「TKO」を含むwiki一覧 - 4ページ

ウィリー・ピータース - Bout Wiki

試合結果イベント名開催年月日×ヒース・ヒーリング1R 0:48 チョークスリーパーPRIDE.92000年6月4日○滑川康仁2R 4:50 TKOリングス・オランダ2000年2月6日△ピーター・ヴァルガドローBattle of Arnhem 11999年9月5日×クリストファー・

猿丸ジュンジ - Bout Wiki

kipedia来歴[]2006年9月24日、第13回全日本アマチュア修斗選手権・フライ級に出場。1回戦・準決勝を勝ち抜くも、決勝で阿部博之にTKO負けを喫し準優勝となった[1]。2007年7月15日、猿丸ジュンジのリングネームでプロ修斗デビュー。豊島孝尚と対戦し、グラウンドパンチ

ヴァレンタイン・オーフレイム - Bout Wiki

ウスキ1R 1:17 ギブアップ(パウンド)Beast of the East2009年11月14日×ニコライ・オニキエンコ1R 0:40 TKO(ドクターストップ:鼻からの出血)GLORY 11: A Decade of Fights2009年10月17日○高橋和生1R 2:4

大和哲也 - Bout Wiki

け。連勝は8でストップした[10]。2009年12月4日、WBCムエタイルール日本統一王座決定トーナメント・ライト級決勝で河野雄大と対戦し、TKO勝ちを収め初代王座を獲得した[11]。2009年12月23日、大和ジム創立40周年&名古屋JKファクトリー創立20周年記念興行のダブル

クリストファー・ヘイズマン - Bout Wiki

ンチ連打)FightWorld Cup 1: Return of the Hammer2008年11月15日×ビル・マフッド3R 1:16 TKO(タオル投入)Spartan Reality Fight 92004年4月3日×郷野聡寛5分2R終了 判定0-2THE BATTLE

石川直生 - Bout Wiki

月12日、33年ぶりの復活となった全日本スーパーフェザー級王座決定トーナメントに出場。準決勝でラスカル・タカと対戦し、左まぶたのカットによりTKO勝ち。2006年1月4日、スーパーフェザー級王座決定戦で前田尚紀と対戦。1R終了時に額陥没骨折の疑いでドクターストップ勝ち。スーパーフ

ジェームス・アーヴィン - Bout Wiki

003年6月1日、24歳8か月でプロ総合格闘技デビュー。2004年8月20日、WEC初参戦となった「WEC 11」でジョディ・ポフと対戦し、TKO勝利を収め初代ヘビー級王座を獲得。同年10月21日にはフセイン・ウシャニを破り初防衛を果たすも、その後はUFCと契約したため王座を返上

伊藤崇文 - Bout Wiki

を果たした。ネオブラッドトーナメント優勝後、2つの引き分けを挟んで9連敗を喫した。1997年1月17日、パンクラスでヘイガー・チンと対戦し、TKO勝ち。連敗から脱出した。1997年7月の道場分割では鈴木みのる率いる「横浜道場」(パンクラス横浜)所属となった。2001年6月10日、

ティム・ブティッシュ - Bout Wiki

けを喫しデビュー以来の連勝は6で止まった。2008年2月2日、UFC初参戦となった「UFC 81」でデビッド・ヒースと対戦し、パウンドによるTKO勝ちを収めた。2008年4月2日、「UFC Fight Night 13」でマット・ハミルと対戦し、パウンドによるTKO負けを喫した[

藤井克久 - Bout Wiki

ムを藤井克久に戻し、総合格闘技に復帰した。2005年11月23日、U-STYLE Axisで佐々木恭介と対戦し、ジャーマン・スープレックスでTKO勝ち。2009年6月7日、リングネームを本名でもある藤井 勝久に変更し[1]、パンクラスに6年8か月ぶりに参戦。チェ・ムベに判定負けを

藤原あらし - Bout Wiki

せずに新田明臣に誘われてS.V.G.に入門。2002年1月4日、全日本キックボクシング連盟(AJKF)興行でプロデビュー。佐手康人にパンチでTKO勝ちを収めた。2003年8月17日、全日本バンタム級王座決定戦で平谷法之と対戦し、判定負け。王座獲得ならず。2004年11月19日、全

山宮恵一郎 - Bout Wiki

戦し、3-0の判定勝ちを収めた[13]。2011年12月3日、パンクラスで鈴木槙吾と対戦し、右フックでダウンを奪ったところにパウンドで追撃しTKO勝ち。獣神サンダーライガーのコスチュームで入場し、試合を行なった[14]。2012年1月28日、パンクラスで田村ヒビキと対戦し、2-0

菊田早苗 - Bout Wiki

ンクラシストとなった。2001年8月18日、「DEEP2001 in YOKOHAMA」でシェマック・ウォレスと対戦し、マウントパンチによるTKO勝ちを収めた。試合後のリング上で9月30日のパンクラス興行での美濃輪育久とのライトヘビー級タイトルマッチをアピールした[1]。2001

佐野哲也 - Bout Wiki

殴り込み”との触れ込みで初出場し、セミファイナルで“格闘彫師”吉永啓之輔と対戦。判定になれば吉永有利という展開の中、2R終了間際にパウンドでTKO勝ち。前田日明賞(MVP)、ベストファイター賞、ベストバウト賞を受賞した[3]。THE OUTSIDER代表の前田日明に「日本人絡みの

寺戸伸近 - Bout Wiki

5トーナメント出場者決定戦で浦林幹に3-0の判定勝ちを収めた[7]。2005年3月2日、MACH 55トーナメント1回戦で藤原国崇と対戦し、TKO負け。キャリア初黒星となった。2005年4月23日、イギリス・バーミンガムのNECアリーナで開催された「PAIN and GROLY」

アンソニー・ジョクアーニ - Bout Wiki

けを喫した[1]。2009年4月5日、「WEC 40」でバート・パラゼウスキーと対戦し、右ストレートでダウンを奪ったところにパウンドで追撃しTKO勝ち[2]。ノックアウト・オブ・ザ・ナイトを受賞した2009年10月10日、「WEC 43」でムーシン・コーブリーと対戦し、TKO勝ち

山本徳郁 - Bout Wiki

スの右フック一撃で生涯初のKO負けを喫した。2005年7月6日、HERO'S 2005にスーパーファイトで出場。イアン・シャファーと対戦し、TKO勝利。2005年9月7日、HERO'S 2005 ~ミドル級世界最強王者決定トーナメント~ 準々決勝でホイラー・グレイシーを右フック一

ブランドン・ヴェラ - Bout Wiki

挙げた後、2005年10月3日にUFC初参戦となった「Ultimate Fight Night 2」でファビアーノ・シェルナーに膝蹴りによるTKO勝ちを収めた。2006年11月18日、「UFC 65」でフランク・ミアに1R開始1分余りでTKO勝ちを収め、UFC4連勝となった。20

マメッド・ハリドヴ - Bout Wiki

6年、アブダビコンバットポーランド予選88kg以下級で優勝を果たした。2008年10月10日、ShoXCに参戦。ジェイソン・グイダと対戦し、TKO勝ちを収めた。2009年5月15日、「KSW 11」でダニエル・アカーシオと対戦し、TKO勝ちを収めKSWインターナショナルミドル級王

ドリュー・フィケット - Bout Wiki

3-0の判定勝ちを収めリベンジに成功した。2005年2月5日、UFC初参戦となった「UFC 51」でニック・ディアスと対戦し、パウンドによるTKO負けを喫した。2005年8月6日、「UFC Fight Night 1」でジョシュ・ニアーと対戦し、チョークスリーパーによる一本勝ちを

徳留一樹 - Bout Wiki

新と対戦し、腕ひしぎ十字固めによる一本勝ちを収めた。2010年4月29日、初参戦となったパンクラスで伊藤崇文と対戦し、グラウンドパンチによるTKO勝ちを収めた[1]。2010年6月20日、SRC初参戦となった「SRC13」のオープニングファイトで石塚雄馬と対戦し、グラウンドパンチ

マーク・ムニョス - Bout Wiki

はカリフォルニア州の高校レスリング州王座を2度獲得した。2008年6月1日、WECに初参戦となった「WEC 34」で、チャック・グリスビィにTKO勝ち。続いて参戦した12月3日の「WEC 37」ではヒカルド・バホスにTKO勝ち。同大会でWECライトヘビー級が正式に廃止となったため

西村広和 - Bout Wiki

月27日、CAGE FORCE初参戦となった「CAGE FORCE EX -eastern bound-」で清水隼人と対戦し、パウンドによるTKO負けを喫した。2007年8月19日、DEMOLITIONで川原誠也と対戦し、パウンドによるTKO負けを喫した。2008年7月21日、D

ベン・ロズウェル - Bout Wiki

ンク5 Wikipedia来歴[]2001年1月6日、プロデビュー。2002年11月15日、M-1 MFCでイブラヒム・マゴメドフと対戦し、TKO負けを喫した。2003年7月31日、Heat FCでカーロス・バヘットと対戦し、ハイキックでKO負けを喫した。2005年1月23日、初

ヒューストン・アレクサンダー - Bout Wiki

外部リンク6 Wikipedia来歴[]2007年9月8日、UFC 75でアレッシオ・サカラと対戦。膝蹴りでダウンを奪い、そのままパウンドでTKO勝ち。ノックアウト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。2007年11月17日、UFC 78でチアゴ・シウバと対戦し、マウントポジションからの

カン・リー - Bout Wiki

対戦し、右フックでKO勝ちを収めた。2007年6月22日、StrikeforceとEliteXCの合同興行でトニー・フリックランドと対戦し、TKO勝ちを収めた。2008年3月29日、「Strikeforce: Shamrock vs. Cung Le」でStrikeforce世界

ベンジー・ラダック - Bout Wiki

た。1か月後の6月22日にはUFC 37.5に出場、ニック・セラに判定勝ちを収めた。2002年9月27日、UFC 39でショーン・シャークにTKO負けを喫し、プロ初敗北。2003年8月16日、KOTCでグスタボ・マチャドにKO勝ち。2004年6月26日、SportFightでクリ

ロビー・ローラー - Bout Wiki

C 42のピート・スプラット戦では右足を負傷し、ギブアップにより敗れる。その後UFC 45ではクリス・ライトルを破るも、ニック・ディアスにはTKO負け。階級をミドル級に上げて臨んだエヴァン・タナーにも三角絞めで敗れ、怪我の治療のため一時戦線離脱した。2005年7月23日、ハワイ州

ジミー・アンブリッツ - Bout Wiki

8月2日、King of the Cageに出場し、王者ダン・ボビッシュとKOTC世界スーパーヘビー級タイトルマッチで対戦。マウントパンチでTKO勝ちし、KOTC世界スーパーヘビー級王者となった。2003年5月2日、KOTC世界スーパーヘビー級タイトルを返上して日本の新日本プロレ

ファントム進也 - Bout Wiki

ク7 Wikipedia獲得タイトル[]シュートボクシング日本スーパーバンタム級王座来歴[]2002年5月13日、プロデビュー戦で寒川慶一にTKO勝ち。8月25日、所属ジム龍生塾が主催する「どついたるねん9」で中野岳に3R判定負け。11月4日、初の後楽園ホールにて歌川暁文に判定負

アントニオ・カルバーリョ - Bout Wiki

修斗で同じく当時無敗を誇っていたリオン武と対戦し、2-0の判定勝ちを収めた。2006年2月17日、修斗で佐藤ルミナと対戦し、パウンドの連打でTKO勝ちを収めた。2006年5月12日、修斗世界ライト級王者アレッシャンドリ・フランカ・ノゲイラとの王座決定戦が決定するも、直前になってノ

フランク・ミア - Bout Wiki

9日の「UFC 48」のヘビー級タイトルマッチでティム・シルビアと対戦。腕ひしぎ十字固めでシルビアの右腕を骨折させてレフェリーストップによるTKO勝ちを収め、第10代UFC世界ヘビー級王者となった。2004年9月17日、バイク事故に遭い大腿骨を2箇所骨折。長期離脱を余儀なくされる

幕大輔 - Bout Wiki

ールした[3]。2009年3月15日、「THE OUTSIDER SPECIAL」で“顔面美容整形マシーン”中村俊太と再戦し、パウンドによるTKO負けを喫した[4]。2009年8月9日、「THE OUTSIDER 第7戦」で“湾岸エリアの鬼門番”鳥海誠と対戦し、1R終了時に左目負

アントニオ・バヌエロス - Bout Wiki

5」でジェフ・ベダードと対戦し、ギロチンチョークによる一本負けを喫した。2006年1月27日、グアムで開催されたFFCFで野中公人と対戦し、TKO勝ちを収めた。2006年5月5日、WEC世界バンタム級王座決定戦でエディ・ワインランドと対戦し、ハイキックによるTKO負けで王座獲得は

川口雄介 - Bout Wiki

M-1チャレンジのロブ・ブロートン戦でプロ初の敗北。2009年10月10日、DEEPメガトン級タイトルマッチで誠吾と対戦し、タオル投入によるTKO勝ちで初防衛に成功した[4]。2009年12月19日、DEEP初のケージ大会となったDEEP CAGE IMPACT 2009でロキュ

石毛慎也 - Bout Wiki

戦勝扱いで決勝進出[1]。2002年6月29日の決勝およびNKBウェルター級王座決定戦では勤務先の鍼灸院の院長でもあった小野瀬邦英と対戦し、TKO勝ちで初代NKBウェルター級王座を獲得した[2]。2003年5月16日、NKBウェルター級王座防衛戦で木浪シャーク利幸と対戦し、TKO

ボビー・ホフマン - Bout Wiki

2001年4月20日、リングス・ヘビー級王座決定トーナメント1回戦で柳澤龍志に3-0の判定勝ち。8月11日、準決勝でイリューヒン・ミーシャにTKO勝ちするも左肩を脱臼し、エメリヤーエンコ・ヒョードルとの決勝を棄権、準優勝となった[5]。2001年11月2日、「UFC 34」でジョ

廣田瑞人 - Bout Wiki

でKO勝ちを収めた。2008年4月5日、「CAGE FORCE 06」で鹿又智成とCAGE FORCEライト級王座決定戦で対戦し、パウンドでTKO勝ち。第2代CAGE FORCEライト級王者となった。2008年8月24日、戦極初参戦となった「戦極 ~第四陣~」のライト級グランプリ

戦闘竜 - Bout Wiki

金メダリストの瀧本誠と対戦し、0-3の判定負けを喫した。2007年3月23日、HEAT初参戦となった「HEAT 3」でキム・ジフンと対戦し、TKO勝ちを収めた。2007年8月5日、K-1初参戦となった「K-1 WORLD GP 2007 IN HONG KONG」で行なわれたAS

リッチ・クレメンティ - Bout Wiki

絞めCajun Fighting Championships: Full Force2010年6月25日×クィン・ミュラーン2R 3:09 TKO(パウンド)KOTC: Vengeance2010年2月12日○マイク・バドニック5R 2:10 裸絞め5150 Combat Lea

ロジャー・ウエルタ - Bout Wiki

ランに0-3の判定負け[8]。2010年10月21日、Bellator 33でエディ・アルバレスと対戦し、2R終了時にドクターストップによるTKO負けを喫した[9]。戦績[]総合格闘技 戦績28 試合(T)KO一本判定その他引き分け無効試合21 勝10542115 敗1130勝敗

ダン・ヘンダーソン - Bout Wiki

03年11月9日、「PRIDE GRANDPRIX 2003 決勝戦」のミドル級GPリザーブマッチでムリーロ・ブスタマンチに、パウンドによるTKO勝ちを収めた。2005年4月23日、「PRIDE GRANDPRIX 2005 開幕戦」のミドル級GP1回戦でアントニオ・ホジェリオ・

ドリュー・マクフェドリーズ - Bout Wiki

。目次1 来歴2 戦績3 脚注4 外部リンク5 Wikipedia来歴[]2001年9月8日、プロデビュー戦でネイサン・クォーリーと対戦し、TKO負け。2006年11月18日、UFC初参戦となったUFC 65でアレッシオ・サカラと対戦し、TKO勝ち。2008年6月21日、The

ダン・ボビッシュ - Bout Wiki

ーガード兼スパーリングパートナーを務めていた。2003年9月26日、WJプロレス主催のX-1のメインイベントでベイシル・キャストロと対戦し、TKO勝ちを収めた。2003年11月9日、PRIDE初参戦となったPRIDE GRANDPRIX 2003 決勝戦でゲーリー・グッドリッジと

ヤン・ノルキヤ - Bout Wiki

4 外部リンク5 Wikipedia来歴[]1998年4月9日、K-1初参戦となったK-1 KINGS '98でマット・スケルトンと対戦し、TKO負けを喫した。2001年8月のK-1 JAPAN GP 2001で行なわれた「K-1 VS 猪木軍」でゲーリー・グッドリッジと総合格闘

ウィウソン・ゴヴェイア - Bout Wiki

学んでいた[1]。2001年、アメリカ合衆国でプロ総合格闘技デビュー。2002年には当時ライトヘビー級だったジョン・フィッチと対戦、膝蹴りでTKO勝利を収めた。2003年3月28日、HOOKnSHOOT南東部ライトヘビー級王座決定戦で横井宏考と対戦し、パウンドでTKO負けを喫した

水垣偉弥 - Bout Wiki

に持ち込んだ。2006年11月10日、修斗で大沢ケンジと対戦。1Rに左フックと右フックで2つのダウンを奪われると、2Rには膝蹴りの連打によりTKO負け。プロ初黒星となった。2007年9月8日、CAGE FORCE初参戦となった「CAGE FORCE 04」で今泉堅太郎と対戦し、3

アレクサンダー・グスタフソン - Bout Wiki

ーパーによる一本勝ちを収めUFC2連勝となった[3]。2011年8月6日、「UFC 133」でマット・ハミルと対戦し、肘打ち&パウンドによるTKO勝ちを収めUFC3連勝となった[4]。UFC5戦目で初めてアメリカ大会出場となった。当初はウラジミール・マティシェンコと対戦予定であっ

トッド・ムーア - Bout Wiki

歴[]高校時代にレスリングを経験。350戦以上の戦績を持つ。2005年10月22日、プロデビュー。2007年4月27日、ジェイ・コールマンにTKO勝ちを収め、Ring of Combatウェルター級王座を獲得。デビュー以来10連勝となった。2007年12月12日、WEC初参戦とな

金原弘光 - Bout Wiki

02年11月24日、PRIDE初参戦でいきなりヴァンダレイ・シウバとミドル級タイトルマッチを行なうが、防戦一方となり、セコンドのタオル投入でTKO負け。その後、ミルコ・クロコップ、アリスター・オーフレイム、マウリシオ・ショーグンと戦うがPRIDEでは4戦全敗となった。2005年8