院御践祚記 ごこうごんいんごせんそき 091 後三条院御即位記 ごさんじょういんごそくいき 大江匡房 091 正親町院御即位略次第 おおぎまちいんごそくいりゃくしだい 092 永仁御即位用途記 えいにんごそくいようとき
『どうけ百人一首』・『神社仏閣 江戸名所百人一首』と並ぶ、近藤清春の「百人一首」シリーズのひとつ。今様職人尽百人一首の全首一覧001.のきのけた かりほぞあなの のみをゑらみ はかてしどもの せいをだしつつ*1 (てんちてんわう)002.かるすぎて のふじよのげいを うらやむも
A. 平安時代前期から中期にかけての公卿・学者で、大江匡房(おおえのまさふさ)の子です。参考URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%B1%9F%E7%B6%AD%E6%99%82
は思っていないようだが、流石に視力の話題で「心には尼御台の姿が常にある」と言われた際には「重すぎます」とツッコんだ。先祖は院政期の近臣、大江匡房。子孫の一つに毛利氏があり、武家政権を作り上げた彼の血筋は数百年後西国に覇を掲げ、さらに未来で長州藩として朝廷を抱き武家政権を終わらせる
歌 七夕の 近衛の笹は 立ちにけり やがて秋ぞと いのるもあるらむ 高砂の 尾の上の桜 咲きにけり 外山のかすみ 立たずもあらなむ 前中納言匡房 Part2392-267 可愛い奥様 sage 2012/07/13(金) 15:48:43.70 ID:GBpkF9js0OWD百人
旧劇場版や新劇場版Qを思い返すと・・・・・・・、余計に後者の二作品に対して遣る瀬無い気持ちでいっぱいになったな・・・・・・・・・。 -- 匡房 (2015-03-31 09:18:48) 前歯全部折ってやる! -- 名無しさん (2015-07-08 21:04:27)
、兄の満仲(兼名王)や甥たちと同様に摂関家に臣従する受領層の富裕な武家貴族(軍事貴族)であったことが推察されている。また、平安時代後期に大江匡房によって記された『続本朝往生伝』には源満仲・頼光(摂津源氏の祖)・平維衡(維将の末弟)らとともに一条天皇治世下における「天下之一物」とし
部 105 九暦(九条師輔)記録部 106 平記(平行親)記録部 107 宇治関白高野山御参詣記(平範国)記録部 108 江記(大江匡房)記録部 109 平知信朝臣記(平知信)記録部 110 吉田中納言為経卿記(吉田為経)記録部 111 後称念院関白冬平公記(鷹司冬
さだひろ)大江千里(おおえ の ちさと)大江為基(おおえ の ためもと)大江正言(おおえ の まさとき)大江匡衡(おおえ の まさひら)大江匡房(おおえ の まさふさ)大江宗秀(おおえ の むねひで)大江茂重(おおえ の もちしげ)大江嘉言(おおえ の よしとき)正親町天皇(おお
等同車事并二條關白良實,一條左大臣實經同車事080.後三條院越權左中辨隆方,任實政左中辨事081.後三條院書賜不違律令格式宣旨事082.大江匡房於各船積非道物事083.寬治八年十月內裏燒亡時中御門右府宿侍事084.德大寺左府實能越中院右府雅定而昇任右大將事085.葉