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マーク・ホーミニック - Bout Wiki

得タイトル2 来歴3 戦績3.1 総合格闘技3.2 シュートボクシング4 脚注5 外部リンク6 Wikipedia獲得タイトル[]総合格闘技TKO世界ライト級王座TKO世界フェザー級王座キックボクシングISKAカナダ・スーパーウェルター級王座IKF北米スーパーウェルター級王座来歴

ゲーリー・グッドリッジ - Bout Wiki

DE GRANDPRIX 2003』では開幕戦、決勝戦ともに第1試合のワンマッチに出場。8月10日の開幕戦ではエメリヤーエンコ・ヒョードルにTKO負け。しかし11月9日の決勝戦ではPRIDE初参戦のダン・ボビッシュにKO勝ちし、番人の面目躍如を果たした。2003年12月31日の『

ミルコ・クロコップ - Bout Wiki

めた。5月6日の「K-1 GRAND PRIX '96 決勝戦」では準々決勝でアーネスト・ホーストのテクニックとローキックに翻弄され、3RにTKO負けを喫した。この試合以降ミルコは師シカティックと決別し、3年間日本のリングから姿を消すこととなる。1999年4月25日、「K-1 R

トラヴィス・フルトン - Bout Wiki

ョン・マッケルロイ1R 4:20 三角絞めIowa Challenge 632011年3月19日○ウェイロン・ゴールドスミス1R 0:27 TKO(パンチ連打)Iowa Challenge 622011年1月22日×ジェフ・モンソン1R 4:40 V1アームロックElite Pr

ミノワマン - Bout Wiki

PRIDE初参戦となった「PRIDE 男祭り 2003」のオープニングファイトでクイントン・"ランペイジ"・ジャクソンと対戦し、膝蹴りによるTKO負けを喫した。2004年はヴァンダレイ・シウバ戦、ハイアン・グレイシー戦と連敗スタートもその後は山本喧一、上山龍紀に連勝。大晦日の「P

ジョナサン・グレ - Bout Wiki

でプロ総合格闘技デビュー。2005年10月3日、UFC初参戦となったUltimate Fight Night 2でジェイ・ヒエロンと対戦し、TKO勝ちを収めた。2007年9月19日、UFC Fight Night 11でダスティン・ヘイズレットと対戦し、腕ひしぎ十字固めで一本負け

クシシュトフ・ソシンスキー - Bout Wiki

プキンズ所属。クリストフ・ソシンスキーとも。目次1 獲得タイトル2 来歴3 戦績4 脚注5 外部リンク6 Wikipedia獲得タイトル[]TKOヘビー級王座来歴[]10歳でポーランドからカナダのマニトバ州ウィニペグに移住。高校時代にはカナディアンフットボールとサッカーを経験する

高橋義生 - Bout Wiki

種格闘技戦を行ない、1R腕ひしぎ首固めで一本勝ち。1992年11月3日、浜松市体育館でウェイン・シャムロックにリベンジ戦を挑むも、1分27秒TKO負け。1993年9月21日、パンクラス旗揚げ戦でジョージ・ワイングロフと対戦し、KO勝ち。1993年10月14日、ウェイン・シャムロッ

ゲガール・ムサシ - Bout Wiki

、試合開始直後の顔面への膝蹴りで、1R10秒でKO勝利。2006年4月11日の「DEEP 24 IMPACT」でも入江大和にマウントパンチでTKO勝利。試合後、PRIDE武士道参戦を熱望した。2006年、PRIDEウェルター級GPに出場。6月4日、1回戦となる「PRIDE 武士道

アリスター・オーフレイム - Bout Wiki

イ・ハリトーノフと対戦し、試合開始直後にテイクダウンを奪取。ここでハリトーノフは受身を取り損ねて肩を脱臼。最後はグラウンドでの膝蹴りの連打でTKO勝ちを収めた。しかし、その後のPRIDEではファブリシオ・ヴェウドゥム、アントニオ・ホジェリオ・ノゲイラ、ヒカルド・アローナ、マウリシ

ホルヘ・リベラ - Bout Wiki

[]1997年3月より総合格闘技の練習を開始。2001年6月、29歳3か月でのプロ総合格闘技デビュー戦でブランドン・リー・ヒンクルと対戦し、TKO負けを喫した。2003年9月26日、UFC初参戦となった「UFC 44」でデビッド・ロワゾーと対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。200

川尻達也 - Bout Wiki

12月14日、ヴィトー・"シャオリン"・ヒベイルと修斗世界ウェルター級タイトルマッチで再戦。終始川尻が主導権を握り、2R3分10秒パウンドでTKO勝ちを収め、第8代修斗世界ウェルター級王者となった。2005年5月22日、PRIDE初参戦となった「PRIDE 武士道 -其の七-」で

ウェズリー・コレイラ - Bout Wiki

に腕ひしぎ十字固めによる一本負けを喫した。2002年9月27日、UFC初参戦となったUFC 39でティム・シルビアと対戦し、タオル投入によるTKO負けを喫した[1]。2003年4月25日、UFC2戦目となったUFC 42で ショーン・アルバレスと対戦し、TKO勝ちを収めUFC初勝

マウリシオ・ショーグン - Bout Wiki

IDEデビューし、「PRIDE 武士道」で小路晃と対戦。ベテラン小路の寝技に引き込まれそうなシーンもあったものの、最後は得意の打撃で押し込みTKO勝ちを収めた。小路戦を含めて日本人4連戦を全勝し、シウバの如く「日本人キラー」ぶりを発揮。2005年4月23日、PRIDE GP 20

ジョルジュ・サンピエール - Bout Wiki

ック州サンティジドール身長178cm体重77kgリーチ193cm階級ウェルター級(UFC)スタイル極真空手、レスリング、ブラジリアン柔術所属TKOマネージメント→BTTカナダ→トリスタージム/ジャクソンズMMAジョルジュ・サンピエール(Georges St-Pierre、1981

サム・スタウト - Bout Wiki

。目次1 獲得タイトル2 来歴3 戦績3.1 総合格闘技3.2 キックボクシング4 脚注5 外部リンク6 Wikipedia獲得タイトル[]TKO世界ライト級王座(2005年)来歴[]2005年5月4日、K-1初参戦となった「K-1 WORLD MAX 2005」のオープニングフ

トラヴィス・ビュー - Bout Wiki

したキング・モーと対戦し、KO負けを喫した。2009年5月2日、戦極 ~第八陣~でスタニスラブ・ネドコフと対戦。右ストレートからのパウンドでTKO負けを喫した。戦績[]総合格闘技 戦績78 試合(T)KO一本判定その他引き分け無効試合63 勝20232000114 敗7520勝敗

セーム・シュルト - Bout Wiki

2」ではアレクセイ・メドヴェーデフと対戦し、判定ドローとなった。5月4日、「UFC 31」ではピート・ウィリアムスと対戦し、左フックによるTKO勝ちを収めた。6月29日、「UFC 32」ではジョシュ・バーネットと対戦し、腕ひしぎ十字固めによる一本負けを喫した。2002年[]4月

デイブ・ハーマン - Bout Wiki

もに、デビュー以来の連勝記録を11に伸ばした。2008年2月16日、EliteXC初参戦。マリオ・リナルディと対戦。膝蹴りからのパンチ連打でTKO勝ちを収めた。2008年6月14日、EliteXCでロン・ウォーターマンと対戦し、TKO勝ちを収めた。2008年10月10日、ShoX

ギルバート・アイブル - Bout Wiki

edia来歴[]1997年11月20日、リングスに初来日。1999年4月23日、リングスで高阪剛とランキング戦で対戦。ドクターストップによるTKO勝ち。ランク外であったが、ランク1位の高阪に勝利し、ランキング1位に認定された。2000年4月20日、リングス無差別級タイトルマッチを

ヴァンダレイ・シウバ - Bout Wiki

e Championship)の8人トーナメントに出場、決勝のアルトゥール・マリアーノ戦では自らの頭突きで目尻をカットし、ドクターストップでTKO負けとなり、準優勝となった[2]。その後も3度IVCには出場しており、1998年ミドル級王座も獲得している[3]。1998年10月16

ポール・デイリー - Bout Wiki

か月でプロデビュー。2004年7月10日、Cage Rage初参戦となった「Cage Rage 7」でグザヴィエ・フパ=ポカムと対戦し、1RTKO勝ちを収めた。2004年11月27日、「Cage Rage 9」でジェス・リアウディンと対戦し、TKO勝ちを収めた。2006年7月1日

日沖発 - Bout Wiki

ル2 来歴3 戦績3.1 プロ総合格闘技3.2 アマチュア総合格闘技4 脚注5 関連項目6 外部リンク7 Wikipedia獲得タイトル[]TKO世界フェザー級王座(防衛2度)第9代修斗世界ライト級王座(防衛0度)第3代SRCフェザー級王座(防衛0度)来歴[]中学時にブラジリアン

アントニオ・シウバ - Bout Wiki

age Warriorsヘビー級王座来歴[]2005年3月6日、デビュー戦の「UKMMAC 10」でテンギズ・テドラゼと対戦し、開始48秒、TKO勝ちを収めた。2005年5月21日、「CWFC Strike Force 1」でMarcus Tchindaに1RでTKO勝ちを収めた

桜井隆多 - Bout Wiki

をオープンさせた[1]。2003年5月5日、DEEP初参戦となった「DEEP 9th IMPACT」で石川英司と対戦し、マウントパンチによるTKO負けを喫した。2004年2月15日、PRIDE初参戦となった「PRIDE 武士道 -其の弐-」の「武士道挑戦試合」で岡見勇信と対戦し、

岡見勇信 - Bout Wiki

界大会では、1回戦でマット・リンドランドと対戦し敗北。10月10日にロシアの総合格闘技イベントM-1に参戦し、アマール・スロエフと対戦するがTKO負けを喫した。2004年2月15日、「PRIDE 武士道 -其の弐-」でPRIDEに初参戦し、桜井隆多に判定で勝利。2005年11月5

イーブス・エドワーズ - Bout Wiki

拾-」で池本誠知と対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。2006年7月8日、「UFC 61」でジョー・スティーブンソンと対戦し、額のカットによるTKO負け。この試合後、UFCからリリースされた。2008年2月16日、EliteXCでエドソン・ベルトと対戦。タックルに来たところにカウン

ニック・ディアス - Bout Wiki

1月10日、「EliteXC: Renegade」でKJヌーンズとEliteXC世界ライト級王座決定戦で対戦し、1R終了時に左瞼カットによりTKO負けを喫した。2008年5月11日、DREAM初参戦となった「DREAM.3」で行なわれたウェルター級チャンピオンシップ代表者決定戦で

エディ・アルバレス - Bout Wiki

12月14日にプロデビューした[1]。2006年6月3日、Euphoria MFCでデリック・ノーブルにスタンドのパンチ連打からのパウンドでTKO勝ちし、BodogFightウェルター級王座(旧名はMFCウェルター級王座)を獲得した。2006年8月26日、MARSで初来日し、小池

西山誠人 - Bout Wiki

3]。2000年10月17日、J-NETWORKで「切り裂き魔」の異名を持つカチャスック・ジャンボジムと対戦し[4]、逆に肘打ちでカットさせTKO勝ちを収めた[5]。2001年2月26日、J-NETWORKでマーシャルアーツ日本キックボクシング連盟ライト級王者井上哲と対戦し、カッ

ジョシュ・ニアー - Bout Wiki

UFC復帰戦となった「UFC Live: Cruz vs. Johnson」でキース・ウィスニエフスキーと対戦し、顔面カットによる2R終了時TKO勝ちとなった[5]。2012年1月20日、「UFC on FX: Guillard vs. Miller」のセミファイナルでドゥエイン

ウラジミール・マティシェンコ - Bout Wiki

2]。2009年1月24日、「Affliction: Day of Reckoning」でアントニオ・ホジェリオ・ノゲイラと再戦し、膝蹴りでTKO負けを喫した[3]。2009年9月19日、6年ぶりのUFC復帰戦となった「UFC 103」でイゴール・ポクライェクと対戦し、3-0の判

ディック・フライ - Bout Wiki

ねるようになる。1991年5月11日、リングス旗揚げ戦ではメインイベントで前田日明と対戦し敗北を喫したが、8月1日の旗揚げ第2戦では前田からTKOで金星を奪い、一躍スター選手にのし上がった。筋肉質の肉体からサイボーグと称され、1993年にはWOWOWのイメージキャラクターを務めた

ヴィトー・ベウフォート - Bout Wiki

ムを金銭関係のトラブルで離脱した[1]。PRIDE参戦後、再びUFCに参戦し、2004年1月31日の「UFC 46」でランディ・クートゥアにTKO勝ちしUFC世界ライトヘビー級王者となったが、続く8月21日の「UFC 49」でクートゥアと対戦し、TKO負けを喫し王座から陥落。20

セス・ペトルゼリ - Bout Wiki

WORLD GP 2004 in SAITAMA」でボブ・サップと対戦。開始早々にパンチでダウンを奪うが、自らのパンチによって右腕を負傷し、TKO負けとなった。2004年5月30日、「一撃」でアレキサンダー・ピチュクノフと対戦し、TKO負けを喫した。2005年、リアリティ番組「T

佐竹雅昭 - Bout Wiki

」の旗揚げに関わり、中心選手として精力的に活動する。1993年6月25日、ドン・中矢・ニールセン(アメリカ)との王座決定戦で1R2分30秒でTKO勝ちし、UKF世界ヘビー級王者のタイトルを獲得。1993年9月4日、佐竹の持つUKF世界ヘビー級タイトルとスタン・ザ・マンの持つWKA

弘中邦佳 - Bout Wiki

字固めで肘を脱臼した。2005年11月6日、因縁の青木と修斗で再戦するも、青木に下からの三角絞めで固められ、青木の鉄槌で左眉付近をカットし、TKO負けを喫した。2006年4月21日、Rumble on the RockでBJペンの柔術の師匠ヘナート・ヴェリッシモと対戦し、パウンド

エディ・サンチェス - Bout Wiki

2007年2月3日、UFC 67でPRIDEより移籍したミルコ・クロコップと対戦。ミルコのプレッシャーに圧倒され、マウントパンチの連打によるTKO負け。キャリア初黒星となった。2007年6月16日、UFC 72ではコリン・ロビンソンと対戦し、TKO勝ちを収めた。2007年12月2

アンドレイ・アルロフスキー - Bout Wiki

シクと対戦し、1ラウンドでKO負け。1年後の2000年4月9日にはM-1のヨーロッパ選手権トーナメントに出場し、決勝でローマン・ゼンツォフをTKOで下し、チャンピオンになった。2000年11月11日、UFC初参戦となった「UFC 28」でアーロン・ブリンクと対戦。グラウンドで下に

マット・ヒューズ - Bout Wiki

ったが、裁定はヒューズのKO勝ちとなり、第3代世界ウェルター級王者となった。2002年3月22日には、「UFC 36」で桜井"マッハ"速人にTKO勝ちし、初防衛に成功。その後もタイトルを防衛するが、2004年1月31日、「UFC 46」でライト級から転向したBJペンにチョークスリ

ソクジュ - Bout Wiki

固めで一本負け。続いて参戦した2008年5月24日のUFC 84では中村和裕から右ストレートでダウンを奪い、1ラウンド終了時に続行不能によるTKO勝ち。10月18日のUFC 89ではルイス・カーニにTKO負けを喫した。2009年1月24日、Affliction: Day of R

エメリヤーエンコ・ヒョードル - Bout Wiki

アローナに延長の末、3-0の判定勝ち[22]。同日に行なわれた2回戦では高阪剛と対戦するも、出会い頭に目尻をカットし、ドクターストップによるTKO負けとなった。なお、このカットはフックをかわした後の反則である肘が当たったためである。高阪自身はのちにこの試合を振り返り、アクシデント

ルイス・カーニ - Bout Wiki

ヴィンと対戦し、グラウンド状態の相手の頭部へ膝蹴りをしたため反則負けとなった。2008年6月7日、「UFC 85」でジェイソン・ランバートにTKO勝ち。10月18日には「UFC 89」でソクジュにTKO勝ちを収めノックアウト・オブ・ザ・ナイトを受賞した。2009年4月18日、「U

ジョー・リッグス - Bout Wiki

keforceでユージーン・ジャクソンと対戦し、KO勝ちを収めた。2008年9月20日、Strikeforceで三崎和雄と対戦し、パウンドでTKO負け。レフェリーのストップが早かった、と抗議した。2009年8月15日、Strikeforce世界ウェルター級王座決定戦でニック・ディ

フランク・トリッグ - Bout Wiki

。目次1 来歴2 戦績3 獲得タイトル4 外部リンク5 Wikipedia来歴[]1998年5月13日、初参戦となった修斗でマセロ・アグアにTKO勝ち。10月25日にはVALE TUDO JAPAN '98でジャン・ジャック・マチャドにTKO勝ち。1999年11月21日、PRID

ジョー・ドークセン - Bout Wiki

々の大会に出場、デニス・カーンやクリス・リーベンら強豪に勝利している。2004年にはUFC 49でUFC初参戦。ジョー・リッグスにパウンドでTKO負けを喫した。2007年4月13日、DEEP 29 IMPACTでキム・デウォンに三角絞めで一本勝ち。8月5日、WEC 29のWECミ

ジェイク・エレンバーガー - Bout Wiki

」でカーロス・コンディットと対戦し、1-2の判定負けを喫した。2010年1月2日、「UFC 108」でマイク・パイルと対戦し、パウンドによるTKO勝ちを収めUFC初勝利となった[1]。2010年8月1日、「UFC on Versus: Jones vs. Matyushenko」

ジェイソン・デイ - Bout Wiki

02年にプロデビューを果たした。2008年4月19日、UFC初参戦となったUFC 83でアラン・ベルチャーと対戦。スタンドのパンチ連打によるTKOで勝利し、白星デビューを果たした。2008年6月7日、UFC 85で欠場したクリス・リーベンの代役としてマイケル・ビスピンと対戦し、パ

ジョゼ・アルド - Bout Wiki

の判定勝ちを収めた[2]。2008年6月1日、WEC初参戦となった「WEC 34」でアレッシャンドリ・フランカ・ノゲイラと対戦し、パウンドでTKO勝ち。11月5日、「WEC 36」でジョナサン・ブルッキンズと対戦し、パウンドでTKO勝利を収めた。2009年1月25日の「WEC 3

野地竜太 - Bout Wiki

。2008年3月30日、「HEAT 6」でホ・ミンソクと総合格闘技ルールで対戦。空手仕込みの前蹴りでボディを効かせ、相手選手の戦意喪失によるTKO勝ちを収めた。2008年4月20日、新日本キックボクシング協会主催「TITANS NEOS III」で嚴士鎔と対戦。序盤、相手選手の蹴